先日gooブログで「好きな物語」という問いがあった。
子供の頃、読書が好きで学校の図書館でイソップ物語やアンデルセンなどを読み漁っていたように思う。
好きな物語に「アリとキリギリス」と書いた。
大人になって結婚して子供が生まれて・・・会社員として昇進したり転勤族も経験した。
調子にも乗った。乗りすぎてすっ転んだりもした。
人は変わることは出来る!自分が変わることで周りも変わる!そう思い、信じて来た。
そして自分自身も変わり、周りも変わったりもした。
ただ・・・やはり自身の本質というものまでは変わる。変える。
ことは出来ないのかも知れないと感じたりした。
最後まで信じて変わり続けることが大事なのかも知れないが・・・変わらないもの、
変えられないことがあるのも自分の人生のような気がする。
アリとキリギリス(童話/動く絵本)
【抜粋】
アリとキリギリスはどうなるといいのでしょうか,そこにはどういう問題が
あるのでしょうか。
キリギリスは夏に汗水たらして働いているアリたちを小バカにしていました。
ここには自分と相手を比較し,自分の優位(と自分で思っているところ)を
必要以上に見せつけているところがあります。
そんなことをしないといけないのは,自分の役割や持ち味といったものに
本当に満足していないからと見ることもできます。
キリギリスが音楽を奏でるという自分の役割や持ち味(心理学には
アイデンティティという考えがあります)に誇りをもって満足していれば,
一生懸命働いているアリたちを小バカにするようなことはないでしょうし,
ひょっとするとアリたちの疲れを癒すようないい音楽を奏でてくれるかも
しれません。
また,アリの方も自分は自分,キリギリスはキリギリスということを
受け入れていれば(心理学では自他の区別ということで分離個体化とか
自我境界という考えがあります),キリギリスが困った時にやり返すなんて
ことをしないでしょう。このようにアリとキリギリスが
お互いの持ち味を尊重しあうようになれば,変な自慢や嫉妬,攻撃,嫌がらせ
といったものは起きないのではないでしょうか。
アリとキリギリス アニメ (The Grasshooper and the Ant) | 子供のためのおとぎ話
注釈)
キリギリスが迎えるラストは因果応報的な死として描かれていますが、
現代では仲直りし、アリから食べ物を分けてもらい改心するという展開が多いようです。
時代とともに考察も、常識も変わっていくものなんでしょう。
それであっても
やはり僕はキリギリスなんだろう。
寒い冬でも温かい場所を求める、ムシのいいキリギリスなんだろう。
※冬になり弱ったキリギリスをアリが助けるおとぎ話ですが、考察の中にはキリギリスはアリのエサになったというものもあります。
どんなことがあったとしても大切なもの、守らなければいけないもの。
見失わないようにしないといけないですね。
いつもありがとう。
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