週頭の街頭活動。
先週金曜日の住民投票条例議案採決の結果のご報告。
3161人の署名の重みとは。
「重く受け止める」という発言は、どう具体化されるのか、空手形を許してはいけません。
私達選挙で選ばれる者は、一票一票の積み重ねでこの立場を頂いております。その立場をどう考えるかは、それぞれの議員や首長によって違って良いのでしょうが、法定数(1/50)以上の市民の署名が集まれば、その請求に基づいて、市長は嫌でも条例制定を議会に提案しなければ成りません。(今回の住民投票を求める直接請求がこれにあたります)
市長は提案の際に意見を付けて、議案説明に際しては口頭でも意見を表明します。
一方、住民投票を求める請求の代表者は本会議で意見陳述を行いました。
その陳述を聞いて、「住民投票しなくていいよ」などと言える価値観も私には理解できません。
現在の建て替え案に不安や不満を持っている方が、署名されたのだと思います。
将来負担(借金返済や維持費・管理費)が不安な方。
現キリン公園が失われることに不満を持つ方。
伊達博の建て替えが優先されべきなのか不満を持つ方。
物価高騰の今立て替えるべきなのかと疑問に思う方。
現在地で建て替えればよいのにと移転に不満を持つ方。
コンパクトにすれば安く付くのにと思う方。等々。
様々に不安を持っている方が居られることが解ったわけです。
また、議会がそれらの市民の意見を代弁できていないと思われ、このままでは現プランのままに建て替えが進んでしまうと思われたわけです。
40億の予定が50億60億に膨らんだときに、プランはどう見直されるのでしょうか。
隈研吾さんの事務所の基本設計が上がれば、敷地がどう使われ、おおよそどれくらい費用が掛かるか説明が出来ます。
しかし、その説明は、6月下旬にしか出来ないというのです。
つまり、住民投票をするべきかどうかと言う判断の基になるだろうこれらのことが知らされないと言うことは、
すなわち、いくらかの方が不安に思っている内容が全くの杞憂なのか、逆に不安的中が如く、やはり費用が過大であると評価できるのかわからないままに住民投票の可否を判断することを迫られたわけです。
いずれにせよ、投票を行って市民の意志を問うてみてはと思う私のような考えを持つ者も居れば、計画に大きな変化がないのだから、市民の意思を問う必要はない。あるいは、更なる説明の必要もないと考える人もいるのです。
私は、選挙でこの立場を頂いておりますが、4年間の白紙委任を頂いたわけではないと考えています。
議会の議論が足りていない。
市の説明が足りていない、納得できない。
と言うことがあれば、本来の直接民主制(住民投票による)の結果を政策決定の基としなければならないと思うのです。
そう考えずに、説明は十分、議論は充分に議会が行ったから市民の意見を聞く必要はないと考えるのは、全くの思い上がりでしかないと思うのです。
カリコー・カタリン博士は、あるテレビ局の
「メッセンジャーRNAワクチンという社会に浸透していない言葉に不安に思ったり、抵抗を感じる方が多かった」という記者の指摘に対して、
「科学者の私も報道関係者のあなたもここまで良い仕事ができていない。私達がしっかりと説明しなかったからだと思う。」
そう述べられました。
これだけ、世界中で治験が積み重ねられ、承認された後に全世界で使われて感染拡大に一定の効果を上げたと評価されるワクチンの開発者でさえ、このように謙虚にうけとめるのです。
50億とも60億とも言われる予算を使って建て替えられます。
宇和島市には大きな買い物だと思います。
大きな買い物をするときは、家族で相談しますよね。
市民みんなで、相談する機会を持って欲しいという市民の投げかけに対して、0回答では悲しいです。
署名集めに尽力された皆さんに心から敬意を表して、次の機会、建て替えにかかるお金が判ったタイミングなど、市政に注目を続けて頂きたいと思います。
もちろん、私達議員も自分の意志よりも市民の声を代弁する意識をより強く持っていたいと思います。
自分が問題と考えていなくても、市民のどなたかに問題であると言われる案件には、積極的に取り組むのが、市民の代弁者たる私達の務めであります。と。
先週金曜日の住民投票条例議案採決の結果のご報告。
3161人の署名の重みとは。
「重く受け止める」という発言は、どう具体化されるのか、空手形を許してはいけません。
私達選挙で選ばれる者は、一票一票の積み重ねでこの立場を頂いております。その立場をどう考えるかは、それぞれの議員や首長によって違って良いのでしょうが、法定数(1/50)以上の市民の署名が集まれば、その請求に基づいて、市長は嫌でも条例制定を議会に提案しなければ成りません。(今回の住民投票を求める直接請求がこれにあたります)
市長は提案の際に意見を付けて、議案説明に際しては口頭でも意見を表明します。
一方、住民投票を求める請求の代表者は本会議で意見陳述を行いました。
その陳述を聞いて、「住民投票しなくていいよ」などと言える価値観も私には理解できません。
現在の建て替え案に不安や不満を持っている方が、署名されたのだと思います。
将来負担(借金返済や維持費・管理費)が不安な方。
現キリン公園が失われることに不満を持つ方。
伊達博の建て替えが優先されべきなのか不満を持つ方。
物価高騰の今立て替えるべきなのかと疑問に思う方。
現在地で建て替えればよいのにと移転に不満を持つ方。
コンパクトにすれば安く付くのにと思う方。等々。
様々に不安を持っている方が居られることが解ったわけです。
また、議会がそれらの市民の意見を代弁できていないと思われ、このままでは現プランのままに建て替えが進んでしまうと思われたわけです。
40億の予定が50億60億に膨らんだときに、プランはどう見直されるのでしょうか。
隈研吾さんの事務所の基本設計が上がれば、敷地がどう使われ、おおよそどれくらい費用が掛かるか説明が出来ます。
しかし、その説明は、6月下旬にしか出来ないというのです。
つまり、住民投票をするべきかどうかと言う判断の基になるだろうこれらのことが知らされないと言うことは、
すなわち、いくらかの方が不安に思っている内容が全くの杞憂なのか、逆に不安的中が如く、やはり費用が過大であると評価できるのかわからないままに住民投票の可否を判断することを迫られたわけです。
いずれにせよ、投票を行って市民の意志を問うてみてはと思う私のような考えを持つ者も居れば、計画に大きな変化がないのだから、市民の意思を問う必要はない。あるいは、更なる説明の必要もないと考える人もいるのです。
私は、選挙でこの立場を頂いておりますが、4年間の白紙委任を頂いたわけではないと考えています。
議会の議論が足りていない。
市の説明が足りていない、納得できない。
と言うことがあれば、本来の直接民主制(住民投票による)の結果を政策決定の基としなければならないと思うのです。
そう考えずに、説明は十分、議論は充分に議会が行ったから市民の意見を聞く必要はないと考えるのは、全くの思い上がりでしかないと思うのです。
カリコー・カタリン博士は、あるテレビ局の
「メッセンジャーRNAワクチンという社会に浸透していない言葉に不安に思ったり、抵抗を感じる方が多かった」という記者の指摘に対して、
「科学者の私も報道関係者のあなたもここまで良い仕事ができていない。私達がしっかりと説明しなかったからだと思う。」
そう述べられました。
これだけ、世界中で治験が積み重ねられ、承認された後に全世界で使われて感染拡大に一定の効果を上げたと評価されるワクチンの開発者でさえ、このように謙虚にうけとめるのです。
50億とも60億とも言われる予算を使って建て替えられます。
宇和島市には大きな買い物だと思います。
大きな買い物をするときは、家族で相談しますよね。
市民みんなで、相談する機会を持って欲しいという市民の投げかけに対して、0回答では悲しいです。
署名集めに尽力された皆さんに心から敬意を表して、次の機会、建て替えにかかるお金が判ったタイミングなど、市政に注目を続けて頂きたいと思います。
もちろん、私達議員も自分の意志よりも市民の声を代弁する意識をより強く持っていたいと思います。
自分が問題と考えていなくても、市民のどなたかに問題であると言われる案件には、積極的に取り組むのが、市民の代弁者たる私達の務めであります。と。
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