【川崎老人ホーム事件】
2/16(水)の夜、母屋に戻ったら9時のNHKニュースが始まって、少し経ったところだった。家内が「年寄りをマンションのベランダから次々と投げ落とし殺すなど、けしからない!」と興奮している。何のことかわからない。
「それ、もしかして、一昨年どこかの老人ホームで起きた連続転落死の犯人が見つかったということ?」
というと、しばらく考えて「そう、そう」という。ちゃんとニュースをメイン・フレームの中に捉えていないのである。
私は当時、事件を新聞で読み「事件は◯◯が当直の夜だけに起きた」という報道から、「要介護3」とは、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011244845
(耳が遠い。お漏らしあり。部屋でポータブルトイレ使用。家の中はつかまり歩き、歩行器のようなもので歩く。調子のいいときで数メートルなら杖のときも。
外は車椅子。昔と今の区別がつかない。こちらが言ったことが覚えていられない。計算なんてとても無理。嫁、息子の顔もわからなくなる。)
という状態であり、身動き不自由な「要介護3」の老人が、120cmの柵を乗り越えて、6階か身を投げるのは不可能だと思っていた。
犯人は、今回逮捕された当直職員だろう、と推測していたが、後は「警察のお手並み拝見」という立場を決め込んだ。不審なニュースにいちいち発信していては身が持たない。
だから「犯人が逮捕された」というTVニュースに接しても、ちっとも驚かない。むしろメディはこの1年間、何を報じてきたのか?という気がする。
昔NHKテレビに「事件記者」という人気ドラマがあった。新聞記者たちが独自にあるいは他社や警察と協力して、事件の早期解決に動くという内容だった。固定した舞台は「警視庁記者クラブ」だったと記憶する。
いまは「客観報道」と称して、記者は何もしないで、警察発表を垂れ流すのが主流になっている。
この点、2/17「産経」記事は、要点を押さえた美事な報道をしていた。ここの社会部はしっかりしている。
事件は◯◯が入居者から現金などを盗んだとして2015/5に窃盗罪で逮捕され、同年9月に裁判で有罪判決を下されたことから、神奈川県警が「連続転落死」との関係性を追求し、今年2/15に逮捕、尋問により事件への関与を認めたことから2/16送検したという段階だ。
被害者3人はいずれも86♀、87♂、96♀で、小柄な高齢者だ。神奈川県警は「取り扱う変死体の数が多くて、司法解剖はできなかった」とコメントしているが、それはそうだろうと思う。
孤独死や老人の変死が多いのは常識だ。警察医も監察医も不足している。送検は今のところ、87♂の1件だけに留まっている。
◯◯(23♂)の詳細については知らないし、あまり興味もない。
仮に私がマンションの10階に住んでいて、壁にヤモリかアマガエルを発見したとする。殺してゴミ箱に入れるのが嫌なら、ベランダから下に放り投げるだろうと思う。昼間ならビニール袋に入れ、エレベーターで地上階まで運ぶかも知れない。
10階から投げ棄てる時、志賀直哉「城の崎にて」のように、石が当たったイモリの運命までは想像ができないだろう。
私はたまたま地面のすぐ上に住んでいるから、コンクリートのたたきの上にいたシマミミズを踏み殺さずに、芝生に移すという行動ができるが、これが高層マンションのベランダだったら、どういう挙動に出たかわからない。
ただ、いえることは、深夜に誰にも見られず、老人を抱えてベランダから闇に突き落としたら、間違いなくその人は死ぬ。それは殺人だ、という想像力が若者に欠如していたことだろう。
たぶん、本人にとっては「目の前から消えてくれればよい」というのが、直接の動機だと思う。目の前の一人が消えても、施設である以上別の一人が来る。それが想像できないとしか思えない。そこで裁判ではやはり「殺意の有無」が問題になるのではないかと思う。
米アリゾナ州の国立公園「グランド・キャニオン」では、高いクリフに柵がない。足を滑らせたら数百m下の谷底にまっしぐら、生命はない。それでも、柵なしで観光客に開放されている。「グランド・キャニオン殺人事件」など聞いたことがない。
これを見ると犯人の「自己責任」の問題もあるが、自己責任がとれない認知症患者のケアをどうするかが、重要な問題となって浮上すると思われる。
2/17「日経」コラム「春秋」が、AIが運転する自動車の運転手を、米運輸当局が「AIだ」とする判断を示したことに触れ、自動車事故における「故意と過失」の概念が変更を迫られる可能性があると論じていた。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO97364370X10C16A2MM8000/
日本の法体系は刑法や民法などにはいまもプロシアの「大陸法」の影響が色濃く残っている。米国は「英米法」(慣習法)の国である。
殺意の有無を、殺人罪の有罪か無罪かの判断基準とする現在の法解釈学が、今後裁判の過程で修正されていくことを望む。
なぜなら、スカイタワーの上から小石を一個落としたら、直撃された個人は即死するに決まっている。しかし石が個人を直撃するかどうかは確率の問題だ。同じように柵から突き落とした老人が即死するかどうかは100%の確率ではわからない。
新しい時代は、新しい法や法の解釈を必要としているように思われる。
<2/18追記=今朝の「産経」は解説報道として、2006-14年度における年別の「介護施設要員」による虐待件数が、54件から300件と6倍近くに増えたことを報じている。(この件数というのは「犯罪の認知件数」と同じで、実虐待件数は数値よりも常に多い。)
要介護の老人数が急増する中で、介護施設の職員の定着率の低下、経験不足の職員の増加とう背景要因があったようだ。
「産経」記事によると、事件が起きた介護施設では、2014年に職員41人のうち、退職21人(51.2%)で、うち充足は18人(85.7%)だったという。2015/8末の職員の経験年数は、5年未満が32人(78%)だった。離職率が高く、経験年数が乏しいのは「雇用条件」がからむ。
実の親であっても、「要介護5」(自力摂食不能、自力排泄不能)であれば、介護をもてあまし、口の達者な親の一言に刺激されて、つい折檻してしまう、というのが実状だろう。
こういう事態は「ベイズ推計学」からは、当然予測されたことで、「航空機事故」と同じように、事件の教訓を生かし対策を立てることが、犯人の処罰と同様か、それ以上に重要になると思う。>
<2/19追記=「和歌山毒カレー事件」の死刑囚林真須美(54)の夫(70)が「週刊新潮」2/25に登場している。保険金詐欺罪で懲役6年が確定・服役し11年前に出所したそうだ。自分で砒素を飲んで「高度障害保険金」2億円を騙しとったと言うから変わっている。出所後4年目にさらに脳出血を起こし、車椅子生活と生活保護で暮らしている。
「食事や掃除の世話はヘルパーがしてくれ、週2回はデイサービスにも通う。」という。次の弁がまったく面白い。
「せやけで信用はできへん。テレビで見たんやけど、女子刑務所に入った人たちに<出所したら何をしますか>て聞くと、たいがいヘルパーて答えるんや。」と述べている。
これを読んで私は、「さすが元犯罪者、よう見ている」と思った。
山本譲司「累犯障害者: 獄の中の不条理」(新潮社,2006/9)
という本を読んで、累犯者の更生率が極めて低いことを知ったが、そういう人たちが「介護」分野を市場として進出したら、とんでもないことが続発するな、という感想を抱いた。
同じく「週刊新潮」に成毛眞(日本MS社長)が、「書店の万引きによるロス額の7割」という話を書いている。書店の総売上額の何割に相当するかが書いてないので、大きさがつかめない。帳簿上の在庫額—棚卸しによる実在庫額=ロス額としている。ロス額が在庫額の何%にあたるかを示さないと、数値に意味がない。
かつて「万引き被害額」は総売上の約5%だと、これは大学出入りの個人書店主と大学生協の店長から聞いていた。どちらも10%引きで納品しているから、5%も店舗でロスが出ると経営は厳しい。
成毛によると、万引きの被害に合いやすいのは、金額ベースでコミック本だという。それは読み終えたらすぐ、新古書店に流れるのだそうだ。AMAZONにならって、絶対に万引きできないように、電子書籍にしてしまえばよいと彼は提案している。
万引きの多くは常習者で、新古書店に売ることにより生活を支えているのだな、という印象を受けた。万引きしたコミック本を売るのと、うっぷん晴らしに要介護老人を虐待するのと、どっちの罪が重いだろうか?とふとあらぬことを考えた。
2/16(水)の夜、母屋に戻ったら9時のNHKニュースが始まって、少し経ったところだった。家内が「年寄りをマンションのベランダから次々と投げ落とし殺すなど、けしからない!」と興奮している。何のことかわからない。
「それ、もしかして、一昨年どこかの老人ホームで起きた連続転落死の犯人が見つかったということ?」
というと、しばらく考えて「そう、そう」という。ちゃんとニュースをメイン・フレームの中に捉えていないのである。
私は当時、事件を新聞で読み「事件は◯◯が当直の夜だけに起きた」という報道から、「要介護3」とは、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011244845
(耳が遠い。お漏らしあり。部屋でポータブルトイレ使用。家の中はつかまり歩き、歩行器のようなもので歩く。調子のいいときで数メートルなら杖のときも。
外は車椅子。昔と今の区別がつかない。こちらが言ったことが覚えていられない。計算なんてとても無理。嫁、息子の顔もわからなくなる。)
という状態であり、身動き不自由な「要介護3」の老人が、120cmの柵を乗り越えて、6階か身を投げるのは不可能だと思っていた。
犯人は、今回逮捕された当直職員だろう、と推測していたが、後は「警察のお手並み拝見」という立場を決め込んだ。不審なニュースにいちいち発信していては身が持たない。
だから「犯人が逮捕された」というTVニュースに接しても、ちっとも驚かない。むしろメディはこの1年間、何を報じてきたのか?という気がする。
昔NHKテレビに「事件記者」という人気ドラマがあった。新聞記者たちが独自にあるいは他社や警察と協力して、事件の早期解決に動くという内容だった。固定した舞台は「警視庁記者クラブ」だったと記憶する。
いまは「客観報道」と称して、記者は何もしないで、警察発表を垂れ流すのが主流になっている。
この点、2/17「産経」記事は、要点を押さえた美事な報道をしていた。ここの社会部はしっかりしている。
事件は◯◯が入居者から現金などを盗んだとして2015/5に窃盗罪で逮捕され、同年9月に裁判で有罪判決を下されたことから、神奈川県警が「連続転落死」との関係性を追求し、今年2/15に逮捕、尋問により事件への関与を認めたことから2/16送検したという段階だ。
被害者3人はいずれも86♀、87♂、96♀で、小柄な高齢者だ。神奈川県警は「取り扱う変死体の数が多くて、司法解剖はできなかった」とコメントしているが、それはそうだろうと思う。
孤独死や老人の変死が多いのは常識だ。警察医も監察医も不足している。送検は今のところ、87♂の1件だけに留まっている。
◯◯(23♂)の詳細については知らないし、あまり興味もない。
仮に私がマンションの10階に住んでいて、壁にヤモリかアマガエルを発見したとする。殺してゴミ箱に入れるのが嫌なら、ベランダから下に放り投げるだろうと思う。昼間ならビニール袋に入れ、エレベーターで地上階まで運ぶかも知れない。
10階から投げ棄てる時、志賀直哉「城の崎にて」のように、石が当たったイモリの運命までは想像ができないだろう。
私はたまたま地面のすぐ上に住んでいるから、コンクリートのたたきの上にいたシマミミズを踏み殺さずに、芝生に移すという行動ができるが、これが高層マンションのベランダだったら、どういう挙動に出たかわからない。
ただ、いえることは、深夜に誰にも見られず、老人を抱えてベランダから闇に突き落としたら、間違いなくその人は死ぬ。それは殺人だ、という想像力が若者に欠如していたことだろう。
たぶん、本人にとっては「目の前から消えてくれればよい」というのが、直接の動機だと思う。目の前の一人が消えても、施設である以上別の一人が来る。それが想像できないとしか思えない。そこで裁判ではやはり「殺意の有無」が問題になるのではないかと思う。
米アリゾナ州の国立公園「グランド・キャニオン」では、高いクリフに柵がない。足を滑らせたら数百m下の谷底にまっしぐら、生命はない。それでも、柵なしで観光客に開放されている。「グランド・キャニオン殺人事件」など聞いたことがない。
これを見ると犯人の「自己責任」の問題もあるが、自己責任がとれない認知症患者のケアをどうするかが、重要な問題となって浮上すると思われる。
2/17「日経」コラム「春秋」が、AIが運転する自動車の運転手を、米運輸当局が「AIだ」とする判断を示したことに触れ、自動車事故における「故意と過失」の概念が変更を迫られる可能性があると論じていた。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO97364370X10C16A2MM8000/
日本の法体系は刑法や民法などにはいまもプロシアの「大陸法」の影響が色濃く残っている。米国は「英米法」(慣習法)の国である。
殺意の有無を、殺人罪の有罪か無罪かの判断基準とする現在の法解釈学が、今後裁判の過程で修正されていくことを望む。
なぜなら、スカイタワーの上から小石を一個落としたら、直撃された個人は即死するに決まっている。しかし石が個人を直撃するかどうかは確率の問題だ。同じように柵から突き落とした老人が即死するかどうかは100%の確率ではわからない。
新しい時代は、新しい法や法の解釈を必要としているように思われる。
<2/18追記=今朝の「産経」は解説報道として、2006-14年度における年別の「介護施設要員」による虐待件数が、54件から300件と6倍近くに増えたことを報じている。(この件数というのは「犯罪の認知件数」と同じで、実虐待件数は数値よりも常に多い。)
要介護の老人数が急増する中で、介護施設の職員の定着率の低下、経験不足の職員の増加とう背景要因があったようだ。
「産経」記事によると、事件が起きた介護施設では、2014年に職員41人のうち、退職21人(51.2%)で、うち充足は18人(85.7%)だったという。2015/8末の職員の経験年数は、5年未満が32人(78%)だった。離職率が高く、経験年数が乏しいのは「雇用条件」がからむ。
実の親であっても、「要介護5」(自力摂食不能、自力排泄不能)であれば、介護をもてあまし、口の達者な親の一言に刺激されて、つい折檻してしまう、というのが実状だろう。
こういう事態は「ベイズ推計学」からは、当然予測されたことで、「航空機事故」と同じように、事件の教訓を生かし対策を立てることが、犯人の処罰と同様か、それ以上に重要になると思う。>
<2/19追記=「和歌山毒カレー事件」の死刑囚林真須美(54)の夫(70)が「週刊新潮」2/25に登場している。保険金詐欺罪で懲役6年が確定・服役し11年前に出所したそうだ。自分で砒素を飲んで「高度障害保険金」2億円を騙しとったと言うから変わっている。出所後4年目にさらに脳出血を起こし、車椅子生活と生活保護で暮らしている。
「食事や掃除の世話はヘルパーがしてくれ、週2回はデイサービスにも通う。」という。次の弁がまったく面白い。
「せやけで信用はできへん。テレビで見たんやけど、女子刑務所に入った人たちに<出所したら何をしますか>て聞くと、たいがいヘルパーて答えるんや。」と述べている。
これを読んで私は、「さすが元犯罪者、よう見ている」と思った。
山本譲司「累犯障害者: 獄の中の不条理」(新潮社,2006/9)
という本を読んで、累犯者の更生率が極めて低いことを知ったが、そういう人たちが「介護」分野を市場として進出したら、とんでもないことが続発するな、という感想を抱いた。
同じく「週刊新潮」に成毛眞(日本MS社長)が、「書店の万引きによるロス額の7割」という話を書いている。書店の総売上額の何割に相当するかが書いてないので、大きさがつかめない。帳簿上の在庫額—棚卸しによる実在庫額=ロス額としている。ロス額が在庫額の何%にあたるかを示さないと、数値に意味がない。
かつて「万引き被害額」は総売上の約5%だと、これは大学出入りの個人書店主と大学生協の店長から聞いていた。どちらも10%引きで納品しているから、5%も店舗でロスが出ると経営は厳しい。
成毛によると、万引きの被害に合いやすいのは、金額ベースでコミック本だという。それは読み終えたらすぐ、新古書店に流れるのだそうだ。AMAZONにならって、絶対に万引きできないように、電子書籍にしてしまえばよいと彼は提案している。
万引きの多くは常習者で、新古書店に売ることにより生活を支えているのだな、という印象を受けた。万引きしたコミック本を売るのと、うっぷん晴らしに要介護老人を虐待するのと、どっちの罪が重いだろうか?とふとあらぬことを考えた。
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