【文書の保存】
1983/3に初めて出した随筆集『よみがえるカルテ』(溪水社)にこう書いた。これは「ニューイングランド医師会雑誌」が1976年、米建国200周年を記念して恒例のCPC(臨床・病理検討会)に、ハーバード大学医学附属病院である「マサチューセッツ総合病院」の入院第1号患者のカルテを取り上げていたためだ。「200年前の患者カルテが保存されている!」、これがまず驚きだった。
日本の医師法・医療法ではカルテの保存は5年間しか義務づけられていない。創立時から「カルテ永久保存」を実施してきたハーバード大学には頭が下がる。以下が拙文。
<日本の歴史はふるいと誰もがいう。本当にそうだろうかと思う。緒方洪庵の適塾、「神田お玉が池」の種痘所(今の東大医学部の前身)の診療録をわれわれは読むことができるであろうか。
山高きがゆえにとうとからず。歴史はその豊富な文化的遺産が保存されて現在の人々の生活に役立つからこそとうといのである。>
<今から百年ののち、アメリカは建国三百年を祝うであろう。その時「ニューイングランド」誌は、どのようなCPCをとりあげるのであろうか。>
私は留学中にNIHの図書館や国立医学図書館、ワシントンにある国会図書館も見学した。
「アルファ・フェトプロテイン」という肝がんのマーカーがある。これを初めて報告した研究者はロシア人で、論文はロシア語で書かれていると知った。私は、ロシア語が読めない。
「困ったな…」と思いながら、念のためにNIH図書館の司書に相談した。すると話を聴いてすぐに、問題の論文の英訳コピーを渡してくれた。聞けば「英訳サービスの依頼があった論文は英訳をコンピュータに保存しておき、同様な依頼に応えるようにしてある」とのこと。
NIHの研究者はムダな労働をしないで、研究のみに打ちこめるから、労働の生産性がたかいのである、とわかった。
広大文書館の石田准教授による学校文書復旧の話に戻る。
深川地区は太田川に注ぐ三篠川の氾濫により、浸水が起こった場所である。少し上流の安佐北区狩留家(かるが)では、JR芸備線の鉄橋「第1三篠川橋梁」が押し流され、現在復旧工事中で、芸備線の再開通は9月頃になる見通しという。(画像1)
これを見ると、従前の鉄橋から完全なコンクリート橋に設計変更されており、増水時の濁流は左手の5つの穴があるコンクリート橋を通って、下流にむかうようになっている。
橋の穴がない橋(堤)の部分には、手前に多数の岩塊が溜まっている。これらは洪水により押し流されて来たものだ。
橋全体が凹状にくぼんでいて、まことに不自然なかたちをしている。
しろうと目ながら、「これで安全性は大丈夫なのか?」と思ってしまう。
筑波にいる、土木工学が専門の佐々木君のご意見を聞きたいものだ。
私は前に「広島市立文書館」で、東大から最初に広島の被爆調査にやって来た「都築調査団」の団員がザラ紙に書いた調査日記を見たことがあるが、ビニール手袋でなく綿手を渡されたのには驚いた。これでは頁がめくれない。
おまけに酸性紙の脱硫処理がしてなく、紙の劣化がひどく、あちこちでボロボロに破れ始めている。「これは官員に文書保存の知識がないせいだな…」と思い、ビニールの手袋とスコッチ(3M)のメンディングテープを要求したら、どちらもないという。
さらに「紙が裂けた部分は和紙テープを糊で裏打ちする」という。「アホか、両面に記入された文書もあるのに…」と思った。トラブルになっているうちに、館長と称する人物が出てきた。前任職を訊ねると「市役所の総務課長」だという。こんな人物が「文書保存学」を知っているはずがない。
争ってもしょうがない人たちと、これ以上争ってもムダだと思い、文書館を立ち去った。
広島市は「原爆、平和」を世間にアピールしているのに、肝心の被爆関連文書の保存はまったくお粗末だと思った。
(無断転載禁止)
1983/3に初めて出した随筆集『よみがえるカルテ』(溪水社)にこう書いた。これは「ニューイングランド医師会雑誌」が1976年、米建国200周年を記念して恒例のCPC(臨床・病理検討会)に、ハーバード大学医学附属病院である「マサチューセッツ総合病院」の入院第1号患者のカルテを取り上げていたためだ。「200年前の患者カルテが保存されている!」、これがまず驚きだった。
日本の医師法・医療法ではカルテの保存は5年間しか義務づけられていない。創立時から「カルテ永久保存」を実施してきたハーバード大学には頭が下がる。以下が拙文。
<日本の歴史はふるいと誰もがいう。本当にそうだろうかと思う。緒方洪庵の適塾、「神田お玉が池」の種痘所(今の東大医学部の前身)の診療録をわれわれは読むことができるであろうか。
山高きがゆえにとうとからず。歴史はその豊富な文化的遺産が保存されて現在の人々の生活に役立つからこそとうといのである。>
<今から百年ののち、アメリカは建国三百年を祝うであろう。その時「ニューイングランド」誌は、どのようなCPCをとりあげるのであろうか。>
私は留学中にNIHの図書館や国立医学図書館、ワシントンにある国会図書館も見学した。
「アルファ・フェトプロテイン」という肝がんのマーカーがある。これを初めて報告した研究者はロシア人で、論文はロシア語で書かれていると知った。私は、ロシア語が読めない。
「困ったな…」と思いながら、念のためにNIH図書館の司書に相談した。すると話を聴いてすぐに、問題の論文の英訳コピーを渡してくれた。聞けば「英訳サービスの依頼があった論文は英訳をコンピュータに保存しておき、同様な依頼に応えるようにしてある」とのこと。
NIHの研究者はムダな労働をしないで、研究のみに打ちこめるから、労働の生産性がたかいのである、とわかった。
広大文書館の石田准教授による学校文書復旧の話に戻る。
深川地区は太田川に注ぐ三篠川の氾濫により、浸水が起こった場所である。少し上流の安佐北区狩留家(かるが)では、JR芸備線の鉄橋「第1三篠川橋梁」が押し流され、現在復旧工事中で、芸備線の再開通は9月頃になる見通しという。(画像1)
これを見ると、従前の鉄橋から完全なコンクリート橋に設計変更されており、増水時の濁流は左手の5つの穴があるコンクリート橋を通って、下流にむかうようになっている。
橋の穴がない橋(堤)の部分には、手前に多数の岩塊が溜まっている。これらは洪水により押し流されて来たものだ。
橋全体が凹状にくぼんでいて、まことに不自然なかたちをしている。
しろうと目ながら、「これで安全性は大丈夫なのか?」と思ってしまう。
筑波にいる、土木工学が専門の佐々木君のご意見を聞きたいものだ。
私は前に「広島市立文書館」で、東大から最初に広島の被爆調査にやって来た「都築調査団」の団員がザラ紙に書いた調査日記を見たことがあるが、ビニール手袋でなく綿手を渡されたのには驚いた。これでは頁がめくれない。
おまけに酸性紙の脱硫処理がしてなく、紙の劣化がひどく、あちこちでボロボロに破れ始めている。「これは官員に文書保存の知識がないせいだな…」と思い、ビニールの手袋とスコッチ(3M)のメンディングテープを要求したら、どちらもないという。
さらに「紙が裂けた部分は和紙テープを糊で裏打ちする」という。「アホか、両面に記入された文書もあるのに…」と思った。トラブルになっているうちに、館長と称する人物が出てきた。前任職を訊ねると「市役所の総務課長」だという。こんな人物が「文書保存学」を知っているはずがない。
争ってもしょうがない人たちと、これ以上争ってもムダだと思い、文書館を立ち去った。
広島市は「原爆、平和」を世間にアピールしているのに、肝心の被爆関連文書の保存はまったくお粗末だと思った。
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