1.柳田邦男
1960年4〜9月にかけて、大学の教養部自治会の執行部室に取材に来た記者で、今も名を記憶する人がいる。「中国」の平岡敬、「NHK広島」の柳田邦男、「山陽」のN記者だ。Nは後に「東広島市」が誕生する時、市会議員に立候補したが落選した。悪い人ではなかったが、ややずぼらな男だった。
平岡は後に広島市長になり、柳田は「空白の天気図」で作家としてのスタートを切った。二人とも学生に対する取材態度がきわめて真面目だった。まだ未成年の学生ながら、「これは人物だ」と尊敬の念を抱いたのを記憶している。
「日本病」という言葉ができたことを、金子勝・児玉龍彦「日本病:長期衰退のダイナミクス」(岩波新書 , 2016/1)で知り、「買いたい新書」の書評No.309で紹介した。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1455672547
ところが、柳田邦男「終わらない原発事故と<日本病>」(新潮文庫、2016/3)という本があるのを知り、取りよせて読んだ。
「はじめに」で柳田は「1960年4月、記者として赴任を命じられたのは、(NHK)広島だった」と書き、「それから3年余の広島滞在」と述べているので、私の記憶と整合性がある。安保闘争が終わった後は、柳田は被爆者問題や「空白の天気図」の素材を取材に関わっていたのだろう。「はじめに」で自己を<生涯現役の取材者>と規定しているのに感銘した。「読売」社会部にいた本田靖春と同様だと思った。
2.日本病
さて柳田は「日本病」について、そのすぐ後にこう書いている。
「この10年ほどの期間に災害や事故の取材をしていて次第に痛感するようになったのは、人間の命を守るべき社会システムが、行政においても企業においても、病んでいるということだった。私はその状況を<日本病>という用語で捉えている。」(P.6)
彼の文章を読むと、1960年に学生運動家に質問してきた当時の柳田邦男はちっとも失われていないと感じる。たぶん取材態度にそれを感じとって私は彼に共鳴したのだと思う。
「本書に編集したのは、事故・災害から犯罪、医療、死生観にわたって危機的な状況をもたらしている<日本病>の蔓延から脱却するための処方箋を考えるために、何が問題かを分析した論考なのだ。」
もちろん的確な処方箋は柳田だけでは書けない。「集合知」が必要だろう。
この本が明らかにしていることは「日本病」という言葉(昔、経済について使われたことがあるようにも思うが)を「人間の命を守るべき社会システムの病」という意味で用いたのは、これ(柳田邦男の上記単行本、2013/12刊、新潮社)が最初ではないか、ということだ。
上記の岩波新書「日本病」では柳田の著書には触れず、
「安倍政権によってメディアの衰退も加速しており、事実そのものが隠されようとしている。(それは進行癌が治療により悪性化を増し、感染症が抗生剤により多剤耐性となるのと)似たような病状だ。それゆえ本書ではこうした悪性化の症状を「日本病」と名づけ、どの長期衰退のダイナミズムを提唱し、どのように出口を求めていけばよいのかを課題とした。」と述べている。日本病の定義も執筆のスタンスも柳田とほぼ同じなのに、彼にクレジットを与えていない。
要するに個々のエラーに通底するシステムがおかしくなっていて、似たような事故が多発しているのに、「社会システムの病」とは受けとめられていない。それが「日本病」なのである。
3.「中3自殺」事件を各紙はどう報じたか
二重三重の意味で「日本病」ではないかと思われる事件を3/8、「産経」を除く新聞各紙が報じた(朝日、読売は紙面を未確認)。「広島県府中町の中3・自殺事件」だ。署名記事は「毎日」石川将来記者だけで、地元紙「中国」の記事は社会面トップだが署名がなかった。おまけに「自殺していたことが7日、分かった」と情報源を秘匿する「官製報道」のパターンだ。私はこういう記事はまず真偽を疑うことにしている。「STAP細胞」騒動と同じだ。
翌3/9の新聞全6紙を集めた。広島市の病院に行った帰りにコンビニ4店に立ち寄ったが、「中国」以外は全紙売り切れだった。自宅で購読していない「朝日」と「読売」の入手ができない。
福富町の新聞販売店に寄ったら、あいにく店主が急性腸炎(インフルエンザ?)で入院中のため閉まっていた。それに、ここは「読売」の販売店になっていない。
驚いたのは隣の町役場(正確には東広島市役所福富支所)に行ったら、図書館が休館で新聞がどこにあるか職員の誰も知らない。待合室には「中国」1紙しかおいてない。それも職員が読んでいて、ちょうど返しに出てきたところだった。課の名前が「地域振興課」。思わず笑ってしまった。この支所では「中国」1紙しか誰も読んでいないのだそうだ。その程度の知恵では「地域振興」などできるはずがない。私が課長なら、お茶代として課金を集め、全紙を購読し、それを一般町民も読めるように工夫するだろう。そこまですれば、本庁も予算を付けざるをえないだろう。
自宅に戻って隣町の豊栄町の「中国新聞販売店」に電話したら、「うちは読売も扱っていますが、残紙分を2軒のコンビニに出していますので、在庫がありません。が、きっとコンビニに売れ残りがあるはずです」といわれ、16:00前に豊栄まで車を走らせた。幸い、去年できたファミリーマートに読売が2部、朝日が1部残っており、やっと6紙全部が入手できた。
まず記事の取り上げ方をみよう:
「読売」=1面「別生徒の万引き記載:広島・中3自殺。学校、2年前誤り把握」
コラム「編集手帳」のテーマに
39面「広島・中3自殺:ずさん情報管理を謝罪。
学校進路指導、<引き金の可能性」
「朝日」=1面「<万引き>誤認で指導、広島中3自殺、2年前指摘、訂正されず」
35面「保護者ら<納得できず>、広島・中3自殺。学校、遺族に謝罪」
「毎日」=1面「ニュースの扉」欄に目次掲載
31面「広島中3自殺、ぬれぎぬで推薦拒絶、学校側、別人の万引き記録。相次ぐ
<指導で自殺>」(記者が石川将来から高橋咲子に交代)
「産経」=29面=「広島自殺、中3万引きと誤記録、学校側<私立校推薦できず>」
「日経」=43面「<万引き>誤記録で指導、広島中3自殺、志望校<推薦せず>」
「中国」=31面「中3男子自殺:ずさんな情報管理糾弾。保護者説明会、予定大幅
に超す」(田中伸武記者)
「非行歴で推薦判断、批判」(明知隼二記者)
地元紙なのに初回は無署名。3/9になっても1面に見出しすらない。
金子勝らがいうように「メディアの衰退も加速している」と私にも思われる。なぜなら「STAP事件」と同様に肝心要なところの報道がなされていないからだ。
メディアは「万引き誤記」の発生過程をつついているが、そもそも3年時の出願前になって急にルール変更をいわれた受験生の身になっての報道がない。つまり、細部にこだわる余り、事件の「システム・エラー」の解明がおざなりになっていると思う。
「学校教育法」における「学齢児童(6歳〜12歳)」、「児童福祉法」おける「少年(学齢児童と満18歳未満)」、「少年法」における「少年(20歳未満)」について、法の精神と中学1年生(12歳)が、どう位置づけられるかを細かく詮索するのは、真相の解明を妨げるだけだ。
自殺した中学生が2年前に「万引きした」のかどうかの確認も重要だが、それはすでに「過誤」であったと学校と教育委員会が認めている。無実の罪で自殺に追いやったのは大問題だ。
だがそれよりももっと重大な問題がある。
4.事件の本質=遡及処罰禁止の無視
そもそもこれまでは「3年時の非行」のみを欠格条項としていた「推薦基準」を2015/11になって変更し、「1年時からの非行も含める」とした、現校長の変更措置が問題だ。
変更権限が校長にあるとしても、かれは学校の指揮者であって、超法規的存在ではない。仮に中学1年時に万引があったとしても、その時に「可罰性がない」と判定された行為に対してさかのぼってペナルティを科すのは「事後法」の発想で、近代法の原則(法の不遡及)に反している。
この原則を侵す代表的な例は2005年、韓国国会が制定した「親日財産没収法」がある。日露戦争(1905)まで遡って、つまり「日帝支配下」の朝鮮で蓄積された朝鮮人個人の財産を国家が没収できる、という法律である。こんな理不尽な法をつくるから、あの国は法治国家でなく「情治国家」だといわれるのである。
「現在を支配する者は過去まで支配する」。ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」に出てくる独裁国家のスローガンだ。主人公が勤務する「真理省」はビッグ・ブラザーの言説に合わせて、過去の記録を修正し、独裁者の無謬性を明らかにするのが仕事だ。
過去を管理するという校長の発想は、事件をメディアとネットでフォローしていた私に、「1984年」を想起させた。新しい法(ルール)が遵守されるためには、事前の告知とその周知徹底が不可欠である。「ビッグ・ブラザー」の気まぐれにより、恣意的にルールが変更されてはならない。
3/9「中日」に「共同」記事が掲載されているのを知った。ここが事件のポイントで、「校長による勝手なルール変更」を報じた点で大いに評価したい。
<中3自殺、校長が推薦基準変更 非行調査、3年分に拡大
広島県府中町立府中緑ケ丘中3年の男子生徒(15)が昨年12月、誤った万引記録に基づく進路指導を受けた後に自殺した問題で、学校側が同11月、私立高校受験の推薦を出すかどうかの基準としている非行歴の調査対象を、それまでの「中学3年時」から「1~3年時」に広げていたことが9日、町教育委員会への取材で分かった。
変更は坂元弘校長が独自に判断して実施した。中3の担任教諭は、1、2年当時の非行歴も把握する必要に迫られ、誤った過去の記録を利用する一因となっていた。
対象期間を変更したことは、保護者には伝えていなかった。(共同)>
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016030901001688.html
同様に3/10産経は、<同校では、従来は1,2年時に触法行為があっても推薦していたが、昨年11月に1〜3年時にこの行為があれば推薦しないと基準変更した。>
さらに校長が
<1〜3年時に触法行為があるとされた19人の生徒の担任に、本人からの確認を求めたにも関わらず、自殺した生徒の担任は本人確認が不十分なまま「確認できた」と報告していた。…具体的に触法行為の日時などを確認できていなかったのは、19人中この(自殺した)生徒だけだった。>と報じた。
(紙版はあるがこの記事がネットでは削除されている。
http://www.sankei.com/search/?q=%E5%BA%83%E5%B3%B6%E4%B8%AD3%E8%87%AA%E6%AE%BA
(【広島中3自殺】触法行為でリストアップの生徒19人、うち1人だけ事実確認不徹底)という記事。)
3/10「中国」は、3/9朝開かれた「臨時全校集会」に約600人の生徒が出席とあるから、緑が丘中学は各学年6組、1組が33人強のクラス編成なのであろう。この記事では、
<少年が自殺した12月に、学校側が11月に定めた推薦基準を元に戻し、19人のうち15人を一転して推薦した>と報じている。
http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=228392&comment_sub_id=0&category_id=256
少年が自殺しなければ16人になっていたはずだ。残り3人は3年時に「触法行為」があったと推定される。可哀想に、推薦された15人には「あいつが死んだおかげで、おれは推薦がもらえた」という負い目が一生残るであろう。
つまり卒業学期途中で、校長が勝手に「推薦基準」を変更し、予告も周知もしないままに、1・2年時の素行調査結果を推薦基準に加え、そのうえ担任が本人確認を怠ったというのが、この悲劇の根本である。それはとてつもなく深いトラウマを残した。
データ入力や管理のミスなどは技術的な問題である。これが悲劇につながるのは、幾つかのヒューマン・エラーの積み重ねの結果で、本事件でも同じことが言える。
しかし根本にあるのは柳田邦男が指摘する「人間の命を守るべき社会システムが、行政においても企業においても、病んでいる」という状況だ。それが<日本病>である。これはマニュアルを作れば済む問題ではない。
「日本病」に共通して認められるのは、「安易な発想、事故の隠蔽、情報隠し、口裏合わせ、責任の転嫁、バッシングは一過性と心得ての首すくめ」である。これらは症状であり、これらが全部そろった「日本病症候群」が福島第1原発事故と、原発の再稼働である。
校長が「推薦基準」の改訂をいつ発案し、職員会議でどのように説明・議論し、昨年11月の変更に至ったのか、経過はまだ報じられていない。
だが「本校では触法行為があった場合は、私立高校への推薦はしません」と入学時に新入生と父兄に説明していたのならともかく(そのルール自体に「児童福祉法」や「少年法」に照らして違法性があると、私には思われるが…)、3年生の11月になって「新推薦基準」を変えることの違法性に教員の誰も気づかなかったのだろうか?これは「法の不遡及」の精神に違反している。
「日本国憲法」第39条が述べている「遡及処罰の禁止・二重危険禁止」とは、まさに「法治国家」の基本原則なのだ。それを知らない人物が校長になるとは…
「1年時からの非行も含める」という規準の適用を現在の1年生からにし、在校生に周知徹底する方針を打ち出していれば、仮に「誤記」があっても事件の発生は防げたと私は思う。恐らく校長が替われば、少年の更生を無視したこの規則は変えられるだろうが…。
現にこの校長も11月に決めた基準を12月に少年自殺事件が起きると、すぐに元に戻した。朝令暮改である。この校長は「担任がやるべきことをきっちりやっていれば、こんなことになっていなかったかもしれない」とすでに女性担任に責任転嫁を始めている。これは本末転倒で、11月になって急に「触法履歴調査」をやらなければ、事件は起きていない。
6クラスで19人の「問題生徒」がいたのだから、平均して各クラスに3人強の調査すべき生徒がいた。いまは欠勤している女性担任が、廊下での立ち話しかできなかったというのも、本当かも知れない。
5.事件の闇とメディアの責務
この事件にはまだ報じられていない「闇」があると思う。
それは週刊誌の報道を待つほかないのか。あるいは文科省検討班がそこまで明らかにするか?
<3/10追記=ネット検索で「ライブドア」の画像にヒットした。
校長は中1の時の「真の万引き犯」について、
「Q.万引きをした生徒が専願で、学校推薦をもらっているという話は本当ですか?
校長=この子はこの時、一度だけでした。その後、頑張って生活してきて、彼なら推薦できるだろうという判断ですので、推薦を12月22日の段階で出しました。」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1874457.html
という動画からの静止画像が字幕入りで載っているのを認めた。
これは明らかにダブル・スタンダードである。
新聞は一切報じていない。
まともにフォローしているのはNHKだけか…
【中3生徒自殺「万引きの現場にも居合わせず」3月10日 19時31分】
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160310/k10010438571000.html
>
推薦というのは「逆AO入試」だから、情実がからむ余地が大いにある。日本は次第に「情実社会」になりつつあるのではないか、と懸念する。それも「日本病」の1徴候と言えよう。そうなると「格差社会」は「身分社会」に変容してしまうだろう。
そこをメディアは報じてほしい。校長の推薦枠と死んだ生徒が受けたかった高校とは競合していなかったのか?生徒の希望はどことどこだったのか、実名をあげて報じるべきだ。
校長の赴任はいつからなのか、担任の女性教師はいつ赴任したのか、新聞を読んでも読者にはさっぱり分からない。さりとて「STAP事件」のようにNYTを読みに行くわけにもいかない。かくてネットで情報を収集することになる。
ネットを活性化させているのは、既存メディアの無力である。
3/11付各紙は問題の学校による「調査報告書」の内容を報道した。作成日は2/29で、3/7の府中町教委の発表はこれに基づくものだ。報告書の存在はこの時に明らかになっていた。
しかし3/11「朝日」によると、「朝日新聞の情報公開請求で10日開示された」とある。「中国」には報告書の表紙写真が載っており、起草したのが校長だとわかる。だが入手経路は書いてない。(「産経」にも写真があるが不鮮明で文字が読めない。)
「情報公開法」という法律があるのに、それを活用する術を朝日以外の記者は知らなかったのだろうか?「記者クラブ」へのたれ流し情報に日頃依存しているから、こういうことになる。
1960年4〜9月にかけて、大学の教養部自治会の執行部室に取材に来た記者で、今も名を記憶する人がいる。「中国」の平岡敬、「NHK広島」の柳田邦男、「山陽」のN記者だ。Nは後に「東広島市」が誕生する時、市会議員に立候補したが落選した。悪い人ではなかったが、ややずぼらな男だった。
平岡は後に広島市長になり、柳田は「空白の天気図」で作家としてのスタートを切った。二人とも学生に対する取材態度がきわめて真面目だった。まだ未成年の学生ながら、「これは人物だ」と尊敬の念を抱いたのを記憶している。
「日本病」という言葉ができたことを、金子勝・児玉龍彦「日本病:長期衰退のダイナミクス」(岩波新書 , 2016/1)で知り、「買いたい新書」の書評No.309で紹介した。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1455672547
ところが、柳田邦男「終わらない原発事故と<日本病>」(新潮文庫、2016/3)という本があるのを知り、取りよせて読んだ。
「はじめに」で柳田は「1960年4月、記者として赴任を命じられたのは、(NHK)広島だった」と書き、「それから3年余の広島滞在」と述べているので、私の記憶と整合性がある。安保闘争が終わった後は、柳田は被爆者問題や「空白の天気図」の素材を取材に関わっていたのだろう。「はじめに」で自己を<生涯現役の取材者>と規定しているのに感銘した。「読売」社会部にいた本田靖春と同様だと思った。
2.日本病
さて柳田は「日本病」について、そのすぐ後にこう書いている。
「この10年ほどの期間に災害や事故の取材をしていて次第に痛感するようになったのは、人間の命を守るべき社会システムが、行政においても企業においても、病んでいるということだった。私はその状況を<日本病>という用語で捉えている。」(P.6)
彼の文章を読むと、1960年に学生運動家に質問してきた当時の柳田邦男はちっとも失われていないと感じる。たぶん取材態度にそれを感じとって私は彼に共鳴したのだと思う。
「本書に編集したのは、事故・災害から犯罪、医療、死生観にわたって危機的な状況をもたらしている<日本病>の蔓延から脱却するための処方箋を考えるために、何が問題かを分析した論考なのだ。」
もちろん的確な処方箋は柳田だけでは書けない。「集合知」が必要だろう。
この本が明らかにしていることは「日本病」という言葉(昔、経済について使われたことがあるようにも思うが)を「人間の命を守るべき社会システムの病」という意味で用いたのは、これ(柳田邦男の上記単行本、2013/12刊、新潮社)が最初ではないか、ということだ。
上記の岩波新書「日本病」では柳田の著書には触れず、
「安倍政権によってメディアの衰退も加速しており、事実そのものが隠されようとしている。(それは進行癌が治療により悪性化を増し、感染症が抗生剤により多剤耐性となるのと)似たような病状だ。それゆえ本書ではこうした悪性化の症状を「日本病」と名づけ、どの長期衰退のダイナミズムを提唱し、どのように出口を求めていけばよいのかを課題とした。」と述べている。日本病の定義も執筆のスタンスも柳田とほぼ同じなのに、彼にクレジットを与えていない。
要するに個々のエラーに通底するシステムがおかしくなっていて、似たような事故が多発しているのに、「社会システムの病」とは受けとめられていない。それが「日本病」なのである。
3.「中3自殺」事件を各紙はどう報じたか
二重三重の意味で「日本病」ではないかと思われる事件を3/8、「産経」を除く新聞各紙が報じた(朝日、読売は紙面を未確認)。「広島県府中町の中3・自殺事件」だ。署名記事は「毎日」石川将来記者だけで、地元紙「中国」の記事は社会面トップだが署名がなかった。おまけに「自殺していたことが7日、分かった」と情報源を秘匿する「官製報道」のパターンだ。私はこういう記事はまず真偽を疑うことにしている。「STAP細胞」騒動と同じだ。
翌3/9の新聞全6紙を集めた。広島市の病院に行った帰りにコンビニ4店に立ち寄ったが、「中国」以外は全紙売り切れだった。自宅で購読していない「朝日」と「読売」の入手ができない。
福富町の新聞販売店に寄ったら、あいにく店主が急性腸炎(インフルエンザ?)で入院中のため閉まっていた。それに、ここは「読売」の販売店になっていない。
驚いたのは隣の町役場(正確には東広島市役所福富支所)に行ったら、図書館が休館で新聞がどこにあるか職員の誰も知らない。待合室には「中国」1紙しかおいてない。それも職員が読んでいて、ちょうど返しに出てきたところだった。課の名前が「地域振興課」。思わず笑ってしまった。この支所では「中国」1紙しか誰も読んでいないのだそうだ。その程度の知恵では「地域振興」などできるはずがない。私が課長なら、お茶代として課金を集め、全紙を購読し、それを一般町民も読めるように工夫するだろう。そこまですれば、本庁も予算を付けざるをえないだろう。
自宅に戻って隣町の豊栄町の「中国新聞販売店」に電話したら、「うちは読売も扱っていますが、残紙分を2軒のコンビニに出していますので、在庫がありません。が、きっとコンビニに売れ残りがあるはずです」といわれ、16:00前に豊栄まで車を走らせた。幸い、去年できたファミリーマートに読売が2部、朝日が1部残っており、やっと6紙全部が入手できた。
まず記事の取り上げ方をみよう:
「読売」=1面「別生徒の万引き記載:広島・中3自殺。学校、2年前誤り把握」
コラム「編集手帳」のテーマに
39面「広島・中3自殺:ずさん情報管理を謝罪。
学校進路指導、<引き金の可能性」
「朝日」=1面「<万引き>誤認で指導、広島中3自殺、2年前指摘、訂正されず」
35面「保護者ら<納得できず>、広島・中3自殺。学校、遺族に謝罪」
「毎日」=1面「ニュースの扉」欄に目次掲載
31面「広島中3自殺、ぬれぎぬで推薦拒絶、学校側、別人の万引き記録。相次ぐ
<指導で自殺>」(記者が石川将来から高橋咲子に交代)
「産経」=29面=「広島自殺、中3万引きと誤記録、学校側<私立校推薦できず>」
「日経」=43面「<万引き>誤記録で指導、広島中3自殺、志望校<推薦せず>」
「中国」=31面「中3男子自殺:ずさんな情報管理糾弾。保護者説明会、予定大幅
に超す」(田中伸武記者)
「非行歴で推薦判断、批判」(明知隼二記者)
地元紙なのに初回は無署名。3/9になっても1面に見出しすらない。
金子勝らがいうように「メディアの衰退も加速している」と私にも思われる。なぜなら「STAP事件」と同様に肝心要なところの報道がなされていないからだ。
メディアは「万引き誤記」の発生過程をつついているが、そもそも3年時の出願前になって急にルール変更をいわれた受験生の身になっての報道がない。つまり、細部にこだわる余り、事件の「システム・エラー」の解明がおざなりになっていると思う。
「学校教育法」における「学齢児童(6歳〜12歳)」、「児童福祉法」おける「少年(学齢児童と満18歳未満)」、「少年法」における「少年(20歳未満)」について、法の精神と中学1年生(12歳)が、どう位置づけられるかを細かく詮索するのは、真相の解明を妨げるだけだ。
自殺した中学生が2年前に「万引きした」のかどうかの確認も重要だが、それはすでに「過誤」であったと学校と教育委員会が認めている。無実の罪で自殺に追いやったのは大問題だ。
だがそれよりももっと重大な問題がある。
4.事件の本質=遡及処罰禁止の無視
そもそもこれまでは「3年時の非行」のみを欠格条項としていた「推薦基準」を2015/11になって変更し、「1年時からの非行も含める」とした、現校長の変更措置が問題だ。
変更権限が校長にあるとしても、かれは学校の指揮者であって、超法規的存在ではない。仮に中学1年時に万引があったとしても、その時に「可罰性がない」と判定された行為に対してさかのぼってペナルティを科すのは「事後法」の発想で、近代法の原則(法の不遡及)に反している。
この原則を侵す代表的な例は2005年、韓国国会が制定した「親日財産没収法」がある。日露戦争(1905)まで遡って、つまり「日帝支配下」の朝鮮で蓄積された朝鮮人個人の財産を国家が没収できる、という法律である。こんな理不尽な法をつくるから、あの国は法治国家でなく「情治国家」だといわれるのである。
「現在を支配する者は過去まで支配する」。ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」に出てくる独裁国家のスローガンだ。主人公が勤務する「真理省」はビッグ・ブラザーの言説に合わせて、過去の記録を修正し、独裁者の無謬性を明らかにするのが仕事だ。
過去を管理するという校長の発想は、事件をメディアとネットでフォローしていた私に、「1984年」を想起させた。新しい法(ルール)が遵守されるためには、事前の告知とその周知徹底が不可欠である。「ビッグ・ブラザー」の気まぐれにより、恣意的にルールが変更されてはならない。
3/9「中日」に「共同」記事が掲載されているのを知った。ここが事件のポイントで、「校長による勝手なルール変更」を報じた点で大いに評価したい。
<中3自殺、校長が推薦基準変更 非行調査、3年分に拡大
広島県府中町立府中緑ケ丘中3年の男子生徒(15)が昨年12月、誤った万引記録に基づく進路指導を受けた後に自殺した問題で、学校側が同11月、私立高校受験の推薦を出すかどうかの基準としている非行歴の調査対象を、それまでの「中学3年時」から「1~3年時」に広げていたことが9日、町教育委員会への取材で分かった。
変更は坂元弘校長が独自に判断して実施した。中3の担任教諭は、1、2年当時の非行歴も把握する必要に迫られ、誤った過去の記録を利用する一因となっていた。
対象期間を変更したことは、保護者には伝えていなかった。(共同)>
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016030901001688.html
同様に3/10産経は、<同校では、従来は1,2年時に触法行為があっても推薦していたが、昨年11月に1〜3年時にこの行為があれば推薦しないと基準変更した。>
さらに校長が
<1〜3年時に触法行為があるとされた19人の生徒の担任に、本人からの確認を求めたにも関わらず、自殺した生徒の担任は本人確認が不十分なまま「確認できた」と報告していた。…具体的に触法行為の日時などを確認できていなかったのは、19人中この(自殺した)生徒だけだった。>と報じた。
(紙版はあるがこの記事がネットでは削除されている。
http://www.sankei.com/search/?q=%E5%BA%83%E5%B3%B6%E4%B8%AD3%E8%87%AA%E6%AE%BA
(【広島中3自殺】触法行為でリストアップの生徒19人、うち1人だけ事実確認不徹底)という記事。)
3/10「中国」は、3/9朝開かれた「臨時全校集会」に約600人の生徒が出席とあるから、緑が丘中学は各学年6組、1組が33人強のクラス編成なのであろう。この記事では、
<少年が自殺した12月に、学校側が11月に定めた推薦基準を元に戻し、19人のうち15人を一転して推薦した>と報じている。
http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=228392&comment_sub_id=0&category_id=256
少年が自殺しなければ16人になっていたはずだ。残り3人は3年時に「触法行為」があったと推定される。可哀想に、推薦された15人には「あいつが死んだおかげで、おれは推薦がもらえた」という負い目が一生残るであろう。
つまり卒業学期途中で、校長が勝手に「推薦基準」を変更し、予告も周知もしないままに、1・2年時の素行調査結果を推薦基準に加え、そのうえ担任が本人確認を怠ったというのが、この悲劇の根本である。それはとてつもなく深いトラウマを残した。
データ入力や管理のミスなどは技術的な問題である。これが悲劇につながるのは、幾つかのヒューマン・エラーの積み重ねの結果で、本事件でも同じことが言える。
しかし根本にあるのは柳田邦男が指摘する「人間の命を守るべき社会システムが、行政においても企業においても、病んでいる」という状況だ。それが<日本病>である。これはマニュアルを作れば済む問題ではない。
「日本病」に共通して認められるのは、「安易な発想、事故の隠蔽、情報隠し、口裏合わせ、責任の転嫁、バッシングは一過性と心得ての首すくめ」である。これらは症状であり、これらが全部そろった「日本病症候群」が福島第1原発事故と、原発の再稼働である。
校長が「推薦基準」の改訂をいつ発案し、職員会議でどのように説明・議論し、昨年11月の変更に至ったのか、経過はまだ報じられていない。
だが「本校では触法行為があった場合は、私立高校への推薦はしません」と入学時に新入生と父兄に説明していたのならともかく(そのルール自体に「児童福祉法」や「少年法」に照らして違法性があると、私には思われるが…)、3年生の11月になって「新推薦基準」を変えることの違法性に教員の誰も気づかなかったのだろうか?これは「法の不遡及」の精神に違反している。
「日本国憲法」第39条が述べている「遡及処罰の禁止・二重危険禁止」とは、まさに「法治国家」の基本原則なのだ。それを知らない人物が校長になるとは…
「1年時からの非行も含める」という規準の適用を現在の1年生からにし、在校生に周知徹底する方針を打ち出していれば、仮に「誤記」があっても事件の発生は防げたと私は思う。恐らく校長が替われば、少年の更生を無視したこの規則は変えられるだろうが…。
現にこの校長も11月に決めた基準を12月に少年自殺事件が起きると、すぐに元に戻した。朝令暮改である。この校長は「担任がやるべきことをきっちりやっていれば、こんなことになっていなかったかもしれない」とすでに女性担任に責任転嫁を始めている。これは本末転倒で、11月になって急に「触法履歴調査」をやらなければ、事件は起きていない。
6クラスで19人の「問題生徒」がいたのだから、平均して各クラスに3人強の調査すべき生徒がいた。いまは欠勤している女性担任が、廊下での立ち話しかできなかったというのも、本当かも知れない。
5.事件の闇とメディアの責務
この事件にはまだ報じられていない「闇」があると思う。
それは週刊誌の報道を待つほかないのか。あるいは文科省検討班がそこまで明らかにするか?
<3/10追記=ネット検索で「ライブドア」の画像にヒットした。
校長は中1の時の「真の万引き犯」について、
「Q.万引きをした生徒が専願で、学校推薦をもらっているという話は本当ですか?
校長=この子はこの時、一度だけでした。その後、頑張って生活してきて、彼なら推薦できるだろうという判断ですので、推薦を12月22日の段階で出しました。」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1874457.html
という動画からの静止画像が字幕入りで載っているのを認めた。
これは明らかにダブル・スタンダードである。
新聞は一切報じていない。
まともにフォローしているのはNHKだけか…
【中3生徒自殺「万引きの現場にも居合わせず」3月10日 19時31分】
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160310/k10010438571000.html
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推薦というのは「逆AO入試」だから、情実がからむ余地が大いにある。日本は次第に「情実社会」になりつつあるのではないか、と懸念する。それも「日本病」の1徴候と言えよう。そうなると「格差社会」は「身分社会」に変容してしまうだろう。
そこをメディアは報じてほしい。校長の推薦枠と死んだ生徒が受けたかった高校とは競合していなかったのか?生徒の希望はどことどこだったのか、実名をあげて報じるべきだ。
校長の赴任はいつからなのか、担任の女性教師はいつ赴任したのか、新聞を読んでも読者にはさっぱり分からない。さりとて「STAP事件」のようにNYTを読みに行くわけにもいかない。かくてネットで情報を収集することになる。
ネットを活性化させているのは、既存メディアの無力である。
3/11付各紙は問題の学校による「調査報告書」の内容を報道した。作成日は2/29で、3/7の府中町教委の発表はこれに基づくものだ。報告書の存在はこの時に明らかになっていた。
しかし3/11「朝日」によると、「朝日新聞の情報公開請求で10日開示された」とある。「中国」には報告書の表紙写真が載っており、起草したのが校長だとわかる。だが入手経路は書いてない。(「産経」にも写真があるが不鮮明で文字が読めない。)
「情報公開法」という法律があるのに、それを活用する術を朝日以外の記者は知らなかったのだろうか?「記者クラブ」へのたれ流し情報に日頃依存しているから、こういうことになる。
脳の異常、ドーパミンの分泌異常などは関係ありますか?
残酷な隠蔽工作は中高年以上が得意ですよね。軽薄な人間に権限が与えられたせいでしょうか 。