【献本お礼など】
1)榎木英介さんのこと:1/27(月)宇和島駅—松山駅(特急)—松山観光港—呉(水中翼船)−JR西条駅(JRバス)というルートで6時間余の旅をして、やっとJR西条駅で迎えの家内の車に乗れた。帰宅途中、大型スーパー2Fにある啓文社という書店に寄った。
カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)の「忘れられた巨人(The Buried Giant)」(ハヤカワ文庫)と「2018年の論点」(文藝春秋)を買った。例年、年鑑類は「現代用語の基礎知識」(自由国民社)も買うのだが、厚すぎて今回は見送った。
「論点」の方は前には「日本の論点OOOO年」として出ていたが、最近はタイトルが変わった。
で、「2018の論点」に東大理学部卒業後に、神戸大医学部に社会人入学した病理医で、近畿大学医学部講師・榎木英介さんが「トランプ政権の予算大幅カットでアメリカの科学はどうなる」という論文を寄せているのに気づいて買った。
榎木さんには「博士漂流時代」、「医者ムラの真実」、「嘘と絶望の生命科学」などの新書があり、「博士漂流時代:<余った博士>はどうなるか」(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010)で科学ジャーナリスト賞を受賞している。この書は、「買いたい新書」でもNo.229として書評した。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1406866924
榎木さんとは2014年の「STAP細胞事件」発生後に、大阪「毎日」が中之島で開いた「意見交換会」で初めてお会いした。病理医で、科学の社会的役割に詳しいという逸材である。
論文にはトランプ政権になって世界一の研究所米NIH(国立健康研究所)の予算が約2割カットされた、とあり驚いた。NIHの予算は政府研究所だけでなく、米国の他大学への研究補助金としても使用されるので、ここの予算削減は米国の基礎生命科学を大いに圧迫する。
それはわかるのだが、英国の科学ジャーナリスト、ジョン・ホーガンが「科学の終焉」(徳間書店、1997)、「続・科学の終焉」(徳間書店、2000)
で述べたように、「巨大科学に投じることのできる研究費には、おのずから限界がある」こともまた、事実だと思う。STAP細胞事件や東大や阪大で多発している科学研究不正事件は、「競争的資金導入」というアメとムチ政策がなければ、発生しなかったのではないか、とも思う。
2)大阪の「国立循環器病センター」におられた血液内科医の平岡 諦(あきら)先生から、近著(2017/11刊)『憲法改正:自民党への三つの質問、三つの提案』(かもがわ出版)のご恵送を受けた。厚くお礼申し上げます。
平岡先生は、奥付の略歴を見ると「昭和20(1945)2月、大阪生まれ」とあり、1969(昭和64)年に阪大医学部を卒業されている。私は1941/6の生まれだから、ともに昭和憲法下に育った世代だ。戦後日本が一度も戦争をせず、ひとりの戦死者も出さなかったことを誇りに思っている。この本のよい点は詳細な参考書目録と事項・人名索引がついていることだ。
いま読んでいるヴァイツゼッカー『言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集』(岩波現代文庫)に「荒れ野の四十年」という名スピーチがあり、ナチスの犯罪について「民族全体に罪がある、もしくは無実である、といようなことはない。罪といい無実といい、集団的なものではなく、個人に責任がある」という一節があった。
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは旧西ドイツ最後の大統領であり、統一ドイツ(現在のドイツ)初代の大統領でもある。
平岡先生の本の「人名索引」を見ると、「ヴァイツゼッカー」がちゃんと載っており、『言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集』が参考資料に載っている。この本を書くのに、ずいぶん勉強されたことがわかった。
私がまだ在職中のこと、広島大学が開学五十周年だったか、「統合移転完了記念」だったかの祝賀行事に、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領を呼ぶという計画案が出たが、講演料が高すぎて実現せず、旧西ドイツのヘルムート・シュミット元首相を呼んだことがあった。
講演は英語だったが無線イアホーンを使った同時通訳(広島大の教官)が付き、約400人の聴衆(教職員・学生・一般市民)が集まった。私は英語を直接聞いたが、シュミットさんがヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」演説から、上記のくだりを引用して話したのが印象的だった。何語で話しても、名言は名言だ。
「ワイマール憲法」というもっとも民主的な憲法下で「ヒトラー独裁」という最も非人間的な体制が生まれたというのは、歴史の大いなる皮肉だが、人類は過去3000年の間に同じ過ちを何度も繰り返している。
自民党と「読売」の「憲法改正試案」も読んでだが、私は憲法前文にある、
「日本国民は、恒久的の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであった、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」
ここが憲法問題の核心だと思う。
<平和を愛する諸国民の公正と信義>が信頼できなくなったら、<われらの安全と生存を保持>することもできなくなる。
平岡先生の著書は重要な一石を投じた本だと思った。
「記事転載は事前に著者の許可が必要です。必ずご連絡いただきますようお願いいたします」
1)榎木英介さんのこと:1/27(月)宇和島駅—松山駅(特急)—松山観光港—呉(水中翼船)−JR西条駅(JRバス)というルートで6時間余の旅をして、やっとJR西条駅で迎えの家内の車に乗れた。帰宅途中、大型スーパー2Fにある啓文社という書店に寄った。
カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)の「忘れられた巨人(The Buried Giant)」(ハヤカワ文庫)と「2018年の論点」(文藝春秋)を買った。例年、年鑑類は「現代用語の基礎知識」(自由国民社)も買うのだが、厚すぎて今回は見送った。
「論点」の方は前には「日本の論点OOOO年」として出ていたが、最近はタイトルが変わった。
で、「2018の論点」に東大理学部卒業後に、神戸大医学部に社会人入学した病理医で、近畿大学医学部講師・榎木英介さんが「トランプ政権の予算大幅カットでアメリカの科学はどうなる」という論文を寄せているのに気づいて買った。
榎木さんには「博士漂流時代」、「医者ムラの真実」、「嘘と絶望の生命科学」などの新書があり、「博士漂流時代:<余った博士>はどうなるか」(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010)で科学ジャーナリスト賞を受賞している。この書は、「買いたい新書」でもNo.229として書評した。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1406866924
榎木さんとは2014年の「STAP細胞事件」発生後に、大阪「毎日」が中之島で開いた「意見交換会」で初めてお会いした。病理医で、科学の社会的役割に詳しいという逸材である。
論文にはトランプ政権になって世界一の研究所米NIH(国立健康研究所)の予算が約2割カットされた、とあり驚いた。NIHの予算は政府研究所だけでなく、米国の他大学への研究補助金としても使用されるので、ここの予算削減は米国の基礎生命科学を大いに圧迫する。
それはわかるのだが、英国の科学ジャーナリスト、ジョン・ホーガンが「科学の終焉」(徳間書店、1997)、「続・科学の終焉」(徳間書店、2000)
で述べたように、「巨大科学に投じることのできる研究費には、おのずから限界がある」こともまた、事実だと思う。STAP細胞事件や東大や阪大で多発している科学研究不正事件は、「競争的資金導入」というアメとムチ政策がなければ、発生しなかったのではないか、とも思う。
2)大阪の「国立循環器病センター」におられた血液内科医の平岡 諦(あきら)先生から、近著(2017/11刊)『憲法改正:自民党への三つの質問、三つの提案』(かもがわ出版)のご恵送を受けた。厚くお礼申し上げます。
平岡先生は、奥付の略歴を見ると「昭和20(1945)2月、大阪生まれ」とあり、1969(昭和64)年に阪大医学部を卒業されている。私は1941/6の生まれだから、ともに昭和憲法下に育った世代だ。戦後日本が一度も戦争をせず、ひとりの戦死者も出さなかったことを誇りに思っている。この本のよい点は詳細な参考書目録と事項・人名索引がついていることだ。
いま読んでいるヴァイツゼッカー『言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集』(岩波現代文庫)に「荒れ野の四十年」という名スピーチがあり、ナチスの犯罪について「民族全体に罪がある、もしくは無実である、といようなことはない。罪といい無実といい、集団的なものではなく、個人に責任がある」という一節があった。
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは旧西ドイツ最後の大統領であり、統一ドイツ(現在のドイツ)初代の大統領でもある。
平岡先生の本の「人名索引」を見ると、「ヴァイツゼッカー」がちゃんと載っており、『言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集』が参考資料に載っている。この本を書くのに、ずいぶん勉強されたことがわかった。
私がまだ在職中のこと、広島大学が開学五十周年だったか、「統合移転完了記念」だったかの祝賀行事に、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領を呼ぶという計画案が出たが、講演料が高すぎて実現せず、旧西ドイツのヘルムート・シュミット元首相を呼んだことがあった。
講演は英語だったが無線イアホーンを使った同時通訳(広島大の教官)が付き、約400人の聴衆(教職員・学生・一般市民)が集まった。私は英語を直接聞いたが、シュミットさんがヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」演説から、上記のくだりを引用して話したのが印象的だった。何語で話しても、名言は名言だ。
「ワイマール憲法」というもっとも民主的な憲法下で「ヒトラー独裁」という最も非人間的な体制が生まれたというのは、歴史の大いなる皮肉だが、人類は過去3000年の間に同じ過ちを何度も繰り返している。
自民党と「読売」の「憲法改正試案」も読んでだが、私は憲法前文にある、
「日本国民は、恒久的の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであった、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」
ここが憲法問題の核心だと思う。
<平和を愛する諸国民の公正と信義>が信頼できなくなったら、<われらの安全と生存を保持>することもできなくなる。
平岡先生の著書は重要な一石を投じた本だと思った。
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