【岬の分教場】
もうすぐ孫たちが帰る日が近づいてきた。日本語も上手になったし、たくましくなった。
今年はイチジクの樹を被うように、エドがネットを張ってくれたので、大きな実がたくさん熟れた。拙宅ではお金の話はしないが、先夜の会食の時に、上の孫がせっせとテーブルに大きな取り皿を運んでくるので、「来年はここでウェイターをやったらお金が入るよ」と言ってしまった。で、今朝家内が「イチジクをもいできて…」といったら、大きな平カゴ一杯になるほどもいできて、「ペイ・マネー」と言ったそうだ。ちゃっかりしている。
採れた実はいずれも大きくて美味しそうだ。これまではカラスに食われて、人間さまの口にはほとんど入らなかった。エドに払うべきお金を息子に払うのは当然だろう。数えたら11個あった。タクミが体験入学した小学校1年生のクラスには7人の女の子と4人の男の子がいたそうだ。タクミを入れると12人になる。
財布から千円札を取り出している家内に「岬の分教場だね」といったら、「何それ…」という。
「二十四の瞳じゃないか…」というと、「ああ、そうか…」だそうだ。
(後に「大石先生」みたいな担任の女先生からも、小さなうちわ形をした、心のこもったハガキがタクミ宛に届いた。)
タクミにラブレターが来た。ぜんぶ平仮名で書いてあり、表には「ふくとみちょうくば、うぇざれるたくみさま」とある。郵便番号は書いてあるが福富町は全部同じだから、よくこれで届いたものだ。郵便局でも皆で頭をひねったらしい。昨日、配達のYさんが私に確認してから置いて行った。差出人の名前も平仮名で女の子だ。姓を見る。この辺の姓は集落毎に特徴のあるクラスターがある。本家→分家と分かれて行ったためだ。集落の見当をつけて、Yさんに確認すると◯◯さんの娘だと教えてくれた。
「たくみくんおげんきですか。わたしのことをおぼえていますか。なんでもできるたくみくんのようにわたしもなりたいです。」と大きな字で書いてあった。
夜、娘に聞くとお別れ会で泣いた3人の子とは別の子だそうだ。ひと夏の想い出を残して去って行くよその国からから来た男の子…
「風の又三郎だね…」というと、「何それ…」と娘。
この母にしてこの娘ありだ。確か、マンション暮らしの時代に、子ども部屋には「復刻版日本児童文学全集」と「松谷みよ子・日本の民話集」を並べておいたはずなのに…
今夜は「賀茂鶴酒造」が経営している料理屋へ「美酒鍋」を食べに行く予定になっている。明日は発つので、これがこの夏「最後の晩餐」になる。「孫は来て良し、去(い)んで良し」というが、さて自分にはどういう感情が生まれるだろうか…。
予定どおり食事に行ってきた。「酒蔵通り」にある賀茂鶴本社のすぐ南にある「仏蘭西屋」という昔の商家風二階建てで、1階はフランス料理、2階がテーブル式の「美酒鍋」料理だった。といっても水の代わりに日本酒を使った鍋料理で、小鉢に溶いた生卵を付けて食べるのだから、すき焼きと寄せ鍋の中間のようなもので、大したことはない。が、調度の方は背景にずらっと徳利とぐい飲みが並び、ちょっと風情があった。外国人客をもてなすには、おあつらえの場所だろう。お値段もさほど高いとは思えない。娘は「美酒鍋が食べたい」と言い続けていたので、満足したようだ。
下の孫のケンジは嫌なことをされると「ヤメテ!」という。箸を玩具にしてふざけて止まないので、逆手にとって「止めて!」といったらピタリと止めた。何でも最近では、兄が脱ぎ散らした靴まできちんと揃えているそうだ。ジジの影響力絶大、といいたいところだが、これは「耕すに時あり、撒くに時あり」というとおり、子どもの発達段階に応じて、教訓が効果を発揮する時がある、ということだろう。
それにしてもわずか6週間の日本滞在なのに、孫たちの日本語の上達ぶりには舌を巻く。言語スィッチはスムーズだし、日本語に英語特有のなまりがない。なまじ小学校で英語を教えるより、「里親協定」を結び、子どもを強制的に毎年アメリカの小学校に送る方が合理的ではないかな、と思った。逆に向こうから「里子」を受け容れたら良いだろう。孫の例をみると、受け入れは地元の小学校にとって刺激にもなったようだ。
本屋で宮沢賢治『新版・風の又三郎』(新潮文庫)を見つけ、娘に「終りの方にある<グスコー・ブドリの伝記>と<風の又三郎>だけは、読んでおいた方がいいよ」といって、渡した。
もうすぐ孫たちが帰る日が近づいてきた。日本語も上手になったし、たくましくなった。
今年はイチジクの樹を被うように、エドがネットを張ってくれたので、大きな実がたくさん熟れた。拙宅ではお金の話はしないが、先夜の会食の時に、上の孫がせっせとテーブルに大きな取り皿を運んでくるので、「来年はここでウェイターをやったらお金が入るよ」と言ってしまった。で、今朝家内が「イチジクをもいできて…」といったら、大きな平カゴ一杯になるほどもいできて、「ペイ・マネー」と言ったそうだ。ちゃっかりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c5/884ca8ad3efa7467e966f4b025be2761.jpg)
採れた実はいずれも大きくて美味しそうだ。これまではカラスに食われて、人間さまの口にはほとんど入らなかった。エドに払うべきお金を息子に払うのは当然だろう。数えたら11個あった。タクミが体験入学した小学校1年生のクラスには7人の女の子と4人の男の子がいたそうだ。タクミを入れると12人になる。
財布から千円札を取り出している家内に「岬の分教場だね」といったら、「何それ…」という。
「二十四の瞳じゃないか…」というと、「ああ、そうか…」だそうだ。
(後に「大石先生」みたいな担任の女先生からも、小さなうちわ形をした、心のこもったハガキがタクミ宛に届いた。)
タクミにラブレターが来た。ぜんぶ平仮名で書いてあり、表には「ふくとみちょうくば、うぇざれるたくみさま」とある。郵便番号は書いてあるが福富町は全部同じだから、よくこれで届いたものだ。郵便局でも皆で頭をひねったらしい。昨日、配達のYさんが私に確認してから置いて行った。差出人の名前も平仮名で女の子だ。姓を見る。この辺の姓は集落毎に特徴のあるクラスターがある。本家→分家と分かれて行ったためだ。集落の見当をつけて、Yさんに確認すると◯◯さんの娘だと教えてくれた。
「たくみくんおげんきですか。わたしのことをおぼえていますか。なんでもできるたくみくんのようにわたしもなりたいです。」と大きな字で書いてあった。
夜、娘に聞くとお別れ会で泣いた3人の子とは別の子だそうだ。ひと夏の想い出を残して去って行くよその国からから来た男の子…
「風の又三郎だね…」というと、「何それ…」と娘。
この母にしてこの娘ありだ。確か、マンション暮らしの時代に、子ども部屋には「復刻版日本児童文学全集」と「松谷みよ子・日本の民話集」を並べておいたはずなのに…
今夜は「賀茂鶴酒造」が経営している料理屋へ「美酒鍋」を食べに行く予定になっている。明日は発つので、これがこの夏「最後の晩餐」になる。「孫は来て良し、去(い)んで良し」というが、さて自分にはどういう感情が生まれるだろうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/38/0d0226e78e5fff6e2c48f9803c8a90ee.jpg)
予定どおり食事に行ってきた。「酒蔵通り」にある賀茂鶴本社のすぐ南にある「仏蘭西屋」という昔の商家風二階建てで、1階はフランス料理、2階がテーブル式の「美酒鍋」料理だった。といっても水の代わりに日本酒を使った鍋料理で、小鉢に溶いた生卵を付けて食べるのだから、すき焼きと寄せ鍋の中間のようなもので、大したことはない。が、調度の方は背景にずらっと徳利とぐい飲みが並び、ちょっと風情があった。外国人客をもてなすには、おあつらえの場所だろう。お値段もさほど高いとは思えない。娘は「美酒鍋が食べたい」と言い続けていたので、満足したようだ。
下の孫のケンジは嫌なことをされると「ヤメテ!」という。箸を玩具にしてふざけて止まないので、逆手にとって「止めて!」といったらピタリと止めた。何でも最近では、兄が脱ぎ散らした靴まできちんと揃えているそうだ。ジジの影響力絶大、といいたいところだが、これは「耕すに時あり、撒くに時あり」というとおり、子どもの発達段階に応じて、教訓が効果を発揮する時がある、ということだろう。
それにしてもわずか6週間の日本滞在なのに、孫たちの日本語の上達ぶりには舌を巻く。言語スィッチはスムーズだし、日本語に英語特有のなまりがない。なまじ小学校で英語を教えるより、「里親協定」を結び、子どもを強制的に毎年アメリカの小学校に送る方が合理的ではないかな、と思った。逆に向こうから「里子」を受け容れたら良いだろう。孫の例をみると、受け入れは地元の小学校にとって刺激にもなったようだ。
本屋で宮沢賢治『新版・風の又三郎』(新潮文庫)を見つけ、娘に「終りの方にある<グスコー・ブドリの伝記>と<風の又三郎>だけは、読んでおいた方がいいよ」といって、渡した。
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