【自殺論補足】社会が有機性を失い、人間が孤独になり、自殺が多発する状態を「誰かがどこかで論じていたな、独特の用語を使っていたな]」とまでは、前便で思い浮かんだのだが、用語と著者の名前が出て来ない。「アナーキーでもないし、アパシーでもないし…」と考えたがムダだった。
昼食後、雨が止んだので草むしりをして、仕事場に戻り、「差別語」を論じた本を探していたら、ひょいと思い出した。
デュルケム『自殺論』(中公文庫, 1985)の「アノミー的自殺」である。これは中央公論社「世界の名著 47」(1968)に入っているデュルケム「自殺論」をそのまま文庫にしたもので、訳者も同じ宮島喬だが、文庫本には原題と著者名の原綴りがないという不誠実な本である。
Emile Durkheimはフランスの社会学者で、大陸ヨーロッパで19世紀後半に急増した自殺について「自殺論:社会学的研究(Le suicide: Etude de sociologie)」(1897)を出版した。自殺について善悪を倫理的、哲学的に論じた著書はそれ以前にもあるが、統計数値に基づいて社会現象として学問的に論じた本はこれが初めてである。訳者は東大文卒で、同志社大教授とあるが、訳は原典からでなく英訳本からの重訳と思われるお粗末なものだ。
その証拠に文庫本p.302に、
「社会的ハイアラーキーの諸段階でこの欲求が同等に満たされているような社会は、存在しない」、
という訳文が見える。これは
フランス語=hierarchie(発音=イェラルシー) :日本語=ヒエラルキー
ドイツ語= Hierarchie (発音=ヒエラルキー) :日本語=ヒエラルキー
英語= hiearachy (発音=ハイアラーキー)
となるべきものである。
念のため1968年訳ではこの箇所がどうなっているか確かめたら、
「各社会階級においてこの欲求が同等に満たされているような社会は、存在しない」となっていた。
「ヒエラルキー」は「社会に於ける階級秩序」をあらわす言葉で、日本語にもなっている。フランス語をわざわざ英語に直す訳というのは、ちと理解しかねる。
「アノミー(Anomie)」は、このスペルのまま英語にもなっていて、英英辞典によると、「社会学の用語。ギリシア語の法(nomos)が欠けた状態(anomos)から来た言葉で、社会的秩序や価値観が欠如した無法状態」とあるから、デュルケム「自殺論」に由来する用語であるのは間違いないだろう。
デュルケムは「個人を制約する社会的規範や価値観が失われた状態で、それに耐えきれず発生する自殺」を「「アノミー的自殺」と呼ぶ。これは極貧国にはなく、富裕国に多く、教育レベルが高い独身者や、やもめ暮らしの人に多いと指摘する。社会的紐帯を失った個人に多発する自殺こそ、現在の日本に多発している自殺である。川端康成、江藤淳の自殺がこれに入るだろう。
デュルケムは自殺を1)自己本位的自殺、2)集団本意的自殺、3)アノミー的自殺に3分しているが、1)、2)は古くからあり、3)が19世紀末になって新たに登場してきたものである。
19世紀末に中国を大旅行した英国の女性旅行・探検家イサベラ・バードの『中国奥地紀行』(東洋文庫)によると、中国では自殺が非常に多い。それも嫁と姑の対立による嫁の自殺が多い。手段としてアヘンを服用するのが多い。自殺は「怨霊となって姑に復讐する」ために行われる。一般に中国での自殺は男でも、「復讐」、「怨みをはらすため」、「嫌がらせのため」に行われるものが多い、と書いている。
当時は致死量のアヘンが簡単に入手できたらしい。
もちろん、今は事情が違うだろうが、バードがあげている中国の例は、デュルケムの分類だと「自己本位的自殺」に入る。彼は「自我」の発達状態が自殺に関係していると考えていて、自我の過剰発達により「自己本位的自殺」が生じるとしている。
逆に、「自我」が未発達で生じるのが「集団本意的自殺」で、日本の殉死、インドに見られる寡婦の焼身自殺、古代社会に見られた年寄りの集団自殺などを例として挙げている。
アノミーには良い訳語がないが、 NHKスペシャルで「無縁社会」という番組が放映され、「無縁死」という言葉が反響を呼んだ。社会的ネットワークからまったく切り離された個人の死である。遺体の引き取り手もなく、自治体が火葬後、無縁墓に葬られる。
物理的に家族と同居していても、精神的には「無縁」になった老人の自殺というのもある。これも「アノミー的自殺」だろう。
すると訳語としては「無縁的自殺」というのはどうだろうかと思う。もっとよい訳語があるかもしれない。
ここで、NHK「無縁社会プロジェクト」取材班編著『無縁社会』(文藝春秋, 2010)開いたら、「無縁死」(法的には「行旅死亡人」)は年間3万2000人とあった。水死体(無縁死)の死体検視状況を見ると、「事件性なし」と判断されたら、転落死か自殺かは強いて判断していない。
病死と自殺の区別も同様である。従って日本の自殺約3万件というのは、「無縁自殺」を含んでいないと思われる。
ここにも「統計のマジック」があるようだ。日本の年間自殺者数は4万人を超えているかもしれない。
昼食後、雨が止んだので草むしりをして、仕事場に戻り、「差別語」を論じた本を探していたら、ひょいと思い出した。
デュルケム『自殺論』(中公文庫, 1985)の「アノミー的自殺」である。これは中央公論社「世界の名著 47」(1968)に入っているデュルケム「自殺論」をそのまま文庫にしたもので、訳者も同じ宮島喬だが、文庫本には原題と著者名の原綴りがないという不誠実な本である。
Emile Durkheimはフランスの社会学者で、大陸ヨーロッパで19世紀後半に急増した自殺について「自殺論:社会学的研究(Le suicide: Etude de sociologie)」(1897)を出版した。自殺について善悪を倫理的、哲学的に論じた著書はそれ以前にもあるが、統計数値に基づいて社会現象として学問的に論じた本はこれが初めてである。訳者は東大文卒で、同志社大教授とあるが、訳は原典からでなく英訳本からの重訳と思われるお粗末なものだ。
その証拠に文庫本p.302に、
「社会的ハイアラーキーの諸段階でこの欲求が同等に満たされているような社会は、存在しない」、
という訳文が見える。これは
フランス語=hierarchie(発音=イェラルシー) :日本語=ヒエラルキー
ドイツ語= Hierarchie (発音=ヒエラルキー) :日本語=ヒエラルキー
英語= hiearachy (発音=ハイアラーキー)
となるべきものである。
念のため1968年訳ではこの箇所がどうなっているか確かめたら、
「各社会階級においてこの欲求が同等に満たされているような社会は、存在しない」となっていた。
「ヒエラルキー」は「社会に於ける階級秩序」をあらわす言葉で、日本語にもなっている。フランス語をわざわざ英語に直す訳というのは、ちと理解しかねる。
「アノミー(Anomie)」は、このスペルのまま英語にもなっていて、英英辞典によると、「社会学の用語。ギリシア語の法(nomos)が欠けた状態(anomos)から来た言葉で、社会的秩序や価値観が欠如した無法状態」とあるから、デュルケム「自殺論」に由来する用語であるのは間違いないだろう。
デュルケムは「個人を制約する社会的規範や価値観が失われた状態で、それに耐えきれず発生する自殺」を「「アノミー的自殺」と呼ぶ。これは極貧国にはなく、富裕国に多く、教育レベルが高い独身者や、やもめ暮らしの人に多いと指摘する。社会的紐帯を失った個人に多発する自殺こそ、現在の日本に多発している自殺である。川端康成、江藤淳の自殺がこれに入るだろう。
デュルケムは自殺を1)自己本位的自殺、2)集団本意的自殺、3)アノミー的自殺に3分しているが、1)、2)は古くからあり、3)が19世紀末になって新たに登場してきたものである。
19世紀末に中国を大旅行した英国の女性旅行・探検家イサベラ・バードの『中国奥地紀行』(東洋文庫)によると、中国では自殺が非常に多い。それも嫁と姑の対立による嫁の自殺が多い。手段としてアヘンを服用するのが多い。自殺は「怨霊となって姑に復讐する」ために行われる。一般に中国での自殺は男でも、「復讐」、「怨みをはらすため」、「嫌がらせのため」に行われるものが多い、と書いている。
当時は致死量のアヘンが簡単に入手できたらしい。
もちろん、今は事情が違うだろうが、バードがあげている中国の例は、デュルケムの分類だと「自己本位的自殺」に入る。彼は「自我」の発達状態が自殺に関係していると考えていて、自我の過剰発達により「自己本位的自殺」が生じるとしている。
逆に、「自我」が未発達で生じるのが「集団本意的自殺」で、日本の殉死、インドに見られる寡婦の焼身自殺、古代社会に見られた年寄りの集団自殺などを例として挙げている。
アノミーには良い訳語がないが、 NHKスペシャルで「無縁社会」という番組が放映され、「無縁死」という言葉が反響を呼んだ。社会的ネットワークからまったく切り離された個人の死である。遺体の引き取り手もなく、自治体が火葬後、無縁墓に葬られる。
物理的に家族と同居していても、精神的には「無縁」になった老人の自殺というのもある。これも「アノミー的自殺」だろう。
すると訳語としては「無縁的自殺」というのはどうだろうかと思う。もっとよい訳語があるかもしれない。
ここで、NHK「無縁社会プロジェクト」取材班編著『無縁社会』(文藝春秋, 2010)開いたら、「無縁死」(法的には「行旅死亡人」)は年間3万2000人とあった。水死体(無縁死)の死体検視状況を見ると、「事件性なし」と判断されたら、転落死か自殺かは強いて判断していない。
病死と自殺の区別も同様である。従って日本の自殺約3万件というのは、「無縁自殺」を含んでいないと思われる。
ここにも「統計のマジック」があるようだ。日本の年間自殺者数は4万人を超えているかもしれない。
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