ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【韓国の心性】難波先生より

2014-04-24 12:58:18 | 難波紘二先生
【韓国の心性】
 4/18のメルマガで、<映画「ポセイドン・アドヴェンチャー」には、船が転覆しても灯りが消えないという不自然さがあった。今回の救出劇はとても映画のようには行かないのではないか。>と書いた。
 残念ながらその通りになった。多くの高校生が上下逆さまになった真っ暗い部屋で、窒息死か凍死か溺死したことだろう。痛ましいことだ。
 日本のサルベージ業者が関与していたら、船底に穴を空けそこから空気を送りながら、沈没船そのものを浅瀬まで曳航するか、横倒しになった船の反対側に重りを付けて、船そのものの向きを正し、フロートで浮上させることができたと思う。「産経」の報道によると、家族が「空気が漏れる」と、船を動かすのに反対したそうだ。誰が間違った知識を与えたのかがわからない。おまけに火事場どろぼうみたいに卑劣な行動をとる輩が多い。


 それにしても「中央日報」のこの日本語記事に
http://japanese.joins.com/article/502/184502.html?servcode=400§code=430&cloc=jp|main|top_news
 面白い 551件、悲しい 35件、すっきり 3件、腹立つ 6件、役に立つ 4件と圧倒的多数の日本語版読者は面白がっている。これは韓国が播いたタネとしかいいようがない。
いま本屋では「嫌韓本」が飛ぶように売れていて、実に沢山の本が出版されている。
 沈没船の船長は正規の職員でなく、「代打」の職員だったと「朝鮮日報」が報じている。
69歳で現役の船長とはおかしいな?と思っていたが、そんなの韓国ではあたりまえなのであろう。
 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/23/2014042300979.html
 事故が起こったから問題にされただけだろう。
 やはり問われているのは「韓国人の心性」だ。
 同じく「朝鮮日報」はソウル大学教授の意見を報じている。
 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/23/2014042301015.html
 <ソウル大学社会学科の宋虎根(ソン・ホグン)教授は「韓国社会では民主化は達成されたものの、真の民主主義はきちんと根付いていない」と分析した。民主主義の主体となるべき、教養を備えた中産層の市民階級が適切に成長できなかったため-というのが宋教授の説明だ。ここでいう教養とは「私欲を抑制できる力」のことを意味する。>
 STAP騒動も「教養の欠除」が生み出したもので、他国を批判できないが、宋教授の意見は韓国中間市民層を批判したものだ。ここに教養があれば、日韓関係はここまでこじれなかった。

 1954年秋台風のため遭難した青函連絡船[洞爺丸]の事故の時、日本人女性を助けて生命を捨てたアメリカ人がいた。
 <洞爺丸事故のときに、日本人の若い女性(と私は聞いています;妊娠していた?)に自分が着ていた救命胴衣を渡して助け、自らは亡くなられた宣教師のディーン・リーパー師は、前広島平和文化センター理事長の父上です。ただし彼はこのエピソードを取り上げられるのをあまり好まれません。私が本人からお聞きしたことでは「父は泳ぎには自信があったので、自分が犠牲になるとは思っていなかったでしょう」と受け流しておられました。>とK先生からメールがあった。貴重な話なので紹介する。
 キリスト教徒は天国を信じているので、とっさの場合に自己犠牲の精神を発揮することが多い。韓国人の6割がキリスト教徒だというが、今回の事故での行動と宗教とはどういう関係にあるのだろう。
 広島の平和文化センターは確かクェーカー教徒が始めたはずだ。非暴力・絶対平和主義の心情を持ち、トーマス・ホジキンもそうだった。

 「朝鮮日報」が旅客船沈没:「船舶大国・韓国がなぜ日本の中古船?」という記事を報じている。日本のネットに書き込み、韓国政府「旅客船製造能力は不十分」、韓国沿岸旅客船の24%が造られて21年以上経過という小見出しもある。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/21/2014042100836.html?ent_rank_news
<日本は船齢規制がないが、20年以上経過した旅客船はほとんどない。老朽船は故障が頻発するため、20年が経過する前に海外に売却するからだ。セウォル号は日本で運航されていた2009年5月、港に停泊中に老朽化した電気配線がショートし火災を発生させたことがある。人命に関わる被害はなかったが、調理室・天井・壁が一部焦げた。>
<(韓国に)古い船が増えた決定的な理由は、政府が1990年代以降、船齢制限を緩和し続けてきたことだ。84年から91年までは沿岸旅客船の船齢は20年に制限されていた。
 しかし、(韓国)政府は…船齢制限を91年に5年の範囲内で延長できるようにし、最大25年に延ばした。さらに、09年には、船舶安全検査を毎年行って合格することを条件にしてはいるものの、最大30年まで運航できるようにした。海洋水産部関係者は「フェリーなどの旅客船は建造コストが掛かり、中小の旅客船会社が経営上の困難を訴えたことから、船齢制限を緩和した」と説明した。>
 <日本の旅客船会社「マルエーフェリー」は「フェリーなみのうえ」を18年間運航した後、清海鎮海運に売却し、この船が「セウォル号」となった。マルエーフェリーは1989年に就航した「あけぼの」(初代)も2003年に清海鎮海運に売却した。清海鎮海運はこの船をオハマナ号に変更、仁川-済州間をセウォル号と共に運航している。>


 どうもこの「清海鎮」という海運会社は日本の中古客船を買って商売をしていたようだ。改造で3階部分を建て増ししたため復元力が弱くなったこと、貨物室やフェリー部分の過積載と貨物固定が不十分だったこと、舵の不具合が見つかっていながら修理していなかったこと、船長が不在で未熟な航海士が操船にあたっていたことなど、本質的問題は論じられていない。まあ、国を挙げて日本に責任転嫁をするつもりだろう。

 「中央日報」は米国での事件報道について、
 <米国人は今回の事故を世界10位の経済大国になった「先進大韓民国」であり得ないことと感じているようだった。このため、現地の海外同胞は歌手PSYが引き上げた韓流に対する好感や北朝鮮を包摂するという朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の大胆な「統一大当たり論」に対する米国人の評価が、今回の事故によって色あせるのではないか心配している。>と報じている。<さらに、事故の収拾で政府の無能さと失策が露呈し、今回の事故は大韓民国のレベルを総体的に再評価する試験台になっている。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は18日、「韓国の危機管理能力が試験台に上った」と報じた。>そうだ。
 http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2014042125208

 もともと歴代の韓国大統領は、支持率が下がると「反日カード」を切り、国民のチープな愛国主義を煽って政権を維持するのが伝統的な政治手法だった。しかし朴槿恵大統領は就任当初から反日丸出しだった。大統領就任式に日本の首相の出席を拒否した。父親が日本の陸軍士官学校を出ていて、「親日派」の負い目もあるからだろうが、今度の事件で外交的にも内政的にも朴政権は大きな危機を迎えた。このままでは任期5年を完うするのは難しくなったといえるだろう。
 「中央日報」のコラム「時視各角」は「沈没した韓国政府は誰が救うのか」と題して、「内閣総辞職」を要求している。
 http://japanese.joins.com/article/440/184440.html?servcode=100§code=140
 それにしても、どうして海難救助に経験豊富な日本の援助を求めなかったのか不思議だ。済州島は長から目と鼻の先にあるのに…
 政府の見栄のために、みすみす見殺しにされた高校生が可哀想だ。

 「乗船名簿」にない外国人の遺体が発見された韓国メディアが騒いでいるが、一泊二日くらいの定期船だったら、日本ではそんなものないのが普通ではないか。大阪行きや別府行きのフェリーに広島から乗って、名簿なんか書いた記憶がない。
 問題を、事故を起こしたこと、いざというときの救助ができなかったこと、この2点に絞らないと、大騒ぎした後で何も教訓が学べなかった、ということになるだろう。

 韓国与党大物議員の息子(18)がツィッターで、「似たような事故が起きても理性的に対応する他国に比べ、韓国の国民は大統領が(事故現場に)行って捜索に全力を尽くすと表明しても(現場の人々は)声を荒げ、ののしり、首相に向かって水をかける」、「国民感情が非常に未開(文化レベルが低い)だ。大統領だけが神のような存在になって国民のあらゆる要求を満足させることを期待するなど、ありえない」、「国民が集まって国家が成り立っているのに、国民のレベルが低いから国のレベルも低いのではないか」、と発言して問題になったと「朝鮮日報」が報じている。
 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/22/2014042200527.html
 この若者は大学浪人だそうだが、言っていることは18世紀フランスの外交官=作家ジョセフ・ド・メストルの言葉「国民はそれにふさわしい政府をもつ」と同じことだ。

 事故発生から9日目を迎え、水面下10~35mに沈んでいる船体に生存者がいる可能性はほとんどないだろう。遺体さえ全部見つかるとはかぎらない。国家の「生存理由(レゾン・デートル)」は国民の生存を保障することにある。
 事件は安全管理の基本が徹底的に無視されていた「多重要因」が複合して生じたもので、基本的にはソウルのデパート崩壊事故と変わらない。その意味で「国家文化レベル」の事故だ。若者の発言は正論だが、被害者家族の感情を逆なでしてしまった。それにしても父親の国会議員がお詫びするというのが、どうも納得がいかない。
 18歳といえば徴兵検査がある年で、もう大人だ。かつて朝鮮には「連座制」があり、反逆罪などでは五族が「凌遅刑」(手足の切断など)で死に追いやられた。その名残だろうか?
 4/21の【海難事故】という文で哀悼の意を表さなかったというクレームを受けたが、首相ならそうするだろうが、この事故に関しては単なる傍観者にすぎない。
 「時よ止まれ」といっても、時間は「熱力学第二法則」そのものだから、止まらない。止まらないものを止まれという方が無理だ。「時間がないから急げ」とか「日本の力を借りよう」という方が合理的だ。そういう情緒的な反応しかできない韓国メディアを批判したもので、撤回するつもりはない。
 「ファウスト」のセリフは、ファウスト博士が死ぬ間際に口にする。手塚冨雄訳ではこうなっている。(「世界の文学4 ゲーテ」,中央公論社, 1970)
 <そのとき、おれは瞬間に向かってこう言っていい、
 「とまれ、お前はじつに美しいから(Verweile doch, du bist zu schoen!)」と。
 おれの地上の生の痕跡は、永劫を経ても滅びはしない、―― >
 「朝鮮日報」の記者は「ファウスト」のこのセリフを知っていたはずだが、その後にファウストが「生の痕跡」を残して死ぬことは忘れていた。だからああいう見出しを付けたのだろう。が、韓国にも教養のある人がいて、不適切な見出しだと思う人もいるだろう。

 さて、上記の若者の発言に見られるように、事件は韓国国民の心性にも揺さぶりをかけるきっかけになるかも知れない。
 「中央日報」は「盗んだ仏像は日本に返還すべきだ」という「韓国海外所在文化財」財団理事長の意見を伝えている。「韓国司法府は日本側が仏像を合法に流出した事実を証明するまで日本への返還を禁止するという判決を下した…。あの判決による文化財分野の被害は甚だしい。」という。「必ず返還されるべき文化財が今後日本で見つかった場合、韓国政府は言葉に窮することになった。」とも述べている。それはそうだろう。韓国が言っているのは「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」という理屈だ。国際的に通用するわけがない。http://japanese.joins.com/article/411/184411.html?servcode=400§code=400&cloc=jp%7Cmain%7Ctop_news
 ネットでは韓国の盗賊団が仏像を盗んだ寺のひとつが「海神寺」であり、いわば海の守護神ポセイドンの神殿から神像を盗み出したわけで、今回の海難事故はその祟りだというゴシップが飛び交っている。http://ja.wikipedia.org/wiki/海神神社
 事件についての韓国メディア報道についても、批判が寄せられている。<旅客船沈没事故で恥をさらした醜悪な韓国メディア>http://www.huffingtonpost.jp/yongjun-min/korea-media_b_5172148.html   「恥」とか「醜悪」というような主観的な用語で批判するところが、韓国人記者らしい。
 同じく「中央日報」東京支局長は、「先進国の名刺をしばらく引っ込めよう」と書いている。<われわれは皆、先進国という名刺をしばらく引っ込めよう。くやしいが仕方ない。いくら経済規模が大きくなったと言っても、国民の命が保証されない社会を誰が自信を持って先進国だと言えるだろうか。 …「安全先進国」日本の2つの事例はわれわれの進むべき道を示唆している。第一にシステムだ。日本は1998年、首相直属の内閣危機管理監という官職を作った。…第二は意識だ。「自分が居るべき場所、自分がやるべき仕事」を守る、簡単にいえば先進国民の姿勢だ。> と珍しく日本を持ち上げている。http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/20/20140420001
 韓国における法の支配がきわめて恣意的で、理非を超えて残酷であることが、実は国民が自国政府を見限って「日韓併合」を望んだ原因だと、最近韓国の学者が述べたと「朝鮮日報」が報じている。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/20/2014042000147.html
 <朝鮮王朝時代において、郡守や観察使などの地方官は司法権と行政権を併せ持つ存在で、明確な法の規定なしに人民を拘束したり、刑罰を加えたりすることができた。1894年の甲午改革で刑事裁判制度が近代的に改革され、民衆の身体や財産権の保護が改善された。…全ての犯罪を司法官だけが処罰できるように一元化した。民事裁判と刑事裁判も分離した。旧来の「五刑(笞・杖〈じょう〉・徒・流・死)」のうち、杖刑と徒刑は廃止して懲役刑を導入し、両班(ヤンバン=朝鮮王朝時代の貴族階級)を含む全ての国民に等しく刑罰を適用した。
 問題は、大韓帝国期にこの改革措置が覆され、当初の趣旨通りに裁判制度が民衆の生命や権利を守るということができなかった点だ。…賄賂や請願が横行し、裁判は公正に行われなかった。地方官は依然として司法権を掌握し、蓄財や弾圧の道具として用いた。>
(こう書いてあるが、朝鮮は日清戦争の結果、清国から独立できた。しかし日本留学組が主体となった改革派政府(「甲午改革」)は、わずか1年で崩壊している。残酷な刑罰の廃止や近代的刑法と民法の制定と司法の独立は1910年の日韓併合後に初めて実施された。竹による「鞭打ち刑」の廃止は1920年である。) 
 <1905年の乙巳(いつし)条約(第2次日韓協約)後、日本はこの弱点を狙った。「韓国には裁判制度がないといえるほど、裁判制度が不完全」。伊藤博文・初代韓国統監はこのように酷評している。韓国人は虐政に苦しんできたのだから、国政を改善すれば容易に民心を獲得できると考えたのだ。裁判制度の植民地的近代化は、こうして行われた。
 旧韓末の刑法の近代的変化を研究する著者の関心は「韓国はなぜ日本の植民地になったのか」という疑問から出発している。その原因としてト・ミョンフェ大田大学教授は、刑事裁判制度の反動化に注目した。不公正な裁判など大韓帝国の無能に背を向けた民心が、日本の近代的な文明改革に向かったというのだ。>

 ト・ミョンフェ著『韓国近代刑事裁判制度史』(青い歴史社)はまだ日本発売になっていないようだ。

 対馬の仏像盗難事件に見るように、韓国は国際的な法意識がある国ではない。日本的なものを全否定した結果、近代的な法思想も客観的な歴史認識も、国際法を遵守する倫理もすべて捨てた。その結果、「大韓帝国」言い換えれば「李氏朝鮮」の伝統に回帰したのである。朝鮮には宦官の制度があり、宦官と美女を毎年何百人も中国の皇帝に献上する伝統があった。元の時代に始まり、後続の明、清王朝にもおこなっていた。その美女は良家の子女を拉致する「強制連行」によるものだった。
 韓国人には歴代の異民族支配者に美女を貢納してきた歴史があるので、日本もそれを要求したに違いないという思い込みがあり、それが「慰安婦問題」の原点だという。(豊田有恒「本当は怖い韓国の歴史」祥伝社新書, 2012)
 「挺身隊」というと日本語では勤労奉仕の学生たちのことだが、朝鮮語では「軍相手の売春婦」のことだそうだ。慰安婦問題を追及している韓国の団体は「韓国挺身隊問題対策協議会」と称しているそうだ。すすんで日本軍の慰安婦になるものが自国にいた、という歴史的事実を恥ずかしくて直視できず、「日本軍による強制」というフィクションが生まれたものだと豊田はいう。
 豊田のこの記述はソウル大学教授李榮薫(イ・ヨンフン)の「大韓民国の物語」(文藝春秋, 2009)の記述でも裏づけられる。李によると1960年頃までは「挺身隊」と「慰安婦」はまったく別ものだという認識が韓国にあったが、1969年、金廷漢の小説「修羅道」が女子挺身隊=日本兵の慰安婦というフィクションを作りあげ、ここから記憶の変容が始まり、ついに1997年に至って国定教科書にも「挺身隊=慰安婦」とする記述が登場したという。
 朝鮮戦争当時、慰安婦は韓国軍にも米軍にもあり、韓国政府は「慰安婦」という言葉を公式呼称としていたという。韓国陸軍は慰安所のことを「特殊慰安隊」と呼んでいる。この事実を隠蔽するために、日本がらみの場合は「挺身隊」とか「性奴隷」と呼ぶのだそうだ。

 1636年に中国に清王朝が立った。その時、李氏朝鮮は情勢を読み誤り、衰亡する明に肩入れしていた。1637年清の軍勢が朝鮮に侵攻し、ソウルが占領され国王は土下座して清への臣従を誓い、かろうじて生命を許され、「清の属国になる」という屈辱的な講和を結ばされた。その時の講和条約の中に、「美女と宦官の貢納」が入っているのだが、韓国の学者も朝鮮名の日本の学者も、この事件そのものを書こうとしない。朝鮮では歴史を客観的資料に基づいて記述するという姿勢がきわめて乏しいし、一次史料もほとんど残されていない。中国や日本の史料、外国人の旅行記などにたよるしかない。
 宦官と宮女については、
 ダレ神父「朝鮮事情」(東洋文庫, 1979)
 宮脇淳子「真実の中国史」(李白社, 2011)に、
200人規模の李氏朝鮮「朝貢使節団」の北京訪問については、
 マッケンジー「朝鮮の悲劇」(東洋文庫, 1972)
 には書かれている。
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