ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評など】曽野綾子「アラブの格言」他/難波先生より

2015-03-10 15:26:51 | 難波紘二先生
【書評など】
1)エフロブ「買いたい新書」の書評No.259に曽野綾子「アラブの格言」を取りあげました。
 先日「産経」コラムに「移民受け容れ促進は賛成だが、ただ住むところだけは別にした方がよい」という趣旨の記述をして「差別だ!」と問題になった人です。(私は彼女の言わんとしたことが理解できるので、これについては別の機会に述べたいと思います。)
 熱心なカトリックで知られる曽野綾子がアラブ人のこころを知ろうとアラブ世界(厳密には非アラブのトルコ,イランのものを含むので「イスラム世界」)の格言を集めて一書にまとめた。さぞかし面白かろうと思ったら,事実面白い。
 冒頭に「アラブのIBM」の話が出てくる。アラブではビジネスに際して,交渉が成立すると, 
 I=「インシ・ァラー(神の思し召しのままに)」と唱える。納期が守れないと,
 B=「ブクラ(明日)」という。これを何度も繰り返したあげく,最後に,
 M=「マレシ(無理です)」というのだそうだ。マレシには「済んだことは仕方がない」という意味もあるという。彼女が初めて中東を訪問したのは1975年だそうだが,以来アラブ人の心性を解明すべく多くの格言集を集めたという。選ばれた530の格言が,「神」「戦争」「運命」「知恵」「人徳」「友情」「結婚」「家族」「貧富」など10の章に分類され,序論の説明と各格言に簡単な説明が付されている。格言にはそれぞれ採取地が示してある。(以下はここでお読み下さい。)
 www.frob.co.jp/kaitaishinsho/

1) 献本お礼など=
 1.札幌の菊地浩吉先生(日本病理学会名誉会員、元札幌医大学長、病理学者・免疫学者)から自編集『ポケット名言集』(私家版、2105/2刊)のご恵送を受けた。(Fig.1)
 (Fig.1)
 1932年、樺太(サハリン)真岡町生まれの先生は、45年、中学生の時、ソ連占領下のサハリンから北海道へ引揚げ、その後北大医学部に進学・卒業後、今裕=木下良順=武田勝男と続く優れた病理学者を擁した北大病理学教室に学びがん免疫を研究、71年に札幌医大の病理学教授。86年、同大学長。
 日本の病理学会、免疫学会、癌学会の指導者として活躍。98年退官後は、北海道の医療における病理診断の精度向上とがん対策のレベルアップのための民間活動に従事。2013年、瑞宝中授賞、朝日がん大賞。
 日本病理学会「認定医制度」発足に際して、教育委員長として試験問題及び試験方法の適正化のために尽力。多くの病理学、免疫学にかんする著書があるが、退官後の別荘生活の身辺を綴った『藻岩山山麓記』、研究回想録『癌免疫物語』など軽妙な文集もある。

 私は菊地先生とは1975年、米NCI病理部に留学中に同部を訪問された先生が、「ヒト抗T細胞抗体」を用いたがん研究の講演をされた際に、知り合いになりました。B細胞腫瘍であるCLLにおかされたヒト肝臓の粉末を利用して、ヒト血清を吸着し、抗T細胞血清を作成するというアイデアの斬新さにNCIの人たちが「コロンブスの卵だ」と驚いていたのを記憶している。
 その後、菊地教室では、B細胞の分化抗原CD20を特異的に認識する初のモノクローナル抗体L26が開発され、悪性リンパ腫の免疫学的診断に大いに寄与した。(実際の開発者高見剛さんは、後に岐阜大の病理学教授になった。)
 この名言集(Fig.1)は中型の手帳サイズで、全10章、166頁にわたり、「人生」、「青春と老化」から「神・信仰」、「臨終・死」まで、自作を含めて古今東西、芸能人まで約1,000人、約2,100条の名言が収録されている。人名索引と出典・参考文献が明示されているのも、類書にない病理学者らしい誠実さで、素晴らしい。スピーチの種本としても有益だろう。

 先生の自作をいくつか紹介したい。
 「人生、どーてことねーや」
 これは医学生と一杯やった時のことば。学生にバカ受けした菊地語録で、卒業の時に多くが色紙に書いてくれと言ってきたそうだ。「山より大きなシシは出ない」をパラフレーズしたものと思うが、いかにも菊地浩吉大人の風格が表れている。
 「長い名言は頭に残らない」(まったく同感です)
 「名言は自分の身に当てはめて思う時、格言となる」
 今に残る、名言・格言はそうやって多くの語録のなかから、自然淘汰されてきたものなのでしょうね。

 傑作は第9章「病気、医療」の項で、ここには現存の医師・医学者の名言もある。
 「何事においても、まず先入観を打破し、原点に帰って問い直すことが必要だ」(徳田虎雄)
 「医者が苦しまんとだめなんよ」(谷口修一、虎の門病院血液内科医)
 「夢見て行い、考えて祈る」(山村雄一、内科医・阪大学長、故人)
 「助けられるかどうかは関係ない。助けろ」(原田実根、日本初の骨髄移植医、九大内科教授)
 「老人には自分自身が最高の主治医である」(菊地浩吉)
 装丁、カットは義兄の版画家大垣陽一氏によるもので美麗だ。これは非売品だが、きっと菊地先生のことだから、ストックを持っておられると思いますので、ほしい方は以下にこのメルマガで知った旨を書いて、申し込まれるとよいでしょう。
 メディアの方にもPRをお願いできればと思います。
 064-0823札幌市中央区北3条西(住所 以下略、お知りになりたい方は武田まで) 菊地浩吉

2.「医薬経済」3/1号のご恵送を受けた。お礼申し上げます。
 目次欄のミニ随筆「話題の焦点」で、ヤットコ氏が「片足立ち20秒以上できるかどうか」が、認知症を含む脳血管障害の早期発見に役立つという愛媛大医学部の研究結果を紹介している。目を閉じてならともかく、開眼での片足立ちなど、ほとんどの人は20秒以上できるだろう。
 できないなら「視覚フィードバック」が効かなくなっているわけで、脳血管障害があるに決まっている。こういう研究結果にはたして、どういう意味があるのだろうか?
 「読む医療」欄(鍛冶孝雄)では、前回に引き続き渡邊淳一『小説・心臓移植』(後改題『白い宴』)が取りあげられている。札幌医大で日本初の「和田心臓移植」が行われた時、私は医学部の3年生だった。その時の衝撃は鮮明に覚えている。
 それはともかく、鍛冶は、あの時に渡辺が新聞に和田移植を擁護する論説を新聞に発表したのが、大学に居づらくなり作家に転進する決心をする要因になったと書いている。事実とすれば軽率としかいいようがない。
 渡辺は整形外科医の講師で、整形外科というところは、病理検査とか病理解剖などとは縁が遠いところである。それが心移植レシピエントの病理解剖にも立ち会わず、解剖した病理学教室スタッフとのコンタクトもないまま、新聞に擁護論説を発表したのなら軽率だったろう。
 渡辺はその後、作家として新しい「医療ロマン小説」という分野を開拓したので、その点は高く評価するが、それは他方では出発点における「挫折」という経験を踏まえていたと思う。

 「MR」はメディカル・リプレゼンテイター(医療情報担当者)の略号ではないかと思うが、昔、プロパー(薬のプロパガンダをする人)と呼ばれていた。そのMRに関する記事(「MR不要論は<でたらめ>だ」、「MR進化論:どうすれば好意を持ってもらえるか」)が2本もある。
 やはりこの雑誌が基本的には薬剤師、MRを主な読者層としているからだろう。前者の記事によると日本の医師約30万人に対して、4.6人に1人、約6万5,000人のMRがいるという。医者の不勉強と製薬会社間の過当競争が、その原因だろうが、MR人件費は最終的に薬価に転嫁されるので、社会保障費に繰り込まれる。メディアはこのあたりのこともきちんと調査報道をしてもらいたいものだ。
 聖路加国際大の教授、中山和弘が巻頭対談「Observer」で、「日本人にはヘルスリテラシーが欠けている」と発言している。医療に対する基本知識の「文盲度」という意味だ。「病気になった時にどの病院に行けばよいかわかっているか」という質問に対して、ヨーロッパでは11.3%が「難しい」と答えたのに対して、日本では63.4%が「難しい」と答えたそうだ。
 「医者を選ぶのも寿命のうち」とこのメルマガでは掲げているが、健康と医療に対するリテラシーを高めることが、今後の喫緊の課題だろう。

 3.英国からのハガキ=
ロンドンのKIという女性から航空便のハガキが届いた。まったく知らない人だ。
2/23メルマガの1.【書評など】3)冨沢佐一『ところで、きょう指揮したのは?:秋山和慶回想録』(アルテスパブリッシング, 2015/2)へのコメント、
<後書きを読むと原稿化と出版に際しては、著者の自宅があるバンクーバーまで出かけたりと、いろいろ苦労があったようだ。出版社「アルテス」というのは、私はあまりなじみがないが、Artesと書くようで、それならラテン語のArs(アートの単数)由来だろう。複数ならArtisとなるが、なんで形容詞化されたartesが語頭に来るのかよくわからない。>
 という項について、「arsの複数はartesで、artisは単数属格だと思います。」という指摘がされていた。結論から言うと、彼女の指摘が正しい。

 確かに私は田中秀央「羅和辞典」(研究社)とCollins「Latin Dictionary & Grammer」を引いて、見出し語Arsの隣にArtisとあるのを見て、「英和辞典」の場合と同様に、単純にこれを複数形と理解した。 
 見出し語Arsに続いて、
 Collins’では「Ars, artis, f.:Skill (in any craft)、…」とあり、
 研究社版は「Ars, artis, f.:1 術. …」とある。
 「英英辞典」や「シソーラス(英語類語辞典)」では名詞の場合、プルーラル(p.=複数形)をここに掲げるのが通例なので、自分がてっきりartisはarsのpl形だと思ったのは事実だ。
 ところが今回ご指摘を受けて、辞書の「凡例」と文法説明を読むと、私の誤認だとわかった。

 日本語では名詞語尾は無変化で、助詞「-が、-の、に-、-で、-を」語尾に付けて、主語(主格)との相互関係を表示する。ラテン語では、主語=主格(Nominative)に対して、これらの語尾変化を、それぞれ呼格(Vocative)、属格(Genitive)、対格(Acusative)、与格(Dative)と呼んでいる。
 日本語は名詞が変化しないで、助詞を使用することで他の名詞との関係を示す。
 例えば、「私は貴方を愛する」となり、「貴方」という名詞は原則として単複同形である。
 ラテン語ではamoという動詞自体が主格であり、「私は愛する」という意味を持つ。Cogitoという動詞が「私は考える」という意味であるのと同様だ。
 チェホフの「ワーニヤ叔父さん」に動詞アモーの格変化「アモー、アマース、アマート:アマームス、アマーティス、アマント」(私は愛する、貴方は愛する、彼は愛する:われらは愛する、あなた方は愛する、彼らは愛する)を必死で暗誦する娘が出て来る。
 それくらいラテン語の語尾変化はやっかいで、名詞語尾変化が単数と複数くらいで、不規則動詞はあるものの、文法的により単純である英語が世界共通語になるのは自然の流れだと思う。

 ラテン語の「貴方」は単数だとtu、複数だとvosになるから、「貴方」が単数か複数かを区別する表現になる。Amo vosだと「私はあなた方を愛します」という意味になる。
 さて、KIさんのご指摘のように、Arsの見出しに並んでいるartisは名詞の複数形かと思ったが、属格(genitive)が正しく「術の、芸術の」という意味であるようだ。

 ご指摘のように、「アルテス」が単数アルスの属格(所有格)だとすると、「アルテスパブリッシング」という社名は、ラテン語の属格語を英語動名詞にくっつけて「芸術出版」という意味を表していることになろう。造語法としては異言語の「チャンポン語法」で、ちと違和感がある。
 田中秀央「羅和辞典」は学生時代の1960年に買ったもの(定価850円)と大学教授になって買った1982年の増補新版(1966)16刷(3,500円)が手許にあるが、中身は同じで値段だけが高かった。この辞書とCollins’のグラマー編を比較して読んだら、雲泥の差があることがわかったので、後者は「読書日記から」で取りあげたい。
 ともあれ、ケンブリッジ大学の絵葉書に書かれた、KIさんからのご指摘に深謝します。
 それにしても、まさかこのメルマガが英国まで転送されて、レスポンスがあるとは思わなかった。どなたが転送されたのか、とんとこちらには見当もつかない。世界は狭くなったと痛感する次第だ。
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