【慰安婦、軍が直接管理?】
8/12「朝鮮日報」日報が<「日本軍が慰安所を直接管理」 米軍資料を発掘>という記事をさもスクープのように報じている。
http://www.chosunonline.com/svc/view.html?catid=72&contid=2017081200489
添付された「confidential(秘密)」とある米公文書館文書の写真を見ると、英文で
“Rape and pillage were common among front-line soldiers and in fighting areas. This had been so common in CHINA that among the soldiers who had fought in CHINA rape and pillage seemed to be an inseparable part of war.
<強姦と略奪は前線兵士と戦闘地域においては普通のことだった。これは中国ではごく普通のことで、中国で戦った兵士たちにとって、強姦と略奪行為は戦争と不可分のものと思われた。>
The army established licensed public comfort house immediately after occupation in an effort to combat rape, but it continued to be common and led many of the Malayan women to cut their hair and dress like men.”
<軍は占領後ただちに免許のある公共慰安所を設立して強姦の多発を防ごうとしたが、それ相変わらず多発したので、マレー人の女性は髪を短くし男の服装をした。>
「朝鮮日報」掲載の写真から解読した英文とその拙訳はこの通りである。(一部「ハンギョレ新聞」の写真によりテキストを補正した。)
「ハンギョレ」は、<「日本軍が慰安所を直接運営」…未公開の米文書4件発掘>という見出しで、http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28159.html
<11日、韓国の国史編纂委員会は「日本軍『慰安婦』・戦争犯罪関連史料収集・編纂事業」を通じて米国立文書記録管理庁(NARA)で発掘した史料4件を公開した。
1番目の史料は、第2次大戦当時に米軍が作成した「東南アジア翻訳尋問センター心理戦時報第182号」(1945年7月6日発刊)で、「軍(日本軍)は占領後直ちに許可された公用慰安所を設立したが、強姦は頻繁に発生し続けた」(16ページ)、「一部(日本)軍人が村の少女を強姦した」(18ページ)という内容が出てくる。この史料は過去に日本の「女性のためのアジア平和国民基金」が出した「慰安婦」資料集にもその一部の4ページ分が収録されたが、今回国史編纂委員会は脱落した42ページを新たに捜し出した。
2番目は「連合軍翻訳通訳部」(ATIS)の日本軍捕虜尋問報告書3件だ。パプアニューギニア地域で逮捕された日本軍(第91番報告書)は「慰安所が軍管理(army supervision)下にある」とし、インドネシアのマラン地域で逮捕された日本軍(第470番報告書)は「軍の司法管轄(jurisdiction)」下に7カ所の慰安所が設立され、朝鮮人、日本人、インドネシア人など合計150人余りの女性がいた」と述べた。フィリピン地域の日本軍捕虜(第652番報告書)も「日本軍の軍医官が性病予防のために女性たちを毎週検診した」と述べた。>と報じている。
(このNo.91文書は写真では解読不能だ。よって“supervision”が「軍の直接管理」を意味するかどうか判別不能。秦郁彦『慰安婦と戦場の性』は「監督」という用語を用いている。)
パプアニューギニアはニューギニア島東部で、「ポートモレスビー作戦」が行われ、多数の餓死者を出し、敵兵の人肉食まで行われた戦場だ。こんなところにまで慰安所があったとは…。)
この韓国「発見」文書の真偽が問題になるが、それだけあの国は2015年の「慰安婦合意」を覆し、示談金の10億円をねこばばするのに必死になっているのだろう。
東広島市は朝鮮人・韓国人の多い街といわれるが、どういうわけか「朝鮮料理店」が1軒あるだけで、パチンコ屋・ホテルはあるが、国籍がすぐわかる店舗はない。
こないだ久しぶりに朝鮮料理店の前を車で通ったら、隣の中華料理屋は営業していたが、コリアンの店はつぶれていた。大して美味くもない料理だったので、別に惜しいとは思わないが、こんな店は全国に他にもあるのではなかろうか、と思ったことだ。
〔8/21追記〕今日の「中央日報」が<被害者追悼コイン・腕輪…「少女像マーケティング」商業化?>という見出しで、「ソウル市内だけで新たに慰安婦像10体追加」、「慰安婦記念アクセサリー販売」について報じていた。
http://japanese.joins.com/article/500/232500.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
何とも逞しい商魂に驚く。
「週刊新潮」別冊(8/30号)で、バブル期のイトマン事件、石橋産業事件で逮捕・起訴され、合計で懲役12年の実刑判決が確定した許永中が、服役国を母国韓国に移して、中途で仮釈放されたことを知った。あの国は情治国家だから、早期釈放もあるのだろう。WIKIの記載:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E6%B0%B8%E4%B8%AD
を読むと、国籍または永住権を放棄すればそういうことも国際法上可能であるようだ。こんな手があるとは知らなかった。
1968年に静岡県清水市の寸又峡温泉で起きた「金嬉老」事件では、暴力団員2名と温泉旅館に客を人質に立てこもった犯罪に対して無期懲役が確定したが、やはり途中から韓国で服役し釈放になっている。帰国当時は「差別と戦った英雄」と讃えられたが、釈放後1年も経たないうちに、韓国で「殺人未遂・放火」事件を起こしている。あれもわからない送還だったが、新潮の記事でやっと腑に落ちた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AC%89%E8%80%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6
こういう人が永住権を喪失してくれてよかった…
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
8/12「朝鮮日報」日報が<「日本軍が慰安所を直接管理」 米軍資料を発掘>という記事をさもスクープのように報じている。
http://www.chosunonline.com/svc/view.html?catid=72&contid=2017081200489
添付された「confidential(秘密)」とある米公文書館文書の写真を見ると、英文で
“Rape and pillage were common among front-line soldiers and in fighting areas. This had been so common in CHINA that among the soldiers who had fought in CHINA rape and pillage seemed to be an inseparable part of war.
<強姦と略奪は前線兵士と戦闘地域においては普通のことだった。これは中国ではごく普通のことで、中国で戦った兵士たちにとって、強姦と略奪行為は戦争と不可分のものと思われた。>
The army established licensed public comfort house immediately after occupation in an effort to combat rape, but it continued to be common and led many of the Malayan women to cut their hair and dress like men.”
<軍は占領後ただちに免許のある公共慰安所を設立して強姦の多発を防ごうとしたが、それ相変わらず多発したので、マレー人の女性は髪を短くし男の服装をした。>
「朝鮮日報」掲載の写真から解読した英文とその拙訳はこの通りである。(一部「ハンギョレ新聞」の写真によりテキストを補正した。)
「ハンギョレ」は、<「日本軍が慰安所を直接運営」…未公開の米文書4件発掘>という見出しで、http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28159.html
<11日、韓国の国史編纂委員会は「日本軍『慰安婦』・戦争犯罪関連史料収集・編纂事業」を通じて米国立文書記録管理庁(NARA)で発掘した史料4件を公開した。
1番目の史料は、第2次大戦当時に米軍が作成した「東南アジア翻訳尋問センター心理戦時報第182号」(1945年7月6日発刊)で、「軍(日本軍)は占領後直ちに許可された公用慰安所を設立したが、強姦は頻繁に発生し続けた」(16ページ)、「一部(日本)軍人が村の少女を強姦した」(18ページ)という内容が出てくる。この史料は過去に日本の「女性のためのアジア平和国民基金」が出した「慰安婦」資料集にもその一部の4ページ分が収録されたが、今回国史編纂委員会は脱落した42ページを新たに捜し出した。
2番目は「連合軍翻訳通訳部」(ATIS)の日本軍捕虜尋問報告書3件だ。パプアニューギニア地域で逮捕された日本軍(第91番報告書)は「慰安所が軍管理(army supervision)下にある」とし、インドネシアのマラン地域で逮捕された日本軍(第470番報告書)は「軍の司法管轄(jurisdiction)」下に7カ所の慰安所が設立され、朝鮮人、日本人、インドネシア人など合計150人余りの女性がいた」と述べた。フィリピン地域の日本軍捕虜(第652番報告書)も「日本軍の軍医官が性病予防のために女性たちを毎週検診した」と述べた。>と報じている。
(このNo.91文書は写真では解読不能だ。よって“supervision”が「軍の直接管理」を意味するかどうか判別不能。秦郁彦『慰安婦と戦場の性』は「監督」という用語を用いている。)
パプアニューギニアはニューギニア島東部で、「ポートモレスビー作戦」が行われ、多数の餓死者を出し、敵兵の人肉食まで行われた戦場だ。こんなところにまで慰安所があったとは…。)
この韓国「発見」文書の真偽が問題になるが、それだけあの国は2015年の「慰安婦合意」を覆し、示談金の10億円をねこばばするのに必死になっているのだろう。
東広島市は朝鮮人・韓国人の多い街といわれるが、どういうわけか「朝鮮料理店」が1軒あるだけで、パチンコ屋・ホテルはあるが、国籍がすぐわかる店舗はない。
こないだ久しぶりに朝鮮料理店の前を車で通ったら、隣の中華料理屋は営業していたが、コリアンの店はつぶれていた。大して美味くもない料理だったので、別に惜しいとは思わないが、こんな店は全国に他にもあるのではなかろうか、と思ったことだ。
〔8/21追記〕今日の「中央日報」が<被害者追悼コイン・腕輪…「少女像マーケティング」商業化?>という見出しで、「ソウル市内だけで新たに慰安婦像10体追加」、「慰安婦記念アクセサリー販売」について報じていた。
http://japanese.joins.com/article/500/232500.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
何とも逞しい商魂に驚く。
「週刊新潮」別冊(8/30号)で、バブル期のイトマン事件、石橋産業事件で逮捕・起訴され、合計で懲役12年の実刑判決が確定した許永中が、服役国を母国韓国に移して、中途で仮釈放されたことを知った。あの国は情治国家だから、早期釈放もあるのだろう。WIKIの記載:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E6%B0%B8%E4%B8%AD
を読むと、国籍または永住権を放棄すればそういうことも国際法上可能であるようだ。こんな手があるとは知らなかった。
1968年に静岡県清水市の寸又峡温泉で起きた「金嬉老」事件では、暴力団員2名と温泉旅館に客を人質に立てこもった犯罪に対して無期懲役が確定したが、やはり途中から韓国で服役し釈放になっている。帰国当時は「差別と戦った英雄」と讃えられたが、釈放後1年も経たないうちに、韓国で「殺人未遂・放火」事件を起こしている。あれもわからない送還だったが、新潮の記事でやっと腑に落ちた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AC%89%E8%80%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6
こういう人が永住権を喪失してくれてよかった…
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