ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【福山藩】難波先生より

2013-06-27 12:46:00 | 難波紘二先生
【福山藩】6/25(火曜日)の産経「次代への名言」欄で文化部編集委員の関厚夫が、「幕府老中」阿部正弘の言葉を引用して何やら書いている。「老中」は徳川幕府の役職だし、阿部正弘は備後福山藩の藩主だったことを知らないらしい。
 「天子さまにこうしたいというお考えがありましたら、ご遠慮なく言ってく下さい」という意味の言葉だが、なんでこれが「次世代への名言」になるのか、さっぱり合点がいかない。独りよがりにも困ったものだ。それともネタに窮したか?


 正弘は阿部正精の第六子で、兄正寧の養子となり、天保7(1836)年に藩主となっている。天保14(1843)年、25歳で老中となり水野忠邦の改革の行き過ぎを是正した。ペリー来航(1853)後の国難を老中主座堀田正睦を助け、乗り切るために活躍中、安政4(1857)年に病死した。享年39歳。


 「大日本人名辞典」(講談社)には、「人柄が温厚ですこぶる人望があり、才能ある人を登用してふさわしい仕事に当たらせた。このため部下に有能な人材が多かった。また大船製造の禁令を解禁し、海軍の訓練を始めさせた。講武所、蕃書調所を設け、蘭学、武芸及び海軍術を奨励した」とあります。
 大きな時代の流れを読んだ、すぐれた政治家であったわけです。


 この正弘の居城がJR福山駅のすぐ北側にある福山城である。(写真2)
 これは広島ペンクラブの大下徳也氏が福山駅南側のニューキャッスル・ホテルの部屋から撮影されたものです。下部にホームの屋根が写っているので、一部トリミングしました。


 残念ながら、福山城は明治維新後は廃城となり、本丸以外はほとんど失われ、1945年8月の空襲で本丸も焼け落ちました。今あるのは、1966年に復元されたものですが日本の名城のひとつに入っています。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/福山城_(備後国)


 本丸の広場には、ふくやま美術館、県歴史博物館などがあります。後者には中世の遺跡「草戸千軒遺跡」の再現村もありますから、福山を訪れる機会がありましたら、一見をお薦めします。草戸千軒遺跡は現地には何もありません。
 後、福山というと史跡鞆の浦でしょう。坂本龍馬の「おてんとさま丸」が紀州藩の御用船と衝突したところです。


 それにしても、関厚夫氏はこの程度の読者サービスをしても、罰は当たらないと思うが…
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【ピエゾ発電】難波先生より | トップ | 【腎移植】難波先生より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事