油彩 20x30cm 2017
僕の一生は親の家を18で飛び出してからは絵に描いたような貧乏の連続で、今ではすっかり貧乏が身に染みついていて貧乏を演じなければ自分ではないような気がするのである。貧乏である限りはすこぶる精神の安定を見るというもので、これはどう考えても世間の人たちとは趣を異にする生き方だとおもうので、今年一年かけて貧乏を学術的に研究して『貧乏の極み』という本を執筆したいと考えているのだ。どれほど貧乏が好きかと言えば、今日は朝6時過ぎに目覚めてPCをオンにすると気温2度と表示された。昨日はまさに0度だった。それでもこの冬はまだ一度もストーブを使っていないのである。上半身6枚も重ね着をし靴下は二枚重ね毛糸で編んだ帽子まで着用に及んでいるのだが、以前ポルトガルから帰国してからタクシー家業に戻ったものの2011年の東北大震災で上海へ避難を試みてからはそのタクシー家業もやめにして、超零細な年金生活をはじめたのであったが、そしてそれからの5年間は夏は手動の扇一つ冬は全くの火の気無しで過ごしたのだった。ところが不思議なことにそのころに比べて今同じように耐寒生活を始めてみたものの、昔ほど寒さを感じないのである。その理由を考えてみるに3年ほど前に新築のアパートに移っているので、そして今のアパートの造りが旧に比べてはるかに気密性が優れているので、自分の体温だけで室温が程よく保たれているかもしれないこと、それともう一つ考えられる理由は自分の肉体が加齢で退化していて、寒さを感じる神経も鈍化しているのかもしれないこと、なのである。いやはやそのように貧乏神にとりつかれた小生が5年間毎日愛用して履きつぶした靴が上の絵である。捨てるときには忍びないという情感がこみ上げてきて思わず絵にしたのである。
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