お盆の運行は、道が空いていて通常の運行よりスムーズに行うことができます。
ここ1週間、この普通じゃない平穏な環境に、本日が終戦記念日であることを忘れていました。
本当なら毎年必ず1分間の黙祷をして、戦争について考えるのですが、今年は特に行っていなせん。
「もういいか」といった実にアッサリした心境で、忘却の彼方のことのようです。
よく、忘れるとまた繰り返すといいますが、人間の理性や叡知、努力で戦争を無くすことできません。
むしろ、「人間なんだから戦争を必ずする。」と云う、戦争と寄り添う考え方が正常であるといった「ノーマライゼーション」の概念を受け入れることの方が現実的と感じます。
聖書でも「戦争の噂を聞いても、気を患ってはいけない。それは、必ず起こるから。」と書いています。
神道では、これから起こる厄災を身代わりを造り、その身代わりに受けさせることで、起こるべき厄災を昇華または緩和させる儀式があります。
この身代わりとして、「白羽の矢」がついた人間は、一定の間、破格の厚待遇を受ける権利を得ます。
そして、一定期間経過後に全ての待遇を剥ぎ取り、全ての罪を負わせて地獄に落とします。
そうすることで、厄災は昇華されたり、緩和されます。
身代わりにされた人が、この神事から逃れる方法は、常に謙虚でいることしかありません。
仮に、厚待遇を剥奪されても、分不相応と本人が感じていれば、それだけのことです。
そもそも不相応なものは、最初から受け取らなければ全く問題ありません。
また、分不相応なものを受け取ったときは、神棚や仏壇にお祀りして、お清めをしてから返せばいいのです。
ある芸能人が、SNSの些細な投稿で今までの人気を剥奪され、執拗に攻められて、活動休止に追い込まれています。
本人も問題があるとは思いますが、何故、もともと人気があったのか不思議でしかないです。
あそこまで増長魔を成長させる環境に、そもそも愛を感じません。
ここ20年から30年ほど、「持ち上げて、落とすブレンバスター。」のようなことで、視聴率や注目を集めようとする輩が跋扈しています。
しかし、そのお陰で、「人のふり見て、我がふり直せ。」で、謙虚さを取り戻した人は多いです。
芸能人は、宿命的にこのような社会貢献事業があるのだと、感心させられます。
好きなことを仕事にすると云うことは、こういうことも織り込まれたことなのかもしれません。