23時就寝、3時起床。
19年前。当時、まったく別のフィールドで活動していた3人が一堂に会している光景には、正直かなりの違和感を覚えたけど、二度とあり得ないと思っていたYMOのライブが観れるということは、素直に嬉しかった。
◇YouTube:YMO『BE A SUPERMAN』
それに何よりも幸宏さんが、再びステージでドラムを叩くようになる大きなきっかけとなった、歴史的に重要なライブだと個人的には思ってる(この頃、幸宏さんは自身のライブでも、ほとんどドラムを叩かなくなっていた)。
◇YouTube:YMO『NANGA DEF?』
初日はアリーナ、2日目は3塁ベンチ上の1階スタンドで観た。とにかく、(体調的に)気持ち悪くなるほどの強烈な重低音と、今のライブじゃ当たり前だけど、初めて見る音楽にシンクロした映像(VJ)が強烈な印象として記憶に残っている。
◇YouTube:YMO『FLOATING A WAY』
その映像も、今のようなコンピューターのシンクではなく、映像オペレーターがキックやスネアに合わせてMacのスペースキーを叩いて、それに合わせて映像が動くという超アナログなもの。
◇YouTube:YMO『Hi-Tech Hippies』
しかも、この規模の映像制作&システムを約1ヶ月で作ったという話は驚異的。
◇YouTube:YMO『1993年6月9日東京ドーム最終チェックの様子 』
昨年DVD化された際にブックレットに収録された原田大三郎さんのインタビューによると『シーケンサーが動きましたっていう信号だけをもらって…
◇YouTube:YMO『Behind the Mask / La Femme Chinoise』
…そのタイミングでVTR動いて(中略)、スタートの信号を受けたら、MIDIケーブルを手動で抜くというのを一曲、一曲やってました』とのこと。
◇YouTube:YMO『Waterford』
DVDやテレビ放送ではカットされてるけど、2日目のエンディングで会場に流された『Goodby TOKIO. We are Yellow Magic Orchestra』というボコーダー・ボイスを聴いた時は、涙が出ました。
◇YouTube:YMO『Firecracker』
19年前。当時、まったく別のフィールドで活動していた3人が一堂に会している光景には、正直かなりの違和感を覚えたけど、二度とあり得ないと思っていたYMOのライブが観れるということは、素直に嬉しかった。
◇YouTube:YMO『BE A SUPERMAN』
それに何よりも幸宏さんが、再びステージでドラムを叩くようになる大きなきっかけとなった、歴史的に重要なライブだと個人的には思ってる(この頃、幸宏さんは自身のライブでも、ほとんどドラムを叩かなくなっていた)。
◇YouTube:YMO『NANGA DEF?』
初日はアリーナ、2日目は3塁ベンチ上の1階スタンドで観た。とにかく、(体調的に)気持ち悪くなるほどの強烈な重低音と、今のライブじゃ当たり前だけど、初めて見る音楽にシンクロした映像(VJ)が強烈な印象として記憶に残っている。
◇YouTube:YMO『FLOATING A WAY』
その映像も、今のようなコンピューターのシンクではなく、映像オペレーターがキックやスネアに合わせてMacのスペースキーを叩いて、それに合わせて映像が動くという超アナログなもの。
◇YouTube:YMO『Hi-Tech Hippies』
しかも、この規模の映像制作&システムを約1ヶ月で作ったという話は驚異的。
◇YouTube:YMO『1993年6月9日東京ドーム最終チェックの様子 』
昨年DVD化された際にブックレットに収録された原田大三郎さんのインタビューによると『シーケンサーが動きましたっていう信号だけをもらって…
◇YouTube:YMO『Behind the Mask / La Femme Chinoise』
…そのタイミングでVTR動いて(中略)、スタートの信号を受けたら、MIDIケーブルを手動で抜くというのを一曲、一曲やってました』とのこと。
◇YouTube:YMO『Waterford』
DVDやテレビ放送ではカットされてるけど、2日目のエンディングで会場に流された『Goodby TOKIO. We are Yellow Magic Orchestra』というボコーダー・ボイスを聴いた時は、涙が出ました。
◇YouTube:YMO『Firecracker』