長すぎる「ひとこと感想」その2。
全編アニメーション(ごく一部に実写のドキュメンタリー場面)という手法に、ベストテン選考会でも賛否両論があった。主人公(監督自身)が知人たちをインタビューする場面も、わざわざアニメーションで描いているのに違和感を持つ方にはちょっとシンドイかも・・・とも思ったけれど、私自身はこれでOK。私の眼には、この映画は全編主人公の「記憶」で出来ているように見えて、インタビューなども彼の受け取り方に修飾された「記憶」として扱われている気がするからだ。
私は歳と共に、「記憶」というものの不思議を感じることが多くなった。どんな体験も、後から振り返ってみると自分の記憶(の仕方・有り様)としてしか存在しない・・・と、改めて気づく機会が多くなってきたのかもしれない。
最近あちこちでよく言われることなのかもしれないけれど、どんな記憶として自分の中に定着するかによって、「体験」の質も変わってくると思う。あまりにショックが大きかった事柄は、(人間も生き物なので自分を守って生き延びるために)脳が勝手に書き換えてしまったり、「思い出せない」記憶の欠落として定着してしまったりするのも、私は当然だと元々感じている人間だ。
だからこの映画の場合も、作り手である監督が自分の記憶に「どうしても思い出せない」部分があることに気づき、それを探す旅を始めたこと自体に、ある種「時が満ちたのだ・・・」といった予感(と感慨)があった。
消えてしまった(それほど自分の存在を脅かすコトだった)記憶を思い出そうとすることは、実際はかなり本能的に危険を感じさせる作業だ。(ごくごく小さなコトについてなら私自身にも経験があり、その時の鳥肌の立つような感覚は、「やめた方がいい!」とどこかで叫ぶ声が聞こえるような気がするくらいのものだった。)
主人公は作品の中では全く、そういったことに触れていない。ただ、映画の終盤「どんなことがあったのか、今では薄々予想がついている」といった言葉を知人に漏らすだけだ。
そして最後に実写の映像で、彼が過去に実際見たであろう光景が映し出される。
それは、彼にとっては単なる「戦場」での出来事(それだけでも悲惨なことなのだけれど)ではなく、ナチスの収容所を体験したイスラエル人の両親を持ち、幼い頃から日々その話を聞いて育った者にとっては、人格の土台を覆すような事実だったと思う。
「眼を覆ってしまいたい」ような出来事というのは、人によってもさまざまかもしれないけれど、この人の場合は「1982年に起きた"サブラ・シャティーラ大虐殺"」という事件が正にそれだったのだということが、私には十分納得がいく気がした。
探し当てたその事実に正面から向き合って、「記憶」というものの捉えどころのなさ(なのに人の人生を変えてしまうほどの刃の重さ!)を自在に表現するために、敢えてアニメーションという手法を採用したことも含めて、この監督の「勇気」に私は感動したのだと思う。
全編アニメーション(ごく一部に実写のドキュメンタリー場面)という手法に、ベストテン選考会でも賛否両論があった。主人公(監督自身)が知人たちをインタビューする場面も、わざわざアニメーションで描いているのに違和感を持つ方にはちょっとシンドイかも・・・とも思ったけれど、私自身はこれでOK。私の眼には、この映画は全編主人公の「記憶」で出来ているように見えて、インタビューなども彼の受け取り方に修飾された「記憶」として扱われている気がするからだ。
私は歳と共に、「記憶」というものの不思議を感じることが多くなった。どんな体験も、後から振り返ってみると自分の記憶(の仕方・有り様)としてしか存在しない・・・と、改めて気づく機会が多くなってきたのかもしれない。
最近あちこちでよく言われることなのかもしれないけれど、どんな記憶として自分の中に定着するかによって、「体験」の質も変わってくると思う。あまりにショックが大きかった事柄は、(人間も生き物なので自分を守って生き延びるために)脳が勝手に書き換えてしまったり、「思い出せない」記憶の欠落として定着してしまったりするのも、私は当然だと元々感じている人間だ。
だからこの映画の場合も、作り手である監督が自分の記憶に「どうしても思い出せない」部分があることに気づき、それを探す旅を始めたこと自体に、ある種「時が満ちたのだ・・・」といった予感(と感慨)があった。
消えてしまった(それほど自分の存在を脅かすコトだった)記憶を思い出そうとすることは、実際はかなり本能的に危険を感じさせる作業だ。(ごくごく小さなコトについてなら私自身にも経験があり、その時の鳥肌の立つような感覚は、「やめた方がいい!」とどこかで叫ぶ声が聞こえるような気がするくらいのものだった。)
主人公は作品の中では全く、そういったことに触れていない。ただ、映画の終盤「どんなことがあったのか、今では薄々予想がついている」といった言葉を知人に漏らすだけだ。
そして最後に実写の映像で、彼が過去に実際見たであろう光景が映し出される。
それは、彼にとっては単なる「戦場」での出来事(それだけでも悲惨なことなのだけれど)ではなく、ナチスの収容所を体験したイスラエル人の両親を持ち、幼い頃から日々その話を聞いて育った者にとっては、人格の土台を覆すような事実だったと思う。
「眼を覆ってしまいたい」ような出来事というのは、人によってもさまざまかもしれないけれど、この人の場合は「1982年に起きた"サブラ・シャティーラ大虐殺"」という事件が正にそれだったのだということが、私には十分納得がいく気がした。
探し当てたその事実に正面から向き合って、「記憶」というものの捉えどころのなさ(なのに人の人生を変えてしまうほどの刃の重さ!)を自在に表現するために、敢えてアニメーションという手法を採用したことも含めて、この監督の「勇気」に私は感動したのだと思う。
>近頃さかんにアジテーションを飛ばして、
世の中全体の空気がバランス感覚を欠いたものに
>何にせよ、強弁者というものには信用がおけない
ホントにそうですね。
私は新聞やニュース、ネットなんかに疎い方なんですが
それでも、こういう風潮・雰囲気はヒシヒシと伝わって来ます(いやだなあ・・・)。
今日は参院選の投票日ですけど、結果によっては(というかおそらくきっと?)
少なくともこの先3年くらいは、この方向に向っていくのか・・・思うと
エライコトになったなあ・・・というのが正直な気持ちデス。
人間の価値が軽んじられる一方(なんせ一番安い?)だと、自尊心も自信も持ちようがなくなってきて
それが“プチ・ナショナリズム”の形をとって、「引っ張ってくれる(見てるだけ・ついていくだけでいい)」ヒーローを求めたり
「とにかく“外国”にナメられたくない!」みたいな空気に結びついたりするのかなあ・・・とか思ったり。
映画や記憶の話と関係なくてスミマセン(^^;。
でも、最近は自分の「少数派」の度合いがヒドく(悪い意味ではなく、程度の話)なっていく一方の気がして
(国民の一人なのに)“日本国民”の考えていることが
全然理解出来なくなってる気がするくらいなので、つい長々と書いてしまいました。
今日付けの拙サイトの更新で、
こちらの頁をいつもの直リンクに拝借しております。
導入部で過剰な期待を抱いてしまい少々拍子抜けした僕と違って、
ムーマさんは、程よいスタンスでご覧になられたようですね。
忘れることの効用や
都合のいいように脚色してしまう記憶の効用と、
峻厳たる事実に対峙することの勇気。
そのいずれに傾きすぎても、人格が壊れてしまうのですが、
程よいスタンスによってバランスを取るのは
本当に難しいですよね。
個人的な問題以上に、多数者における歴史認識となると
解決など未来永劫、望めない課題であって、
どう折り合いをつけていくかが肝要であるのに、
そこんとこの基本認識を持ち得ていない人々が
近頃さかんにアジテーションを飛ばして、
世の中全体の空気がバランス感覚を欠いたものに
なりつつあるような気がします。
何にせよ、強弁者というものには信用がおけない
っていうのが、不変の真理だとは思うのですが、
近頃は威勢のいいのを好む風潮があって嘆かわしいです。
どうもありがとうございました。
昨日久方ぶりにのあっちさんの日記を見せていただいて、もうほんとに驚きました。
大変な時なのに、わざわざ見に来て下さって、そして書き込んで下さって、本当にありがとう!!
またGちゃんの顔見に行きます。
なんだか映画どころじゃない?レスになってしまってゴメンナサイ。
でも、映画は「いざとなれば、いくらでも待たせておける」という長所もあります(笑)。
この『戦場でワルツを』も、いつか余裕のある時にご覧になれるといいですね。
「ストレスで覚えられない」っていうの、私も思い当たります
今の私についてはもちろん「年齢」も「関係大あり(自覚)」なんですが、30代の頃に、住むようになった場所の「土地柄」その他がとてもシンドクて・・・そしたらもう「覚えられない」が続出。
当時は、いくらなんでも・・・と不審ながらも歳のせいかな~と思って、すごーくガッカリしました(笑)。
でもお茶屋さんの言われるとおり、「ストレス」だったんだと思います(いや~ホントに納得)。
でも・・・「良い経験」ではあっても、お茶屋さんのもあんまり長く続かないよう祈ってます。(「脳」も大事にしてあげたいもん(本気)。)
嬉しくって、飛んできました!
と思ったら、すでに5日にも書いておられたんですね。アセアセ・・^^;
ムーマさんの感想を読んで、この映画に強い興味を抱きました。
ぜひとも、観てみたいなぁ。
少し暖かくなってきましたが、春まだ遠く・・・です
ご無理なさいませぬように♪
なかなか良い経験してますよ。みんな、一度はこういう経験をしてみればいいのにね。