笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

拓哉君が生きた、二人の少年の姿

2013-06-20 | tak日記
言葉のない部屋の話を書いていたら、「おとうと」についてのコメントをいただきました。
それで、今日は、拓哉君の少年時代の作品について、紹介・・・と言うのもおこがましいですが
説明を書かせて貰っていいですか・・・・。

「おとうと」は、1990年に、斉藤由貴さんと共演した作品で,2時間ドラマ
正式タイトルは「おとうと ~姉さん僕は死にたくない」となっています。
放送が1990年4月30日(TBS)ですから、拓哉君は17才の時撮影ですね。

幸田文原作の名作文学『おとうと』のTVドラマ化作品。
この作品を検索したら、1960年に映画化されてたらしく、
その後、1976年にドラマもあったんですね。

で、拓哉君の役は、題名通り、由貴さんの”おとうと”、「碧郎」です。
時代は、大正中期。お下げ髪に着物姿のお姉さんと、旧制中学生で学生服姿の弟。
しっかり者の姉と、ちょっとやんちゃな元気な弟。
姉に素直になれない可愛いやんちゃぶりと、心配する姉と・・・。
お姉さんは、冷たい義母に代わり、弟の母親代わりでもあるんですよね。
それが、碧郎が、結核になって・・・姉は献身的に看病を
登場の時の、元気な碧郎と、だんだんやつれ弱くなっていく 碧郎
VHSで発売されていて、これも、泣いてしまいます。

今、検索してみたら、Aさんで、VHS(中古)で、出ていました。
VHSのパッケージも見ることが出来ます。
そうそう、中条静夫さんがお父さんだった。

1991年には、「松葉杖のラガーマン『ラグビーやってて良かった!』」があります。
ラグビーの名門校での実話をドラマ化したものということで
原作は、山本茂さん(文藝春秋1989年刊)の本

1991年の1月14日(TBS)ですから、18才ですね。
お父さんがラグビー部の顧問で、拓哉君演じる正樹はその息子。
柴俊夫さんがお父さん役で、この12年後「GOOD LUCK」で共演したときは
グレートキャプテンと、コーパイ。
たくましく育ったコーパイだったけれど、1991年の少年は華奢。
お父さんにぶつかっていっても跳ね返される、そんな感じ。

最初は、認められなかったラグビー部への入部、その後の練習
一生懸命さで、力も付いてお父さんに認められるようになってきたところに、事故

この後の病室の様子から、もう、辛くなるんですが。
その不自由な動きが、ほんと、凄いです。
えんぎというか、棒のように動かない脚、手、
リハビリのつらさ、彼の伸ばした手に、もつれる脚に見てるこっちも、肩に力が入っていく
体中の力を使っての一歩。
でも、脚は上手く着かず、前に思いっきり転んでしまう。
起き上がろうとして、はって前に進む
普通じゃない曲がり方をして、転んで・・・
演技が上手いという基準より、そのまま、手脚がダメになってるんじゃないかとも思える。
何度も見てて、「あっ!」と声が出る。

そんな、必死さ、絶望と闘ってる姿、そして、出来たときの笑顔。

凄いです。

これも、検索すると、Aさんで中古でのVHSがありました。
パッケージなど見ることが出来ます。




グーパーウォーク1