昨日の18時から行われた、東日本復興支援財団の報告会に拓哉君が登場するかもと言うお知らせをいただいて
珍しくダー様の出張や娘が出かけていて一人なのに感謝してPCに張り付いていました。
少し遅れての開始でした。
拓哉君の登場は、活動報告があってからでしたので、ずいぶんたってからの登場でしたが、
一番最初に、「今日は、SMAPの代表として木村拓哉さんにも来ていただいています。」と言う言葉が有ったので、
ステージに並んだ3つのソファを見ながら
その報告もしっかり聞かせていただきました。
荒井理事からの報告が終わって、それでは、と、紹介を受けて登場した拓哉君。
明るいグレイのスーツ。
ウエーブを駆けた髪を、オールバックのように後ろに流していました。
綺麗で、品があって、落ち着いた大人の、素敵な拓哉君。
登場してすぐに話をと振られていたようだけど、
孫さんの登場と、その到着を笑顔で待って話し始めました。
荒井理事を進行役として、孫さん、拓哉君の3人でのトーク。
そのトークの中でも、後の質疑応答でも、ほんと微妙な内容になってしまうのですが、それでも、しっかりと受け止めて、答えてる。
ニュースが現実もよく見て理解した上で、実際に自分の目で見たこと感じたことも含め
そして、発言することの重さもわかって話してる。
上っ面な表現でなく、自分の言葉で、丁寧に、誠実に。
後からつぶやきを見ても、拓哉君の態度やことば。
たとえば、いすに座るように進められても、年上の孫さんたちが着席するのを確認して座ってることとか、
他の人の話を聞いているときの姿勢とかるとか
話す言葉の落ち着きとか、話している内容に現れる彼の姿勢とか、その真摯な態度に感心の言葉がたくさんあがっていて、
ちゃんと、伝わるんだと嬉しかったです。
最初の拓哉君の挨拶
「今日、お呼びいただきまして、参加させていただきます木村拓哉です。よろしくお願いします。
去年3月11日に震災がありまして
ほんとに、自分以外にもほんとにたくさんの、
逆に自分ができないことをたくさんの方が被災地に入られて活動されているのを耳にしたり目にしてきましたので、
こういった財団の発起人の一人として我々SMAPというグループがが存在できることを光栄に思っています。」
進行役荒井理事
「財団の活動についてお話しさせていただいたんですが、
こういった活動も含めこの1年被災地にいろいろ行かれたと思うんですが、
思われたことがありましたら、一言いただけたらと思います。」
拓哉「いろんな動きを見せる。やるやらないでいったら、やらないよりはやった方が絶対に良いと思います。
が、行動することによって、人それぞれのいけんというものがありますので
やってる人には信念や志が有ったとしても、周りの人と、信念や志をを共有できないと、
陰口とか飛んできがちなことも有ったりするんですけど・・・。
実際に、自分が、岩手だったり福島だったりに
ちょうど、昨日、福島のほうに番組の収録をかねて行かせてもらったんですけど
そういう実際の現場に行って、現地にいられる人たちと目をあわせて会話をする事で感じる事って絶対あると思うし
実際そういう思いをすると、支援をするという行動も大切だと思うんですけど
忘れないというか、がんばろうとか言葉を投げかけることだけじゃなくて、投げかける以前に、起きた事実を忘れちゃいけない。
自分ができる活動として、たまたま宝くじのCMに参加させてもらっているんですけど・・。
お話をいただいたときに、お話の一番最初に復興支援にも当てられるって聞いたときに、
「是非やらせてください。」という状況になったので、
自分にできる形って言うものを探しながら今後も続けていきたいと思っていますけど。」
(ここで、ワンワンと犬の鳴き声が聞こえて、何?とおもったら、浪江中学の校門にいますということで、
校門の前に立つ5人の姿が映りました。
収録された番組の映像でしょうね。拓哉君はチェックのコート姿。
その後、中学生たちの間に拓哉君たちが入って、一緒に♪~旅立ちの日にを歌っていました。
ここでは、コートを脱ぎ、グレイと白のセーター姿でした。
そのあと、給食を一緒に取っている様子も。
つなげたテーブルの両側に中学生が座り、そこに。5人がバラバラに入っていました。
拓哉君は、お皿のカレーを綺麗に完食してましたね。両側女の子だったかな。)
荒井「先ほどVTRでもありましたが、昨日浪江の方でお子さんたちとふれあわれてどんな風に 感じられたんでしょうか? 」
拓哉「実際彼らが、卒業式を迎える校舎自体が被災してなくなってしまったので
廃校扱いになっていた小学校の建物を今はお借りした状態て、
大きく3つにわかれた中学校がバスで1時間半ぐらいかけて通学している状態で。
今、孫さんがおっしゃったように、無条件に、みんな前に向かって生きているので、
笑顔も耐えたことがないですし冗談も飛び交う空間なんですけど
みんなの共通項として、去年起きてしまった事実があるので
そこは、彼らがメンタル的にも、ものすごいバランスを保ちながら、前に向かって進んでるんだなって感じたんですけど。
逆に、その現場にいて生活されている人たちにして見れは、
生活すること、生きることが自然なことだけど
僕らみたいな、ちょっとこう、思いこみによって、こうすれば良いんじゃないか、ああすれば良いんじゃないかという、
そういう考え方。
すごく、バランスって言うものが、実際に生活されている人の、リアルな感情とリアルな言葉を受けた上で、
もう少しで、あと3日で一年になりますが、今後の結びつけるにあたって、一番重要なことじゃないかと昨日も思いました。」
荒井(今回の学べる基金の応募者の高校生の作文を読み上げました)
「震災の後生活が変わった。たくさん御普通に感謝しながら高校生活を送ってみたい。」
拓哉「自分も中学と言う義務教育、高校も通いましたけど、
こういう現実が、自分自身の考え方だったり、とらえ方、
当たり前の事にたいする普通っていう事が如何に恵まれているかを今回のことで思いましたし。
僕、普段は、テレビという媒体で活動させて貰う事が多いんですけれど、本とかんがえなきゃいけないなって、
後3日で1年というこの時期にもっと報じるべき事があるんじゃないかなって思うテレビの中で、
全く違うことが報じられていたりとか
でもそれは、見る人と作る人たちの、需要と供給があるから、 そう言う番組になってしまうだろうなと思うんですけど。
ロックバンドじゃないですけど、俺らが発信するものを、理解する人が受け取ってくれたらいいと言うものではない。
できるなら、みなさんに忘れないでいて欲しいという目印として、この財団が存在すればいいんじゃないかとものすごく思います。
荒井さんからいつもだったら芋煮会でにぎわう阿武隈川の河原に人がいない。
いつか、いろんな立場の人たちと一緒に芋煮会をしたい。(ほんとは、もっと詳しい話だったのですが・・・)
拓哉「もう、ほんとに、孫さんもおっしゃいましたけど、
地元の人たちの、昔から営まれてきたカルチャーというか一つの文化だと思うので、
それを僕らが見守るということではなくて、現地の方々の心情もよくくみ取った上で
僕らが、芋煮会って、やって、食すだけではわからないことだとおもうので
その景色のなかで、自分のふるさとの昔から遊んだ河原で、近所の人たちと
ほんと、特別な、それがきっと普通んばんだとおもうんだけど
普通のすごさっていうのが、そのコミュニティで当たり前のように行われてきた
芋煮会ということ自体に強く感じられますし、
現地の方々の、感情、気持ち、言葉を、本当にくみ取った上で、できたら良いんじゃないかなと思います。」
最後にメッセージをということで。
拓哉「まだ、1年という短い時間しかたっていませんので、
どうしても、被災地、被災者という言葉が用いられてしまうんですけど、
今後できるだけ早く、復興地、復興者のみなさんと、僕ら財団の方からも、思える、いえる、表現できるような状況になっていただきたいなと思いますし。
いろんな人には役割というものがあると思うんです。財団としての役割もあると思うんですけど。
ほんと、みなさん、一人一人、同じ国にいる自分の役割を考えて、これから先も生活していって欲しいなと思います。
僕もそうしますので、是非お願いします。」
<質疑応答>
<質問・お三方にうかがいたいんですが、瓦礫の処理について、どう思われるのか・・・>
拓哉「いや、それは、東京都が受け入れを表したりとか、いろいろ動きがある現状だと思うんですけど、
何せ、海に囲まれた島国ですので、そこで生まれてしまった瓦礫をどうすべきか
そして、その瓦礫の中にどれだけの放射線量が含まれているか、いろん
な問題が関わってくる
実際、横浜の方で、泥の焼却ひとつにしても、放射線にタイする配慮がものすごくされているので
難しい話だとは思うんですけど
でも、その実際に存在する瓦礫は、瓦礫と呼ばれない違うものに替えなきゃいけない現状があるとおもうので。、
福島で生まれた瓦礫を福島にというのができれば一番良いとは思うんですけど
できない現状が有るんであれば その方法を模索していく必要があるんじゃないかなと思います。
<質問・孫さんに・・・ソーラー自然エネルギーについての活動の話を、
木村さんに・・・SMAP(最初SMAPさんはと発言され、すぐに、拓哉君からSMAPにはさんはつけなくて良いです
ということで)はどのような活動をされているのか紹介を>
孫さんの自然エネルギーについての話の後
拓哉「もう一つ(の)、SMAPとしてなんですが、
時間とともに番組の内容・テレビが元に戻りつつある、元に戻るというのは復興なんだなと思うんですけど、
でも、それによって実際の過去に起きてしまった事実が、
番組の空気だけで終わってしまうんではなくて、
必ずフィードバックして思い返すことが忘れないという一つのモチベーションで保てるならばと言うことで
スタッフとも話し合って合意の上で、僕たちがやらせてもらってます
17年目になるんですけど、SMAP×SMAPという番組の中では、
義援金の告知というのを、僕たちのスマスマの上ではなくさないようにしていこうと継続させてもらっています。
あと、10日だと思うんですけど、NHKさんの方での生放送なんですが、番組でも・・。
この発表会の後に、そのステージングのリハーサルがあるんですけど
そう言った、僕たちのSMAPとしてのパフォーマンスは、微力だと思うんですけど
僕らがパフォーマンスすることによって、少しでも笑顔になってもらえたりとか
明日への活力になっていただけるのだったらと
どこかモチベーションの一つとして持った上で、活動していると思いますし。
司会をいろんな番組に携わっているとおもいますし。
きっと、それぞれ・・・。
先ほどから、孫さんのアイデアというか、有言実行というのがふさわしいんじゃないかなと思うんですけど
生きてる間の環境を考えるんではなくて、 三百年後とか四百年後の日本だったり世界をクリエイトしていく力というかスタンスを感じるので
微力ながらも、自分たちも、ソフトバンクさんのキャンペーンをさせてもらってるので
ドラマだったりとか映画だったりとかCMだったりとか
自分たちの関われることで、何かできるのであれば。
つねに、どこかモチベーションの一つとして、持ったまま、維持したまま今後も続ければなと思っています。
実際、過去にドラマの中の架空に世界だったんですけど、
日本の総理大臣に50日間なるというドラマで
その時、台本に記されていなかったので表現できなかったけれど、
太陽光を電力に変えることができるということに着目して、有言実行にしたのは日本人なんですよ。
それ、なんで日本人が取り組まなくて、ヨーロッパで、国の政策としてとりあげて、
民間が生産した電力を国が買い取るというシステケムが確立していて、
なんで日本でやっていないんだろうなと、その時思ってて、
「台本に入れたいんですけど。」といったんですれど、
「台本できあがっているのでと言われて、そのままでお願いします。」
と言われて、撮影が終わっちゃったんですけど
太陽光発電というのを有言実行にした日本人として、もっと取り組んでもいいんじゃないかなと、
横で孫さんの話を聞かせていただいて思いました。すいません、話がそれて、以上です。」
(こうやって、文字にしても、うまく伝わって行かないようなというか、たぶん、1割も伝わらないような気もします。
拓哉君の声、彼の話し方で、彼の話している姿を見てもらいたいなぁと思います。)
珍しくダー様の出張や娘が出かけていて一人なのに感謝してPCに張り付いていました。
少し遅れての開始でした。
拓哉君の登場は、活動報告があってからでしたので、ずいぶんたってからの登場でしたが、
一番最初に、「今日は、SMAPの代表として木村拓哉さんにも来ていただいています。」と言う言葉が有ったので、
ステージに並んだ3つのソファを見ながら
その報告もしっかり聞かせていただきました。
荒井理事からの報告が終わって、それでは、と、紹介を受けて登場した拓哉君。
明るいグレイのスーツ。
ウエーブを駆けた髪を、オールバックのように後ろに流していました。
綺麗で、品があって、落ち着いた大人の、素敵な拓哉君。
登場してすぐに話をと振られていたようだけど、
孫さんの登場と、その到着を笑顔で待って話し始めました。
荒井理事を進行役として、孫さん、拓哉君の3人でのトーク。
そのトークの中でも、後の質疑応答でも、ほんと微妙な内容になってしまうのですが、それでも、しっかりと受け止めて、答えてる。
ニュースが現実もよく見て理解した上で、実際に自分の目で見たこと感じたことも含め
そして、発言することの重さもわかって話してる。
上っ面な表現でなく、自分の言葉で、丁寧に、誠実に。
後からつぶやきを見ても、拓哉君の態度やことば。
たとえば、いすに座るように進められても、年上の孫さんたちが着席するのを確認して座ってることとか、
他の人の話を聞いているときの姿勢とかるとか
話す言葉の落ち着きとか、話している内容に現れる彼の姿勢とか、その真摯な態度に感心の言葉がたくさんあがっていて、
ちゃんと、伝わるんだと嬉しかったです。
最初の拓哉君の挨拶
「今日、お呼びいただきまして、参加させていただきます木村拓哉です。よろしくお願いします。
去年3月11日に震災がありまして
ほんとに、自分以外にもほんとにたくさんの、
逆に自分ができないことをたくさんの方が被災地に入られて活動されているのを耳にしたり目にしてきましたので、
こういった財団の発起人の一人として我々SMAPというグループがが存在できることを光栄に思っています。」
進行役荒井理事
「財団の活動についてお話しさせていただいたんですが、
こういった活動も含めこの1年被災地にいろいろ行かれたと思うんですが、
思われたことがありましたら、一言いただけたらと思います。」
拓哉「いろんな動きを見せる。やるやらないでいったら、やらないよりはやった方が絶対に良いと思います。
が、行動することによって、人それぞれのいけんというものがありますので
やってる人には信念や志が有ったとしても、周りの人と、信念や志をを共有できないと、
陰口とか飛んできがちなことも有ったりするんですけど・・・。
実際に、自分が、岩手だったり福島だったりに
ちょうど、昨日、福島のほうに番組の収録をかねて行かせてもらったんですけど
そういう実際の現場に行って、現地にいられる人たちと目をあわせて会話をする事で感じる事って絶対あると思うし
実際そういう思いをすると、支援をするという行動も大切だと思うんですけど
忘れないというか、がんばろうとか言葉を投げかけることだけじゃなくて、投げかける以前に、起きた事実を忘れちゃいけない。
自分ができる活動として、たまたま宝くじのCMに参加させてもらっているんですけど・・。
お話をいただいたときに、お話の一番最初に復興支援にも当てられるって聞いたときに、
「是非やらせてください。」という状況になったので、
自分にできる形って言うものを探しながら今後も続けていきたいと思っていますけど。」
(ここで、ワンワンと犬の鳴き声が聞こえて、何?とおもったら、浪江中学の校門にいますということで、
校門の前に立つ5人の姿が映りました。
収録された番組の映像でしょうね。拓哉君はチェックのコート姿。
その後、中学生たちの間に拓哉君たちが入って、一緒に♪~旅立ちの日にを歌っていました。
ここでは、コートを脱ぎ、グレイと白のセーター姿でした。
そのあと、給食を一緒に取っている様子も。
つなげたテーブルの両側に中学生が座り、そこに。5人がバラバラに入っていました。
拓哉君は、お皿のカレーを綺麗に完食してましたね。両側女の子だったかな。)
荒井「先ほどVTRでもありましたが、昨日浪江の方でお子さんたちとふれあわれてどんな風に 感じられたんでしょうか? 」
拓哉「実際彼らが、卒業式を迎える校舎自体が被災してなくなってしまったので
廃校扱いになっていた小学校の建物を今はお借りした状態て、
大きく3つにわかれた中学校がバスで1時間半ぐらいかけて通学している状態で。
今、孫さんがおっしゃったように、無条件に、みんな前に向かって生きているので、
笑顔も耐えたことがないですし冗談も飛び交う空間なんですけど
みんなの共通項として、去年起きてしまった事実があるので
そこは、彼らがメンタル的にも、ものすごいバランスを保ちながら、前に向かって進んでるんだなって感じたんですけど。
逆に、その現場にいて生活されている人たちにして見れは、
生活すること、生きることが自然なことだけど
僕らみたいな、ちょっとこう、思いこみによって、こうすれば良いんじゃないか、ああすれば良いんじゃないかという、
そういう考え方。
すごく、バランスって言うものが、実際に生活されている人の、リアルな感情とリアルな言葉を受けた上で、
もう少しで、あと3日で一年になりますが、今後の結びつけるにあたって、一番重要なことじゃないかと昨日も思いました。」
荒井(今回の学べる基金の応募者の高校生の作文を読み上げました)
「震災の後生活が変わった。たくさん御普通に感謝しながら高校生活を送ってみたい。」
拓哉「自分も中学と言う義務教育、高校も通いましたけど、
こういう現実が、自分自身の考え方だったり、とらえ方、
当たり前の事にたいする普通っていう事が如何に恵まれているかを今回のことで思いましたし。
僕、普段は、テレビという媒体で活動させて貰う事が多いんですけれど、本とかんがえなきゃいけないなって、
後3日で1年というこの時期にもっと報じるべき事があるんじゃないかなって思うテレビの中で、
全く違うことが報じられていたりとか
でもそれは、見る人と作る人たちの、需要と供給があるから、 そう言う番組になってしまうだろうなと思うんですけど。
ロックバンドじゃないですけど、俺らが発信するものを、理解する人が受け取ってくれたらいいと言うものではない。
できるなら、みなさんに忘れないでいて欲しいという目印として、この財団が存在すればいいんじゃないかとものすごく思います。
荒井さんからいつもだったら芋煮会でにぎわう阿武隈川の河原に人がいない。
いつか、いろんな立場の人たちと一緒に芋煮会をしたい。(ほんとは、もっと詳しい話だったのですが・・・)
拓哉「もう、ほんとに、孫さんもおっしゃいましたけど、
地元の人たちの、昔から営まれてきたカルチャーというか一つの文化だと思うので、
それを僕らが見守るということではなくて、現地の方々の心情もよくくみ取った上で
僕らが、芋煮会って、やって、食すだけではわからないことだとおもうので
その景色のなかで、自分のふるさとの昔から遊んだ河原で、近所の人たちと
ほんと、特別な、それがきっと普通んばんだとおもうんだけど
普通のすごさっていうのが、そのコミュニティで当たり前のように行われてきた
芋煮会ということ自体に強く感じられますし、
現地の方々の、感情、気持ち、言葉を、本当にくみ取った上で、できたら良いんじゃないかなと思います。」
最後にメッセージをということで。
拓哉「まだ、1年という短い時間しかたっていませんので、
どうしても、被災地、被災者という言葉が用いられてしまうんですけど、
今後できるだけ早く、復興地、復興者のみなさんと、僕ら財団の方からも、思える、いえる、表現できるような状況になっていただきたいなと思いますし。
いろんな人には役割というものがあると思うんです。財団としての役割もあると思うんですけど。
ほんと、みなさん、一人一人、同じ国にいる自分の役割を考えて、これから先も生活していって欲しいなと思います。
僕もそうしますので、是非お願いします。」
<質疑応答>
<質問・お三方にうかがいたいんですが、瓦礫の処理について、どう思われるのか・・・>
拓哉「いや、それは、東京都が受け入れを表したりとか、いろいろ動きがある現状だと思うんですけど、
何せ、海に囲まれた島国ですので、そこで生まれてしまった瓦礫をどうすべきか
そして、その瓦礫の中にどれだけの放射線量が含まれているか、いろん
な問題が関わってくる
実際、横浜の方で、泥の焼却ひとつにしても、放射線にタイする配慮がものすごくされているので
難しい話だとは思うんですけど
でも、その実際に存在する瓦礫は、瓦礫と呼ばれない違うものに替えなきゃいけない現状があるとおもうので。、
福島で生まれた瓦礫を福島にというのができれば一番良いとは思うんですけど
できない現状が有るんであれば その方法を模索していく必要があるんじゃないかなと思います。
<質問・孫さんに・・・ソーラー自然エネルギーについての活動の話を、
木村さんに・・・SMAP(最初SMAPさんはと発言され、すぐに、拓哉君からSMAPにはさんはつけなくて良いです
ということで)はどのような活動をされているのか紹介を>
孫さんの自然エネルギーについての話の後
拓哉「もう一つ(の)、SMAPとしてなんですが、
時間とともに番組の内容・テレビが元に戻りつつある、元に戻るというのは復興なんだなと思うんですけど、
でも、それによって実際の過去に起きてしまった事実が、
番組の空気だけで終わってしまうんではなくて、
必ずフィードバックして思い返すことが忘れないという一つのモチベーションで保てるならばと言うことで
スタッフとも話し合って合意の上で、僕たちがやらせてもらってます
17年目になるんですけど、SMAP×SMAPという番組の中では、
義援金の告知というのを、僕たちのスマスマの上ではなくさないようにしていこうと継続させてもらっています。
あと、10日だと思うんですけど、NHKさんの方での生放送なんですが、番組でも・・。
この発表会の後に、そのステージングのリハーサルがあるんですけど
そう言った、僕たちのSMAPとしてのパフォーマンスは、微力だと思うんですけど
僕らがパフォーマンスすることによって、少しでも笑顔になってもらえたりとか
明日への活力になっていただけるのだったらと
どこかモチベーションの一つとして持った上で、活動していると思いますし。
司会をいろんな番組に携わっているとおもいますし。
きっと、それぞれ・・・。
先ほどから、孫さんのアイデアというか、有言実行というのがふさわしいんじゃないかなと思うんですけど
生きてる間の環境を考えるんではなくて、 三百年後とか四百年後の日本だったり世界をクリエイトしていく力というかスタンスを感じるので
微力ながらも、自分たちも、ソフトバンクさんのキャンペーンをさせてもらってるので
ドラマだったりとか映画だったりとかCMだったりとか
自分たちの関われることで、何かできるのであれば。
つねに、どこかモチベーションの一つとして、持ったまま、維持したまま今後も続ければなと思っています。
実際、過去にドラマの中の架空に世界だったんですけど、
日本の総理大臣に50日間なるというドラマで
その時、台本に記されていなかったので表現できなかったけれど、
太陽光を電力に変えることができるということに着目して、有言実行にしたのは日本人なんですよ。
それ、なんで日本人が取り組まなくて、ヨーロッパで、国の政策としてとりあげて、
民間が生産した電力を国が買い取るというシステケムが確立していて、
なんで日本でやっていないんだろうなと、その時思ってて、
「台本に入れたいんですけど。」といったんですれど、
「台本できあがっているのでと言われて、そのままでお願いします。」
と言われて、撮影が終わっちゃったんですけど
太陽光発電というのを有言実行にした日本人として、もっと取り組んでもいいんじゃないかなと、
横で孫さんの話を聞かせていただいて思いました。すいません、話がそれて、以上です。」
(こうやって、文字にしても、うまく伝わって行かないようなというか、たぶん、1割も伝わらないような気もします。
拓哉君の声、彼の話し方で、彼の話している姿を見てもらいたいなぁと思います。)