未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

なんでもあり とは

2017-02-23 19:46:37 | 雑感
フルコンタクト空手の多くは手による顔面攻撃を認めていないところが殆どですが、何処とは言いませんがどうやら顔面攻撃採用の方向へ持っていく動きのある団体があるようです。

愚の骨頂と先にはっきり申し上げておきます。お止めなさい。

主催側の文言として多いのは「空手は本来何でも有り」という極めて浅いものですが、そんなに軽々しく言うものでもありません。
そもそもその言葉を発せられるのは空手として形も武器術も修めた人物であってフルコン諸派の流祖風情が口にして良いものではないでしょう。

今の組手は謂わば劣化版キックボクシング。それを道着を着たキックボクシングに変える。何がしたいのか。じゃあもう空手じゃなくていいじゃない。空手であろうとする意味が分かりません。

空手は本来何でもあり。確かにそう。けどそれは空手に限ったことじゃない。全ての武術に当てはまることで、例えば古式ムエタイのムエボーランが分かりやすいのですが、随分とエグ味が増します。
しかしそれがムエタイだという事は直ぐに判ります。それは競技として続く今もワイクルーなどの伝統を軽んじていない姿にあるのだろうと個人的には感じております。

じゃあ空手は?
いざ顔面攻撃解禁したらグローブ付けてキックボクシングの真似事ですかそうですか。此処に拭い去ることも隠す事も出来ない未熟さを見ます。

これはフルコンを興した面々が古式を無駄なものだと廃し軽んじてきた結果です。たった数年の経験で「要らない」なんてよく言えたものです。進化する空手というなら原理的な軸がないといつか空手ですら無くなるのでは?もう9割方そうですけど。

空手としての古典があります。叡智です。でもそれを誰も知らない。じゃあ何故上の者は学びに出ないのか。それも分かりません。空手を空手たらしめるには空手を学ぶしかないのに。
一撃、と宣いながら何度も小突き合い今度は顔を腫らしながら殴り合おうと言うのですか。下法中の下法ですね。

別に好きにしてくれたら良いのですが相当人を選びますね。若者しか出来ない。この若者が少なく若者が格闘技に興味を示さない時代に殊勝な…。
パリーではなく外受け内受けを。ダッキングではなく上段受けや立ち方を。ヘッドスリップではなく運足や間合いを教えてあげて欲しいものですが。

「空手として」の何でもありを提唱するなら応援しようと思えますが単なる道着着用のキックボクシングは御免被ります。何でもありだからこそ見えてなければならないところが多い筈なのですがね。先生名乗るなら尚更。

これから空手と信じて其処の門を叩く人達に責任をとれるのか?というところで方向性が腑に落ちないのであります。
やはりこうして二十数年空手をして思うのは先生やるなら二十年以上、流祖になるなら三十年以上は稽古積んでからでないと技術も人も色々纏まらんなという事です。





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