いつもなら、この時期には国体(国民体育大会)が開催されており、
公開競技ではあるものの、高校野球競技も行われているはずでした。
しかし、新型コロナウイルスの影響で中止。そもそも、夏の甲子園も交流試合のみでした。
そこで、来年は無事に高校野球の公式戦が予定通りに実施されることを祈念して、
千葉県勢の過去の国体の成績一覧をお送りすることにします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/29/27ddd98da858aa172bb07a9710ccfe25.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/04/1af1691fd22176a3df16550c795a9e9a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f6/c8aeb99c58d75999d412f651c8667cf4.jpg)
戦後にスタートした国体。2回目となる昭和22年には早くも成田中が初出場を果たします。
29年には千葉商が、38年には銚子商がベスト4に進出。
そして40年には、夏の甲子園で準優勝に輝いた銚子商が準決勝で決勝の相手・三池工に雪辱を果たし、
決勝でも快勝して甲子園に先駆けて“全国制覇”を果たしました。
そして48年。初の千葉開催となったこの年、銚子球場を会場に熱戦が展開されました。
怪物・江川卓、夏のV校広島商、さらに地元の銚子商が出場するとあって、
開幕前日には当日券を求めて長蛇の列が球場を覆ったそうです。
地元ファンの後押しを受けた銚子商は、決勝で作新を“返り討ち”。2度目の優勝に輝いています。
甲子園で初の全国制覇を果たした49年は、銚子商が準優勝。
翌50年は習志野が甲子園・国体の“二冠”を達成する快挙を見せました。
国体は夏の甲子園の上位進出校が選抜されます。
当時の千葉の野球レベルの高さや野球熱の熱さを象徴するかのように、
36年から51年までの16年間で10度出場した千葉県勢ですが、
52年から61年までの10年間は出場ゼロと低迷期を迎えます。
平成5年には、初出場の市船橋が県勢では17年ぶりとなる国体での勝利を飾ると、
11年には初出場の柏陵が県勢24年ぶりの4強進出。
16年には千葉経大付が決勝でダルビッシュ有を要した東北と対戦。
夏の甲子園の再現となりましたが、雪辱を果たされています。
千葉で2度目の開催となった22年の国体では、成田が初戦敗退。
大会自体、天候不順のため準々決勝で打ち切りになってしまいました。
23年には夏の甲子園のベスト8・習志野が快進撃。決勝に進出しましたが、
夏の王者・日大三の前に再び涙を呑んでいます。
最後に、高校別の成績をご紹介しておきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e0/dde3c68f5aade045fef5570a1557d171.jpg)
秋季大会真っ盛りのため、夏は出番のなかった3年生が中心となることが多く、
“親善試合”的な緊張感のない大会となることが多い国体ですが、
ともあれ来年は無事に開催され、できれば千葉県のチームにも出場を実現
(つまり、夏の大会で上位進出)してほしいところです。
公開競技ではあるものの、高校野球競技も行われているはずでした。
しかし、新型コロナウイルスの影響で中止。そもそも、夏の甲子園も交流試合のみでした。
そこで、来年は無事に高校野球の公式戦が予定通りに実施されることを祈念して、
千葉県勢の過去の国体の成績一覧をお送りすることにします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/29/27ddd98da858aa172bb07a9710ccfe25.jpg)
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戦後にスタートした国体。2回目となる昭和22年には早くも成田中が初出場を果たします。
29年には千葉商が、38年には銚子商がベスト4に進出。
そして40年には、夏の甲子園で準優勝に輝いた銚子商が準決勝で決勝の相手・三池工に雪辱を果たし、
決勝でも快勝して甲子園に先駆けて“全国制覇”を果たしました。
そして48年。初の千葉開催となったこの年、銚子球場を会場に熱戦が展開されました。
怪物・江川卓、夏のV校広島商、さらに地元の銚子商が出場するとあって、
開幕前日には当日券を求めて長蛇の列が球場を覆ったそうです。
地元ファンの後押しを受けた銚子商は、決勝で作新を“返り討ち”。2度目の優勝に輝いています。
甲子園で初の全国制覇を果たした49年は、銚子商が準優勝。
翌50年は習志野が甲子園・国体の“二冠”を達成する快挙を見せました。
国体は夏の甲子園の上位進出校が選抜されます。
当時の千葉の野球レベルの高さや野球熱の熱さを象徴するかのように、
36年から51年までの16年間で10度出場した千葉県勢ですが、
52年から61年までの10年間は出場ゼロと低迷期を迎えます。
平成5年には、初出場の市船橋が県勢では17年ぶりとなる国体での勝利を飾ると、
11年には初出場の柏陵が県勢24年ぶりの4強進出。
16年には千葉経大付が決勝でダルビッシュ有を要した東北と対戦。
夏の甲子園の再現となりましたが、雪辱を果たされています。
千葉で2度目の開催となった22年の国体では、成田が初戦敗退。
大会自体、天候不順のため準々決勝で打ち切りになってしまいました。
23年には夏の甲子園のベスト8・習志野が快進撃。決勝に進出しましたが、
夏の王者・日大三の前に再び涙を呑んでいます。
最後に、高校別の成績をご紹介しておきます。
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秋季大会真っ盛りのため、夏は出番のなかった3年生が中心となることが多く、
“親善試合”的な緊張感のない大会となることが多い国体ですが、
ともあれ来年は無事に開催され、できれば千葉県のチームにも出場を実現
(つまり、夏の大会で上位進出)してほしいところです。