スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1973~1977年)

2020-04-23 08:54:44 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校
過去の高校野球千葉大会のベスト8を紹介するシリーズ。久しぶりの投稿となります。
今回は1973年~1977年です。



夏の甲子園、74年と75年、2年連続甲子園全国制覇。千葉県高校球界にとって、まさしく黄金時代。
最良の時代であったといえるでしょう。

またこの5年間、いずれも秋季関東大会で上位に進出し、センバツ出場を果たしています。
この時代の出場枠は関東が2~3、東京が1~2。
つまり、関東大会で最低でもベスト4に進出しなければ、出場権は勝ち取れませんでした。

ちなみにセンバツの重要な選考基準となる秋季関東大会への出場枠は、
76年までが1県1校(地元開催時のみ2校)。
最低でも1勝しなければなりませんでした。
千葉県勢の関東大会のこれまでの全成績については、いずれ書きたいと思います。

また甲子園に出ているのは、銚子商、習志野、千葉商のみ。
古屋英夫のいた木更津中央、石毛宏典を擁した市銚子など
‟惑星”がこれら強豪を追い詰めるも、あと一歩甲子園に届きませんでした。
このような強豪同士によるしのぎあいが、千葉のレベルアップにつながったのでしょう。

千葉県勢3連覇を狙った76年の夏、銚子商はベスト8で優勝した桜美林に敗れます。
ベスト8入りした63年以降、ほとんど毎年甲子園に歩を進めていた銚子商ですが、
それからしばらく遠ざかることとなります。
そして、77年夏の代表校・千葉商は県勢では5年ぶりに初戦敗退。

74年にそれまでの茨城との東関東大会から独立し、
代表校を単独で甲子園に送り出せるようになったほか、
77年には参加校が100を突破。
全国屈指の激戦区となる一方、有力選手の分散化が進み、
その後はなかなか甲子園で勝てなくなるようになります。

高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1968~1972年)

2019-08-04 09:40:14 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校
今回は1968年から72年までの、千葉大会のベスト8一覧です。



オレンジ色はセンバツ出場校を表しますが、
53年以来ご無沙汰だった春の甲子園にも、68年に実に15年ぶりに出場。
以来、5年続けてセンバツにコマを進め、
この当時、千葉県勢のレベルは関東の中でもトップクラスにあったことが分かります。

なお、関東大会の千葉県勢の成績については、いずれ取り上げるつもりです。

そのセンバツですが、71年に出場した木更津中央(現・木更津総合)がベスト4に進出します。
この時期、木更津中央が安定して上位に食い込んでいますが、
習志野が67年に初の全国制覇を果たしたことで、千葉県の高校球界も一段と活気づき、
新興勢力にも「頑張れば自分たちにもチャンスがあるのでは」と勇気を与えた証といえるでしょう。
成東もこの時期、毎年のように甲子園にあと一歩、というところまで迫っています。

さて、前回にも書きましたが、68年の夏の大会から千葉県野球場(天台)が県営球場としてこけら落とし。
いよいよ黄金時代を迎えることになります。

高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1963~1967年)

2019-08-02 20:01:24 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校
仕事がバタついている間に、今年の千葉大会も終わってしまいました。

さて、今回は1963年から67年。
いよいよ、千葉県勢の黄金時代に突入です。



1965年、銚子商が県勢で初めて夏の甲子園の決勝に進出。
惜しくも敗れましたが、地元は大フィーバーだったようですね。

さらに1967年には、習志野によって深紅の大優勝旗が江戸川を渡り、
史上初めて千葉県にもたらされました。

3年間で2度の決勝進出ということで、千葉が野球処という認識も
全国に広まったのではないでしょうか。

木更津中央(現・木更津総合)がにわかに台頭の兆しを見せています。
そして、真の黄金時代を迎えるのですが、
それについては次回に書きます。

ちなみに、“天台”こと千葉県野球場も
このころ誕生し、1968年の夏の大会でこけら落としされました。
あわせて、千葉寺球場も県営から一球場に。

天台は千葉の“聖地”として、多くの熱戦、好選手を生み出すことになるのです。

高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1958~1962年)

2019-07-18 13:21:12 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校

仕事が忙しくなってしまったため、更新が大幅に遅れました。
今回は1958年から62年までの、千葉大会のベスト8進出校一覧です。

銚子商が安定して強さを発揮していることが分かります。

一方でこの時期、千葉県勢は甲子園ではまだあまり勝てていませんでした。
センバツは1953年に出たっきりですし、夏もベスト8には進めていません。

1959年から、夏の大会は茨城県勢との東関東大会で代表を争うことになりますが、
59年、60年と2年続けて甲子園を逃すなど、停滞期にあったといえるでしょう。

さて、県内に話を戻すと、千葉商大付や千葉経済(現・千葉経大付)といった私立勢が
少しずつ台頭してきています。

また、木更津一(現・木更津)や長生一(現・長生)などの公立勢も
上位進出をうかがうなど、 それなりに活気を感じますね。

追記:1961年からは、東関東大会へ2校が参加することになりました。
選手権という性質上、地方大会で敗れたチームが全国大会に参加することは好ましくないということでしょう。


高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1953~1957年)

2019-07-07 14:34:57 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校

ここまで、データらしいデータをご紹介できていないことに気が付きました。

どちらかというと歴史モノなのかな、という感じですので、今回よりブログ名を『スポーツ史探訪』として、
さまざまなスポーツの歴史について追っていく形にして、
不定期に書いていこうかと考えています。

さて、今回は高校野球千葉大会の年度別ベスト8進出校のPART2『1953年~1957年』です。


1952年の秋季大会では銚子高が優勝し、関東大会でも準優勝。
翌年、千葉県勢初のセンバツ大会出場を果たすことに。
なお、このセンバツからは「銚子商」に校名変更となっています。

また、夏の大会では52年から5年連続で甲子園出場を勝ち取るなど、
南関東大会でライバル・埼玉県勢を圧倒。

そのほかのトピックとしては千葉商、成田、銚子商が相変わらず強いのですが、
1955年には長生一(現・長生)が躍進したほか、
新興の千葉商大付が上位に顔を見せるようになるなど、
参加校数の増加で県の高校球界も活気づいてきているように感じます。