スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1984年~1988年)

2021-04-29 08:59:13 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
千葉県勢の春季関東大会の成績一覧を紹介するシリーズ。
今回は1984年~88年となります。



84年のセンバツは初出場の拓大紅陵がベスト8進出という快挙を見せますが、
春の県大会では準決勝で敗退と、勝負弱さを見せてしまいました。
春関では千葉商と成田が揃ってベスト8に進出。

85年は東の佐久間・西の清原と並び称された佐久間浩一擁する東海大浦安がセンバツ出場も、
県大会は準々決勝敗退。代わって注目の好投手・片平哲也がエースの銚子商がベスト4に進出。
この年の夏の甲子園へと弾みを付けました。

86年は前年の秋の関東を制し、センバツでも優勝候補に挙げられた拓大紅陵が2季連続関東王者に。
佐藤幸彦、飯田哲也のクリーンナップを軸とした強力打線でしたが、春に続いて夏も1勝どまりでした。
また好投手・奈部川勉を擁する成田西(現・成田国際)も関東に歩を進めています。

東海大浦安がセンバツ出場を辞退するという悲報からスタートした87年でしたが、
関東には2位で二松学舎沼南(現・柏)が初出場を果たしています。

88年は前年の関東でベスト4に進出した市船橋がセンバツ初出場。
立石尚行-伏島良平のバッテリーを軸とした好チームで、2位で関東に進出。
1位は徳永聡、糟谷佳充、鈴木秀範の強力クリーンナップとエース・高橋憲幸を擁する拓大紅陵。
夏の甲子園では再び優勝候補に推されますが、3回戦で姿を消しました。

次回は1989年~94年です。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1981年~1983年)

2021-04-27 15:29:46 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
今年はどうやら高校野球の春季関東大会が開催されそうですので、
ちょうど1年ぶりに千葉県勢の春関の成績一覧を復活させることにしました。

今回は1981年~83年です。



春関は通常1都県2校で、開催地のみ4校が出場。
またセンバツでベスト4以上に進出したチームは推薦で出場切符を得ることになります。

つまり今年は18校+選抜優勝校・東海大相模の19校が参加するはずでした。
しかし、状況を鑑みて出場校が絞られることになり、開催地が3校で東海大相模の推薦はナシに。

さて、1981年は千葉県が開催地となり4校が出場、プラスでセンバツ準優勝校・印旛が推薦。
実に5校が参加する、という県民にとっては豪華な大会となりました。
優勝したのはその印旛。佐藤文男-月山栄珠のバッテリーを獲得した大型チームで、
前年秋に続き関東2季連続Vを達成しました。夏はベスト4で銚子商に敗れ甲子園を逃しています。

82年はセンバツ出場の千葉商大付が県大会準決勝で敗れ、出場した銚子商と成田がそろってベスト8進出。
銚子商には後に法大、プリンスホテルとアマ野球のエリート街道を歩んだ高木慎一がいました。
成田のエースはのちに川鉄千葉で主砲となる飯塚典朝です。

83年はセンバツに出場校を送れず。変わってこの年の夏に甲子園に乗り込む印旛、
さらに関東大会初出場の拓大紅陵という顔ぶれ。
紅陵は秋の関東でベスト4に入り、翌春のセンバツで初の甲子園出場を果たしました。

次回は1984年~88年です。

千葉県高校出身のプロ野球選手(ドラフト制以降)球団別ランキング

2021-04-19 16:33:32 | 2020年二軍スタメン
1965年から2020年までの、千葉県高校出身プロ野球選手の
ドラフト指名選手とドラフト外入団選手を紹介してきました。

これまで、ドラフト外入団32名を含めて207名がプロ入りを果たしています。
今回は、12球団別の入団選手数を調べてみました。それが以下の表です。



1位は日本ハムでした。ドラフト指名24名、ドラフト外入団は4名です。
03年まで東京のチームということもあり、事実上の地元ということで
千葉の選手がスカウト網に入りやすかったということでしょう。

2位はヤクルトで26名。こちらも東京のチームということもあり、
日本ハムと同じ理由で多くの選手が入団しています。

同数の2位はロッテ。93年から千葉に本拠地を移しており、地元の選手の獲得にも熱心でした。
指名数は32名とトップですが、拒否選手も7名でこちらも12球団最多です。
かつての不人気球団ぶりがしのばれますね。

その後は巨人、DeNAと首都圏のチームが続き、6位にソフトバンクと中日が入ります。

ソフトバンクは三軍制を敷くなど育成に熱心なチームですが、
過去5名が育成ドラフトで指名されています。
中日はかつて谷沢健一、鈴木孝政、宇野勝ら千葉出身の選手が主力として活躍するなど、
なぜか親和性の高いチームでした。

首都圏のチームでは西武が少なくなっています。
かつて福岡のチームだったことが大きいのかもしれません。

続いて、最近10年間(2011年~2020年)の指名選手について紹介します。



現役というのは現役の選手ではなく、高校生の段階で指名しているという意味です。

さすがにトップに来るのはは地元・ロッテでした。
千葉の好素材の選手にはひとまずアタックをかけています。

支配下ドラフトでは日本ハムの6名が最多です。
近年でも千葉出身の選手の獲得には意欲的なことが伺えますね。

また、ソフトバンクは育成で4名の選手を獲得しています。

この10年間で千葉の高校出身の選手を指名していないのは、阪神だけでした。
ただし、千葉県出身の選手は何名か獲得しています。

千葉県高校出身プロ野球選手・ドラフト指名拒否者一覧

2021-04-11 09:32:22 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
1965年のドラフト制度施行以降、千葉県の高校出身で指名された選手は193名にのぼります。
そのうち、18名が指名拒否という行動に出ました。

ドラフトの黎明期はアマチュア球界の大物イコール即プロ入り、
という現在のような感覚はなく、不人気球団から指名されたり、ドラフト下位指名の場合、
「プロに進まない」という選択をする選手は少なくありませんでした。

現在と違って入ったチームによって待遇面も大きく違っていた時代、
イメージのよろしくないチームに「強制的に」入団させられるなんてたまったもんじゃない、
と考えても不思議ではありません。FAもなく、メジャー進出も夢物語でしたし。

また、社会人野球の企業チームの数、都市対抗野球や六大学野球の盛り上がりも
現在とは比べ物にならないくらいでしたから、しょうがないですね。

さて、以下の表が指名を拒否し、再指名されたのちにプロ入りした選手です。



谷沢は早大で通算18本塁打(リーグ5位タイ)、111安打(同12位タイ)、63打点(同9位タイ)と大活躍。
プロでも1年目からレギュラーに座り新人王を獲得。首位打者2回、ベストナイン5回、2000本安打達成と
球史に残る強打者として活躍しています。

田中は日通に残留後も国際大会の日本代表に選ばれるなど、社会人屈指の投手として活躍。
巨人では中継ぎとして起用され、太平洋移籍後の73年、74年と2年連続で二ケタ勝利をマークするなど、
主力投手としてチームに貢献しています。

中山は69年の都市対抗でリリーフで登板。プロ入り後はなかなか結果を残せませんでしたが、
5年目の74年に8勝をマークすると75年から10勝、12勝と2年連続で二ケタ勝利。
主力投手の一人として活躍しました。

石毛は駒大でリーグ通算3位の114安打、リーグ記録の25試合連続安打をマーク。
新興チームのプリンスでもレギュラーに座ったほか、国際大会の日本代表に選出。
プロでも1年目から打率3割を記録して新人王を受賞。その後もMVP1回、
ベストナイン8回の活躍で西武黄金時代に貢献しています。

森は駒大のエースとして活躍するもプロ入りを拒否。
住友金属では1年目の日本選手権では全試合完投の活躍で日本一に大いに貢献。
翌年の世界アマチュア大会でも好投を見せています。
プロでは二ケタ勝利3回、最優秀救援1回。西武黄金時代の初期を支えました。

銚子は高校時代はエースでしたが、大学では野手に転向。
三塁手として3度の目ストナインに輝くなど、名門チームの主力として活躍。
プロでは88年、89年と2年連続で規定打席に到達しています。

加藤は近鉄の指名拒否して残留。都市対抗のマウンドにも立ちました。
遅いプロ入りだったため活躍はできませんでしたが、千葉市リトルの監督として
多くの選手を指導。息子さんは04年夏の甲子園、4強入りした千葉経大付のメンバーでした。

長冨は社会人に進み、補強ながら2年連続で都市対抗に出場。
85年にはインタコンチ大会の日本代表に選出されました。
プロでは即戦力の期待に応え、1年目に10勝をマークして新人王。通算で4度の二ケタ勝利を記録したほか、
日本ハム、ダイエーではリリーバーとして活躍しています。

最後に、プロには進まなかった10名の選手も紹介します。



プロから誘われるレベルの選手たちですので、アマの世界でも活躍している選手が多いですね。

銚子商の主力だった阿天坊は立大でもレギュラーに定着したほか、
新日鉄室蘭でも都市対抗や産業対抗に主力選手として出場しています。

習志野初の全国制覇時の主力だった池田は慶大でもレギュラーとして3度のベストナインを獲得。
強豪・日石でも第46回の都市対抗では12打数6安打2打点と結果を残し、優秀選手に選ばれています。

藤田も中大では主戦格として72年春のリーグ戦優勝の立役者となったほか、
名門・日産でも主力投手として毎年のように都市対抗のマウンドに上がっています。

坂本は駒大で主力としてプレー。電電(NTT)関東では最初の都市対抗で
16打数7安打2打点と打ちまくり、打撃賞を受賞。その年の社会人ベストナインにも選ばれています。

社会人入り後に指名され、拒否した選手では71年センバツベスト4に貢献した鈴木。
新日鉄名古屋入社2年目の73年に西濃運輸の補強として都市対抗に初出場。
85年まで補強5度を含み13年連続出場の偉業を達成。第3回の日本選手権では優勝に貢献しています。

前川は高校時代から投打に注目され、早大では主力として外野で3度のベストナインを受賞。
日鋼では1年目から4番を任され都市対抗のデビュー戦を皮切りに、11回の出場で9本塁打をマーク。
第55回の都市対抗では久慈賞を受賞。75、76、84年と3度社会人野球ベストナインに選ばれるなど、
“ミスター社会人”の称号に相応しい活躍を見せました。