スポーツエトセトラ

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大阪桐蔭出身プロ野球選手一覧【後編】

2020-06-09 08:35:19 | 大阪桐蔭出身プロ野球選手
今回は、大阪桐蔭出身のすべてのプロ野球選手を紹介するシリーズの後編です。

08年に17年ぶりに夏の甲子園を制覇すると、12年には春夏連覇の偉業を達成。
14年には夏の甲子園優勝、15年のセンバツはベスト4、17年のセンバツでは優勝、
18年には史上初となる2度目の春夏連覇…と、この10数年は圧倒的な戦績を誇る大阪桐蔭。

その要因は同校の指導力の高さや、有力な中学球児の獲得などさまざま挙げられるでしょう。
実際に00年から08年まで、同校からは9年連続でプロ野球界に選手を送り込むなど、
往年のPLブランドに匹敵する「野球逸材養成スクール」として君臨しています。



1年生から中心選手として活躍し、3年のセンバツではエースとして甲子園に乗り込んできた中田翔。
日本ハムでは若手時代から時代の主力と期待され、2度の打点王をマークするなどチームの顔へと成長を遂げています。
中田とバッテリーを組んだ岡田雅利は社会人を経てのプロ入り。西部では貴重な控え捕手として、一軍に定着しています。

08年、大阪桐蔭は2度目の全国制覇を成し遂げますが、その時の主砲が浅村栄斗です。
3年目にレギュラーに定着すると、安定感抜群の中距離ヒッターとしてチームに貢献。
18年には3割・30本・100打点を達成するなど、今や球界屈指のバッターとなっています。

10年度卒の江村直也は3年目に一軍デビューを果たすなど正捕手候補として期待されていますが、
今のところは控え捕手に甘んじでいますね。
11年度卒の山足達也も、年齢的にそろそろ一軍定着を果たしたいところです。

12年、大阪桐蔭は史上7校目の春夏連覇を達成しますが、その原動力がエースの藤浪晋太郎です。
プロでも高卒1年目からいきなり10勝をマーク。入団から3年間で35勝をマークするなど
球界屈指の右腕に成長しますが、その後は不調が続いています。素材はいいだけに、奮起が待たれますね。
控え投手としてチームを支えた澤田圭佑は、立大ではエースとして活躍。
プロでもセットアッパーとしてまずまずの成績を残しています。

下級生ながら正捕手に座ったのが森友哉。甲子園では5本塁打と長打力をフルに発揮しました。
プロでも1年目から積極的に一軍で起用され、19年には重労働の捕手を本職としながら
首位打者をマークするなど、抜群の打撃センスでチームの優勝に貢献しています。

14年夏の甲子園で、クリーンナップとして優勝に貢献したのが香月一也。
プロ入り後は持ち前の打力を発揮できていませんが、まだ若いのでこれからの成長が期待されます。

春連覇に加えて、2度目の春夏連覇という前人未到の快挙を達成した18年の大阪桐蔭。
2名が1位指名を受けており、計4名がプロに飛び込んでいます。
しかし、超高校級の素材として即戦力の期待を受けた主砲の根尾昴、藤原恭大はともに苦戦。
1年目はプロの洗礼を浴びることになってしまいました…。

14年度卒以降の選手は一軍に定着していませんが、根尾や藤原も含めてこれからでしょう。

10年度から連続してプロ選手を生み出した同校ですが、17年度卒は高卒プロ入りはゼロ。
しかし、名門大学に進学後に活躍している選手が複数いますので、空白は埋まることになりそうですね。

最後に、大阪桐蔭出身選手でベストメンバーを組んでみました。
森本は器用なので外野に回ってもらいます。
また、今中は3年時に校名が変わったのでここは外し、岩田を投手に選んでいます。

1(遊)西岡剛
2(二)浅村栄斗
3(右)森友哉
4(三)中村剛也
5(一)中田翔
6(中)平田良介
7(左)森本学
8(捕)岡田雅利
9(投)岩田稔

1番から6番まではそうそうたるメンツです。今後も、大阪桐蔭OBが球界を跋扈しそうですね。

大阪桐蔭出身プロ野球選手一覧【前編】

2020-06-07 08:33:39 | 大阪桐蔭出身プロ野球選手
名門校出身のすべてのプロ野球選手を一覧にして表すシリーズの第3弾は、
大阪府の大阪桐蔭高校です。

甲子園に春夏合わせて20回出場にして、優勝8回。
特にここ数年は必ず上位に進出するなど、現在の高校球界を代表する強豪校です。
プロにも、多くの選手を輩出しています。

大阪産業大学高等学校の大東校舎として1983年にスタートした同校の歴史。
88年に「大阪桐蔭高等学校」として分離独立すると、
以降は野球部強化に本格的に取り組んでいきます。

1991年のセンバツに初出場すると、いきなりベスト8に進出。
その年の夏の選手権では、初出場初優勝の快挙を成し遂げました。



大阪桐蔭としての事実上のプロ第1号は、今中慎二と桐山明佳のバッテリー。
3年生時に校名が変わりました。今中はのちに、球界を代表するサウスポーとなっています。

91年夏、大阪桐蔭は夏の甲子園で初出場初優勝を達成。
その原動力となった主砲・萩原誠は地元・阪神に進むも活躍はできませんでした。

92年から01年までの10年間、大阪桐蔭は甲子園から遠ざかり危うく「一発屋」になりかけますが、
その間も大阪大会では上位進出の常連となり、プロ選手も多数輩出しています。

94年度卒の川井貴志はロッテ時代はセットアッパー、
楽天では谷間の先発と、40歳まで細く長く現役を続けています。
95年度卒の森本学は主に内野の守備固めとして起用されていました。

01年の夏の大阪大会で、大阪桐蔭は10年ぶりに決勝へ。
惜しくも準優勝に終わりますが、主砲の中村剛也は一発長打が魅力のスラッガーとして、西武の4番に定着。
「おかわり君」の異名を頂戴し、19年までに6度の本塁打王に輝いています。

同期の岩田稔は先発ローテの一角に加わり、
08年には10勝をマーク。その後も7勝以上を5度記録するなど安定した成績を残しています。

02年、大阪桐蔭は11年ぶりに甲子園の大舞台に帰ってきます。
そのときの主砲・西岡剛はロッテで早くから遊撃のレギュラーに定着。チームの中心選手として活躍しました。
その後はメジャーを経て、阪神でもプレーしています。

05年夏、甲子園でベスト4と久々に上位に進出した大阪桐蔭。
5本塁打を放った強打者・平田良介はプロでは攻守に安定したプレーを見せてチームに貢献。
現在も主力選手としてチームに貢献しています。

次回は後編です。