スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2014年~2015年)

2020-10-30 08:35:52 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの13回目は、2014年・2015年です。



緑色は現役高校生、薄い緑色は育成で指名された高校生です。

2014年は育成を含めて3名が指名を受けています。
まず、福田将儀。高校時代は下級生ながらセンバツでは初戦で本塁打を含む2安打、2回戦では4番を任されスリーベースを放っています。
大学では50メートル走6秒0の俊足を生かして、1年春からレギュラーに定着して通算17盗塁をマーク。
プロでは開幕2戦目にスタメンで初出場と期待を受けるも、パワー不足に泣き3年で現役を引退しています。

西野真弘は高校では下級生の頃からトップを任され、2年夏には千葉大会ベスト4に進出。
大学では4年の春秋と2季連続で二塁のベストナインに選出されたほか、
社会人でも1年目からレギュラーを任され、都市対抗では準優勝に貢献しています。
プロでは2年目に正二塁手としてフル出場。身長160センチ台という小柄さを感じさせないプレーが光りますが、
近年はやや故障がちなのが気になります。

育成では高橋慎之介。高校時代は3年夏に5番・二塁として甲子園の土を踏んでいます。
初戦敗退も、最終回では好投手・藤浪晋太郎(阪神)からヒットを放っています。
卒業後はアメリカの大学に留学。投げて140キロ、打ってはクリーンナップを任されるなど
“二刀流”として話題を集めましたが、支配下登録は果たせず2年で引退しています。

2015年は育成を含めて大量8名が指名されました。
最初に指名されたのは加藤貴之。高校時代は2年夏の千葉大会決勝で先発するも序盤でKOされ、甲子園には届かず。
卒業後はかずさへ。いったん野手として登録されるも投手に復帰。
都市対抗や日本選手権などの全国大会でマウンドを踏みました。
さらに、国際大会なども経験し、即戦力の期待を受けてプロの世界へ。
日本ハムでは1年目から先発ローテ入りを果たすなど、主力として活躍しています。

4位では市柏出身の捕手2名が指名されました。
船越涼太は高校時代は遊撃手。中軸を任され、2年の夏には千葉大会でベスト8に進出しています。
社会人で強肩を活かして捕手に転向。4年目には都市対抗でアーチを放つなど、強打の捕手として注目を集めます。
しかしプロでは一軍のカベが厚く、4年間で1安打に終わり現役を引退。古巣の王子に復帰しています。

宇佐見真吾は高校では船越とともにプレー。正捕手としてチームをけん引するも甲子園には縁がありませんでした。
大学では1年秋に正捕手に定着すると、強肩強打を武器に2度のベストナインを獲得。
4年時には大学日本代表に選ばれるまでに成長を果たしています。
巨人では2年目に4ホーマーと打てる捕手として脚光を浴び、
日本ハムに移籍後は積極的に起用されて正捕手に手を伸ばしかけています。

この年の夏、甲子園初出場を果たした専大松戸からは投打の柱2名が指名されています。
5位ではエースの原嵩。恵まれた体格から投げ込まれるMAX148キロの速球に加えて、
打撃センスの高さや俊足も持ち味で、最後の夏の千葉大会は2本のランニングホームランを放つなど、
攻守の中心として活躍し、甲子園出場の原動力となりました。
プロ5年でいまだ一軍登板はありません(2020年10月現在)。そろそろ結果を残したいところですが…。

6位では遊撃手の渡邉大樹。50メートル5秒9の俊足に加えて、
高校通算17本塁打と打力も持ち合わせる大型遊撃手として県大会で打ちまくり、甲子園出場に貢献しました。
プロでは4年目の19年に初アーチをマークしたほか、
20年は代走、守備固めメインながら出場機会を増やすなど、順調に成長しています。

育成ドラフトでは3名が指名されています。
網谷圭将は甲子園には出れませんでしたが、高校通算33本塁打をマークしたスラッガーで
3年春の県大会では140メートルの超特大アーチを放ち、注目を集めました。
プロでは3年間在籍も支配下登録を果たせず退団。のちに社会人のヤマハに入社しています。

大木貴将は高校では1番・セカンドと切り込み隊長として3年夏の県大会では準優勝の立役者に。決勝でも3安打を放っています。
卒業後は大学中退、独立リーグと流浪の野球人生。香川では3年目に首位打者と盗塁王の二冠王の活躍を評価され、プロへ。
1年目に支配下登録され、2年目にはプロ初安打をマークするも19年限りで現役を退いています。

樋越優一は高校3年の夏の千葉大会で5割近い打率を残す活躍で、チームの8強進出に貢献しています。
大学ではMVP1回、ベストナイン2回とリーグを代表する打者として君臨しました。
プロでは三軍が主戦場となり、3年で現役引退。その後は球団職員としてチームをサポートしています。

次回は2016年・2017年にドラフト指名された選手を取り上げます。

地域別プロ野球中継一覧【10月前半】

2020-10-29 08:34:29 | 2020年プロ野球中継
全国各地(首都圏、関西圏、東海圏、札幌、仙台、広島、福岡)における
プロ野球中継の実態について調査するシリーズ。

今回は10月前半(10月1日~16日)についてご紹介します。
プロ野球もいよいよ終盤戦。パ・リーグはソフトバンクの優勝が決定しました。
セ・リーグも巨人がもたついていますが、どうやら一両日中に決まりそうです。






さて、10月前半の中継状況ですが、全国ネットは
10月10日の阪神-DeNA戦、11日の広島-ヤクルト戦の2試合で、いずれもNHKでした。

阪神、広島、中日戦は裕しょぐあ絶望となった後も、地上波でもしっかりと放送されていますね。

次回は10月後半のプロ野球中継について取り上げます。
優勝決定試合の中継状況、決定後の中継数など、どうなるのか楽しみです。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2009年~2013年)

2020-10-28 09:10:30 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの12回目は、2009年から2013年です。
豊作だった前の2年間とは一転、この5年間に関しては人数的にはやや物足りない感じですね。



緑色は現役の高校生、薄い緑は育成ドラフトの高校生選手です。

2009年は3名。
小川龍也は高校2年秋に投手に転向。最後の夏は千葉大会5回戦で敗れましたが、
長身のサウスポーでMAX143キロを計測していたこともあり、スカウトから注目される存在でした。
中日では長い下積みを経て、7年目の16年に一軍に定着して44試合に登板。
西武移籍後の19年には55試合に登板し19HPとセットアッパーの座をつかんでいます。

真下貴之は190センチ近い長身から投げ下ろす、140キロ台中盤の速球を武器に3年春はチームを県大会準優勝に導きました。
最後の夏は4回戦の八千代東戦で12回19奪三振の力投も報われず、敗れています。
この試合で勝ってたら、その後の人生も変わったのでは…と思わないでもありません。
AAAアジア選手権の代表にも選出されたものの、プロではわずか1勝に終わっています。

清田育宏は高校時代から投打に好センスの選手として知られ、エース兼中軸として最後の夏の千葉大会はベスト4に進出。
大学3年の秋に野手に転向し、4年春には3本塁打の活躍でベストナインに選出されています。
社会人でも都市対抗に出場。即戦力として期待されたプロではなかなか結果が残せなかったものの、
15年に打率.317、15本塁打でベストナインを獲得。ベテランとなった現在もプレーしています。

2010年は2名でした。
千葉県の高校生では3年ぶりの1位指名となった山下斐紹は、下級生ながら中心選手として09年のセンバツ出場に貢献。
二塁送球1.79秒、50メートル走5秒9、通算35本塁打と身体能力の高さから、この年の高校ナンバーワン捕手の称号を得ました。
プロでは一軍定着が遠く、楽天移籍後の18年に43試合に出場したのが最高と伸び悩んでいます。

もう一人は育成で指名された上野啓輔。高校時代は甲子園とは無縁で、
大学中退、渡米、マイナーリーグ、日本の独立リーグ…と流浪の野球人生を歩んでいます。
190センチ以上の長身に加え、MAX152キロの速球が持ち味でしたが、支配下登録は果たせませんでした。

2011年は3名。
上沢直之は3年春に関東大会ベスト8進出に貢献。最後の夏は千葉明徳・鈴木康平と日没引き分け再試合の壮絶な投手戦を展開しています。
甲子園には縁がなかったものの、MAX147キロの速球と切れ味抜群のスライダー、安定した制球で好投手と評価されていました。
ドラフト6位は低すぎでは、と思ったのを覚えています。それでもプロでは3年目に一軍に定着して先発ローテに加わり8勝をマーク。
18年には11勝を挙げるなど主力投手陣の一角に名を連ねています。

育成組では森和樹。最速147キロを計測する大型右腕として県内では注目される存在でした。
甲子園には手が届きませんでしたが、素質を評価されて育成で指名。しかし、支配下登録はならず3年で現役引退。

2012年は3名。
相内誠は長身ながらバランスのいいフォームから繰り出す速球が武器で、下級生時から県内では好投手として名前が挙がっていました。
最高成績は3年春の県大会ベスト8でしたが、スカウトからの評価は高く、西武から2位指名。
しかし、その年の暮れに不祥事が発覚したため契約に待ったがかかる事態に。
その後もたびたび問題を起こし、一軍では未だゼロ勝と寂しい結果となっています。

井納翔一は高校時代は全くの無名でしたが、大学で素質が開花。4年時には2季連続で防御率のタイトルを獲得し、秋は5勝をマークしています。
社会人でも4年目に台頭し、都市対抗で好投して結果を残し、27歳にしてプロ入りを果たしています。
遅咲きの野球人生でしたがプロでは1年目からローテに定着。ベテランとなった現在も主力投手としてチームを支え続けています。

杉山翔大は高校時代から強肩強打の捕手として、県下で注目を集める存在でした。
主力として2年春から3年夏までチームを5季連続8強以上に導き、関東No.1捕手と呼ばれるまでに。
名門・早大でも1年春からレギュラーに座り、最後の秋は東京六大学史上13人目の三冠王に輝きました。
プロでは4年目に104試合に出場し正捕手目前に迫ったものの、19年限りで引退。第2の小笠原(道大)になれる逸材だと思っていたのですが…。

2013年は高校生ゼロ。大学生がわずか1名指名されたのみでした。
その唯一のプロ入り選手となった高梨裕稔は、高校時代は無名で大学も関甲新リーグと華やかな表舞台とは無縁の存在。
それでも長身から投げ込む勢いのあるピッチングを武器に大学通算26勝をマークして、一躍ドラフト候補に躍り出ました。
プロでは2年目にファームで11勝をマークすると、翌年は一軍で先発に定着。二ケタ10勝を挙げて新人王を手にするシンデレラボーイに。
19年にヤクルトに移籍した後もローテに加わっています。

次回は2014年~2015年のドラフト指名選手を振り返ります。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2007年~2008年)

2020-10-26 08:46:02 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの11回目は、2007年から2008年です。

本日夕方にドラフト会議が開催されます。
本当は今日くらいまでに昨年までの全指名選手を掲載したかったのですが、
諸事情で間に合いませんでした。

今年の指名選手を含めた全選手の調査を、11月中にできればと考えています。

さて1999年以降、プロから声のかかる千葉県高校出身選手が減少傾向にありましたが、
この両年に関しては大豊作となりました。



緑色は現役高校生で指名された選手。
2005年からは高校生と大学・社会人で別々に会議が行われ、逆指名も廃されました。
さらに育成ドラフトもスタートしています。

2007年の高校生ドラフトでは、実に5名の現役高校生が指名されました。
高木晃司らが指名された1986年と並び、歴代最多タイの人数となります。
ちなみにこの年は、史上初めて千葉県からセンバツに複数校(成田、千葉経大付)を代表に送り込んだ年でもあります。

また高校生と大学・社会人に分けて開催されたとはいえ、1位指名4名も最多です。

まず高校生ドラフト。実に5名が指名され、うち2名が1位指名でした。
唐川侑己は甲子園で3試合に登板、防御率0.90と安定した投球を披露。最速149キロをマークしており、
中田翔(大阪桐蔭)、佐藤由規(仙台育英)と“ビッグ3”とうたわれ、ドラフトでは2球団重複の末ロッテへ。
プロ入り4年目には12勝をマーク。その後も先発、リリーフ問わず登板機会を与えられています。

岩崎翔は外れ1位ながら2球団が重複し、ソフトバンクに入団。
長身から投げ下ろす速球が武器で、3年夏にはエースとして甲子園に乗り込み、初戦敗退も150キロをマーク。
千葉の高校生で、甲子園で150キロを出したのはおそらく彼だけです。
プロでは起用方法がなかなか定まりませんでしたが、17年には40ホールドをマークして
最優秀中継ぎのタイトルを獲得し、日本一に貢献しています。

丸佳浩は高校時代から強打者として知られ、高校通算49本塁打をマーク。
身体能力も高く50メートル6秒0の俊足のほか肩も強く、投手としてはMAX144キロを計測。
3年時にはエースとして甲子園のマウンドに上がっています。
広島では4年目に外野のレギュラーに定着すると、13年に盗塁王、17年に最多安打、18年に最高出塁率を獲得。
16年からの広島3連覇に貢献し、MVP2回、ベストナイン5回受賞。
現在は巨人の中軸に座るなど、球界トップクラスの強打者として君臨しています。

山崎正貴は高校時打は岩崎の控えでしたが、最速147キロの速球を評価され甲子園のマウンドにも上がりました。
ポテンシャルを評価されプロ入りを果たすも、一軍での登板は1試合に終わっています。

坂本大空也は甲子園とは縁がありませんでしたが、高校通算55本塁打をマークするなど
千葉県内では左の強打者として知られる存在。プロでは結果を残せず、一軍出場を果たせませんでした。

大学・社会人ドラフトでは3名が指名。
大場翔太は1位指名で6球団が重複と、数字通りこの年の新人の中でも最大の目玉でありました。
高校時代から好投手として知られたものの、最後の夏は準々決勝で金子圭輔(志学館)に投手戦の末1-2で敗れ、甲子園には届かず。
大学進学後は4年春にリーグ新記録の115奪三振をマーク。通算でも410奪三振、33勝を記録するなど東都リーグを代表する投手に成長。
即戦力としてプロ入りも、故障などの影響もあり4年目に7勝をマークしたのが最高成績と期待通りの成績は残せませんでした。

外れ1位で日本ハムに入団した多田野数人は大場の高校の5年先輩。
高校時代からプロも注目の好投手として知られチームを甲子園に導くと、立大では20勝を記録するなど六大学でも屈指の好投手に進化。
しかしスキャンダルに見舞われ渡米。インディアンスではメジャーに昇格して勝ち星をマークするなど流浪の野球人生の末にプロ入り。
日本ハムでは1年目に7勝をマークして即戦力の期待に応えました。現在はスカウトです。

村田和哉は身長160センチ台と小柄ながら、50メートル5秒7の俊足とシュアな打撃で、東都リーグでは打率3割をキープ。
プロでは主に代走や外野の守備固めとして起用されていました。
なお、この年は高校生とあわせて8名が指名されましたが、これもドラフト外合わせて10人がプロ入りした86年に次ぐ数字です。

2008年は高校生と大学・社会人ドラフトが一本化されました。育成を含めて5名がプロ入りを果たしています。
うち3名が千葉経大付出身。00年代の中盤は同校が千葉の高校球界をけん引していたことが分かります。

まず、1位で2球団が重複した松本啓二朗。高校時代は父・吉啓監督との“親子鷹”としても話題に。
エース兼4番の大黒柱として、3年夏には大会ナンバーワン投手のダルビッシュ有(東北)を撃破し、ベスト4進出の立役者に。
大学では1年からレギュラーに定着し、通算105安打をマーク。プロでは即戦力として期待されたものの定位置獲得には至りませんでした。
現在は社会人・かずさマジックでプレー。19年の都市対抗では優勝したJFE東日本に補強されています。

斎藤圭祐は現役組で、MAX145キロの速球を武器にエースとして、08年のセンバツではベスト4入りの原動力に。
プロでは故障の影響もあり、一軍のマウンドに立つことはできませんでした。

井上雄介は高校時代、5番センター兼松本の控え投手。甲子園では中心選手としてベスト4進出に貢献。
大学では投手に専念し、MAX148キロのストレートと変化球を武器に活躍。プロでは1勝に終わっています。

育成ドラフトでは2名が指名。
吉岡興志は100キロを超える巨漢の右腕で、150キロの重いストレートが武器でした。
大学、チームの先輩である久保田智之二世として期待されるも、支配下登録は果たせませんでした。

福元淳史は高校時打は林昌範(巨人)の同期。大学ではレギュラーとして活躍し、
NOMOベースボールクラブでは07年のクラブ選手権で首位打者と敢闘賞を受賞。
プロでは3年目に支配下登録され、ソフトバンク移籍後の13年には一軍で15試合に出場し、引退後はスカウトを務めています。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢 高校別成績

2020-10-24 09:08:28 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球秋季関東大会の千葉県勢の成績を振り返るシリーズ。
前回は都県別の対戦成績をお送りしましたが、今回は高校別の成績をまとめてみました。

関東大会は本日スタート。データ自体は昨年までのものとなります。
千葉県勢はこれまで34校が出場しており、通算では勝ち越しています。



順番は勝利数順です。
勝利数トップはやはり、千葉県高校球界をリードしてきた銚子商です。
出場回数や優勝回数、センバツ出場回数といずれも県内では1位となっています。

続いては習志野です。しかし、関東大会での優勝はなく通算でも負け越しています。
昨年のセンバツでは準優勝と快進撃を見せましたが、
それまでは1勝が最高と、春はあまり得意ではないようです。

拓大紅陵、木更津総合(旧・木更津中央)までが二ケタ勝利。
成田、東海大浦安も高勝率ですね。
しかし、勝率的にダントツなのは印旛明誠(旧・印旛)です。
3回出場して2回優勝。わずか1敗しかしていません。
センバツでも2回目の出場では準優勝に輝いており、勝負強さが際立っていますね。

過去、千葉からは17校がセンバツに出場。
秋の関東にコマを進めた学校のちょうど半分が甲子園出場を決めたことになります。

あと一歩、甲子園に手が届かなかった学校ではまず、市銚子ですね。
関東には4度出場し、初出場となった64年には準決勝に進出。
しかし、当時の出場枠は関東・東京で「3」。しかもこの年は東京2、関東1となり、
例え決勝に進出しても、センバツには出られなかった可能性があります。

君津商は79年、初戦で神奈川1位の東海大相模を下すと、
準々決勝の熊谷商戦でも0‐2の接戦。
成田西(現・成田国際)は地元開催の83年、3位校ながら
準々決勝で翌夏に全国制覇する取手二に2‐5と健闘しています。

二松学舎沼南(現・二松学舎柏)は91年、準々決勝で
翌春のセンバツ準V校・東海大相模に0‐6で敗れて補欠校に。
松戸国際は14年の秋、準々決勝の健大高崎戦で
一時は8点差をつけられながら、3点差に追いすがっています。

ちなみに、補欠校に選ばれた高校で、
春、夏ともに甲子園に出ていないのは91年の二松学舎沼南だけです。

最後に、千葉県勢のセンバツ大会の高校別成績を参考までに載せておきます。



今年の関東大会の千葉県勢の健闘を期待しています。