スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1958~1962年)

2019-07-18 13:21:12 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校

仕事が忙しくなってしまったため、更新が大幅に遅れました。
今回は1958年から62年までの、千葉大会のベスト8進出校一覧です。

銚子商が安定して強さを発揮していることが分かります。

一方でこの時期、千葉県勢は甲子園ではまだあまり勝てていませんでした。
センバツは1953年に出たっきりですし、夏もベスト8には進めていません。

1959年から、夏の大会は茨城県勢との東関東大会で代表を争うことになりますが、
59年、60年と2年続けて甲子園を逃すなど、停滞期にあったといえるでしょう。

さて、県内に話を戻すと、千葉商大付や千葉経済(現・千葉経大付)といった私立勢が
少しずつ台頭してきています。

また、木更津一(現・木更津)や長生一(現・長生)などの公立勢も
上位進出をうかがうなど、 それなりに活気を感じますね。

追記:1961年からは、東関東大会へ2校が参加することになりました。
選手権という性質上、地方大会で敗れたチームが全国大会に参加することは好ましくないということでしょう。


高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1953~1957年)

2019-07-07 14:34:57 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校

ここまで、データらしいデータをご紹介できていないことに気が付きました。

どちらかというと歴史モノなのかな、という感じですので、今回よりブログ名を『スポーツ史探訪』として、
さまざまなスポーツの歴史について追っていく形にして、
不定期に書いていこうかと考えています。

さて、今回は高校野球千葉大会の年度別ベスト8進出校のPART2『1953年~1957年』です。


1952年の秋季大会では銚子高が優勝し、関東大会でも準優勝。
翌年、千葉県勢初のセンバツ大会出場を果たすことに。
なお、このセンバツからは「銚子商」に校名変更となっています。

また、夏の大会では52年から5年連続で甲子園出場を勝ち取るなど、
南関東大会でライバル・埼玉県勢を圧倒。

そのほかのトピックとしては千葉商、成田、銚子商が相変わらず強いのですが、
1955年には長生一(現・長生)が躍進したほか、
新興の千葉商大付が上位に顔を見せるようになるなど、
参加校数の増加で県の高校球界も活気づいてきているように感じます。


高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1948~1952年)

2019-07-04 20:55:45 | 高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校

自身で作成したデータを紹介するシリーズの第2弾は、
高校野球千葉大会の年度別ベスト8進出校一覧です。

夏の千葉大会(千葉予選ではなく、あくまでも千葉大会です)の組み合わせも決まりましたし、
タイミングとしてもちょうどいいでしょう。

かつて、歴代の千葉の高校野球の歴史について追えるサイトがありました。
面白かったのですが、いつの間にか閉鎖してしまったようです。

だったら自分で作ろうということで、
手元にある『蘇る熱闘』(広川善任著、千葉日報社)をひもとき、
新制高校による千葉県高等学校野球連盟が結成された1948年(昭和23年)以降の大会の
ベスト8校をご紹介していこうと思います。

ちなみに、『蘇る熱闘』は1948年から1981年までの千葉の高校野球の歴史が
事細かく書き記されている分厚い書籍です。

子供の時、クリスマスプレゼントで親にせがんで買ってもらいました。
当時から変態的な趣味嗜好の持ち主だったことが分かります。

さて、まずは1948年~1952年の春季・選手権地方大会・秋季大会の8強を並べてみました。



春季大会は今でこそブロック予選を勝ち上がった学校により優勝が争われますが、
当初は選抜制で、理事会によって出場校が先行されていたようです。
学校数も少なかったので、会場もしばらくの間は各地の球場の持ち回りでした。

さて、選手権はこの年から埼玉と二次大会の南関東大会を争い、
勝ったチームが甲子園キップを手にしていました。

前年までは神奈川と3県で1ワクを争っていましたが、この年から神奈川が独立。
1936年にこの組み合わせとなってからは千葉が5回、神奈川が2回と 千葉優勢だったので
『蘇る熱闘』によると県の野球関係者から不満が出ていたようですが、
出場校数が千葉23、神奈川41であったことですぐに静まったようです。

赤色は甲子園出場校。1950年の千葉一(この年からナンバースクール制を採用)が出ているのは、
この南関東大会を勝ち上がったからです。
当時は県大会で負けても、二次大会で勝てばOKでした。

ちなみに二次大会は1948年が2校、49年から4校となっています。
埼玉との南関東、茨城との東関東の二次大会については、 いずれまとめたいと考えています。


1973年生まれのプロ野球選手たち(5)

2019-07-01 16:49:13 | 1973年生まれのプロ野球選手たち
1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの最終回は、11月以降に生まれた選手です。



人数の少なさを見て、早生まれが不利、ということが何となくわかる結果ですね。
それでも粒ぞろいな感じです。

この中ではやはり、三浦大輔投手の存在が際立っています。
プロ生活25年、補足な額という感じでした。
ピッチングスタイルはともかく、見た目は若々しかったですね。

また、松中信彦選手も忘れ難いですね。
社会人時代(新日鉄君津)から見ていましたが、とにかく飛ばす力がケタ外れでしたね。
ただピークが終わるのが早すぎたような感もあります。
2000本安打は行くだろうと思っていたのですが。

礒部公一選手はバッティングが上手かったですね。
楽天の第1期メンバーとしても活躍しました。
坪井智哉選手は大卒、社会人経由ながら1000本近くヒットを放ちました。見事です。
上田佳範、高木大成の両選手は学生時代から人気者でした。

投手ではジョニーこと黒木知宏投手。
ロッテのエースとして18連敗を経験するなど、厳しい環境の中で奮闘しましたね。

ということで、1973年生まれのプロ野球選手をすべて紹介しました。
日本のプロ野球で活躍した同年代の外国人選手についても、
機会があれば取り上げたいと思います。