スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

プロ野球・出身都道府県別人数一覧【西日本編】

2020-05-30 08:54:56 | プロ野球出身地別人数一覧
都道府県出身地別のプロ野球選手の人数をまとめるシリーズの第2弾。
今回は西日本編となります。



金色は球団ごとに最も多く選手が在籍している都道府県。銀色は2番目です。
「順位」とあるのは47都道府県での順番です。

やはりというか、47都道府県中圧倒的トップの人数となったのが野球どころ・大阪です。
すべての球団で4名以上が在籍。7つの球団でトップを占めており、
特に楽天では実に10名が在籍しているほか、巨人、ロッテ、ヤクルト、DeNAなど
関東のチームでもトップとなっています。

2番目は、こちらも野球が盛んな福岡。
本拠地があるソフトバンクではなく、阪神や楽天が8名在籍してるのが特徴です。
楽天は大阪、福岡などのレベルの高い地域の選手をしっかり集めていることが分かります。
本気になって常勝軍団を作ろうとしているのかもしれませんね。

ソフトバンクは福岡だけでなく、九州全般でスカウティングを強化しているようで、
トップは福岡ではなく大分県で、7名の選手が在籍しています。

3番目は兵庫。戦前から野球が盛んでしたし、
甲子園を擁するだけあって依然として地域のレベルは高いようですね。
同じく戦前からレベルが高く、カープが本拠地を置く広島は、意外と少ないような気がしました。

西武は北海道と並んで沖縄県が6名でトップとなっています。
最北端と最南端の選手が多いという、独特のスカウティングですね。

ちなみに沖縄県は全体でも8位に入っており、人口の割にプロ野球選手が多いことから、
県全体で野球熱が高いことが伺えますね。

プロ野球・出身都道府県別人数一覧【東日本編】

2020-05-28 08:07:41 | プロ野球出身地別人数一覧
以前から思っていたことがあります。
日本には47の都道府県がありますが、一体どの地域が野球が盛んなのか。

それを知るためには、現在プロ野球に在籍している選手たちの出身地を調べる必要があります。
そこで今回は「12球団全選手カラー百科名鑑」(廣済堂出版)をもとに、
出身都道府県別のプロ野球選手の人数をまとめてみました。

出身地を調べることで、小学校や中学校クラスの地域の野球レベルの高さ、
盛り上がりなども確認できるはずです。

また、球団ごとの人数を表すことによって、地元出身の選手を多く集めているのか、
全国からまんべんなく選手を獲得しているのか、
スカウティングの傾向も露わにできるのではないかと思います。

ちなみに「12球団全選手カラー百科名鑑」は出身地が都道府県だけでなく、市町村まで表記されています。
他の名鑑の場合、出身高校の所在地となっている可能性があるため、同書を活用することにした次第です。

まずは東日本編から。



金色は球団ごとに最も多く選手が在籍している都道府県で、銀色は2番目です。
「順位」とあるのは47都道府県での順番です。

東日本の傾向としては、4球団が東に集まっているパ・リーグの球団の方がやや多いように見えます。

都道府県別では、やはり東京・神奈川・千葉の首都圏が多くなっています。
特に日本ハムはもともと東京のチームで、千葉に二軍の本拠地を構えているだけあって
積極的に関東から選手を集めている感じがしますね。

本拠地のあるロッテ、隣県のヤクルトは千葉が2番目です。
DeNAはさすがに地元・横浜の選手が1番となっています。

ただ、巨人とヤクルトは地元・東京が少ないのが目につきます。
特に巨人は偏りがなく、さまざまな地域から選手を獲得しているようです。

西日本の球団ながら、オリックスが群馬と神奈川が2番目となっており、
関東から積極的に選手を集めているようです。
また、広島も東京の選手が多くなっており、この辺りは興味深いところです。

そのほかでは、西武が本拠地を置き、人口が多い割に埼玉が少ないなあと感じます。
一方で茨城が多いですね。

北海道は、本拠地のある日本ハムではなく西武がトップ。
かつて札幌ドームを準本拠地としようとしていた名残りでしょうか。

愛知は約半数を地元・中日が占めています。
岐阜も2番目に多く、東海地区の逸材は漏らさず獲得しようという意思が伺えます。

静岡も意外と多いですね。プロ野球の「16球団構想」が浮上しており、
候補地として名前が上がっていますが、実現すればさらに増えそうです。

次回は西日本編です。

横浜高出身プロ野球選手一覧【Part3】

2020-05-26 09:31:04 | 横浜高出身プロ野球選手
横浜高出身の全プロ野球選手を紹介するシリーズ。
最終回は04年度卒以降の選手たちです。



近年は2~3年に1回ほど空白のシーズンがあるものの、
2年以上間を空けることなく、コンスタントにプロ選手を輩出し続けていることが分かります。
表を見てもメジャーに進出した筒香を除くと、大半の選手が現役のため
数字はさらに上積みされていくことでしょう。

夏の甲子園でベスト8入りした04年度は、大会屈指の好投手と称された涌井秀章がドラフト1位で西武へ。
7度の二ケタ勝利、3度の最多勝獲得と球界を代表するピッチャーとして君臨しました。
石川雄洋は横浜ではショートのレギュラーに定着し、10年には153安打、36盗塁をマークしています。

06年のセンバツで、横浜は8年ぶりの全国制覇を成し遂げます。
この時の正捕手が福田永将。プロではなかなか一軍に定着できなかったものの、
16年から4年連続で二ケタ本塁打を記録するなど素質が開花しつつあります。
この時のメンバーでは、ほかに佐藤賢治、下水流昴、高濱卓也がプロに飛び込みました。

08年度卒の倉本寿彦は大学、社会人を経てのプロ入り。
17年には全試合に出場し、DeNAの日本シリーズ出場に大いに貢献しています。

09年度卒の筒香嘉智は高校時から強打者として注目を集め、
16年には本塁打、打点の二冠を獲得。球界トップクラスの打者へと成長し、
20年からはメジャーの世界へとチャレンジしています。

11年度卒の近藤健介は、規定打席不足ながら17年に打率4割強を記録すると、
18年、19年と打率3割をマークするなど球界でも指折りの巧打者に成長。
乙坂智も19年に97試合に出場するなど、一軍定着目前に迫っています。

12年のセンバツでベスト8入りしたときのエース・柳裕也は明大でも活躍し、ドラ1入団。
3年目の19年に二ケタ勝利をマークし、今後のさらなる飛躍が期待されます。

14年度以降の選手たちはまだ若手のため、レギュラーや一軍定着には届いていませんが、
浅間大基や渡邊佳明、藤平尚真など積極的に起用されている選手もおり、今後が楽しみです。
近年は甲子園でもパッとしない横浜高ですが、プロ選手の育成という点では今後もかなり期待できそうですね。

最後に、横浜高出身者でベストオーダーを組んでみました。
投手の松坂も打撃はいいですし、なかなかの強力打線です。

1(二)石川雄洋
2(捕)近藤健介
3(右)鈴木尚典
4(左)筒香嘉智
5(中)多村仁
6(一)愛甲猛
7(三)福田永将
8(遊)阿部真宏
9(投)松坂大輔

横浜高出身プロ野球選手一覧【Part2】

2020-05-24 09:16:53 | 横浜高出身プロ野球選手
横浜高出身の全プロ野球選手を紹介するシリーズ。
第2弾は85年度卒~03年度卒です。

85年から96年までの12年間で横浜高は春夏合わせて8回、甲子園に出場しました。
しかしその間の勝ち星は3勝にとどまるなど、全国大会では結果が出せない時期が続きます。

それでも、92年から96年までの5年間で13名もの選手がプロに飛び込み、
下の表中で一軍出場ゼロの選手はわずか2名と、
「プロ野球選手養成所」としての地位は着実に高まっていきます。



87年度卒の高橋建は大学、社会人を経て26歳でのプロ入り。
低迷していた広島にあって、貴重なサウスポーとしてチームに貢献しました。

90年度卒の鈴木尚典は97年、98年と2年連続で首位打者を獲得するなど、
シュアなバッティングで横浜「マシンガン打線」の中核を担っています。

93年度卒の高橋光信は高校時代は目立った活躍はありませんでしたが、
国際武道大時代に大学日本代表の4番を任され、
プロでも一発長打を武器に代打の切り札として活躍しています。

94年度卒は4名がプロ入り。
多村仁は故障がちのためレギュラー定着まで10年かかりましたが、
04年に打率.305、40本塁打、100打点と大ブレーク。
06年のWBCで活躍したほか、ソフトバンク移籍後の10年には打率.324、37本塁打と強打を披露しています。

斉藤宜之は身体能力の高さを活かし、代打、代走、守備固めなどで首脳陣から重宝されました。

95年度卒の横山道哉は横浜で中継ぎ、日本ハムではクローザーと、
リリーバーとしてプロ野球人生をまっとうしています。

96年度卒では阿部真宏。近鉄、合併後のオリックスで正遊撃手として活躍。
晩年には代打や守備固めでチームを支えました。

松井光介は大学、社会人でキャリアを積み、プロ入りは28歳と遅かったものの、
その後は中継ぎとして細く長くマウンドに立ちます。
余談ですが、個人的に唯一生で見た「ノーヒットノーラン」がこの人でした。
3年春、千葉で行われた関東大会(八千代松陰戦)でのことです。

98年、横浜高は史上5校目の春夏連覇を達成。
秋の新チーム結成から一度も負けることがなかったという、最強チームでした。
その原動力は怪物・松坂大輔。その快投は社会現象となりました。
その後の活躍はあえて申し上げるまでもありませんね。

また、同級で主力選手だった小池正晃、後藤武敏も
それぞれ打力を活かし、プロの世界で長く活躍しています。

63年以来、2年以上続けてプロ選手が誕生しない時期のなかった横浜高でしたが、
99年から01年まで3年間、長期の「空白期間」が発生します。
それだけ松坂世代のインパクトが強く、後輩たちの活躍がかすんでしまったということかもしれません。

センバツで準優勝を果たした03年度卒の成瀬善久は、
正確なコントロールを武器にロッテのエースとして君臨。5度の二ケタ勝利をマークしています。
同級の荒波翔は大学、社会人でも名門チームでレギュラーに定着。
プロでも2度のGグラブ賞を受賞するなど、攻守に安定したプレーを見せました。

次回は04年度卒以降の選手を紹介します。

横浜高出身プロ野球選手一覧【Part1】

2020-05-22 08:35:13 | 横浜高出身プロ野球選手
PL学園に続く、名門高校出身の全プロ野球選手を調査するシリーズ。
その第2弾は、神奈川県の横浜高等学校です。

こちらも、2007年に「アマチュア野球」(日刊スポーツ出版社)で紹介したものです。
その後にプロ入りした選手を新たに追加しています。

PL学園と違い、08年以降も多くのプロ野球選手を生み出し、
今も多くの現役選手が活躍しています。



Part1は1963年度卒~84年度卒まで。

横浜高は63年夏に甲子園に初出場し、いきなりベスト4に進出。
その後は10年間の雌伏を経て、73年のセンバツで初出場初優勝を成し遂げ、
さらに80年の夏には全国制覇を果たすなど、全国区の強豪に躍り出ています。

初出場時のエースでプロ入り第1号の井上健仁は活躍できませんでしたが、
主力野手の佐野勝稔は大学を経て、プロでは定位置獲得まであと一歩に迫りました。
初出場時に2年生で2番手だった平岡一郎は、左のワンポイントとして積極的に起用され、
「王キラー」の異名をとっています。

65年度卒の飯田幸夫は俊足と強打を武器に、
近鉄ではレギュラークラスとして活躍しています。

72年度卒の青木実は代走、守備固めがメインで、規定打席到達こそ果たせませんでしたが、
81年には34盗塁をマークしてタイトルを獲得するなど、一瞬の輝きを見せました。

73年のセンバツ初優勝時のエース・永川英植は横浜高初のドラフト1位指名を受け、
大型右腕として期待されたものの一軍では活躍できず。
1位指名第2号の中田良弘は阪神では先発にリリーフにと起用され、
二ケタ勝利を2度マークするなど結果を残しています。

中田の1学年下の吉田博之は南海で正捕手として活躍しています。
甘いマスクの持ち主で、人気もありました。

80年夏の甲子園優勝投手で、鳴り物入りでのプロ入りとなったのが愛甲猛。
83年に中継ぎとして48試合に登板するも、翌年に打撃センスを活かして野手に転向。
一塁のレギュラーに定着すると、88年から3年連続で二ケタ本塁打、
89年には打率3割をマークしています。

76年から82年まで、横浜高からは7年連続でプロ選手を輩出。これは同校では最長記録です。
しかしこの間にプロ入りした10名中、一軍出場ゼロは6名に終わっています。