今回は1968年から72年までの、千葉大会のベスト8一覧です。
オレンジ色はセンバツ出場校を表しますが、
53年以来ご無沙汰だった春の甲子園にも、68年に実に15年ぶりに出場。
以来、5年続けてセンバツにコマを進め、
この当時、千葉県勢のレベルは関東の中でもトップクラスにあったことが分かります。
なお、関東大会の千葉県勢の成績については、いずれ取り上げるつもりです。
そのセンバツですが、71年に出場した木更津中央(現・木更津総合)がベスト4に進出します。
この時期、木更津中央が安定して上位に食い込んでいますが、
習志野が67年に初の全国制覇を果たしたことで、千葉県の高校球界も一段と活気づき、
新興勢力にも「頑張れば自分たちにもチャンスがあるのでは」と勇気を与えた証といえるでしょう。
成東もこの時期、毎年のように甲子園にあと一歩、というところまで迫っています。
さて、前回にも書きましたが、68年の夏の大会から千葉県野球場(天台)が県営球場としてこけら落とし。
いよいよ黄金時代を迎えることになります。
オレンジ色はセンバツ出場校を表しますが、
53年以来ご無沙汰だった春の甲子園にも、68年に実に15年ぶりに出場。
以来、5年続けてセンバツにコマを進め、
この当時、千葉県勢のレベルは関東の中でもトップクラスにあったことが分かります。
なお、関東大会の千葉県勢の成績については、いずれ取り上げるつもりです。
そのセンバツですが、71年に出場した木更津中央(現・木更津総合)がベスト4に進出します。
この時期、木更津中央が安定して上位に食い込んでいますが、
習志野が67年に初の全国制覇を果たしたことで、千葉県の高校球界も一段と活気づき、
新興勢力にも「頑張れば自分たちにもチャンスがあるのでは」と勇気を与えた証といえるでしょう。
成東もこの時期、毎年のように甲子園にあと一歩、というところまで迫っています。
さて、前回にも書きましたが、68年の夏の大会から千葉県野球場(天台)が県営球場としてこけら落とし。
いよいよ黄金時代を迎えることになります。