仕事がバタついている間に、今年の千葉大会も終わってしまいました。
さて、今回は1963年から67年。
いよいよ、千葉県勢の黄金時代に突入です。
1965年、銚子商が県勢で初めて夏の甲子園の決勝に進出。
惜しくも敗れましたが、地元は大フィーバーだったようですね。
さらに1967年には、習志野によって深紅の大優勝旗が江戸川を渡り、
史上初めて千葉県にもたらされました。
3年間で2度の決勝進出ということで、千葉が野球処という認識も
全国に広まったのではないでしょうか。
木更津中央(現・木更津総合)がにわかに台頭の兆しを見せています。
そして、真の黄金時代を迎えるのですが、
それについては次回に書きます。
ちなみに、“天台”こと千葉県野球場も
このころ誕生し、1968年の夏の大会でこけら落としされました。
あわせて、千葉寺球場も県営から一球場に。
天台は千葉の“聖地”として、多くの熱戦、好選手を生み出すことになるのです。
さて、今回は1963年から67年。
いよいよ、千葉県勢の黄金時代に突入です。
1965年、銚子商が県勢で初めて夏の甲子園の決勝に進出。
惜しくも敗れましたが、地元は大フィーバーだったようですね。
さらに1967年には、習志野によって深紅の大優勝旗が江戸川を渡り、
史上初めて千葉県にもたらされました。
3年間で2度の決勝進出ということで、千葉が野球処という認識も
全国に広まったのではないでしょうか。
木更津中央(現・木更津総合)がにわかに台頭の兆しを見せています。
そして、真の黄金時代を迎えるのですが、
それについては次回に書きます。
ちなみに、“天台”こと千葉県野球場も
このころ誕生し、1968年の夏の大会でこけら落としされました。
あわせて、千葉寺球場も県営から一球場に。
天台は千葉の“聖地”として、多くの熱戦、好選手を生み出すことになるのです。
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