千葉県の高校出身プロ野球選手を振り返るシリーズの12回目は、2009年から2013年です。
豊作だった前の2年間とは一転、この5年間に関しては人数的にはやや物足りない感じですね。
緑色は現役の高校生、薄い緑は育成ドラフトの高校生選手です。
2009年は3名。
小川龍也は高校2年秋に投手に転向。最後の夏は千葉大会5回戦で敗れましたが、
長身のサウスポーでMAX143キロを計測していたこともあり、スカウトから注目される存在でした。
中日では長い下積みを経て、7年目の16年に一軍に定着して44試合に登板。
西武移籍後の19年には55試合に登板し19HPとセットアッパーの座をつかんでいます。
真下貴之は190センチ近い長身から投げ下ろす、140キロ台中盤の速球を武器に3年春はチームを県大会準優勝に導きました。
最後の夏は4回戦の八千代東戦で12回19奪三振の力投も報われず、敗れています。
この試合で勝ってたら、その後の人生も変わったのでは…と思わないでもありません。
AAAアジア選手権の代表にも選出されたものの、プロではわずか1勝に終わっています。
清田育宏は高校時代から投打に好センスの選手として知られ、エース兼中軸として最後の夏の千葉大会はベスト4に進出。
大学3年の秋に野手に転向し、4年春には3本塁打の活躍でベストナインに選出されています。
社会人でも都市対抗に出場。即戦力として期待されたプロではなかなか結果が残せなかったものの、
15年に打率.317、15本塁打でベストナインを獲得。ベテランとなった現在もプレーしています。
2010年は2名でした。
千葉県の高校生では3年ぶりの1位指名となった山下斐紹は、下級生ながら中心選手として09年のセンバツ出場に貢献。
二塁送球1.79秒、50メートル走5秒9、通算35本塁打と身体能力の高さから、この年の高校ナンバーワン捕手の称号を得ました。
プロでは一軍定着が遠く、楽天移籍後の18年に43試合に出場したのが最高と伸び悩んでいます。
もう一人は育成で指名された上野啓輔。高校時代は甲子園とは無縁で、
大学中退、渡米、マイナーリーグ、日本の独立リーグ…と流浪の野球人生を歩んでいます。
190センチ以上の長身に加え、MAX152キロの速球が持ち味でしたが、支配下登録は果たせませんでした。
2011年は3名。
上沢直之は3年春に関東大会ベスト8進出に貢献。最後の夏は千葉明徳・鈴木康平と日没引き分け再試合の壮絶な投手戦を展開しています。
甲子園には縁がなかったものの、MAX147キロの速球と切れ味抜群のスライダー、安定した制球で好投手と評価されていました。
ドラフト6位は低すぎでは、と思ったのを覚えています。それでもプロでは3年目に一軍に定着して先発ローテに加わり8勝をマーク。
18年には11勝を挙げるなど主力投手陣の一角に名を連ねています。
育成組では森和樹。最速147キロを計測する大型右腕として県内では注目される存在でした。
甲子園には手が届きませんでしたが、素質を評価されて育成で指名。しかし、支配下登録はならず3年で現役引退。
2012年は3名。
相内誠は長身ながらバランスのいいフォームから繰り出す速球が武器で、下級生時から県内では好投手として名前が挙がっていました。
最高成績は3年春の県大会ベスト8でしたが、スカウトからの評価は高く、西武から2位指名。
しかし、その年の暮れに不祥事が発覚したため契約に待ったがかかる事態に。
その後もたびたび問題を起こし、一軍では未だゼロ勝と寂しい結果となっています。
井納翔一は高校時代は全くの無名でしたが、大学で素質が開花。4年時には2季連続で防御率のタイトルを獲得し、秋は5勝をマークしています。
社会人でも4年目に台頭し、都市対抗で好投して結果を残し、27歳にしてプロ入りを果たしています。
遅咲きの野球人生でしたがプロでは1年目からローテに定着。ベテランとなった現在も主力投手としてチームを支え続けています。
杉山翔大は高校時代から強肩強打の捕手として、県下で注目を集める存在でした。
主力として2年春から3年夏までチームを5季連続8強以上に導き、関東No.1捕手と呼ばれるまでに。
名門・早大でも1年春からレギュラーに座り、最後の秋は東京六大学史上13人目の三冠王に輝きました。
プロでは4年目に104試合に出場し正捕手目前に迫ったものの、19年限りで引退。第2の小笠原(道大)になれる逸材だと思っていたのですが…。
2013年は高校生ゼロ。大学生がわずか1名指名されたのみでした。
その唯一のプロ入り選手となった高梨裕稔は、高校時代は無名で大学も関甲新リーグと華やかな表舞台とは無縁の存在。
それでも長身から投げ込む勢いのあるピッチングを武器に大学通算26勝をマークして、一躍ドラフト候補に躍り出ました。
プロでは2年目にファームで11勝をマークすると、翌年は一軍で先発に定着。二ケタ10勝を挙げて新人王を手にするシンデレラボーイに。
19年にヤクルトに移籍した後もローテに加わっています。
次回は2014年~2015年のドラフト指名選手を振り返ります。
豊作だった前の2年間とは一転、この5年間に関しては人数的にはやや物足りない感じですね。
緑色は現役の高校生、薄い緑は育成ドラフトの高校生選手です。
2009年は3名。
小川龍也は高校2年秋に投手に転向。最後の夏は千葉大会5回戦で敗れましたが、
長身のサウスポーでMAX143キロを計測していたこともあり、スカウトから注目される存在でした。
中日では長い下積みを経て、7年目の16年に一軍に定着して44試合に登板。
西武移籍後の19年には55試合に登板し19HPとセットアッパーの座をつかんでいます。
真下貴之は190センチ近い長身から投げ下ろす、140キロ台中盤の速球を武器に3年春はチームを県大会準優勝に導きました。
最後の夏は4回戦の八千代東戦で12回19奪三振の力投も報われず、敗れています。
この試合で勝ってたら、その後の人生も変わったのでは…と思わないでもありません。
AAAアジア選手権の代表にも選出されたものの、プロではわずか1勝に終わっています。
清田育宏は高校時代から投打に好センスの選手として知られ、エース兼中軸として最後の夏の千葉大会はベスト4に進出。
大学3年の秋に野手に転向し、4年春には3本塁打の活躍でベストナインに選出されています。
社会人でも都市対抗に出場。即戦力として期待されたプロではなかなか結果が残せなかったものの、
15年に打率.317、15本塁打でベストナインを獲得。ベテランとなった現在もプレーしています。
2010年は2名でした。
千葉県の高校生では3年ぶりの1位指名となった山下斐紹は、下級生ながら中心選手として09年のセンバツ出場に貢献。
二塁送球1.79秒、50メートル走5秒9、通算35本塁打と身体能力の高さから、この年の高校ナンバーワン捕手の称号を得ました。
プロでは一軍定着が遠く、楽天移籍後の18年に43試合に出場したのが最高と伸び悩んでいます。
もう一人は育成で指名された上野啓輔。高校時代は甲子園とは無縁で、
大学中退、渡米、マイナーリーグ、日本の独立リーグ…と流浪の野球人生を歩んでいます。
190センチ以上の長身に加え、MAX152キロの速球が持ち味でしたが、支配下登録は果たせませんでした。
2011年は3名。
上沢直之は3年春に関東大会ベスト8進出に貢献。最後の夏は千葉明徳・鈴木康平と日没引き分け再試合の壮絶な投手戦を展開しています。
甲子園には縁がなかったものの、MAX147キロの速球と切れ味抜群のスライダー、安定した制球で好投手と評価されていました。
ドラフト6位は低すぎでは、と思ったのを覚えています。それでもプロでは3年目に一軍に定着して先発ローテに加わり8勝をマーク。
18年には11勝を挙げるなど主力投手陣の一角に名を連ねています。
育成組では森和樹。最速147キロを計測する大型右腕として県内では注目される存在でした。
甲子園には手が届きませんでしたが、素質を評価されて育成で指名。しかし、支配下登録はならず3年で現役引退。
2012年は3名。
相内誠は長身ながらバランスのいいフォームから繰り出す速球が武器で、下級生時から県内では好投手として名前が挙がっていました。
最高成績は3年春の県大会ベスト8でしたが、スカウトからの評価は高く、西武から2位指名。
しかし、その年の暮れに不祥事が発覚したため契約に待ったがかかる事態に。
その後もたびたび問題を起こし、一軍では未だゼロ勝と寂しい結果となっています。
井納翔一は高校時代は全くの無名でしたが、大学で素質が開花。4年時には2季連続で防御率のタイトルを獲得し、秋は5勝をマークしています。
社会人でも4年目に台頭し、都市対抗で好投して結果を残し、27歳にしてプロ入りを果たしています。
遅咲きの野球人生でしたがプロでは1年目からローテに定着。ベテランとなった現在も主力投手としてチームを支え続けています。
杉山翔大は高校時代から強肩強打の捕手として、県下で注目を集める存在でした。
主力として2年春から3年夏までチームを5季連続8強以上に導き、関東No.1捕手と呼ばれるまでに。
名門・早大でも1年春からレギュラーに座り、最後の秋は東京六大学史上13人目の三冠王に輝きました。
プロでは4年目に104試合に出場し正捕手目前に迫ったものの、19年限りで引退。第2の小笠原(道大)になれる逸材だと思っていたのですが…。
2013年は高校生ゼロ。大学生がわずか1名指名されたのみでした。
その唯一のプロ入り選手となった高梨裕稔は、高校時代は無名で大学も関甲新リーグと華やかな表舞台とは無縁の存在。
それでも長身から投げ込む勢いのあるピッチングを武器に大学通算26勝をマークして、一躍ドラフト候補に躍り出ました。
プロでは2年目にファームで11勝をマークすると、翌年は一軍で先発に定着。二ケタ10勝を挙げて新人王を手にするシンデレラボーイに。
19年にヤクルトに移籍した後もローテに加わっています。
次回は2014年~2015年のドラフト指名選手を振り返ります。
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