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公務員バッシング何が狙われているのか 「身を切る」で生活悪化の”不満”を増産再利用

2012-02-26 | 哀 / 労働問題 
 議員削減問題でも、いつもニュースで、当然のように「身を切るといいながら、議員削減の実行力がない」とかなんとか、犯罪的な文句が垂れ流されていますが、「身を切る」の中身は比例代表削減で、民意をさらに削る策略です。

 騙されてると、”不満”を更に増産され、その”不満”をまた偽ヒーローどもに再利用され末世。。。


 ― 公務労働者の変質攻撃、公務員バッシングの本質とは何でしょうか。 ーー学習の友2011年8月号

 ●公務員バッシングと公的機能の縮減
 日本の財界・大企業、歴代自民党政権によって、『小さな政府』が一貫して追求されるなかで、国民生活の安心、安全を守る国や地方自治体の公的な機能が縮減されてきました
。公務員バッシングは、そうした攻撃と密接な関わりがあります。

 日本における『小さな政府』という方向への転換は、1980年代の臨調【行革】路線に始まります。財界主導で大企業の利益のための行政や財政の反動的な再編を行い、国民と労働組合の運動で作られてきた民主的制度をひっくり返すことを目的とするものでした。

1982年には【財政非常事態宣言】を行ってその年の賃上げの人事院勧告を完全凍結しました。そして、『増税なき財政再建』を旗印にして、それまで無料だった老人医療費を1982年に有料化し、健康保険の本人1割負担を1984年に導入し、健康保険制度を改悪、1985年には年金制度を改悪するなど社会保障の切り捨てが次々と強行されました。

 また、大企業の利益をはかるための『民間活力の導入』をとなえ、専売公社をJTに、電電公社をNTTに、国鉄をJRにするなど、国家公務員のリストラを推進しました。

 さらに90年代に入ると、【財政危機】を口実とした【小さな政府】づくりが、【地方分権】と連動しながら進められ、今日まで引き継がれています。名目は、【地方分権】ですが、実態はナショナル・ミニマムの縮小・解体という路線です。


 ●小さな政府の狙いは大企業奉仕
『小さな政府』は、国民サービスを切り捨てる政府であり、大企業のための政府です。
財界の『国際競争力強化』の路線に基づいて、高コスト体質の改善を名目に、大企業に対する手厚い支援策を行ってきました。大企業に対する優遇税制を行うだけでなく、社会的規制の緩和によって、大企業に安い労働力を提供できるようにするために、雇用に関するルールを緩和し、労働者派遣法の改悪、労働基準法改悪による短期雇用契約の導入などを強行し、非正規労働者を増やしました。
 『小さな政府』は、大企業に負担をかけない政府、大企業を規制しない政府、大企業の支援に力を注ぐ政府であり、そこに究極の狙いがあります。


 ●生活悪化による不満を公務員労働者に向けさせる
 『小さな政府』を実現するために公務員バッシングがおこなわれますが、それに少なくない国民・労働者が共鳴しています。インターネットにはすさまじい公務員バッシングがありますが、どうしてこのような状況がうまれるのでしょうか。

 一つは、新自由主義的な『構造改革』によって、金持ちの富裕層と貧乏な貧困層に二極化していきます。働くルールや生活保障が破壊される中で、大多数の国民・労働者が中流といわれた層から下の層におちていき、多数のワーキングプア、貧困層が生み出されました。いまや年収200万円以下の人が1000万人を超え、生活保護を受けている人も200万人を超えています。
 とくに90年代に入ると、社会的に貧困が進むなかで、生活不安が高まっています。その一方で、生活上のさまざまなリスクは国や地方自治体に面倒をみてもらうのではなく、個人の責任で対応すべきという『自己責任』のイデオロギーが強調されてきました。

 ●労働者を公務と民間に分断
 そういうなかで、生活困難に陥っていく国民・労働者に対して、「公務員の賃金は高い」、「民間より非効率な公務員の働き方」といった宣伝が政府やマスコミから大量に流されました。 『自己責任』論がふりまかれることで、富裕層、大金持ちは、たとえその富が労働者のリストラや投機で得たものであれ、不満の対象からは外れます。その一方で、自分たちの身近にいて、安定した生活を送っているように見える公務員を不満の対象にする世論誘導が行われてきたのです。

 公務員は、身近な存在であると同時に、『小さな政府』による国民サービスの切り捨ての矢面に立たされています。歴代自民党政権や、民主党政権がやっている国民サービスの切り捨てを窓口で担っているのが公務員ですから、そんな仕事をする公務員に対する反感も、公務員が不満の対象になりやすい条件といえるでしょう。

 公務員全体が安定した生活を送っているというものではありませんが、そう見える社会的な状況が作られてきているのです。
 公務員バッシングで労働者を官民に分断することによって、ある時は、「公務員も賃上げを我慢しているのだから、民間も我慢せよ」、「公務員も賃下げしているのだから民間も賃下げを容認せよ」といい、ある時は、「民間が苦しいのだから公務員は賃上げを我慢せよ」、「民間も賃下げしているのだから公務員も賃下げを我慢せよ」といって賃金抑制に利用してきたのです。公務員バッシングは、結局、国民や労働者に犠牲と負担を押し付けるための格好のツールになっているのです。


(つづく)


 
 ― 国は国民に対してどんな責務をおっているのでしょうか。公務労働者にはどんな役割があるのでしょうか。

 国は、国民に対してどんな役割を負っているか。公務労働者の役割はなにか。



 ●国の責務は、すべての国民の幸福の追求、人権の保障
 日本国憲法で中心になる規定は、憲法十三条です。『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』と規定されています。
 それぞれにかけがえのない命をもっているものが、人間としてどう幸せに生きるかというのは、自分自身で追求する権利があります。それを追求するということを国が全力をあげて守っていくことを憲法は規定しています。

 日本国憲法の下では、国は、国民主権の原理に基づいて、国民の福利(幸福と利益)の実現、国民の基本的人権の保障のために存在します。

 ●国民全体の奉仕者
 公務員の役割も、明治憲法の『天皇の官使』から日本国憲法で『国民全体の奉仕者』に180度転換しました。明治憲法では、天皇主権の下、天皇が立法権、行政権、司法権のすべての上に君臨し、軍隊も『陸海軍を統帥』する絶対主義的天皇制の時代でした。公務員も裁判官も『天皇の官使』として、国民を抑圧する側に立たされていました。それが、日本国憲法で国民主権となり、公務員の役割も『天皇の官使』から『国民全体の奉仕者』になったわけです。

 一言で言えば、日本国憲法の下では、国も地方自治体も国民・住民の福利の実現と基本的人権の保障のために存在し、国民の安全・安心を守るのが公務労働者の役割だということです。

 ●小さな政府、官から民へ
 しかし、『小さな政府』『官から民へ』の名のもとで進められてきた公務の民営化、市場化を柱とする新自由主義改革は、国と地方自治体の本来の役割とは真っ向から対立するものです。菅内閣が昨年12月28日に『アクションプラン―出先機関の原則廃止に向けて』を閣議決定しましたが、その内容は、国の出先機関の原則廃止でナショナルミニマムに対する国の責任を放棄し、地方自治体に丸投げするものです。そして、橋本行革、小泉構造改革の『官から民へ』『国から地方へ』の手法で小さな政府、規制緩和による公務・公共サービスの切り捨てをいっそう進め、国民に自己責任を押しつける憲法二十五条の解釈改憲にほかなりません。

 国の出先機関は、くらしや雇用、安心や安全の確保など国民の基本的人権を保障する国の責任を果たすために全国に配置されています。貧困や格差の拡大が社会問題となり、震災復興が急務となっているいま、国民の安心・安全を守るために必要なのは、国の出先機関のスリム化や効率化ではなく、その機能や体制を拡充することです。

 ●震災で浮き彫りになった公務の拡充・強化の必要性・緊急性
 東日本大震災が、公務労働の大切さを改めて浮き彫りにしました。震災での救援復旧では、マスコミは自衛隊の活躍ばかりを取り上げましたが、国の出先機関の果たした役割は非常に大きなものがありました。
 公務員削減が進められる中で、日本は先進国の中でも最も少ない公務員数になっています。

2003年には、国の行政機関の公務員は、80万人でしたが民営化や定員純減などにより、現在は31万人までに減らされています。外国と比べても、日本の公務員数は、人口1000人あたり32人で、フランス(88・8人)、イギリス(77・8人)、アメリカ(78・2人)、などの半分以下です。国家公務員にいたっては、人口1000人あたり2・6人で、フランス(30・1人)の10分の1以下です。

 新自由主義改革の横行に歯止めをかけ、国民の生存と権利を守るためには、国と地方自治体の公務・公共部門の役割とそれを担う行政機構を抜本的に拡充・強化することこそが急務となっています。

(つづく)


 

高校生まで狙われた 自衛隊・情報保全隊とは 国民監視部隊の闇

2012-02-26 | 原発利益共同体 ・ 軍事体制
 自衛隊・国民監視部隊の闇  高校生まで狙われた 

   赤旗日曜版 2007年6月17日付け 
                 
          当ブログ2011年8月19日に続きの記事が3件ありますのでそちらもどうぞ。


 イラク派兵反対から、年金・消費税・春闘の国民運動まで、自衛隊が監視し、記録していたーー。  日本共産党の志位和夫委員長が6月6日、記者会見で明らかにした内部文書、各方面に衝撃


 「すごい資料ですね、こういうのがまとまって出たのは初めて。防衛大臣直轄の部隊が、政党や市民の活動を調査していたのだから、大臣が責任を取らねば」
 軍事評論家の前田哲男さんの指摘です。

 志位氏が示した資料は、陸上自衛隊の「情報保全隊」という部隊が、2003年12月から翌年3月に作成した、A4版166ページもの文書。

 当時、自衛隊イラク派兵反対の世論と運動が高まりました。自衛隊はこの運動を「反自衛隊活動」と認定。全国でスパイして監視し、個人情報も記録していたのです。
 対象を「P」(日本共産党)、「S」(社民党)、「GL」(民主党・連合)と分類。自衛隊員を取材する新聞記者、反対決議をあげる地方議会、映画監督・山田洋次さんの発言までマークしていました。


 それだけではありません。年金や消費税、春闘と言った自衛隊と関係のない運動も監視対象。
 文書に記録されたのは41都道府県の289団体・個人にも。
 「あなたの活動がリストに載ってるよ」東京都立川市在住の堀江真理さん(25)は、文書を知った知人から携帯電話で知らせを受けました。
 「もうびっくり。自分たちの情報が知らないところで交換されていたなんて」と怒ります。

 堀江さんは、大学生だった03年11月30日、「高校生から始まるピースウオーク」を当時高校3年生だった露木耕人さん(21)らと企画しました。それが監視されていたのです。

 露木さんは言います。「僕らは党派なんて関係ない。平和を望んで幅広く集まった若者たちを、自衛隊がこっそり監視したり、勝手に分類したり。まるで戦前の治安維持法じゃないですか。こんなことはやめてほしい。自由に行動や表現をさせてほしい」

 久間章生防衛大臣は事実上この文書を認め、「情報の取り方」に支障が出ることを理由に全容解明を拒否。その態度がさらに批判を呼んでいます。

 
 自衛隊情報保全隊の国民監視活動はテレビや新聞でも大きな反響を呼びました。

 10日のTBS系「サンデーモーニング」でも司会者の関口宏氏が「あの忌まわしい時代を思い出して・・・”国家権力に邪魔する奴は”というような、そんなことにならなければいいなと思うが」と語りました。

 レギュラー出演者の岸井成格・「毎日」特別編集委員は「普通の一般の情報収集とは違う」「こういう組織というのは必ずエスカレートしてくる。防衛相の判断は非常に甘い。危機感が足らない」と批判しました。
 全国紙では「朝日」が1面で「イラク派遣 陸自、反対市民ら調査 共産党が文書入手 集会・デモ分析」と報じ、社説でも「自衛隊は国民を監視するのか」と題し大きく扱いました。

 ブロック紙の「東京」も1面に掲載、詳報しました。地方紙では「沖縄タイムス」「琉球新報」など、5紙が1面トップ扱い。
 トータルするとこの日、20紙が1面でこの問題を取り上げました。


 
 私の行動も記載  沖縄弁護士会所属 新垣勉さん

 私は2004年2月24日、沖縄弁護士会会長として、日弁連の決議に基づく全国統一活動で、自衛隊イラク派遣に反対するビラを配布しました
 それが情報保全隊の資料に記載されていたことに驚いています。法的にいくつもの重大な問題をはらんでいます。
 
 今回の情報収集の事案は、自衛隊法に定められた任務・活動の範囲を逸脱しています。
 また、自衛隊が情報を系統的に、特に、個人情報を含めて収集していることは重大です。
 行政機関の情報取得は、「行政機関の保有する個人情報に関する法律」で制限されており、同法に照らしても違法です
 こうした活動は、市民の活動を萎縮させ、憲法で保障された集会・結社、言論の自由という基本権を侵害するものです

 シビリアンコントロールを行うべき防衛省が、これを積極的に容認する事態は、自衛隊が通常の軍隊として暴走する兆候を予感させます。



 戦前を思い出す  軍事評論家 前田哲男さん

 そもそも情報保全隊は、住民運動などを監視する権限は持っていません。沖縄・辺野古の環境調査に海上自衛隊を動員したり、このところ法的説明の境界線を越えた活動が増えています
 自衛隊は武力を持った組織ですから、その行動に関する法規制は、他の組織より厳密さと抑制が求められているのに
、その逆になっています。
 
 戦前の関東軍は独断専行で既成事実を作って行動を拡大しました。一方で、国民は憲兵に監視されました。戦前を思い出さざるを得ないような活動です
 
 有事法制や国民保護法で、国民や自治体を自衛隊に協力させる法制度ができ、自衛隊への協力度を調べる必要がより出てきたのだと思います。




 <情報保全隊って何だ>

 情報保全隊は03年3月に発足した防衛大臣直轄の組織です。それまで陸海空の自衛隊にあった「調査隊」を改編。退院は3自衛隊合計で約900人です。
 陸自は情報保全隊本部のもとに、北部、東北、東部、中部、西部の5方面隊にそれぞれ情報保全隊があります。

 情報保全隊の任務について、発足当時の中谷元防衛庁長官はこう述べています。
 「各自衛隊の部隊および機関の保全のために必要な資料、明確化に加えて、新たに職員と各国駐在武官などとの接触状況に関わる情報収集、施設など機関などの組織保全業務の支援」

 つまり、自衛隊の情報を”守る”ことが目的で、基地外で政党、市民団体、マスコミの行動を監視し、思想信条別に”色分け”するなどの行動に、法的根拠はありません。
 
  


  続きの、志位委員長、核心を語るーー も、後日アップしようかにゃ・・・

日本の地熱力はすごい ー原発も基地も、カネで黙らせる構造ー 神話を砕け 伊藤千尋

2012-02-26 | 原発利益共同体 ・ 軍事体制
 神話を砕け 伊藤千尋    学習の友2012・3月号より


原発も基地も、カネで黙らせる構造

 福島の原発事故の3ヵ月前、私は静岡県の御殿場に行った。目の前に富士山がそびえる。その目を富士山の左側に向けると、自衛隊の東富士演習場が広がっていた。戦車隊が米軍とともに砲撃訓練を行う場所だ。日本の自衛隊は日本の象徴である富士山に向けて砲弾を撃ち込む。

 基地反対運動をしている地元の住民は「砲撃されるたびに富士山が泣いている」と言う。まさにそのような光景だ。しかし、基地のおかげで自衛隊から町にカネが入ってくるので町の財政は潤い、このため反基地運動はなかなか進まないのだという。原発の構造も基地の構造も同じなのだ。カネをばらまいて地元を黙らせる。

基地より魅力的なものを提示する

 それを聞いて思った。ただ「反対」の声を上げるだけでは運動を進まない。現に自衛隊で利益を上げている人たちがいる。彼らに対して自衛隊の演習場よりも魅力的な活用案を提示しなければ、運動は広がらないのではないか。
 では、具体的にどうすればいいのか。その場で私にひらめいたのは、ここに世界一の露天風呂と世界一の地熱発電所をセットでつくることだ。

地熱と水力の国、アイスランド

 3年前に北欧の島国アイスランドを訪れたさい、「世界一の露天風呂」を目の当たりにした。サッカー場より広い5000平方メートルの、湖のような露天風呂だ。市民が水着を着て入り楽しんでいる。そのそばには地熱発電所が白い煙を吐いていた。この国では地熱発電と水力発電で電力のほぼすべてをまかなっている。火力発電所も原発も必要としない。

日本には地熱も技術もある

 それを聞いて思った。日本だってアイスランドと同じように火山も温泉もある。だったら日本でも地熱発電をやればいいではないか、と。帰国して調べると、日本でも地熱発電を少しはやっているが、総電力量のわずか0・3%でしかない。ところが、さらに調べると、日本は世界にも稀な地熱発電のやり易い国で、しかも地熱発電の技術は世界一だった。

世界最大の地熱発電のタービンを造っているのは日本の会社だ。日本で地熱発電をきちんと開発すれば2000万キロワット、つまり原発20基分の電力が取れるという。

稼動原発はいま3基、地熱だけでもやれる

 日本には原発が54基あるが、これを書いている2月現在、稼動しているのはわずか3基だ。だったら、原発なんてすべて廃炉にして地熱発電だけでもやっていけるではないか。これに風力、太陽光などを加えれば、原発どころか石油を使う火力発電所だって要らなくなりそうだ。

 さまざまな自然エネルギーの中でも地熱は魅力的だ。太陽光発電は昼間しかできないし、風力発電は風が吹いているときだけしか発電できないが、地熱は地球がある限り1日24時間、365日、電気を産み出す。しかも燃料費は無料だ。日本は地震大国だとみんな嘆くが、何事もマイナスの面の裏にはプラスの面がある。地震が起きやすいということは、地熱発電がやり易いということだ。だったら、地球を活用すればいいではないか。日本は自然エネルギーでは資源大国なのだ。

なぜ日本人はもっと怒らないのか

 東日本大震災と福島原発の事故から、間もなく1周年になる。あの日、これから日本はどうなるのだろうかと憂えた人は多いだろう。幸いにして日本はまだあるが、政治ときたら世界に恥ずかしいくらいお粗末だ。

福島を視察したドイツ人が言ったこと

 ヨーロッパでは日本の事故を教訓に原発から自然エネルギーに転換する動きが相次いだ。しかし、日本の政府は相変わらず、原発は必要だという神話にしがみついたままだ。いち早く原発の廃炉を決めたドイツからは、議員やNGO活動家が続々と福島に視察にやってきた。彼らが口をそろえて「日本人はなぜもっと怒らないのか」と言う。日本の国民はなぜこうもおとなしいのか、ぐずな日本政府に対して、なぜ怒らないのか。同じことを多くの日本人が感じているのではないか。原発は事故を起こさないという安全神話は崩壊したのに、なぜ、原発をなくそうという考えがすんなりと広まらないのか。

 それは、今はまだ「反対」運動にとどまっているからだと私は思う。反対を唱えるだけでは物事は進まない。世論の支持を得られない。政府が進めようとしていることに対して、だれもが納得できる代案を提示してこそ初めて運動は社会に広がっていくのではないか。

日本最高の環境都市となった水俣

 水俣では、市民がそれを実行した。私が水俣市を訪れたのは、水俣病が公式に確認されてから50年たった2006年だった。驚くことに、かつてのヘドロの海がエメラルド色の海に変わっていた。熱帯魚が来ていた。日本最悪の公害都市が、日本最高の環境都市に生まれ変わっていた。
 いや、「変わった」のではない。「変えた」のだ。それをもたらしたのは、市民の力だった。

あるもの探しをしよう、グチを自治に変えよう

 水俣市役所の職員になった一人は、上司から「今、町が企業側と患者側の二つに分かれている。市は中立だから、何もするな」と言われた。典型的なお役所的な発想だ。しかし、彼はこれを聴いて憤った。困った市民のために役に立つのが市役所ではないか。彼は自分の意思で被害者の家を一軒一軒、訪ねてまわった。これはいよいよ行政として取り組むべきだと考え、市役所の同僚や上司を説得にかかった。
 そこで彼が言った名言が二つある。一つは「みんな、無いものねだりばかりしている。無いものねだりからは何も生まれない。あるもの探しをしよう」だ。もう一つは「みんなグチばかり言っている。グチからは何も生まれない。グチを自治に変えよう」だ。そこから市役所が変わった。

この町を変えるのは私たち―役所が事務局に

 同じときに市民も変わった。中学生が関西に修学旅行に行ったさい、「どこから来たの?」と問いかける土産物屋の店主に「水俣です」と答えると、店主は「汚い」とつぶやいた。傷ついた子は水俣に帰ってそれを親に言った。親は考えた。自分も子も孫も、水俣のほかに住む場所はない。この公害の町に対して、国も県も何もしてくれない。この町を変えるのは私たち市民しかいない、と。そこから、最低の公害都市を最高の環境都市に変えていく市民運動が生まれた。その事務局になったのが市役所だ。

 日本の環境団体が集まって毎年、日本一の環境都市を決めていたが、水俣市は2005年、日本一に輝いた。この町ではゴミを22通りに分けて分別収集している。市民の意識がなければできないことだ。市民が意識を持ったのだ。意識を持てば町を変えることができる。

原発を建てさせなかった祝島

私は原発事故の1週間後、山口県上関町の祝島を訪れた。原発の建設計画に対し、この島民は30年間にわたって反対運動を続け、原発を建てさせなかった。
 島で会ったのは闘争の先頭になっている33歳の若者、山戸孝君だ。彼のお父さんの時代から闘っている。
中国電力は人口わずか500人のこの島に10億円出すから反対運動をやめてくれと言ってきた。一人当たりにするとかなりのカネである。しかし、カネに釣られたのは1割だった。9割は踏みとどまった。

 山戸君は言う。「私たちはロマンで闘っているのではありません。原発に反対という以上は、この島を自然エネルギーの島に変えようとしています。私たちはこの島に日本のモデルをつくろうとしています」。実際、島のあちこちに太陽光発電の設備があった。老人がほとんどの過疎の島だが、にぎやかだ。波止場を行き来するお年寄りの表情が明るい。話し声も大きい。自分たちで新しい社会を作り上げているという自負と自信があるからだろう。
 
神話は打ち砕くしかない

 今の日本には元気がない。とりわけ労働運動に元気がない。不況だから企業側の言うとおりに従わなければならない、というあきらめが先に立っている。それも神話ではないのか。神話は自らの提案と実行力で覆していかなければ壊れない。

(いとう ちひろ/国際ジャーナリスト、朝日新聞特派員として世界68ヵ国を取材し、著書に『地球を活かす―市民が創る自然エネルギー』(シネフロント社)など)