議員削減問題でも、いつもニュースで、当然のように「身を切るといいながら、議員削減の実行力がない」とかなんとか、犯罪的な文句が垂れ流されていますが、「身を切る」の中身は比例代表削減で、民意をさらに削る策略です。
騙されてると、”不満”を更に増産され、その”不満”をまた偽ヒーローどもに再利用され末世。。。
― 公務労働者の変質攻撃、公務員バッシングの本質とは何でしょうか。 ーー学習の友2011年8月号
●公務員バッシングと公的機能の縮減
日本の財界・大企業、歴代自民党政権によって、『小さな政府』が一貫して追求されるなかで、国民生活の安心、安全を守る国や地方自治体の公的な機能が縮減されてきました。公務員バッシングは、そうした攻撃と密接な関わりがあります。
日本における『小さな政府』という方向への転換は、1980年代の臨調【行革】路線に始まります。財界主導で大企業の利益のための行政や財政の反動的な再編を行い、国民と労働組合の運動で作られてきた民主的制度をひっくり返すことを目的とするものでした。
1982年には【財政非常事態宣言】を行ってその年の賃上げの人事院勧告を完全凍結しました。そして、『増税なき財政再建』を旗印にして、それまで無料だった老人医療費を1982年に有料化し、健康保険の本人1割負担を1984年に導入し、健康保険制度を改悪、1985年には年金制度を改悪するなど社会保障の切り捨てが次々と強行されました。
また、大企業の利益をはかるための『民間活力の導入』をとなえ、専売公社をJTに、電電公社をNTTに、国鉄をJRにするなど、国家公務員のリストラを推進しました。
さらに90年代に入ると、【財政危機】を口実とした【小さな政府】づくりが、【地方分権】と連動しながら進められ、今日まで引き継がれています。名目は、【地方分権】ですが、実態はナショナル・ミニマムの縮小・解体という路線です。
●小さな政府の狙いは大企業奉仕
『小さな政府』は、国民サービスを切り捨てる政府であり、大企業のための政府です。財界の『国際競争力強化』の路線に基づいて、高コスト体質の改善を名目に、大企業に対する手厚い支援策を行ってきました。大企業に対する優遇税制を行うだけでなく、社会的規制の緩和によって、大企業に安い労働力を提供できるようにするために、雇用に関するルールを緩和し、労働者派遣法の改悪、労働基準法改悪による短期雇用契約の導入などを強行し、非正規労働者を増やしました。
『小さな政府』は、大企業に負担をかけない政府、大企業を規制しない政府、大企業の支援に力を注ぐ政府であり、そこに究極の狙いがあります。
●生活悪化による不満を公務員労働者に向けさせる
『小さな政府』を実現するために公務員バッシングがおこなわれますが、それに少なくない国民・労働者が共鳴しています。インターネットにはすさまじい公務員バッシングがありますが、どうしてこのような状況がうまれるのでしょうか。
一つは、新自由主義的な『構造改革』によって、金持ちの富裕層と貧乏な貧困層に二極化していきます。働くルールや生活保障が破壊される中で、大多数の国民・労働者が中流といわれた層から下の層におちていき、多数のワーキングプア、貧困層が生み出されました。いまや年収200万円以下の人が1000万人を超え、生活保護を受けている人も200万人を超えています。
とくに90年代に入ると、社会的に貧困が進むなかで、生活不安が高まっています。その一方で、生活上のさまざまなリスクは国や地方自治体に面倒をみてもらうのではなく、個人の責任で対応すべきという『自己責任』のイデオロギーが強調されてきました。
●労働者を公務と民間に分断
そういうなかで、生活困難に陥っていく国民・労働者に対して、「公務員の賃金は高い」、「民間より非効率な公務員の働き方」といった宣伝が政府やマスコミから大量に流されました。 『自己責任』論がふりまかれることで、富裕層、大金持ちは、たとえその富が労働者のリストラや投機で得たものであれ、不満の対象からは外れます。その一方で、自分たちの身近にいて、安定した生活を送っているように見える公務員を不満の対象にする世論誘導が行われてきたのです。
公務員は、身近な存在であると同時に、『小さな政府』による国民サービスの切り捨ての矢面に立たされています。歴代自民党政権や、民主党政権がやっている国民サービスの切り捨てを窓口で担っているのが公務員ですから、そんな仕事をする公務員に対する反感も、公務員が不満の対象になりやすい条件といえるでしょう。
公務員全体が安定した生活を送っているというものではありませんが、そう見える社会的な状況が作られてきているのです。
公務員バッシングで労働者を官民に分断することによって、ある時は、「公務員も賃上げを我慢しているのだから、民間も我慢せよ」、「公務員も賃下げしているのだから民間も賃下げを容認せよ」といい、ある時は、「民間が苦しいのだから公務員は賃上げを我慢せよ」、「民間も賃下げしているのだから公務員も賃下げを我慢せよ」といって賃金抑制に利用してきたのです。公務員バッシングは、結局、国民や労働者に犠牲と負担を押し付けるための格好のツールになっているのです。
(つづく)
― 国は国民に対してどんな責務をおっているのでしょうか。公務労働者にはどんな役割があるのでしょうか。
国は、国民に対してどんな役割を負っているか。公務労働者の役割はなにか。
●国の責務は、すべての国民の幸福の追求、人権の保障
日本国憲法で中心になる規定は、憲法十三条です。『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』と規定されています。
それぞれにかけがえのない命をもっているものが、人間としてどう幸せに生きるかというのは、自分自身で追求する権利があります。それを追求するということを国が全力をあげて守っていくことを憲法は規定しています。
日本国憲法の下では、国は、国民主権の原理に基づいて、国民の福利(幸福と利益)の実現、国民の基本的人権の保障のために存在します。
●国民全体の奉仕者
公務員の役割も、明治憲法の『天皇の官使』から日本国憲法で『国民全体の奉仕者』に180度転換しました。明治憲法では、天皇主権の下、天皇が立法権、行政権、司法権のすべての上に君臨し、軍隊も『陸海軍を統帥』する絶対主義的天皇制の時代でした。公務員も裁判官も『天皇の官使』として、国民を抑圧する側に立たされていました。それが、日本国憲法で国民主権となり、公務員の役割も『天皇の官使』から『国民全体の奉仕者』になったわけです。
一言で言えば、日本国憲法の下では、国も地方自治体も国民・住民の福利の実現と基本的人権の保障のために存在し、国民の安全・安心を守るのが公務労働者の役割だということです。
●小さな政府、官から民へ
しかし、『小さな政府』『官から民へ』の名のもとで進められてきた公務の民営化、市場化を柱とする新自由主義改革は、国と地方自治体の本来の役割とは真っ向から対立するものです。菅内閣が昨年12月28日に『アクションプラン―出先機関の原則廃止に向けて』を閣議決定しましたが、その内容は、国の出先機関の原則廃止でナショナルミニマムに対する国の責任を放棄し、地方自治体に丸投げするものです。そして、橋本行革、小泉構造改革の『官から民へ』『国から地方へ』の手法で小さな政府、規制緩和による公務・公共サービスの切り捨てをいっそう進め、国民に自己責任を押しつける憲法二十五条の解釈改憲にほかなりません。
国の出先機関は、くらしや雇用、安心や安全の確保など国民の基本的人権を保障する国の責任を果たすために全国に配置されています。貧困や格差の拡大が社会問題となり、震災復興が急務となっているいま、国民の安心・安全を守るために必要なのは、国の出先機関のスリム化や効率化ではなく、その機能や体制を拡充することです。
●震災で浮き彫りになった公務の拡充・強化の必要性・緊急性
東日本大震災が、公務労働の大切さを改めて浮き彫りにしました。震災での救援復旧では、マスコミは自衛隊の活躍ばかりを取り上げましたが、国の出先機関の果たした役割は非常に大きなものがありました。
公務員削減が進められる中で、日本は先進国の中でも最も少ない公務員数になっています。
2003年には、国の行政機関の公務員は、80万人でしたが民営化や定員純減などにより、現在は31万人までに減らされています。外国と比べても、日本の公務員数は、人口1000人あたり32人で、フランス(88・8人)、イギリス(77・8人)、アメリカ(78・2人)、などの半分以下です。国家公務員にいたっては、人口1000人あたり2・6人で、フランス(30・1人)の10分の1以下です。
新自由主義改革の横行に歯止めをかけ、国民の生存と権利を守るためには、国と地方自治体の公務・公共部門の役割とそれを担う行政機構を抜本的に拡充・強化することこそが急務となっています。
(つづく)
騙されてると、”不満”を更に増産され、その”不満”をまた偽ヒーローどもに再利用され末世。。。
― 公務労働者の変質攻撃、公務員バッシングの本質とは何でしょうか。 ーー学習の友2011年8月号
●公務員バッシングと公的機能の縮減
日本の財界・大企業、歴代自民党政権によって、『小さな政府』が一貫して追求されるなかで、国民生活の安心、安全を守る国や地方自治体の公的な機能が縮減されてきました。公務員バッシングは、そうした攻撃と密接な関わりがあります。
日本における『小さな政府』という方向への転換は、1980年代の臨調【行革】路線に始まります。財界主導で大企業の利益のための行政や財政の反動的な再編を行い、国民と労働組合の運動で作られてきた民主的制度をひっくり返すことを目的とするものでした。
1982年には【財政非常事態宣言】を行ってその年の賃上げの人事院勧告を完全凍結しました。そして、『増税なき財政再建』を旗印にして、それまで無料だった老人医療費を1982年に有料化し、健康保険の本人1割負担を1984年に導入し、健康保険制度を改悪、1985年には年金制度を改悪するなど社会保障の切り捨てが次々と強行されました。
また、大企業の利益をはかるための『民間活力の導入』をとなえ、専売公社をJTに、電電公社をNTTに、国鉄をJRにするなど、国家公務員のリストラを推進しました。
さらに90年代に入ると、【財政危機】を口実とした【小さな政府】づくりが、【地方分権】と連動しながら進められ、今日まで引き継がれています。名目は、【地方分権】ですが、実態はナショナル・ミニマムの縮小・解体という路線です。
●小さな政府の狙いは大企業奉仕
『小さな政府』は、国民サービスを切り捨てる政府であり、大企業のための政府です。財界の『国際競争力強化』の路線に基づいて、高コスト体質の改善を名目に、大企業に対する手厚い支援策を行ってきました。大企業に対する優遇税制を行うだけでなく、社会的規制の緩和によって、大企業に安い労働力を提供できるようにするために、雇用に関するルールを緩和し、労働者派遣法の改悪、労働基準法改悪による短期雇用契約の導入などを強行し、非正規労働者を増やしました。
『小さな政府』は、大企業に負担をかけない政府、大企業を規制しない政府、大企業の支援に力を注ぐ政府であり、そこに究極の狙いがあります。
●生活悪化による不満を公務員労働者に向けさせる
『小さな政府』を実現するために公務員バッシングがおこなわれますが、それに少なくない国民・労働者が共鳴しています。インターネットにはすさまじい公務員バッシングがありますが、どうしてこのような状況がうまれるのでしょうか。
一つは、新自由主義的な『構造改革』によって、金持ちの富裕層と貧乏な貧困層に二極化していきます。働くルールや生活保障が破壊される中で、大多数の国民・労働者が中流といわれた層から下の層におちていき、多数のワーキングプア、貧困層が生み出されました。いまや年収200万円以下の人が1000万人を超え、生活保護を受けている人も200万人を超えています。
とくに90年代に入ると、社会的に貧困が進むなかで、生活不安が高まっています。その一方で、生活上のさまざまなリスクは国や地方自治体に面倒をみてもらうのではなく、個人の責任で対応すべきという『自己責任』のイデオロギーが強調されてきました。
●労働者を公務と民間に分断
そういうなかで、生活困難に陥っていく国民・労働者に対して、「公務員の賃金は高い」、「民間より非効率な公務員の働き方」といった宣伝が政府やマスコミから大量に流されました。 『自己責任』論がふりまかれることで、富裕層、大金持ちは、たとえその富が労働者のリストラや投機で得たものであれ、不満の対象からは外れます。その一方で、自分たちの身近にいて、安定した生活を送っているように見える公務員を不満の対象にする世論誘導が行われてきたのです。
公務員は、身近な存在であると同時に、『小さな政府』による国民サービスの切り捨ての矢面に立たされています。歴代自民党政権や、民主党政権がやっている国民サービスの切り捨てを窓口で担っているのが公務員ですから、そんな仕事をする公務員に対する反感も、公務員が不満の対象になりやすい条件といえるでしょう。
公務員全体が安定した生活を送っているというものではありませんが、そう見える社会的な状況が作られてきているのです。
公務員バッシングで労働者を官民に分断することによって、ある時は、「公務員も賃上げを我慢しているのだから、民間も我慢せよ」、「公務員も賃下げしているのだから民間も賃下げを容認せよ」といい、ある時は、「民間が苦しいのだから公務員は賃上げを我慢せよ」、「民間も賃下げしているのだから公務員も賃下げを我慢せよ」といって賃金抑制に利用してきたのです。公務員バッシングは、結局、国民や労働者に犠牲と負担を押し付けるための格好のツールになっているのです。
(つづく)
― 国は国民に対してどんな責務をおっているのでしょうか。公務労働者にはどんな役割があるのでしょうか。
国は、国民に対してどんな役割を負っているか。公務労働者の役割はなにか。
●国の責務は、すべての国民の幸福の追求、人権の保障
日本国憲法で中心になる規定は、憲法十三条です。『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』と規定されています。
それぞれにかけがえのない命をもっているものが、人間としてどう幸せに生きるかというのは、自分自身で追求する権利があります。それを追求するということを国が全力をあげて守っていくことを憲法は規定しています。
日本国憲法の下では、国は、国民主権の原理に基づいて、国民の福利(幸福と利益)の実現、国民の基本的人権の保障のために存在します。
●国民全体の奉仕者
公務員の役割も、明治憲法の『天皇の官使』から日本国憲法で『国民全体の奉仕者』に180度転換しました。明治憲法では、天皇主権の下、天皇が立法権、行政権、司法権のすべての上に君臨し、軍隊も『陸海軍を統帥』する絶対主義的天皇制の時代でした。公務員も裁判官も『天皇の官使』として、国民を抑圧する側に立たされていました。それが、日本国憲法で国民主権となり、公務員の役割も『天皇の官使』から『国民全体の奉仕者』になったわけです。
一言で言えば、日本国憲法の下では、国も地方自治体も国民・住民の福利の実現と基本的人権の保障のために存在し、国民の安全・安心を守るのが公務労働者の役割だということです。
●小さな政府、官から民へ
しかし、『小さな政府』『官から民へ』の名のもとで進められてきた公務の民営化、市場化を柱とする新自由主義改革は、国と地方自治体の本来の役割とは真っ向から対立するものです。菅内閣が昨年12月28日に『アクションプラン―出先機関の原則廃止に向けて』を閣議決定しましたが、その内容は、国の出先機関の原則廃止でナショナルミニマムに対する国の責任を放棄し、地方自治体に丸投げするものです。そして、橋本行革、小泉構造改革の『官から民へ』『国から地方へ』の手法で小さな政府、規制緩和による公務・公共サービスの切り捨てをいっそう進め、国民に自己責任を押しつける憲法二十五条の解釈改憲にほかなりません。
国の出先機関は、くらしや雇用、安心や安全の確保など国民の基本的人権を保障する国の責任を果たすために全国に配置されています。貧困や格差の拡大が社会問題となり、震災復興が急務となっているいま、国民の安心・安全を守るために必要なのは、国の出先機関のスリム化や効率化ではなく、その機能や体制を拡充することです。
●震災で浮き彫りになった公務の拡充・強化の必要性・緊急性
東日本大震災が、公務労働の大切さを改めて浮き彫りにしました。震災での救援復旧では、マスコミは自衛隊の活躍ばかりを取り上げましたが、国の出先機関の果たした役割は非常に大きなものがありました。
公務員削減が進められる中で、日本は先進国の中でも最も少ない公務員数になっています。
2003年には、国の行政機関の公務員は、80万人でしたが民営化や定員純減などにより、現在は31万人までに減らされています。外国と比べても、日本の公務員数は、人口1000人あたり32人で、フランス(88・8人)、イギリス(77・8人)、アメリカ(78・2人)、などの半分以下です。国家公務員にいたっては、人口1000人あたり2・6人で、フランス(30・1人)の10分の1以下です。
新自由主義改革の横行に歯止めをかけ、国民の生存と権利を守るためには、国と地方自治体の公務・公共部門の役割とそれを担う行政機構を抜本的に拡充・強化することこそが急務となっています。
(つづく)