俳優の小沢昭一さんが、残念ながら亡くなられたそうです。といっても、吾輩はお顔しか存じませんが。
でも講演やラジオでパーソナリティなどで、社会的に貢献されていたようですにゃ。
そういえば、先日亡くなられた森光子さんも、今年6月に亡くなられた地井武男さんも、何度かしんぶん赤旗に出ておられましたが、
小沢さんも、以前2009年頃のしんぶん赤旗の「だから私は日本共産党」の欄に、あさのあつこさんらと共にお出になっていて、いいことおっしゃってたのでいつか載せようと思っていたのですが、捨ててしまったらしく・・・
代わりにといってはなんですが、他の方のインタビューシリーズでもどうぞ。
漫画家 ちばてつや さん しんぶん赤旗インタビュー
「あしたのジョー」で圧倒的な人気を博した、ちばてつやさん。初めての絵本『ごあいさつ』(講談社)を出しました。
カナダに住む3人の孫に語りかけるように描きました。
今はお話したり、遊んでやることはできないけれど、どこで暮らそうと、みんなにちゃんとあいさつし、仲良くするんだよと。
漫画はこま割り、絵本は見開き。初めての絵本を、大きい絵でのびのびと書きました。
一方ー。「色彩、世界観、メッセージ。子どもにわかりやすい表現というのは難しい。難しいことを分かりやすく。うちの生徒にも、そう言ってるんです」
*
「うち」とは、文星芸術大学(宇都宮市)。ちばさんは、マンガ専攻の教授です。ことし4年になります。
今の若者たちは、初めから絵がうまいといいます。子どものときからマンガやアニメゲームなどの映像を見て育っているからと。
だが、若いマンガかも含め、少し気になることは、主人公たちの目が冷たいことです。世の中を恨んだり、自分の運命をのろったり。恨みがましい目が多い、と。
「若い人は将来に不安があったり、希望がもてなかったり。そういう時代を映しているのだろうとは思います。でも、夢のある作品を描いてほしい」
ちばさんが漫画を通して伝えるのは、夢に向かって生きるひたむきさ、人間賛歌です。
* *
1945年8月、ちばさん一家は「満州」(中国北東部)の奉天。8月、侵入してきたソ連軍におびえながら転々としました。一家が身を潜めたのは狭い屋根裏部屋。父の友人で中国人の徐集川さんの家でした。
外には出られず、退屈な日々。6歳のてつや少年は、3人の弟たちのためにお話を考え紙芝居を作りました。
「漫画家への原点です。弟たちがせかすので、色など塗っていられない。でも、線描だけのつたない絵でも人を喜ばせることができる、と気がついた」
敗戦。地獄の旅を経て引き上げ船で帰国。高校の頃両親が相次いで入院。家計が長男てつやさんの肩にのしかかります。
いくつものアルバイトの末、漫画家になりました。
敗戦から64年。今年『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。漫画家や作家101人の作品集です。8月には、その原画展が中国の南京虐殺記念館で開かれます。ちばさんも訪れます。
「戦争は残酷なものです。憲法9条を変えようという動きもあります。改憲したら、戦後大切にしてきたものが、ガラガラと崩れてしまうのが怖いのです。戦争の『残酷な現実』をできる限り後世に伝えていきたい」
玄間太郎記者 撮影・佐藤光信記者
ちばてつや
1939年、東京生まれ。56年、単行本作品でプロデビュー。58年『ママのバイオリン』で連載を始め、61年『ちかいの魔球』で週間少年誌デビュー。作品に『ハリスの旋風』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』など多数。講談社児童まんが賞、小学館まんが賞、紫綬褒章など受賞。日本漫画家協会常務理事。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年6月7日号)
アンパンマン作者 やなせたかし さん しんぶん赤旗インタビュー
少しの勇気でヒーローに
今年90歳、画業60年を迎えます。すでに新刊を6冊。旺盛な仕事ぶりです。
「生きている間は、人を喜ばせながら暮らしていこうかと」 が、満身創痍。肝臓がんや膀胱がんを手術、再発、手術。
2年半で10回手術。すい臓は3分の2しかありません。
「具合が悪くとも、仕事をしていると忘れちゃう。不思議だねぇ」
新刊『足みじかおじさんの旅』(新日本出版社)は、おとなのメルヘン。あしながおじさんほど有名ではない。カッコよくも勇ましくもない。でも、人の心の叫びを聞きつけて助けに現れる。
「さほどのことはできない。懐疑的になったりもする。本当に人を助けているのだろうか、と」誰かに似ている?そう、アンパンマンです。
真っ赤な飛行服にこげ茶色のマントをひるがえし、空を飛ぶ。お腹がすいて死にそうな人に、自分の顔をちぎって食べさせる。
「正義の味方だが弱いんだ。ちょっと顔がぬれただけで、『力が出ない』と助けを求める。それでも勇気を出してたたかうから、みんなのヒーロー」絵本『アンパンマン』シリーズは、5500万部出ています。
* *
アンパンマンは、作者の戦争体験から生まれました。1941年、福岡の小倉野戦重砲隊に入隊。中国・福州(福建省)の野戦重砲部隊へ。
「軍隊の訓練は厳しかった。殴る蹴るの制裁もあった。でも、飢えがいちばんつらい」
敗戦を迎えたのは、上海に近い泗渓鎮(しけいちん)。ショックでしたが、内心ほっとしました。
戦後、漫画やテレビのヒーローが続々。スーパーマンや月光仮面、鉄腕アトムや仮面ライダー・・・。みんな強くてカッコいい。でも、何かが違う。正義の味方なら、まず餓死寸前の子どもたちを救うのではないか。ちょっと変わったヒーロー、アンパンマンの誕生でした。
「どんなことがあっても、戦争はすべきではない。戦争とは、正義の戦いという美名のもとに国家が殺人を奨励することだ」
敗戦から64年。自身も作品を寄せた『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。その原画展を八月、中国の南京虐殺記念館で開催します。「私の八月十五日の会」は、作品「百年後の八月十五日」に取り組みます。
「100年後? 最大の環境破壊は、戦争。地球温暖化も大問題。もう国と国が争っている場合じゃないよ。地球が危ない。人類が生き残れるかどうかだ」
玄間太郎記者 撮影・菊地信夫
やなせたかし
1919年東京生まれ、高知県育ち。漫画家、詩人、作詞家。アンパンマンは、日本漫画家協会大賞などを受賞。「アンパンマン」が、1768体で「最もキャラクターの多いアニメシリーズ」として、ギネス世界記録に認定。作詞の代表作は「手のひらを太陽に」。現在、日本漫画家協会理事長。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年7月26日号)
この日曜版2009年7月26日号の一面には、
映画監督の降旗康男さんの、2009年総選挙に向けた、日本共産党への激励コメントが載っておりました。
これまた支持者の浅田次郎作品・高倉健主演の『鉄道員(ぽっぽや)』、「ホタル」、「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウと共同監督)、妻夫木聡主演の「憑神(つきがみ)」など。。
「不況、そしてリストラが横行する時代に、共産党が伸びなければおかしいのです。中途半端ではなく伸びてほしい。奮闘を期待しています。」と、締めくくられております。
まぁ、3年前のハナシです。。。今回も伸びなさそうですが。。。
でも講演やラジオでパーソナリティなどで、社会的に貢献されていたようですにゃ。
そういえば、先日亡くなられた森光子さんも、今年6月に亡くなられた地井武男さんも、何度かしんぶん赤旗に出ておられましたが、
小沢さんも、以前2009年頃のしんぶん赤旗の「だから私は日本共産党」の欄に、あさのあつこさんらと共にお出になっていて、いいことおっしゃってたのでいつか載せようと思っていたのですが、捨ててしまったらしく・・・
代わりにといってはなんですが、他の方のインタビューシリーズでもどうぞ。
漫画家 ちばてつや さん しんぶん赤旗インタビュー
「あしたのジョー」で圧倒的な人気を博した、ちばてつやさん。初めての絵本『ごあいさつ』(講談社)を出しました。
カナダに住む3人の孫に語りかけるように描きました。
今はお話したり、遊んでやることはできないけれど、どこで暮らそうと、みんなにちゃんとあいさつし、仲良くするんだよと。
漫画はこま割り、絵本は見開き。初めての絵本を、大きい絵でのびのびと書きました。
一方ー。「色彩、世界観、メッセージ。子どもにわかりやすい表現というのは難しい。難しいことを分かりやすく。うちの生徒にも、そう言ってるんです」
*
「うち」とは、文星芸術大学(宇都宮市)。ちばさんは、マンガ専攻の教授です。ことし4年になります。
今の若者たちは、初めから絵がうまいといいます。子どものときからマンガやアニメゲームなどの映像を見て育っているからと。
だが、若いマンガかも含め、少し気になることは、主人公たちの目が冷たいことです。世の中を恨んだり、自分の運命をのろったり。恨みがましい目が多い、と。
「若い人は将来に不安があったり、希望がもてなかったり。そういう時代を映しているのだろうとは思います。でも、夢のある作品を描いてほしい」
ちばさんが漫画を通して伝えるのは、夢に向かって生きるひたむきさ、人間賛歌です。
* *
1945年8月、ちばさん一家は「満州」(中国北東部)の奉天。8月、侵入してきたソ連軍におびえながら転々としました。一家が身を潜めたのは狭い屋根裏部屋。父の友人で中国人の徐集川さんの家でした。
外には出られず、退屈な日々。6歳のてつや少年は、3人の弟たちのためにお話を考え紙芝居を作りました。
「漫画家への原点です。弟たちがせかすので、色など塗っていられない。でも、線描だけのつたない絵でも人を喜ばせることができる、と気がついた」
敗戦。地獄の旅を経て引き上げ船で帰国。高校の頃両親が相次いで入院。家計が長男てつやさんの肩にのしかかります。
いくつものアルバイトの末、漫画家になりました。
敗戦から64年。今年『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。漫画家や作家101人の作品集です。8月には、その原画展が中国の南京虐殺記念館で開かれます。ちばさんも訪れます。
「戦争は残酷なものです。憲法9条を変えようという動きもあります。改憲したら、戦後大切にしてきたものが、ガラガラと崩れてしまうのが怖いのです。戦争の『残酷な現実』をできる限り後世に伝えていきたい」
玄間太郎記者 撮影・佐藤光信記者
ちばてつや
1939年、東京生まれ。56年、単行本作品でプロデビュー。58年『ママのバイオリン』で連載を始め、61年『ちかいの魔球』で週間少年誌デビュー。作品に『ハリスの旋風』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』など多数。講談社児童まんが賞、小学館まんが賞、紫綬褒章など受賞。日本漫画家協会常務理事。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年6月7日号)
アンパンマン作者 やなせたかし さん しんぶん赤旗インタビュー
少しの勇気でヒーローに
今年90歳、画業60年を迎えます。すでに新刊を6冊。旺盛な仕事ぶりです。
「生きている間は、人を喜ばせながら暮らしていこうかと」 が、満身創痍。肝臓がんや膀胱がんを手術、再発、手術。
2年半で10回手術。すい臓は3分の2しかありません。
「具合が悪くとも、仕事をしていると忘れちゃう。不思議だねぇ」
新刊『足みじかおじさんの旅』(新日本出版社)は、おとなのメルヘン。あしながおじさんほど有名ではない。カッコよくも勇ましくもない。でも、人の心の叫びを聞きつけて助けに現れる。
「さほどのことはできない。懐疑的になったりもする。本当に人を助けているのだろうか、と」誰かに似ている?そう、アンパンマンです。
真っ赤な飛行服にこげ茶色のマントをひるがえし、空を飛ぶ。お腹がすいて死にそうな人に、自分の顔をちぎって食べさせる。
「正義の味方だが弱いんだ。ちょっと顔がぬれただけで、『力が出ない』と助けを求める。それでも勇気を出してたたかうから、みんなのヒーロー」絵本『アンパンマン』シリーズは、5500万部出ています。
* *
アンパンマンは、作者の戦争体験から生まれました。1941年、福岡の小倉野戦重砲隊に入隊。中国・福州(福建省)の野戦重砲部隊へ。
「軍隊の訓練は厳しかった。殴る蹴るの制裁もあった。でも、飢えがいちばんつらい」
敗戦を迎えたのは、上海に近い泗渓鎮(しけいちん)。ショックでしたが、内心ほっとしました。
戦後、漫画やテレビのヒーローが続々。スーパーマンや月光仮面、鉄腕アトムや仮面ライダー・・・。みんな強くてカッコいい。でも、何かが違う。正義の味方なら、まず餓死寸前の子どもたちを救うのではないか。ちょっと変わったヒーロー、アンパンマンの誕生でした。
「どんなことがあっても、戦争はすべきではない。戦争とは、正義の戦いという美名のもとに国家が殺人を奨励することだ」
敗戦から64年。自身も作品を寄せた『昭和二十年の絵手紙 私の八月十五日』の中国語版が出版されました。その原画展を八月、中国の南京虐殺記念館で開催します。「私の八月十五日の会」は、作品「百年後の八月十五日」に取り組みます。
「100年後? 最大の環境破壊は、戦争。地球温暖化も大問題。もう国と国が争っている場合じゃないよ。地球が危ない。人類が生き残れるかどうかだ」
玄間太郎記者 撮影・菊地信夫
やなせたかし
1919年東京生まれ、高知県育ち。漫画家、詩人、作詞家。アンパンマンは、日本漫画家協会大賞などを受賞。「アンパンマン」が、1768体で「最もキャラクターの多いアニメシリーズ」として、ギネス世界記録に認定。作詞の代表作は「手のひらを太陽に」。現在、日本漫画家協会理事長。
(しんぶん赤旗 日曜版 2009年7月26日号)
この日曜版2009年7月26日号の一面には、
映画監督の降旗康男さんの、2009年総選挙に向けた、日本共産党への激励コメントが載っておりました。
これまた支持者の浅田次郎作品・高倉健主演の『鉄道員(ぽっぽや)』、「ホタル」、「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウと共同監督)、妻夫木聡主演の「憑神(つきがみ)」など。。
「不況、そしてリストラが横行する時代に、共産党が伸びなければおかしいのです。中途半端ではなく伸びてほしい。奮闘を期待しています。」と、締めくくられております。
まぁ、3年前のハナシです。。。今回も伸びなさそうですが。。。