思えば
コロナ禍ゆえの残酷な5ヶ月でした。。
9月6日
救急搬送された病院で2か月弱
始まりは
家で転けて?
肋が肺に刺さっていた?のか
キキョウになっていますとの事だった。
すぐチューブを挿入します。
深夜の即入院です。。
それから
一週間後
主治医より病状を聞きがてらの
処置についての確認をされる
兄、
胃ろうはしません
延命治療もいりません
そんな深刻な症状なの?
その時
少しだけ病室を覗かせて頂く。(面会1回目
その後
ひと月程過ぎ
ここは急性期病院なので
これ以上治療をする事が無いので
看取りの出来る病院へ、と
転院を促される。。
10月24日
看取り病院へ
転院する時の付き添い(面会2回目
看取り病院にてひと月が過ぎ
11月24日
転院先の病院の主治医より
症状及び今後の説明
特別面会 (面会3回目
三兄妹で僅か5分ずつ
この日の帰り
二人の兄と私で
今日の日の事を話し合った。。
もしもの時 の
段取りと言うやつです。
その後は
リモート面会が二回
よく頑張っていた母です。
今年に入り
兄に電話が入り
コロナに感染されました、、
との知らせに困惑するも
お任せするしかない弱い立場、、
寝たきりで動けないのに
どこから感染するの??
心の中の叫びです。。
ほんとに弱い立場。
一週間程し
熱は平熱になられました、
との知らせ。
そして
二週間余り
病院から兄へ電話が掛かってきたのが
26日の夜の9時半頃
脈拍が30位と意識が無いようです。。
明日、特別面会の日を決めたはずなのに、、、
三兄妹が
駆けつけた時は
息をひきとった後だった。。
死亡時刻 午後10時16分
死因 老衰
そんな馬鹿なーーーー
死因コロナと書かれないだけ
普通のお葬式が出来るだけ
有り難く思いましょう。。
そう納得させましょう。。
粗末に扱われた?
病院からの処理だったので
葬儀会館での湯灌の儀に
私達夫婦と長兄で立ち会い
丁寧に全身を洗ってもらい
シャンプーをしてもらっている時は
気持ち良さそうで
微笑んでいるかのように見えた。
兄は泣き
その場を中座する位だった。
顔剃りをして頂いている時に
眉剃りも優しい眉毛にしてほしいとお願いし、
死化粧もお手伝い出来た。
手にもハンドクリームもすり込んだ。
この5ヶ月余りの寂しい思いをさせた
罪滅ぼしのつもりだった。
湯灌師方々様
綺麗にして頂き
本当にありがとうございました。
焼き場の混み具合で
一日延期となった葬儀だったが
母方の親族と
家族で30名余りの家族葬とした。
母は
40歳からブライダル業のキャリアウーマンに😀
64歳で未亡人となり
その頃
コンビニ業を始めた
仕事一本の私の主婦業を
助けてくれた。
そして
フラダンスやカラオケ教室
パッチワークやきよしのファンクラブと
父の居ない寂しさを紛らわせるように
毎日が元気で活動的だった。
家族写真を飾り
大ファンだったきよし君(笑)
お別れは写真ときよし君ポスター
実家は神式なので質素です
こうして
書いていると母との思い出が
思い出される。。
看病をしてやる事が出来ず
不完全燃焼のままの
見送りとなりましたが
母は
許してくれているかなぁーーー
とても良いお葬式でした。
最後までご覧下さり
ありがとうございました。
2023-1-30