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穏やかな心と愛、執着心とは。
心惹かれたので
「今日の考え」参照させて頂きました。
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穏やかな平和な心に愛の種をうえると、
すくすくと成長します。
愛はまるで花のようです。
花自身が成長する力を持っていますが、
種をどこに蒔くかによって、
成長は大きく違ってきます。
栄養が全くなければ、育ちにくく、
良い畑であればすくすくと育ちます。
良い畑とは
愛を消すネガティブな悪徳はありません。
では、栄養は何でしょうか。
それは徳性です。
徳性には、勇気、謙遜性....など、
いろいろありますが、
愛をまき、そだてる畑に最もふさわしい徳性は、
平和です。
執着は、愛の証明ではありません。
愛と間違えやすいのが、執着です。
愛を受け取ると心が温かくなりますが、
執着を受入れ引き受けてしまうと、
ネガティブな思いに火が付けられ焼かれてしまいます。
それは、当初は、エゴやごう慢さで始まります。
その結果も、悲惨です。
けれども、最初は満たされた感じになる事も確かですから、
間違えてしまいます。
愛は与えるものですから、
執着と愛との混同は与える側にもあります。
混ざり合っている事もありますし、変質する事もあります。
ですから注意はいつでも必要です。
といって、神経質になるのは、愛と一致しません。
簡単にしましょう。
自分自身の心の鏡に汚れがないか、
時々、注意をすればいいだけです。
簡単な事ですが、
結果はまったく違ったものになります。