
前にあるのは、銀(しろがね)の提(ひさげ)の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。五位はさつき、あの軒まで積上げた山の芋を、何十人かの若い男が、薄刃を器用に動かしながら、片端から削るやうに、勢よく切るのを見た。それからそれを、あの下司女たちが、右往左往に馳せちがつて、一つのこらず、五斛納釜へすくつては入れ、すくつては入れするのを見た。最後に、その山の芋が、一つも長筵の上に見えなくなつた時に、芋のにほひと、甘葛(あまづら)のにほひとを含んだ、幾道(いくだう)かの湯気の柱が、蓬々然(ほうほうぜん)として、釜の中から、晴れた朝の空へ、舞上つて行くのを見た。これを、目(ま)のあたりに見た彼が、今、提に入れた芋粥に対した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない次第であらう。――五位は、提を前にして、間の悪さうに、額の汗を拭いた。
芥川龍之介「芋粥」より
読んだ事はないのですが「今昔物語」によると芋粥とは山芋をスライスして甘葛(昔の甘味料)で甘く煮込んだものだったそうです。画像のものは、普通の「お粥」に薩摩芋を入れて強引に「芋粥」にしたものです。ですから本来の「芋粥」とは全く別物ですが、これはこれで、けっこう美味しいのです。

といっても、スーパーで買ってきたパック入りの薩摩芋を持ち込んで、粥の上に載せるだけですけど・・・。


さて、芥川龍之介の「芋粥」ですが、壮大な虐めのお話です。虐めも此処まで来ると立派という他ありません。人は叶わぬ夢があるからこそ生きてゆけるとするなら、「芋粥」を飽きるほど食べたいとした五位もこの後、燃えカスの様な人生を送ったに違いありません。お気の毒でした。