オカ姉のためいき日記

人生色々、ためいき色々。今日はどんなためいきつくのやら・・・?

ヤ~な夢

2012-03-28 21:31:17 | その他
夢見が悪いです。

3日間続けていや~な夢をみて、目覚めは最悪でしたね~
《あ~夢でよかったぁぁ!!》と思えるまでの、ほんの一瞬ではあるが
夢と認識できないという状態が、これまた不快でもあります。

その夢とは・・・・
一日目・・・・津波にのみこまれながらも必死に建物の柱にしがみついて
助かる。一緒にいたY君は? もうダメかも?!と絶叫して名前を
呼んでいるところへY君がトコトコ歩いてきた・・・で目が覚めた。

2日目・・・人を見殺しにして、何食わぬ顔をしながらもオドオドして
過ごす自分。とうとう刑事達がきて捕まる・・・で目が覚めた。
《あ~私の人生、終わりだ》と夢の中で頭が真っ白になる感覚もはっきり
してて、ホント、マジ凹んだ最悪の朝でした(笑)

3日目・・・超古い共同住宅へ引っ越した我が家族。トイレが共同で・・・
頻繁にトイレに行くY君。そのトイレは一回の使用料が「150円」
《どーすんのよぉ!トイレばっかり行くY君がいるのにぃぃ》と私が
わめいてるところで・・・・目が覚めた。
なんで「150円」なんて金額なのか?なんて思う自分に笑っちゃうけど(笑)

ほ~んと、続けて3日間、朝から疲れた~
もう勘弁してほしいとビクビクしながら布団に入ってる訳ですが
ここ2日間は平穏な朝を迎えてます。

この3つの夢に関しては、あまり良いとはいえないような状態を
暗示してる内容みたいですけど・・・・

ま、疲れてたんでしょうね?自分。
どうせなら・・・・
大金がドバッと入るとか、隆也さんと逢えるとか、超美人になるとか
そんな夢がみたいもんですわ


グッとくるね!

2012-03-22 09:12:51 | ニュース
映像からも紙面からも胸が痛くなるような出来事が多い中・・
久しぶりにその胸がふるえるような感動!!!!

選抜高校野球が開幕した。

選手宣誓は石巻工高の主将、阿部翔人君。

素晴らしい宣誓でしたね~

そもそも選手宣誓を抽選で引き当てたことがドラマチックです。
彼は 「自分の使命なのかなと思った」と・・・・

一語一句に重みがあり力強くもあり、この大会に向けただけではない
ひろく大きなメッセージともいえる宣誓内容だったと感じました。

その使命を全うする決意を表すような 「見せましょう!!」には
凛とした響きを感じ、「今、野球ができることに感謝し・・・」は
「今、生きていることに感謝し・・」という想いもこめられているのでしょう。

本当に感動しました。
力いっぱいプレーして、良い思い出をつくってほしいです。

そして少し前になりますが「光市母子殺害事件」の遺族の本村洋さん。

先月の会見で再婚されたと知った時、涙が出てしまった。
まるで我がことのように心から《良かった!!》と思えたのです。

この方の言葉にも感じ入ることが多かった。
これからの人生が幸せであることを願うばかりです。




再始動!

2012-03-10 19:56:30 | 暮らし
前にもかいたけど、1月はサッと行き、2月もとっとと逃げ
3月はアッという間に去っていく・・・んだろうな。

で、もう3月も10日です。
母の葬儀から2週間たちました。

「通夜の席 涙と笑いの繰り返し」という感じですね。
ひ孫達の無邪気さで、しめっぽくならない雰囲気となったことは
陽気な母も喜んでくれてたと勝手に思っています。

認知症が発症してから10年以上になるので、私にとって母との別れは
不謹慎ではあるけれど《あ~終わったんだな~》というものでもあります。
でも独身である姉にとっての母への想いは、私には計り知れないものだと
いうことも改めて感じました。

この2週間、ごくごく普通の生活の日々なんですが・・・・
なんかボ~ッとしてました。

いつものようにmicha親子は毎日来てるし、おでかけしたり笑ったりと
いつも通りの忙しい毎日。

でも時々自分の中で何かをし忘れてるんじゃないかと、一瞬あせる。
そしてまた次の一瞬で《あ~おばあちゃん・・母はもういないんだっけ》
と、我にかえるような・・・・。
そんな時、頭や心の中で占めていた「母に関わること」のスペースって
結構大きかったんだ!と気付かされます。

まぁ大部分は「心配」であったけれど・・・・
そのスペースがスコ~ンと空いてしまった状態にまだ慣れてないみたい。

これからは「母の思い出」のスペースとすることにしましょうかね。

人生には良きにつけ悪しきにつけ「忘れられないシーン」があるものです。
母が「子孝行」してくれたと思える最期のシーンは、私にとって
絶対的に「良いシーン」になりました。

明日は東日本大震災から1年ですね。
多くの方達の別れはあまりにも辛過ぎる、悲しすぎるものでした。

だから穏やかな別れができた私達は幸せと思えるのでした。

さぁ私も母の歳まで頑張って生きてやるぞ~~~・・・ナントカ・・・
ボ~ッとしてられません!またよろしく!!!