「にらですよ、みなさま、おみまいありがとうございました!」
皆様ご心配をおかけしました。
らーすけ、元気になりました。
「こんなふうに、よこになれます!」
そう、うずくまってばかりいたので、こうやってごろんと転がった時にはとても嬉しかったです。
いつもの寝姿が、本当にリラックスしているあかしなんだなぁ。
昨日再び病院へ行き、血液検査もしてもらいました。
気がかりだった肝機能の数値も正常の範囲内でした。
ヘルニア(?)の根本的な治療をしたわけではないので、痛みがいつまた出てくるかわからないし、今後は腰の負担となる動きをさせないように要注意の日々と成りますが、とりあえずは、一安心です。
「ずんちゃんは、おおげさにさわぎすぎなんです」
だってだって、びっくりしたんだもん。
本当に死んじゃうかと思ったんだもん。
実は、リアルにら家にも、びっくりする出来事がありました。
私の実父が急逝いたしました。
夜、急ににらが具合が悪くなった翌日のことです。
朝一でにらを病院に連れて行った日、父が旅立ちました。
「じーちゃん、くたびれちゃったんですよ」
そうかもしれないねぇ。
病気がわかってからは、忙しかったからねぇ。
79歳と10ヶ月の決して短いとはいえない生涯、最期は潔いものでした。
私は一緒に救急車に乗り込んでいましたが、受け入れ先が見つからず時間がかかっている間に容態が急変し、救急車の中で心臓停止。
救急隊員が駆けつけた時には「面倒をかけます」なんて言ってたのに!
なすすべもなく、ただただ父の足をさすりながら、私は混乱したアタマの中で、
『お父さん、にらを連れていくのはやめてください!』って、真剣に祈ってしまいましたよ。
『お父さん、死なないで!』じゃないのが、私の薄情なところです。
にらは長い間、毎日のように一緒に過していても父には全然なつこうとせず、父がにらをかまうこともないので、フタリの間は疎遠でした。
それが、今年に入って、病気で父が弱り始めてから、にらが一方的に、父に寄り添うようになりました。
かまってもくれない、おやつもくれない父の座ってる椅子の横に寝そべっていたり、ベッドの枕元にお座りしていたり。
入浴中は脱衣所でじっとフセして待っていたり・・・
私や相方が風呂に入っていたって、リビングのソファでぐ~ぐ~寝てるにらが、です。
にらなりに・・・弱ってる父を心配しているのかなぁと思っていました。
だから、一緒に体調を崩したことも、偶然ではなく、もしかして付いて行っちゃうんじゃないかと、今から思えば嘘っぽいけど、その時はまじめに思ってしまったのです。
家に帰って留守番していたにらのきょとんとした顔を見るまでは、気が気じゃありませんでした。
痛み止めが効いて、少しだけ元気になってた様子にほっとしました。
父の死因は食道がんとなりましたが、がんが思っていたよりも深く進行していて、大動脈に癒着、そこから穴があいて、一気に血液が食道に流れ込み血圧が急低下し、意識を失ったとのことです。
だから、あまり苦しみもせず、逝ったみたい。
がん患者とは思えないくらい、健康そうな穏やかな顔をしていました。
これから先全身に転移し、末期がんになって、苦しむ姿を見るのは辛いだろうなと想像していただけに、ほっとしたのもやはり事実。
この夏、家族だけでの介護の限界を感じてヘルパーさんを頼む事になり、少しラクさせてもらおう~っと思っていた矢先に、少しどころか、完全に解放されてしまいました。
「ボクはおともしませんでした・・・」
あたりまえです!
ホイホイ付いてっちゃ、だめに決まってます!
もっともおじいちゃんはにらのヘルニアを、冥土の土産に持っていってくれたのかもしれないね!
亡くなってから葬儀まで都合で間が開いてしまったのですが、この猛暑です。
遠くの親戚や高齢の父の友人の参列を断り、ごくごく内輪の、身内だけでひっそりと執り行いました。
やっとひと段落です。
これからは後片づけに奔走する日々。
父の身の回り品を片付けるだけでなく、今まで父の家に置きっぱなしだった私の荷物を引き取らねばならず、アタマの痛い作業が待ってます。
もうひとがんばりです。
「じいちゃん、さようなら!」
これからはお父さんがにらを守ってやってね!