夕陽亭にら屋

愛犬と安穏な生活

合縁奇縁

2011-02-10 16:12:50 | ずんのひとりごと
「にらですよ、線路脇にたたずむオトコです」
昨日は、午前中雪がモクモク降ってたので、出勤しなかったずんです。
欠勤ではなく、自宅待機ということで、一日中にらとふたり、のんびり巣篭もりしてました。
積もるほどではなく、午後にはおひさまも顔を出して、お天気回復しましたが、
朝、雪を見たら気力をなくしましてね。
重役(にら)が風邪を引いたら大変だし!
明日は更に、大雪の予報が出ていますが、どうなることやら・・・
こんな予報は外れてもらえると、ありがたいですね。
「とまれでは、ちゃんととまります」
とまれの字を読んで止まればたいしたものだ。
『きょうのわんこ』に出られるかも!
今朝の『きょうのわんこ』に登場のトイプーちゃんは、ペットボトルのキャップリングをはずすわんこでしたが、実はにらも、同じ事をするのです。
いつかこのネタで『きょうのわんこ』に出してもらおうと思ってたのに先を越されてしまいました。
新たな芸を身につけねば・・・
「山手線といっしょに、走りますか?」
電車と走るわんこは、ありきたりだよ、よく出てくるよ。
もっと変わったことしてもらわないと。
「ぞうさんみたいに、絵でもかきましょうか?」
描けるものなら、描いてみたまえ!
前回のお話の流れで。。。
もうかれこれうん十年前の春、12歳のいたいけな少女ずんは、中学校に入学しました。
「ふん、ボクなんて、7歳で、痛くない毛ですからね!(えっへん)」
痛くない毛って。。。ハイハイ、毛むくじゃらさんはひっこんでてください。
入学式を終えて、各クラスに分かれ、初めてのホームルームの時のことです。
教室の後方には、大勢の保護者が立ってました。
その中で。。。『あら、鈴木さん・・・!?』『まぁ、水野さん!!』
互いの旧姓で呼び合っていたのは、ずんの母とSちゃんのお母さんでした。
母(鈴木さん)は、第二次大戦中に親類を頼って新潟に疎開し、戦後も残って新潟の女学校を卒業しました。
Sちゃんのお母さんの水野さんは、その新潟の学校の同級生だったのです。
卒業後に東京に戻って下町お母ちゃんになったずん母と、東京に嫁いで西麻布マダムになっていた水野さんとは、同窓会で顔をあわせたことはあるものの特に親しくはしていなかったようでした。(環境が違いすぎるもんね)
当然、同い年の娘がいると知らなかったし、まさか同じ学校に入学したとは夢知らず、同じクラスに配属されて初めて、偶然の出会いに驚いたのでした。
聞けば女学校のお絵かきクラブで一緒だったとか・・・!
その後、私とSちゃんは友達になり、同じクラブに入部して共に6年間全うし、途中でクラスは分かれても、ずっと仲良く過しました。
当の母親同士は、その後も特別な交流はなかったから、お母さん同士って、どんな偶然よりも、やはり性格的に合うかどうかなんでしょうね。
娘達は卒業後も変わらず親しくしています。
ま、現在はそれぞれ勝手なところで生きていて、滅多に顔を合わせませんが、良いお友達です。
「ボクはあったこと、ありませんよ」
そうね、らーちゃんが来る前には、よく家にも来てたんだけど。。。今度遊びに来てもらおうね。
去年のことです。
実家の整理をしていたときに、母の古いアルバムを見ていたら、数葉の、女学校時代の写真の中に、絵画クラブの写真がありました。
7~8人の女学生の中に、若き日の母と共に、水野さんが写っていました。(几帳面な母は、余白に全員の名前を記していました)
『Sちゃんのお母さんだ!。。。本当だったんだ。。。』
なんとも不思議な感じでした。
信じてなかった訳じゃないけど、ああ、本当だったんだなぁって思いましたよ。
女学生の水野さんはSちゃんとよく似ていました!
母達はもう、共に鬼籍に入ってしまいましたが、どこかの空の上で、のんびりお絵かきなんかしてるといいなぁ。
「じゃ、ボクもおえかきしようっと!」
だ・か・ら、描けるもんなら、描いてもらおうじゃないの!


最新の画像もっと見る