【武蔵三氷川】
氷川神社・中氷川神社・奥氷川神社の三社を武蔵三氷川と言う。
スサノオⅢ.で上げた氷川神社に加筆する感じで、奥氷川神社と中氷川神社を少しだけUPしています。
『本宮』
氷川神社の総社、埼玉県さいたま市の氷川神社。
『奥宮』
約50キロ以上離れた、東京都奥多摩町氷川にある奥氷川神社。
『中宮』
二社の中間地点にある埼玉県所沢市の中氷川神社。
三社はほぼ直線に並び「神の通り道」と称される。
【奥氷川神社】奥多摩町氷川185
多摩川上流100㌔御岳山・雲取山の山間、奥多摩駅の近くに鎮座する。
ご祭神 須佐之男命・櫛名田姫
創建 ヤマトタケル
鎌倉時代の植樹ご神木「三本杉」
【中氷川神社】埼玉県所沢市三ケ島5丁目1691−1
創建 約二千年ほど前
ご祭神 素戔嗚命
後にヤマトタケルが少彦名命・大己貴を共に祭った。
中氷川神社は二カ所あるが、古書に拠ればこちらが武蔵三氷川の中宮である中氷川神社らしい。
かつては中宮(長宮)等と呼ばれていたという。
しかし他の氷川神社と違い、こちらでは「須佐之男命」でなく「素戔嗚命」として祭っている。
たいして意味はないのかもしれないが、、🤔
しかも京都の八坂神社を勧請し、中氷川神社本殿と八坂神社のダブルで
素戔嗚命さまを祭っている。
境内に鎮座する八坂神社
アラハバキも祭っているのも興味深い。😳
【中氷川神社】埼玉県所沢市山口1849
もうひとつの中氷川神社から車で10分ほど。
こちらの中氷川神社は、奥宮・本宮と同様に須佐之男命さまと櫛名田姫さまを祭っている。
創建 ヤマトタケル
そしてこちらは、なんと😳
香川県の金刀比羅宮も祭っています。
仏教の神さまの神社ですが、
金刀比羅宮=インド象頭山のクンピーラ(金毘羅)さま=大国主命です。
それぞれ違いがあって、
二社ともに創建に関わっていたヤマトタケルの意図は分からないが
それぞれに祭る役割があったのだろうか…
下社・上社と分かれている訳でもなく、ひょっとすると中氷川神社も
二社とも同じ神社で差し渡し4キロの大きな宮だったのかもしれません。
😌⛩️☝️
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中氷川神社のある
所沢から足を延ばして寄ってみた【聖天宮】
埼玉県坂戸市にある中国の
道教の神様が祭られている台湾の神社
五千頭の龍が有名🐉圧巻です😮またいずれ✨
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奥氷川神社は多摩川と日原川、二つの川の合流地点を見下ろすように鎮座されていた。
氷川神社の氷川は、出雲の斐川(斐伊川)が由縁との伝承があるが、関東の氷川神社は多摩川流域や荒川流域など川沿いに祀られていることが多い。
川は蛇行して流れることから蛇に例えられ、支流・合流が多い川は氾濫が多く出雲の斐川は氾濫を繰り返した暴れ川で、西から東へ流れが変わるほど河川自体が大きく蛇行した。
斐川の上流の奥出雲はスサノオの降臨地で八川という地名があって、そのとおり支流が幾つか分かれている。
スサノオが退治した八岐大蛇とはこの川になぞられての事ではないかという説があり、八川は昔から製鉄が盛んでタタラ場があった事などからも、退治した後に「雨の村雲剣」を発見したという神話のストーリーとも重なる。
この説に依ればスサノオが八岐大蛇を退治したことは、八川を圧え斐川の荒れる流域を治める治水の神である側面も伺える。
氷川とは澄みやかな水という意味があるらしく、斐川から氷川になったのも荒れずに澄み渡る川であってとの願いがあったのかもしれない🤔
確かに川が大きく蛇行するあたりには氷川神社が多く祀られていたりする。
もう少し丁寧にスサノオ様への信仰の足跡を回ってみたくなった。
今週末は揖斐川・長良川と木曽川の流域沿いにある愛知県「津島神社」へ行ってきます。岐阜の八剣神社も、、😌⛩️
いつになったら出雲にたどり着くのだろうか・・・(*_*;
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