KKDブログ

Welcome to "KKD BLOG"!!

荒唐無稽な平野発言

2010-03-06 18:06:24 | 特例ご引見問題
先週鳩山内閣が、天皇の公的行為に関する政府見解を公表したことは以前述べた。その際の平野官房長官の記者会見での発言は信じがたいものであったので、それについて論じたい。


先月26日の朝日新聞によれば、平野長官は「(政治利用は)できない。象徴天皇という憲法の概念から言って、ない」「(政治利用が)存在することは、僕はあり得ないと思う」という論理を展開した。これを端的に言えば、「天皇の行為であれば、全て政治利用ではない」ということになる。


しかし本来は、憲法に反する政治利用があり得る(現にいわゆる特例会見問題はその疑いが強い)からこそ、内閣はそうならぬ様に配慮する責任があるのではないか。平野発言は、その責任を放棄したものとも捉えられる。現に政府見解にも、「内閣は、天皇の公的行為が(国政に関する権能を有しないという)憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている」と明記されてある。平野発言は、これと自己矛盾しているとしか思えない。


民主党はかつて、小泉首相の「自衛隊の活動している所は非戦闘地域」という発言を厳しく批判したことがある。しかし今回の平野発言は、民主党が小泉氏と同様かそれ以上に、荒唐無稽な論理を展開する政党であるということを如実に示したものといえよう。 なお昨年鳩山内閣は、「政務三役が認めたものならば、天下りではない」という旨の答弁を閣議決定している。これも同様の趣旨である。

「政治主導」は「政治家無謬論」ではない。天皇の行為であれ、自衛隊であれ、天下りであれ、不適切な事態になった際には、しかるべき責任を堂々と取るのが、真の「政治主導」というのを忘れてはならない。


マスコミも野党も、その点を厳しく追及し、建設的な議論を行うべきではないか。

公的行為に関する政府見解

2010-02-27 01:38:30 | 特例ご引見問題
鳩山内閣は、天皇の公的行為について政府見解をまとめた。これは、先月21日の衆院予算委員会[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817420100121002.htm]における自民党の谷垣総裁の求めに応じたものだ。

見解を要約すれば、以下の通り。[全文はhttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100225/plc1002251611013-n1.htm]

1、公的行為は象徴としての地位として認められる。
2、国事行為でないため、内閣の助言と承認は不要。内閣は、「国政に関する権能を有しない」という「憲法の趣旨に沿って行われるよう」配慮する責任あり。
3、公的行為は様々であり、各行為に応じた「適切な対応」が必要で、「統一的なルールを設けることは、現実的でない」。
4、各行事等の趣旨・内容、陛下のご臨席の意義、国民の期待等の事情を勘案し判断すべき
5、2について「今後も適切に対応」


正直、がっかりした。1か月以上もかけた割には、過去の政府の答弁と殆ど変わりないものであったからだ。

内容についても疑問がある。確かに、普通の政権ならこの内容でいいかもしれない。しかし、鳩山内閣・民主党政権はそうはいかない。この政権は、天皇陛下を巡ってあの様な騒動を引き起こし、首相自ら政治利用を示唆するような発言を行ったり、幹事長や一部閣僚が憲法解釈を恣意的に行いながら、反省の態度を一切見せない極めて厚顔無恥な政権である。そのような政権が「適切に対応」と嘯いても、信じられるわけがない。

ここで、いわゆる特例会見問題(正確には、特例"ご引見"問題)の何が問題なのか振り返りたい。メディアでは「政治利用」という言葉だけが踊ってしまっているきらいがあるので、今回は基本に立ち返り検討する。このブログでは様々な問題点を挙げたが、ここでは憲法上の問題点を指摘したい。

今回の政府見解にもある通り、憲法第4条には「天皇は…国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と明記されている。これは即ち、国の仕事を「国事」と「国政」に明確に区分し、天皇は「国政」の分野に関われず、同時に政府も「国政」のために天皇を利用してはならないということだ。よって、外国賓客との面会等の公的行為についても、憲法の趣旨に基づいて政治的性格が含まれてはならないというのが従来の政府の方針であり、鳩山内閣もそれを踏襲したわけだ。また公的行為は、象徴たる地位に基づくものとされている(今回の政府見解も踏襲)が、この「象徴」とは、憲法第1条によれば「国民の総意に基く」。この象徴たる性格に反してはならないというのも、従来の政府の立場である(今回の政府見解では明確ではないが、先月21日の国会答弁では平野長官が踏襲を表明)。

なお、天皇の政治利用の禁止は、左右を超えた常識である。保守派的に見れば、日本と歴史的に一体的であり、公平無私に祭祀を行うという天皇の性格に反することがあってはならないということだ。リベラル派から見れば、過去の様に天皇を政治利用して、戦争が遂行されたり、思想が統制されてはならないという意味がある。これはどちらも正しい。

では、特例会見は憲法の趣旨に合致するのか。正確を期すために、首相や閣僚の公式な発言に基づいて論を進めたい。本件は「今日まで、各国に平等に適用されてきた、いわゆる一カ月ルール」について「中国副主席に対しての特例を認めた」(平野長官答弁より)ものである。確かにこのルールは法律ではないし、鳩山首相や小沢幹事長が主張するように、必ずしも杓子定規に適用する必要はなく、金科玉条ではないというのは事実かもしれない。しかし、その「特例」を認めた理由は、鳩山内閣が、「関係をより好転させるため」「世界で一番人口の多い国」(以上鳩山首相)と中国を重視することや、習近平国家副主席を「本当に大事な方」「将来のリーダー」(以上鳩山首相)「次の国家主席」「皇太子」(以上亀井内閣府特命担当大臣)と認識していることである。これらはもはや皇室の「親善」の役割を超えた「外交」に関わるものではないだろうか。そうだとすれば、これは公的行為に政治的性格を持たせた疑いが強い。それは即ち、「国政」に陛下を関わらせたということだ。また、朝日新聞の世論調査によれば今回のご引見を「妥当ではない」とした割合は51%である[http://www.asahi.com/politics/update/1220/TKY200912200296.html]。これは、国民の総意に基づく象徴という地位に反するものである可能性もある。

以上の様に、鳩山内閣による特例会見は、憲法上極めて問題のある判断であったと言わざるを得ない。ご引見は「外交上の諸問題を話し合うため…ではなく、純粋に国際親善のために行われた」(平野長官)から、問題はないという説明だけでは到底納得できない。しかも、今後もこの様なことが繰り返される心配があるにもかかわらず、あのような短い政府見解を出されるだけというのは、全く説明責任が果たされていないと言わざるを得ない。

また、今回の政府見解の憲法解釈は、民主党の小沢幹事長のそれと全く異なる。小沢氏の主張が従来の政府見解と食い違っているのは以前から指摘して来た通りだが、今回鳩山内閣は改めて踏襲を明言したのだ。しかしながら、今のところ小沢氏は自らの発言を一切訂正していないし、鳩山首相もそれを求めていない。いわば、憲法解釈について、政府と与党が食い違っている状態が続いているのだ。

民主党は平成17年のマニフェストにおいて以下の様に書いていた。

日本では今、時々の政府の都合によって憲法が恣意的に解釈され運用されるという、いわば「憲法の空洞化」がすすんでいます。このままでは、憲法に対する国民の信頼感はますます損なわれてしまいます。民主党はこの状況を克服し、国家権力の恣意的解釈を許さず、立憲主義を基本に据えた、より確かな憲法の姿を追求していきます


この言葉はどこへいったのか。また、社民党の「護憲」はどこへ消えたのか。極めて無責任としかいいようがない。

このような憲法や皇室を尊重しない政権は、即刻退陣すべきではないか。それが嫌なら、明確な説明を行うしかない。メディアも野党ももっと厳しく追及すべきだ。

小沢一郎、敗れたり

2010-01-24 21:01:46 | 特例ご引見問題
21日の衆院予算委において、平野官房長官が先月のご引見を「公的行為」と明言するとともに、天皇の公的行為に関する従来の政府見解の踏襲を表明した事は、前回述べた。その内容をまとめれば以下の様になる。

1陛下による習氏のご引見は、象徴としての地位に基づく公的行為
2内閣の助言と承認は必要ないが、責任は内閣が負う
3責任は、第一次的には宮内庁、最終的には内閣が負う
4天皇は国政の権能を有しない以上、政治的性格を有したり、象徴としての性格に反する事のない様、内閣の配慮が必要

どれも過去の法制局長官等の答弁と同様の内容であり、鳩山内閣がそれらを踏襲することを、国会・国民に対して公式に表明したことになる。

前回も述べた様に、これらは民主党の小沢幹事長の見解とは異なる。いわば、鳩山内閣が「小沢一郎、敗れたり」と断じたといっても過言ではない。以下、具体的に説明する。

第一に、小沢氏は当初の記者会見で、ご引見を「国事行為」とした。その後の会見では、国事行為そのものではないと釈明しつつ、当方に対する説明では「国事行為に準ずるものとして内閣の助言と承認の対象になるべき」「公的行為として内閣の統制の外側に置くことは…妥当とは思われません」としていた。これらは、上記1、2に反する。しかも、内閣の助言と承認さえあれば何をやっても良いとも捉えられる同氏の説明は、4を全く考慮していない。

第二に小沢氏は、宮内庁の羽毛田長官が遺憾の意を表したことに対して、政府の一部局が内閣の決定に口出しすべきでないと痛烈に批判していた。しかしながら、上記4を見る限り、宮内庁を単なる「一部局」と吐き捨てるのは全くの筋違いである事が分かる。むしろ、公的行為に関する役割は、まずは宮内庁が担うというのが政府見解である。しかも今回のご引見は、内閣の意思による「特例」という事は、今回平野氏自身が認めた。故に、羽毛田氏の「不本意だが、内閣の意思だから認めた」「二度とあってほしくない」という旨の言葉は、決して政府見解に反するものではないと思われる。にもかかわらず、強い言葉で公然と羽毛田氏に辞任を求めた小沢氏の責任は、極めて重い。

以上の様に、鳩山内閣も「政治主導」で(?)踏襲した政府見解を鑑みれば、小沢氏の一連の発言は極めて不適切である。また、鳩山首相も当初の小沢氏の発言に肯定的な見方を示していた。にもかかわらず、小沢氏からは謝罪や釈明の言葉は一切なく、鳩山首相もそれを求めていない。このような政府・与党の姿勢は、無責任極まりない。小沢氏は、資金問題は別として、本問題だけでも十分辞任に値すると感じる。

マスコミでは、「谷垣氏の追及は甘い」という批判が多い。確かにそうかもしれないが、少なくともこの憲法解釈問題をほったらかしにしてきた阿呆なマスコミの連中には、その様な批判をする資格はない。

少なくとも本問題について言えば、鳩山内閣が従来の解釈を踏襲する事を引き出し、また公的行為に関する統一見解を出すと約束させただけでも及第点ではないか。

公的行為の政府見解を踏襲!

2010-01-22 00:38:46 | 特例ご引見問題
特例ご引見問題について、21日の衆院予算委での自民党の谷垣総裁の質問の際、議論になった。

この中での平野官房長官の答弁には、非常に驚いた。平野氏は、ご引見が象徴としての地位に基づく公的行為と明言。さらに公的行為について、国事行為ではないから内閣の助言と承認は必要ないとか、天皇は国政に関する権能を有しないために政治的性格を帯びさせてはならない、といった過去の政府答弁を踏襲した。

これらは、民主党の小沢幹事長の見解とは異なる。小沢氏の見解は、記者会見や当方の質問への回答によれば、この様なご引見は国事行為に準じて内閣の助言と承認が必要というものである。

これは即ち、政府と与党第一党が異なる憲法解釈をしているということだ。小沢氏が公の場であのような発言をした以上、鳩山内閣が解釈を変更したと捉えた人も少なくないだろう。全く説明責任が果たされていない。野党側は今後、この点について追及すべきだ。また、今回あまり触れられなかった政治利用の有無についても、厳しい追及が必要である。

なお、今国会から内閣法制局長官の答弁は禁じられているが、本件に関する平野氏の答弁はあたふたしてる様に思えたし、「後日答弁する」という様な土素人丸出しの答弁もあった。また、やや揚げ足となるが、平野氏は国事行為について、憲法7条のみに規定されている旨述べていたと記憶するが、これは誤りだ。実際は、4条2項及び6条の内容も国事行為である。

確かに、法制局が全ての憲法解釈を担うというのは見直すべきだが、だからと言って法制局の答弁を全て禁じるというのはあまりに極端ではないか。谷垣氏も指摘したように、これではスムーズな国会審議ができない。この様な憲法に無理解な官房長官に答弁させ続けるというのは、憲法と国会を軽視しているとしか言い様がない。


亀井大臣の発言について

2009-12-28 01:43:30 | 特例ご引見問題
サンデープロジェクトでの亀井金融担当相の発言は信じがたいものです。金融庁及び国民新党に対して、以下の旨お送りしました。

亀井金融担当大臣の、27日のテレビ朝日「サンデー・プロジェクト」における以下の2つの発言は極めて問題であると思います。

1.「私は恐れ多くも陛下に申し上げた。『権力の象徴だった江戸城にお住まいになられるのでなく、京都か、あるいは広島に』と口が滑って言ってしまった」[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091227/stt0912271306004-n1.htm]という発言
閣僚が天皇との会話を公にするのは極めて異例ではないのでしょうか。また、現職閣僚がこの様に発言することは、政府の方針がそうであると国民に誤解を与えうると思われますが、その点はいかがでしょうか

2.習近平氏のことを「皇太子」と表現
習氏は確かに次期指導者の有力候補とされていますが、決して正式に決まったものではありません。日本の閣僚が勝手に「皇太子」とすることは、72年の日中共同声明の「内政に対する相互不干渉」に反すると思われますが、いかがでしょうか。