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国家元首について

2011-05-23 20:31:30 | 菅内閣
前回、菅首相が公式ブログで「国家元首同士の会合」なる意味不明な語を用いた事は、総理大臣が国家元首だと誤解しているのではないかと指摘した。ツイッター上で、複数の有識者や政治家にこの事をお伝えしたところ、竹田恒泰、四宮正貴両先生からお返事をいただいた。両氏とも、我が国の元首は天皇であり、菅氏は過っているという旨の同意見であった。

今回は、菅氏のさらなる誤りについて指摘したい。

前回も述べた様に、共和国では大統領等、君主国では君主がそれぞれ元首となることが一般的である。それは現在では政治的指導者とイコールではない。欧州各国では、大統領や国王に政治的実権のない国が多数ある。「国家元首」と政府の「首脳」が異なっても、何ら問題はない。

例えば、G8サミットをみると、各国の通常の出席者は以下の通りだ。

日:首相
米:大統領
英:首相
仏:大統領
独:首相
伊:首相
加:首相
露:大統領

この内、元首であるのは、米仏露の各大統領である。英加は君主国で、勿論君主自らは出席しない。独伊は一応大統領が居るが、政治的実権は殆どなく、それを握る首相が出席するわけだ。

以上の様に考えれば、菅氏のいう「国家元首同士の会合」の意味がますます分からなくなる。仮に首相元首説をとるにせよ、他国の元首が誰かにまでは干渉できまい。菅氏は日英首脳会談を、エリザベス女王とするのだろうか。

仮にその様な申し込みをすれば、女王陛下はこうお答えになるのではないか。


「君主は君臨すれど統治せず」


首相は国家元首か-菅総理に問う

2011-05-21 00:03:36 | 菅内閣
19日付の首相官邸のブログ「KAN-FULL BLOG」を読んで唖然とした。菅総理が我が国の国家元首を、総理大臣だと誤解していると思われる文があったからだ。菅首相は、ダボス会議での経済人との会合について、以下の様に述べている。http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/05/20110519.html

一国を預かるリーダーとして、国家元首同士の会合も重要と思いますが、こうした世界的な専門家から直接に優れた見識を伺えるネットワークも重要であると考えています。


これは明らかに、自らを元首と解したものだ。

我が国の国家元首については、法令上明確な規定はない。従って、憲法学界では様々な説があり、確かに総理大臣が元首という説も有力ではある。しかしながら、それは机上の空論ではないか。

各国の元首とされるのは、共和国なら大統領等の国民の代表者であり、君主国なら君主であるというのが常識だ。元首は必ずしも政治的最高指導者と言うわけではない。ヨーロッパにおいては、国王も大統領も政治的実権がない国が殆どである。首相が元首である国が1つでもあるのなら、是非教えて欲しい。

我が国でいえば、天皇が元首にあたるのは間違いないであろう。日本国憲法が共和制を採用しているという宮沢説は、一般に受け入れられているとは思われない。

しかも、過去の政府答弁では、天皇を「元首であると言っても差し支えなかろう」(平成2年5月14日参院予算委員会での工藤法制局長官答弁)としている(ただし工藤氏の答弁は、「元首の定義いかん」によるとし、「限定された意味」という前提である)。また国際慣例上、我が国の天皇は元首とみなされているし、現に米国政府は日本の国家元首(head of state)を、「明仁天皇」("Emperor Akihito")としている。http://www.state.gov/r/pa/ei/bgn/4142.htm

民主党政権になってから、外務大臣が天皇陛下のおことばに異議を唱えたり、幹事長が天皇の政治利用を肯定し、首相もそれを追認したり、予算委員長が秋篠宮殿下に暴言を吐く等、皇室に対する不適切な言動が相次いだ。今回の菅氏の言葉もその一環なのだろうか、それともただの勉強不足なのだろうか。

(追記)
現在は「国家元首同士の会合」から「首脳同士の会合」に修正されている。誤りを認めたのだろう。

浜岡原発運転停止

2011-05-10 22:08:01 | 東日本大震災
かつてこのブログで、高校での未履修問題に対する文部科学省の対応に関して、「我が国は非法治国家へ」というややセンセーショナルな表題の記事を書いたことがあった[http://pub.ne.jp/niosmo0418/?entry_id=392768]。

ただ、この文部科学省の対応自体は、一応法的に説明できるものであったし、むしろこのブログで書いたことはあまりに非現実的であったかもしれない。

一方、菅首相による浜岡原発の運転停止要請[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201105/06kaiken.html]は、まさしく法治主義を無視するものだ。

菅首相は、法的根拠は何もなく、しかも閣議決定すらしないで、首相からのお願いとして、浜岡原発を停止に追い込んだ。

中部電力は首相の要請を受け入れたが、一民間企業に対する対応とは考えがたい。法治主義のみならず資本主義も無視している。

しかも、リスクに関する説明もあまり納得できるものではなく、また停止した際のコストに関しても釈然としない。国民に負担を強いる割には、あまりにも準備と説明が不足している。

それに加えて、各紙が入手している政府の東京電力「救済案」は、直接関係のない他の電力会社や国民に負担を求めようとしているという。民間会社の責任は、まずはその会社自身でとるのが筋ではないか。会社の「社員」とは本当は従業員のことではなく株主のことであるが、会社は社員(=株主)のものであり、当然まずは彼らが責任をとるのが、資本主義の原則ではないのだろうか。

このブログでは、菅内閣に対しては是々非々で評価し、必ずしも世間の重箱の墨をつつくような菅批判とは距離をおいてきたし、今後もそうしたい。しかし、法治主義と資本主義は、我が日本国の重要な原理原則である。それを無視する様な政権に、これ以上任せていいのだろうかと感じさせられる。