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乗数効果

2010-01-28 02:45:26 | 鳩山内閣
この間の国会で、菅財務大臣が乗数効果と消費性向の違い等を質問され、しどろもどろになった上に不可解な答弁をしたと報道を聞きました。

そこで、法学部の私が生半可な経済知識でこのことを解説したいと思います。不正確な部分もあるでしょうが、その辺りはきちんとした経済学の教科書で補っていただければと思います


「国内総生産(GDP)」の言葉は、どなたでもご存じでしょう。これを広辞苑で引くと、「1年間に国内で新たに生産された財・サービスの価値の合計」とあります。このGDPは、生産面、分配面(国内総所得)、支出面(国内総需要)という3つの角度から見ることができ、これらは等しくなります(GDPの三面等価)。

生産面から見たGDPとは、「付加価値」の合計です。付加価値について説明するために、リンゴジュースを例としましょう。リンゴ農家が100円でリンゴをメーカーに売り、メーカーはそのリンゴからジュースを作 ってスーパーに200円で売り、スーパーは消費者にジュースを300円で売ったとしましょう。この場合、農家(分かりやすくするため、コストは0円)、メーカー、スーパーの三者とも、100円ずつ儲けていますが、これは要するに、三者とも100円ずつ新たな価値を加えていると見なせます。仮に日本の1年間の生産がこれだけだとすれば(あり得ませんが)、日本の1年間の生産面から見たGDPは、付加価値を合計した300円となります。

そして、先ほど述べた付加価値を考えれば、当然誰かの所得として分配されるはずです。これを分配面から見たGDPと呼び、勿論生産面から見たGDPと等しくなります。また、先ほどのジュースを最終的に購入した消費者の立場から見れば、この付加価値の合計はジュースの値段と同じです。これを支出面から見たGDPといいます。

では本題ですが、先述した様に、GDPの三面等価によって「生産面から見たGDP=分配面から見たGDP=支出面から見たGDP」となります。このうち支出面から見たGDPを構成するのは、家計の消費、企業の投資、政府の公共支出、そして海外への輸出(外需)の4つに限られますが、ここでは鎖国していると仮定して、消費(C)、投資(I)、公共支出(G)のみを考えます。

ここで分配面から見たGDPを、Yとおきます。Yは支出面から見たGDPと等しいのですから

Y=C+I+G[1]

とおけます。

ここで、消費について考えます。消費は所得に依存するものと、そうではない基礎消費(A)に分けられます。
前者は、所得のうちどれだけ消費にまわすかを考えるので、国内総所得を意味するYに、限界消費性向(c)をかけたものとして表します。ただし、民のかまどの煙をご覧になった仁徳天皇の御世ならいざ知らず(笑)、世に税金が存在するならば、所得からそれを引き、本当に使えるおカネ(可処分所得)を考えねばなりません。よって正確には、所得から税金(T)を引いたものとなります。
後者はそのままなので、以上の議論を式にすると、以下の様になります。

C=c(Y-T)+A[2]


そして[2]を[1]に代入して計算すれば、最終的に

Y=1/1-c(-cT+I+G+A)[3]

となるはずです。ではこの式を用いて、消費、投資、基礎消費、税金が変化すれば、GDPにどの程度影響を与えるかを検討しましょう。

[3]より
ΔY=-c/1-c×ΔT+1/1-c(ΔI+ΔG+ΔA)[4]

(なお経済学では変化分を、しばしばΔをつけて表現する。例えば、公共支出が80兆円から100兆円に増えれば、ΔG=20兆円)

[4]の式より、C、I、G、Aを増加させると、GDPはその増加分に1/1-cをかけた分だけ増加する事が分かります。これを乗数と呼びます。c=0.8とすれば、乗数は5。即ち、C、I、G、Aのいずれかを増やせば、GDPはその額の5倍分増える事になります。

また税金(ここでは定額税のみ考慮)の場合、乗数は上記仮定の下では-4となります。増税が景気にマイナスという常識は、乗数がマイナスになっていることに表されています。増税すれば、その額の4倍だけGDPは減少。逆に減税すれば、その額の4倍分経済効果があるといえます。

では、景気対策の財源として2兆円あるとすれば、政府は公共事業と減税のどちらをやるべきでしょうか。正解は前者となります。

前者をΔG=2兆とすれば、ΔY=10兆。後者をΔT=-2兆とすれば、ΔY=8兆。即ち、同じ財源にも関わらず、2兆円も経済効果が違う事になります。

一昨年の麻生内閣の定額給付金は様々な批判がありましたが、ニュースZEROの村尾キャスターが、2兆円を学校の耐震化に使えと主張していたのは、恐らくこのことであったと思われます。


以上述べてきた乗数理論はケインズ経済学の基本中の基本ですが、現実の世界ではそこまでの効果を生むことは極めて困難だと指摘されています。ここでは、鎖国市場、定額税、さらに金融市場の不存在が前提です。これらを考慮すれば、実際の乗数ははるかに小さくなると言われています。

この様なマクロ経済学の基本中の基本を理解していない財務大臣兼経済財政担当大臣には、大きな不安を抱かざるを得ません。


小沢一郎、敗れたり

2010-01-24 21:01:46 | 特例ご引見問題
21日の衆院予算委において、平野官房長官が先月のご引見を「公的行為」と明言するとともに、天皇の公的行為に関する従来の政府見解の踏襲を表明した事は、前回述べた。その内容をまとめれば以下の様になる。

1陛下による習氏のご引見は、象徴としての地位に基づく公的行為
2内閣の助言と承認は必要ないが、責任は内閣が負う
3責任は、第一次的には宮内庁、最終的には内閣が負う
4天皇は国政の権能を有しない以上、政治的性格を有したり、象徴としての性格に反する事のない様、内閣の配慮が必要

どれも過去の法制局長官等の答弁と同様の内容であり、鳩山内閣がそれらを踏襲することを、国会・国民に対して公式に表明したことになる。

前回も述べた様に、これらは民主党の小沢幹事長の見解とは異なる。いわば、鳩山内閣が「小沢一郎、敗れたり」と断じたといっても過言ではない。以下、具体的に説明する。

第一に、小沢氏は当初の記者会見で、ご引見を「国事行為」とした。その後の会見では、国事行為そのものではないと釈明しつつ、当方に対する説明では「国事行為に準ずるものとして内閣の助言と承認の対象になるべき」「公的行為として内閣の統制の外側に置くことは…妥当とは思われません」としていた。これらは、上記1、2に反する。しかも、内閣の助言と承認さえあれば何をやっても良いとも捉えられる同氏の説明は、4を全く考慮していない。

第二に小沢氏は、宮内庁の羽毛田長官が遺憾の意を表したことに対して、政府の一部局が内閣の決定に口出しすべきでないと痛烈に批判していた。しかしながら、上記4を見る限り、宮内庁を単なる「一部局」と吐き捨てるのは全くの筋違いである事が分かる。むしろ、公的行為に関する役割は、まずは宮内庁が担うというのが政府見解である。しかも今回のご引見は、内閣の意思による「特例」という事は、今回平野氏自身が認めた。故に、羽毛田氏の「不本意だが、内閣の意思だから認めた」「二度とあってほしくない」という旨の言葉は、決して政府見解に反するものではないと思われる。にもかかわらず、強い言葉で公然と羽毛田氏に辞任を求めた小沢氏の責任は、極めて重い。

以上の様に、鳩山内閣も「政治主導」で(?)踏襲した政府見解を鑑みれば、小沢氏の一連の発言は極めて不適切である。また、鳩山首相も当初の小沢氏の発言に肯定的な見方を示していた。にもかかわらず、小沢氏からは謝罪や釈明の言葉は一切なく、鳩山首相もそれを求めていない。このような政府・与党の姿勢は、無責任極まりない。小沢氏は、資金問題は別として、本問題だけでも十分辞任に値すると感じる。

マスコミでは、「谷垣氏の追及は甘い」という批判が多い。確かにそうかもしれないが、少なくともこの憲法解釈問題をほったらかしにしてきた阿呆なマスコミの連中には、その様な批判をする資格はない。

少なくとも本問題について言えば、鳩山内閣が従来の解釈を踏襲する事を引き出し、また公的行為に関する統一見解を出すと約束させただけでも及第点ではないか。

公的行為の政府見解を踏襲!

2010-01-22 00:38:46 | 特例ご引見問題
特例ご引見問題について、21日の衆院予算委での自民党の谷垣総裁の質問の際、議論になった。

この中での平野官房長官の答弁には、非常に驚いた。平野氏は、ご引見が象徴としての地位に基づく公的行為と明言。さらに公的行為について、国事行為ではないから内閣の助言と承認は必要ないとか、天皇は国政に関する権能を有しないために政治的性格を帯びさせてはならない、といった過去の政府答弁を踏襲した。

これらは、民主党の小沢幹事長の見解とは異なる。小沢氏の見解は、記者会見や当方の質問への回答によれば、この様なご引見は国事行為に準じて内閣の助言と承認が必要というものである。

これは即ち、政府と与党第一党が異なる憲法解釈をしているということだ。小沢氏が公の場であのような発言をした以上、鳩山内閣が解釈を変更したと捉えた人も少なくないだろう。全く説明責任が果たされていない。野党側は今後、この点について追及すべきだ。また、今回あまり触れられなかった政治利用の有無についても、厳しい追及が必要である。

なお、今国会から内閣法制局長官の答弁は禁じられているが、本件に関する平野氏の答弁はあたふたしてる様に思えたし、「後日答弁する」という様な土素人丸出しの答弁もあった。また、やや揚げ足となるが、平野氏は国事行為について、憲法7条のみに規定されている旨述べていたと記憶するが、これは誤りだ。実際は、4条2項及び6条の内容も国事行為である。

確かに、法制局が全ての憲法解釈を担うというのは見直すべきだが、だからと言って法制局の答弁を全て禁じるというのはあまりに極端ではないか。谷垣氏も指摘したように、これではスムーズな国会審議ができない。この様な憲法に無理解な官房長官に答弁させ続けるというのは、憲法と国会を軽視しているとしか言い様がない。


通常国会

2010-01-21 01:52:27 | 鳩山内閣
18日から通常国会が召集された。言うまでもなく、国会召集は憲法7条による天皇の国事行為である。また、国会開会式で陛下がお言葉を述べられるのは、公的行為とされている。

政府与党は二次補正の早期成立を目指しているが、野党側は鳩山首相や小沢幹事長が渦中にある「政治とカネ」問題の追及に躍起になっている。

とりわけ小沢氏の陸山会の4億円不記載問題は、先週東京地検特捜部による強制捜査や元秘書の石川議員ら3名の逮捕によって、急展開した。この件について、メディアでは様々な報道がなされている。それに対して政府与党からは、「検察のリーク」として問題視する動きもある。確かに、我々はメディアを飛び交う様々な情報を、鵜呑みにすべきではない。捜査と裁判は推定無罪の原則で、法と証拠に基づかねばならぬということを、再認識する必要がある。

とはいえ、政府与党が政府機構の一部である検察庁を大っぴらに批判するというのは納得し難い。検察の独立性を保つ様努めるのが、本来のあり方ではないか。
いずれにせよ、小沢氏の疑惑は本件にせよ、西松事件にせよ、必ずしも明らかではないことが多い。法廷で争うことが多くなるだろう。ただし、小沢氏の説明責任が果たされていないのは誰の目にも明らかだ。今回は少なくとも秘書が故意に不記載を行ったのは事実の様であり、これだけでも鳩山首相がかつて嘯いていた「秘書の罪は議員の罪」との言葉が当てはまる。民主党の政治責任は重い。

今国会で残念なことは、「政治とカネ」の話題が中心になりそうなことだ。現在の我が国における喫緊の課題は、何といっても経済だ。一昨年の秋以降、百年に一度の大不況下であるにも関わらず、多額の国債残高と超低金利によって、財政・金融とも新たに思いきった政策を行うのは困難という苦しい状況にあることを、我々は認識すべきだ。いずれにせよ、短期的には財金が協調して需給ギャップを埋めねばならない。あわせて、中長期的な成長戦略と財政健全化の道筋を編み出す必要がある。鳩山内閣は予算編成で迷走気味であったし、年末に発表した成長戦略も抽象的すぎる。マニフェストを修正したとはいえ、それでも史上最多の予算案であり、財政健全化も難しそうに思える。

外交安保も重要だ。閣内不一致や朝令暮改を続けた普天間基地移設問題は、結局5月に決定するとされた。現行の日米安保は50年を迎えたが、今後の日米関係に不安を覚える。

また、特例ご引見問題もうやむやにしてはならない。本件は憲法や皇室という我が国の根本に関わる問題であるにもかかわらず、政府与党からは、未だに納得できる説明がなされていない。

疑惑の追及も大事だが、それによってこれらの重大問題がうやむやにされてはならない。各党には、建設的な審議を期待する。


財務相人事

2010-01-11 00:53:50 | 鳩山内閣
先週、藤井財務相が辞任した。鳩山首相は予算について明確な基本方針を示さず、予算編成が迷走したが、その疲れが響いたのであろう。小沢幹事長との確執も有ったかもしれない。とにかく、お疲れ様と申し上げたい。

後任は、菅副総理兼経済財政政策担当相の兼任となった。また、菅氏が務めていた国家戦略担当相と科学技術政策担当相は、仙谷行政刷新担当相と川端文部科学相がそれぞれ兼任するとされた。

しかし、これらの人事には若干首をかしげたくなる部分がある。もちろん、沢山のポストを兼任すれば多忙になる心配もあるが、もっと大きな問題が2つあると思われる。

1つは、内閣府の存在意義を忘れていないかということだ。内閣府設置法では「内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けること」(3条)が任務とされ、その所掌事務の目的は「行政各部の施策の統一を図るため」(4条)とある。即ち、省庁横断的に、政治主導・国家戦略的に政策を推進しようというのが内閣府の役目なのだ。同法18条はその考え方に基づいて、首相が議長を務める経済財政諮問会議と総合科学技術会議の設置を規定している。特に前者は、過去の「大蔵支配」の解消の為に設けられたとされる。にも関わらず、今回の人事では、財務相と経済財政相、そして文科相と科学技術相が兼任するという組み合わせになっているが、これでは「政治主導」ではなくて、各省庁が官邸に口出ししやすくなる危険性があるわけだ。

もう1つは、仙谷氏が国家戦略相と行政刷新相を兼任することだ。これまでの民主党の主張では、予算の基本方針等を決定するのが国家戦略局(現在は室)であり、予算の無駄をチェックするのが行政刷新会議であったはずだ。この2つのポストを同一人物が兼任するというのは理解し難い。鳩山首相はこの兼任を見なおす可能性を示したとの報道もあったが、可及的速やかに兼任を解くのが筋であろう。

3人の大臣には、以上の懸念に対して十分に気を張って職務に臨んでいただきたい。

ところで菅財務相は、初っ端から批判を受けた。それは、「円安誘導発言」だhttp://www.asahi.com/business/update/0107/TKY201001070402.html。ご承知の通り、円安は輸出企業にとって不利であり、輸出の減少はGDPの減少にもつながる。政府や日銀はこれを防ぐために、為替介入を行うことが出来る。

その意味から言えば、財務相が円高傾向に懸念を示し、介入の可能性に言及すること自身は十分理解できる。また、藤井前財務相が当初「円高容認」とされた発言を行い、批判を受けたことへの反省もあったかもしれない。

しかし、「90円台の半ばあたり」と具体的に望ましい水準にまで口出しするのは、行きすぎではないだろうか。財務省のトップがあまり円高不安を強調しすぎると、消費者や企業が不安を感じ、逆効果になる危険性もあるからだ。一昨年の金融危機以降、円高傾向なのは事実であるが、物価を考慮した実質レートで見れば、極端な円高とはいえないという伊藤元重氏らの指摘も有るhttp://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091006/fnc0910060310003-n1.htm。伊藤氏が「『貨幣錯覚』に陥るなかれ」と述べるように、物価変動を考慮するのが経済学の一般的な常識だ。だが同氏が例に挙げるように、物価が下落していても名目賃金を下げようとすると労働者が反発して困難になる(ケインズ的には「賃金の下方硬直性」)など、現実社会ではしばしばこの錯覚が起こる。

財務相は消費者や企業を貨幣錯覚に陥らせたり、自身が錯覚することのないように、十分気をつけて発言して欲しい。もちろん、円高が急激に加速された場合は、手をこまねいて見てはならず、積極的に介入すべきなのは言うまでもない。