童謡の「赤とんぼ」は唱歌の「故郷」と並んで
日本人の幾世代にも亘って歌い継がれている歌であろう、
この二つは庶民にとって国歌にも匹敵する、
ここでは「赤とんぼ」の出自を探っていきたい、
作詞は詩人の三木露風、
作曲は当時人気ナンバーワンの山田耕筰、
大正10年三木露風は函館のトラピスト修道院に
国語の講師として招かれていた、
その年のある秋の夕暮れに修道院の窓を開けて
外を眺めていた時に目の前に一匹の赤とんぼが
飛んできたのを見てふるさと播州龍野を思い出し
この詩をまとめたと言われている、
この詩を目にした山田耕筰が曲をつけ
昭和二年に「山田耕筰童謡100選」に纏めて
世に出した、
❝夕焼け小焼けの あかとんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだのは まぼろしか
十五でねえやは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先❞
詩の中の一節に
❝負われて見たのは❞とあるが
負われたのは母か姉やかとよく聞かれたと言う、
露風は幼くして母とは生き別れた環境に育ち
姉やの背だと答えたと言う、
幼少期を歌いながら詩の中に
母の文字を見ないのが一層郷愁を誘う。