はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
見方が違うと色々なものが見えてくる、
私はよく物事のほんの一部しか見ないで決め付けてしまうようなところがあります。
全体的に見渡せるような人間になりたいです。
昨日、本部からマネージャが来た。新人の面接の為に。
うちの教室は人が入っては辞めていく、そのサイクルが早い。(笑)
色々と理由はあるのだろうけど一番の理由は指導する人間が厳しすぎるということだろう。
私は厳しいとは思わなかったけど。
しばらく前に確か書いたと思うけど、私は同僚がもしかしたら自己愛なのではないか?と思いながらそれを認めようとしなかった。
でも昨日のマネージャとの話しはもしかしたらそれをかなり認めざるを得ないことかもしれない。
人が辞めて結局今教室には私と同僚の二人しかいない。同僚は「長」という肩書きが付いていて新人を育てる立場だ。
細かい事が多くて大雑把な私は結構しんどかった。いまでもそうだけど。
でもそのおかげで自分はよくなれたのだし、その人のおかげで自信が持てるようになってきた。
・・・と思っている。
だけど色々な細かな指摘をされるたびにブルーになり、その人が求める人になろう!と私は必死に頑張った。(今でも頑張っている)
たいてい辞めていった人はそうした厳しさに嫌気がさしたり、辞める寸前に精神的に不安定になったりして辞めていった。
私の心の中に少しは疑いがあった、
もしかしたら彼女は自己愛なのでは?と。
話しを聞いているとやはり子どもの頃に家庭に問題が色々とあったようだ。
彼女は意識してか無意識なのか、人を追い詰めるような話しかたをすることがある。
だけど私はそうした厳しさを乗り越え、頑張ってこれた自分を否定したくないのだろう、
厳しさを乗り越えられない人の方がおかしいのだ、と私の心のなかで思い込んでいたのかもしれない。
私は同僚が好きだ。細かい部分が多いけど、私は彼女のおかげで成長できたのだと思うし、いっぱい助けてもらってきた。
だから余計に否定できないのかもしれないけど・・・
昨日、マネージャと二人で話をした。
彼女の厳しさは本部も知っているはずだ、それを知っていてしっかり実績を上げている彼女を評価しているのだとばかり思っていた、
先日彼女は評価が上がり、時給が上がったと喜んでいたから。
私はそれは社が彼女を大きく評価しているのだと思った。
それを聞いたときに余計に社が認めている彼女だ、やっぱり、ほんのちょっとでも疑問を持つ私がおかしいのだ、私はいくらしんどくても彼女についていかなければいけないのだ、と思っていたのだ。
それが崩されたのだ。
マネージャは今まで辞めていった人の原因を詳しく聞きたがった、
今まで辞めていった人から聞いた話しを詳しくしてくれた。
そして「彼女自身に問題があるのではないかという話になった」と言われた。
私はびっくりした。私の心の中に「違うよ、彼女は正しい」という気持ちと
「やはり彼女はおかしいのか」という気持ちが複雑に入り混じった。
私は自分の優柔不断さにあきれた。
彼女を信じ続け、疑問があっても信じて付いていこうとしていた。
だけど小さな疑問の部分を人から指摘されると疑問はどんどん大きくなるのだった。
「やはり彼女が間違っているのか??」
私は辛かったのだ、彼女と仕事をしていて辛かったけどそれを正当化して当たり前の事だと思っていたのだ。
マネージャはその部分を「それは違う、厳しいだけでは人は育たないのだしかもその厳しさはいじめです」と否定した。
マネージャの否定した部分は私の心のそこでくすぶっていたそのものだった。
今まで誰もが彼女の事を否定しなかったから私はそれが正しいと思っていた。
辛いと思う自分がおかしいのだ、ダメなのだと。
今でも正しいのか正しくないのか、私にはわからない。
もっと色々な面を冷静に見て判断できる人間になれたらわかる事なのかもしれない。
結局そういう人間だからダンナに振り回され、そういう傾向の人に振り回されるんだろう。
なんとかそういう性質を改善しないといけないと思う。
辛い事は長く続かないという。私は意外と我慢強い方の人間だと思う。
辛くても・・・これは神様からの試練なんだ、試練が終われば自然となくなるのだろうと思ってきた。
実際に辛い事を乗り越えると自分は変われたということが多かったし。
同僚に対するストレスも、いいかげんな私に対する試練なのだとずっと思ってきた。
もしかしたらそろそろその試練が終わる時期なのかもしれない。
本部は、同僚の彼女の事を会社としてかなり深刻なことだと考えているようだ。
それにも驚いたけど。
私はつくづく自己愛被害者体質なのかなと思った。