黒沢清監督「蛇の道」のファーストシーンは、この滑らかなクレーン撮影で始まり、ここでようやくカメラが切り替わり横向きの男(ダミアン・ボナール)をとらえる。次のショットで再び女の顔に切り替わるのだが、2人の視線の一致は感じられない。ようやく車を間にして2人が向き合っているショットになり、ここではじめてこの男女が向き合って話していたことが分かる。まるでブレッソンのようなカットワークにこの2人が決して相容れないが、何かを企んでいる関係であることを暗示させる見事な冒頭シーンだと言える。この冒頭シーンだけでも今年の日本映画(かどうかわわからないが)ベスト5に入ると思う。
花ざくろ
桑の実や戻橋よりもどらぬか
一人ッ子見上ぐ泰山木の花
忍冬の花の匂ひを指に嗅ぐ
えごの花ふりやまず夜を白くせり
竹ざるの篠の子どれも伸び盛り
花ざくろ双子の姉の影長し
機織の一斉に止み柿の花
四方の田へ山嶺映しあいの風
蟻ぞろぞろ金輪際より湧き出る
夏暁の貨物列車のながながし
吊革に磔まねてゐる夏夜
船頭の歌に親しき緑雨かな
稲妻を抜け隧道を信濃路へ
そら豆の皮を並べて楸邨忌
(「篠」205号より)
ピノノワール
黒猫の招き人形夢二の忌
蜩に惑はされたる森の道
盆波の浜に傘さす二人かな
十二支になれぬ熊猫の秋愁
横車押され夜業の人となり
秋の薔薇ピノノワールの瓶に差し
虫すだくピカソの名前いとながし
夕刊を待たずに落つる木槿かな
脛だけを覗かせてゐる秋簾
他人めく横顔残暑の三面鏡
威勢よき鳥のかたちの鳥威
朝採りの秋果売り切れ道の駅
海鳴や立ち尽くしたる曼珠沙華
友釣の竿を家宝と苦うるか
(「篠」206号より)
さりさり
鯖雲と言へば鰯と言ひ返し
先客に亀虫の居る峡の宿
絵巻解くやうにさりさり林檎剥く
屏風絵の銀泥黒む十三夜
白球の行方にもみじ冬紅葉
木枯の真夜を煙草火ぽうとして
世の終り説く軽トラック空つ風
桑枯れや猫神様と三毛呼ばれ
猫舌が鍋焼うどん真つ先に
じつとして命を溜める榾火かな
日向ぼこり立つ理科室のされかうべ
百体の水子観音帰り花
冬茜コロッケひとつ売れ残り
初時雨波止場の汽笛高からず
(「篠」207号より)
雪形
立子忌や石の月まで駅五つ
春愁や水に占ふ恋御籤
料峭や柞の杜に迷ひ入る
峡深く光生まるる雪解川
春の雪安曇比羅夫の像濡らす
手水舎のきさらぎの水硬からず
雪形は種蒔く翁爺ケ岳
春耕や常念岳は雲を出づ
春月はここに置けよと常念坊
山笑ふ羊の骨のスープ炊く
淡雪や料紙にかなの柔らかく
虹色の羽紛れたる春の泥
春光や月光菩薩の腰しなる
煙草臭き古書のラディゲや春の暮
神厩の神馬は木馬冴返る
北窓開く少し遅れて鳩時計
桑ほどくむらさき匂ふ奥秩父
(「篠」208号より)
「澱河歌」の周辺をめぐって
安藤次男氏が詩人、フランス文学の翻訳者から日本の古典文学・詩歌の評釈で新たな境地を開いたのが、与謝蕪村の短詩「澱河歌」(「でんがか」もしくは「でんがのうた」)の評釈『「澱河歌」の周辺』である。この論稿を含む同名の著書は、昭和三十七年の読売文学賞を受賞し、特に「澱河歌」の評釈は、古典詩歌の新解釈として高く評価された。
「澱河歌」は、安永六(一七七七)年、蕪村六十二歳の春興帖『夜半楽』に収められ、「春風馬堤曲」「老鶯児」との三部構成からなる組詩の一つである。なかでも「春風馬堤曲」は、佐藤紅緑が評価したことで多くの人に愛誦されることになった。また、小説家・佐藤春夫は、昭和二年にこの詩を題材に「春風馬堤図譜」という映画のシナリオを書いたほどで、残念ながら映画化には至らなかったが、その人気ぶりがうかがえよう。それに比べ「澱河歌」は、「従来とかく忘れられがちであったが、『馬堤曲』ひいては蕪村芸術そのものを解く、重要な鍵となる作品」と次男氏は述べている。
では、漢詩、仮名詩で構成される特異な詩体をもつ「澱河歌」三首をみておこう。前書きには「伏見百花楼に遊びて浪花に帰る人を送る。妓に代はりて」とある。つまり妓女の恋情に託して自己の惜別の情を述べたもので、「春風馬堤曲」と同じ趣向である。
澱河歌三首
○春水浮梅花南流菟合澱 錦纜君勿解急瀬舟如電
○菟水合澱水交流如一身 舟中願同寝長為浪花人
〇春水梅花を浮かべ 南流して菟(と)は澱に合ふ
錦纜(きんらん)を君よ解く勿れ 急瀬(きゅうらい)に舟は電(でん)の如し
〇菟水(とすい)澱に合ひ 交流して一身の如し
舟中願はくは寝を同(とも)にして 長く浪花(なには)人と為らん
○君は水上の梅のことし花水に
浮(かみ)て去(さる)こと急(すみや)カ也
妾(せふ)は江頭の柳のごとし影(かげ)水に
沈(しづみ)てしたがふことあたはず
【訳】
〇豊かな春の水は梅花を浮べ、南へ流れて宇治川は淀川に合流します。あなたよ、船をつなぎとめている錦のともづなを解いて下さいますな。疾い流れに舟は稲妻のように流れ下ってしまうでしょうから。
〇宇治川の水は淀川の水と相合い、交わり流れてまるで一身のようになります。その上を流れ下る舟の中で、願わくはあなたと共寝をして、末長く浪花人となりたいものです。
〇でもあなたは水上の梅花のように自由なお身の上、花は水に浮んでひとりすみやかに流れ去ってしまいます。あたしは川岸の柳のように不自由な身の上、影は水中に沈んで流れ去る花(あなた)に従うことができません。
(新潮日本古典集成〈新装版〉「與謝蕪村集」清水孝之の訳による)
※「菟」は宇治川、「澱」は淀川の中国風の表現。「錦纜」は錦のともづなのこと。
以上のような詩である。川を下って浪花へ帰る男を見送る伏見あたりの妓楼の恋慕の情を詠んだと読める。「澱河歌」「春風馬堤曲」は、長年、出生地の毛馬を離れ京都に住み着いた蕪村が、老境に入って望郷の念にかられた心情を女性に託して詠んだ詩と解釈されてきた。しかし、「蕪村には老来、京・伏見を出て浪花に発展してゆく淀川の殷賑(活気に満ちたさま:筆者注)に、何か特別の愛着を寄せる理由があったのではないか?」と問いかける。そこで次男氏が着目したのが前二首の漢詩体で、「きわめてきわどい暗喩を底に秘めた、一種の情詩」と解釈する。
一首目に「南流菟合澱」二首目に「菟水合澱水」とあり、「菟」は宇治川、「澱」は淀川のことで二つの川が合流する様を描いている。ところが「菟」とは、中国では古来より強壮薬のネナシカズラを意味し、菟を用いた歌は男女の性愛を描いたものといわれてきたという。ここから次男氏は独創的にイメージを広げていく。詩の舞台となった宇治川と桂川が合流して淀川となり浪花へ流れ注ぐ地形を想像し、その鳥瞰図から詩の意味を読み解くのだが、菟は男根、澱は女陰の暗喩で、「澱河歌」は、淀川を女体に見立てた蕪村の女体幻想と推論するのである。
「疑もなくそこには二本の脚(宇治川、桂川)をやや開き気味に、浪花を枕として、仰向けに寝た一つのなまめく女体(淀川)のすがたが、彷彿として浮かび上がってこざるを得ない。橋本の幽篁はその秘部にあたり、毛馬は胸許にあたる」
秘部に見立てた橋本は宇治川と桂川の合流する竹林に囲まれた要衝地で、遊里としても栄えたところ。毛馬は蕪村の故郷である。そこに乳房をイメージしたと次男氏は見立てたのである。晩年の蕪村は度々、淀川を船で下り浪花の地へ赴いている。その船中で、こうした女体幻想が育まれたと推論する。そして同じ淀川=女体幻想を「春風馬堤曲」の解釈にも敷衍していくのである。
晩年の蕪村がそうした春情を抱く根拠について、和漢の資料や蕪村の手紙、画工としての作品など周辺資料を駆使して論じていくのだが、次男氏が淀川=女体幻想にこだわる理由は何か別のところにあるのではないか、というのが率直な感想だった。
種明かしは「蕪村との出会」(昭和四十七年)という次男氏のエッセイにあった。次男氏は、昭和十三年旧制三高時代に京都の古書店で、高嶋春松『大川便覧』(天保十四〈一八四三〉年)という京から浪花までの淀川の活況を描いた絵巻を買い、大そう心を動かされた。川の姿に、緩やかな曲線をもつモジリアニの裸婦像を想起さえした。青年特有の春情が芽生えたのかもしれない。だから蕪村の「澱河歌」「春風馬堤曲」を読んだ時、すぐさまこの絵図が思い浮かんだのだという。蕪村の詩は、故郷への郷愁だけではなく、老境の詩人の回春の情でなければならなかったのである。
詩人・思想家の吉本隆明は、「澱河歌」の論稿を踏まえて、次男氏の評釈の新しさについて次のように述べる。
「研究者には安東のような自在なイメージの連鎖を想起してみせることはできまい。それは現代詩人としての安東の実作の習練によるものだからだ。しかし、現代詩人には、安東のような抑制と防御は可能ではあるまい。もっとほん放な空想を語ってみたくなる誘惑に抗し難いし、安東ほどの学殖もないからだ。このはざまに身を横えているところに安東次男の注解法の新しさがあるに違いない」(「ひとつの疾走」安東次男著作集Ⅳ「手帳Ⅰ」所収より)」
一方、次男氏の仕事ぶりについて国文学者の今栄蔵は、次男氏の著書『芭蕉七部集評釈』(昭和四十八年)の書評で次のように述べている。
「印象的なのは、先行注釈家の何びとも嘗て想像しえなかった新見を意欲的に求める評釈態度である。(中略)しかし率直にいえば、それらの中には先注のマンネリにショックを与える効果はあるものの、殆どは独断、うがちすぎ、自己陶酔としか思えないものであり、独善と独創とが常時表裏をなして存在している」(「連歌俳諧研究」昭和四十九年47号)
一般的に古典評釈の研究作法は、先人の研究成果をもれなく踏まえた上で、自分の新しい知見を加えていく。もちろん次男氏もそうした手順を徹底的に踏まえた上でのことだが、研究者と異なるのは、その評釈を一つの創作、極端に言えば詩に仕立てていることだろう。それを先行研究者は「独断と独創」とでもいう他はなかった。しかし、そうした批判を承知で、むしろそれを楽しむかのように次男氏は、奔放に想像力を働かせ、晩年の蕪村になり切って評釈しているかに思える。
私には、「澱河歌」の評釈の女体幻想は、次男氏自身の女体幻想であったと思えるのである。
もうだいぶ前の話になるが、昨年末にテアトル新宿(だったかな)でアキ・カウリスマキの映画復帰作「枯れ葉」を観た。あまり大きなスクリーンではない上に、スタンダードサイズだったので、座る位置を間違えたと思ったのだが、さえない男女のほっこりするラブストーリーと、カウリスマキ節の健在ぶりに大いに気をよくした。ラジオから「竹田の子守歌」が日本語で流れてきたり、ハッピーエンドなラストがトリュフォーの「夜霧の恋人たち」を思わせる82分、至福の時間だった。
昨年の映画鑑賞の締めになったのがTOHOシネマ新宿で観たケリー・ライカート監督「ファースト・カウ」。西部開拓時代のオレゴンの先住民居住区が舞台。冒頭、画面の右から左へコロンビア川をゆっくりと航行する貨物船のショットできっと良い映画であると妙に確信を持った通り、少ない会話の物語を無駄のない適切なショットで組み立てていく監督の手腕に脱帽した。
中国からの移民の男ルーと、栗鼠の毛皮猟師グループの料理人だった男クッキーの二人が偶然知り合い、二人で地主が飼う、土地唯一の牛の乳を搾り盗んでドーナツを作って販売し、一儲けするという展開なのだが、二人が次第に心を通わすきっかけになるシーンがある。ルーの小屋に同居するようになったクッキーが、庭で薪割りをしているルーを窓越しに眺めているところを、カメラはクッキーの背中を手前にして納める。クッキーはしばらく薪割りを眺めているのだが、思い立って箒を取り出し家の中を掃き出すのである。これがワンショットで納められていて、ここから二人の距離がぐっと接近していくのだが、言葉や説明でなく、箒で掃くという日常的なアクションでそれを示したところが、実に映画的なのだった。この映画もスタンダードサイズだった。