日向ぼこ
冬眠の寝息をまたぐ軍靴かな
地球儀へ水ッ洟落つリトアニア
思ひ出すやうにたばしる霰かな
地獄絵の鬼の貌してゐる魴鮄
冬天や脚の短き馬引かる
福耳のピアスの穴や霜焼けて
盛り塩を変へて笹鳴く裏鬼門
村の名にゼウス秘す里冬日燦
手に馴染む菜切包丁かぶら汁
こんな顔のまんま死にたき日向ぼこ
しみじみと燗酒通る胃の腑かな
ジャン・ギャバン真似てコートの襟たてり
裸木となりて素性は分かりかね
指先を舐る冬薔薇刺したれば
(「篠」203号/2022年)
日向ぼこ
冬眠の寝息をまたぐ軍靴かな
地球儀へ水ッ洟落つリトアニア
思ひ出すやうにたばしる霰かな
地獄絵の鬼の貌してゐる魴鮄
冬天や脚の短き馬引かる
福耳のピアスの穴や霜焼けて
盛り塩を変へて笹鳴く裏鬼門
村の名にゼウス秘す里冬日燦
手に馴染む菜切包丁かぶら汁
こんな顔のまんま死にたき日向ぼこ
しみじみと燗酒通る胃の腑かな
ジャン・ギャバン真似てコートの襟たてり
裸木となりて素性は分かりかね
指先を舐る冬薔薇刺したれば
(「篠」203号/2022年)
紙の月
玻璃の戸に影を踊らせ秋の水
朝刊のことんと届き新豆腐
鳩吹くや水音低き峡に風
行き合ひの空や風鐸動かざる
琅玕の闇のはずれを秋灯
昆虫の貌してむくろ法師蟬
鷹揚に行きも帰りも茄子の馬
片影を教会の影突き出して
あをあをと海もえ残る凌霄花
アスファルトの雨粒黒き敗戦日
ひぐらしや露人ミハエル眠る墓地
村芝居神楽殿には紙の月
母の歌ふ黒人霊歌ダリア咲く
秋扇いちいち指図したる手に
(「篠」202号より/2022年)
今日はクリント・イーストウッドの93歳の誕生日。そんなわけで、イーストウッド監督作品で最も人気のなかったとも、失敗作とも言われるのですが、僕の大好きな映画の一つである「真夜中のサバナ」を。
イーストウッド監督作品としては20作目、あの「マディソン郡の橋」の後の作品で、本人が出演していないのは「バード」以来。そんなことより、舞台になっているジョージア州サバナは、作詞・作曲家として知られるジョニー・マーサーの生誕地。実際この映画でもマーサー邸が舞台になっているのですが、とにかくマーサーの曲がたっぷり聴けるというのが魅力。イーストウッドはマーサーのドキュメンタリーも作っているくらいで、この映画もマーサー愛に溢れたフィルムです。
砂漠の民
咲き急ぐ桜を笑ふ鳩時計
春帽子投ぐ名画座の空席へ
島影の百重なしたる卯波かな
「民族の祭典」冷房効きすぎる
桑の実やくに境まで橋二本
手に馴染む石を拾うて夏の川
まぐはひも人の手を借る蚕蛾かな
橋裏を仰ぐ白雨の過ぐるま
にんげんの声に驚く山の秋
仏具屋の夜寒を金のほとけさま
月天心裸身を反らすボレロかな
すめろぎはそこに御座すや浮寝鳥
月蝕はラルゴのやうに神の留守
憂国忌さくら餡ぱんはんぶんこ
青纏ふ砂漠の民や寒昴
(「俳句大学」7号 2022年掲載)
青き踏む
春帽子祈りの時は胸にあて
青き踏む風にいちまい鳩の羽
おろしやの火酒割りたる雪解水
あしあとは裏の森より木の根明く
蹼に淡き血の脈水温む ※蹼:みづかき
コンセントに生かされてゐる熱帯魚
片影を教会の影突き出して
ひぐらしや露人ミハエル眠る墓地
琅玕の闇のはずれを秋灯
昆虫の貌してむくろ法師蟬
御射鹿池の深き縹(はなだ)や緋衣草 ※縹:はなだ
いとど鳴く切腹最中腹いつぱい
二度聞いてまた聞き返す夜長かな
不器用な男とあたる焚火かな
(俳句大学8号掲載 2023年3月)
WBCで最も美しかったのは、準決勝メキシコ戦で9回裏に逆転のホームインした周東佑京選手の走塁だった。バックネット側から、その迷いのない滑らかな走塁をワンショットでとらえた映像は、野球の周回する身体運動としての魅力を伝えて見るものを興奮させる。四球の吉田選手(歯が白すぎる)の代走として思い切りよく周東選手を送った監督の采配は確かに素晴らしいが、それはドラマとしての野球の面白さだ。この周東選手の走りこそ予定調和を超えた生々しい運動としての野球の魅力だろう。映像を見ると、村上選手が打った瞬間に迷いなく走り出し、打球の行方を確認している大谷選手を挑発するように一気にスピードを上げると、大谷選手が慌てて走り出すようにも見える。そしてホームインのスライディングも美しい。いや、サイコーでした。余計な見出しがうるさいけど、その映像をどうぞ。
https://m.youtube.com/watch?v=rZQCEDkaq9g
ところで、サムライJAPANという呼称には、神国日本とか兵隊日本とか鬼畜米英的なスローガンの匂いがあって、いささか違和感を持っている。たぶん「侍ニッポン」あたりが源流なのだろうが、◯◯ジャパン、◯◯ニッポンの高揚感に何でも収斂させてしまうことは、どこか危ない予兆のように思えてしまう。
そもそも「侍ニッポン」は1931年発表の郡司次郎正の小説で、同じ年に日活で伊藤大輔監督、大河内傳次郎主演で映画化、さらに西条八十作詞の歌まで出て大ヒットした。「人を切るのが侍ならば恋の未練がなぜ切れぬ」と武士の道義と恋の間で苦悩する男の心情を歌っているが、小説は、大老井伊直弼の隠し子として生まれた主人公新納鶴千代の剣術と恋と葛藤が、尊王攘夷盛んな時代を舞台に展開され、桜田門外の変に至る父子の悲劇で終わるというものだ。以下は、美空ひばりが歌う侍ニッポン。映像には東映で東千代之介が主演した同名映画の一部が使われている。
https://m.youtube.com/watch?v=P73c2yP_9o0
1931年、昭和6年は満州事変が勃発した年であり、大陸での戦争が拡大していく時代なので、◯◯ニッポンというスローガンは戦意高揚の時代の雰囲気に合っていたのだろう。しかし、新宿にムーラン・ルージュがオープンしたりエノケンが一座を旗揚げするなど、まだまだ国内は華やかさもある一方、東北地方は冷害、凶作で、娘を身売りに出すような生活を強いられる時代でもあった。侍ニッポンの小説も映画も歌も(メロディの出だしは勇ましいが)内容は決してそんな勇ましくないのは、時代の明暗を反映していたとも言える。
原作の郡司次郎正は、軍国化が進む当時、少なからず大衆の中にあった共産主義への憧れと反感の心情を武士の葛藤に重ねて、共感を得ようと意図したのだという。企画は大当たりだった。
昭和の初めの時代と今を重ね合わせて、危険な時代などというつもりはないが、侍ニッポンとサムライJAPANには確かに同じ匂いが漂っている。
侍ニッポンを原作にした岡本喜八監督の「侍」。主演は世界のミフネ
とある仕事がひと段落して、無性に映画館で映画が観たくなる。間違いなくこれぞ映画という映画が観たい。そうだ菊川のStrangerでドン・シーゲル特集をやっているではないか。時間を見れば「殺人者たち」(1964年作品)に間に合いそうだ。
全国広しといえどドン・シーゲルをまとめて観られる映画館なんてここしかない。リー・マービン、アンジー・ディキンソン、ジョン・カサヴェテス、ロナルド・レーガンというキャストを聞いただけでぞくぞくする。
冒頭、クローズアップの黒眼鏡に映る黒眼鏡の男リー・マービン。ずかずかと2人で盲人施設に入ってゆき、受付の老女を恫喝し、挙句におもいきり床に叩き落すという荒業。リー・マービンの相棒クルー・ギャラガーは、花瓶の花を抜いて水を机に意味もなく流し、呼び鈴をチンチンとこれも意味なく鳴らし続ける。その後2人は銃を取り出し、マービンは皮の鞄から、いかにも重たそうなサイレンサー付きのコルトを取り出す、二階へ上がり、お目当ての標的ジョン・カサヴェテスにこれでもかと銃弾を浴びせ、さっさと施設を後にする。この一連のシークエンスの無駄のない展開とアクションに、ああ、今日はこの映画にしてよかったと心底思うのだった。
そして殺人のあといきなり走る列車のショットに代わり、コンパートメントで向かい合う殺し屋二人に切り替わる。これもまた見事な展開だ。こんな塩梅にこの映画の魅力を語っているとキリがないのだが、映画的な拵えのすばらしさだけでなく、この映画はいろんな楽しみ方ができる点でも稀有な作品だ。
まず、政治家になる前のドナルド・レーガンが重要な悪役として出演していること。レーガン最後の長編映画と言われている。
レーガンとその情婦のアンジー・ディキンソン
また、レーサーのジョン・カサヴェテスがレースで乗る車が、1962年デビューして間もないシェルビー・コブラ260で、フォードの4.2ℓV8エンジン搭載の車の爆走が観られるのも楽しい。映画の中ではレース中の事故で炎上するのだが、この炎上シーンは、レース場で実際に起きた事故の映像だという。
さらに、カサヴェテスを色気で悪の道へ引きずり込むファム・ファタル、アンジー・ディキンソンが、カサヴェテスと2人で踊るナイトクラブの歌手が、ナンシー・ウィルソン。そこでピアノトリオをバックに歌っている曲が「Too Little Time」。ヘンリー・マンシーニが「グレンミラー物語」のテーマ曲として提供した曲で、映画のその後の展開を考えると、まさにつかの間のお楽しみではある。こういうところも泣かせます。ところで、ナンシーは生涯70枚以上のアルバムを残し、いわゆるスタンダードといわれる曲はもれなくアルバムにしているのではないかと、この曲を歌っているアルバムを検索してみたのだが、全くない。だから、ナンシーの歌は「殺人者たち」でしか聞けないのである。とても素敵なバラードなので、トロンボーンのビル・ワトラスとヘンリー・マンシーニ楽団の演奏とアニタ・カーシンガーズのコーラスをはっておこう。
Henry Mancini & Bill Watrous, 'Too Little Time' - Bing video
Henry Mancini & Bill Watrous, 'Too Little Time' - Bing video
ちなみにこの映画の音楽は、ジョニー・ウィリアム、のちの映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズであります。
映画の終わり近くで、アンジーを連れてホテルから出てくる暗殺者ふたりが狙撃される俯瞰ショットに続き、ライフルのケースを肩にかけたレーガン、そしてレーガン亭でアンジーと落ち合う室内シーンから一気に爆走してくるリー・マービンのセダンの画面に切り替わる展開は素晴らしい。これこそ映画だと大満足の夜なのだった。
モノクロ三作は未見
札束をにぎったレーガン
竹箒が路上の枯葉を掃くクローズアップのショットから始まり、やがてそれが何かを迎え入れるための城内へ続く道の清掃だったことがうかがえるロングショットに切り替わる。何かがやってくる気配に、城門の周辺ではしゃいでいた悪童たちが、道の向こうを見渡せる櫓へと走り出す。その先頭をリーダーと思しき男が、三層の櫓の階段を一気に駆け上がる。これをワンショットで捉えたカメラの動きに、何かが始まる期待感が高まる。城内に迎えたのは輿入れの帰蝶(濃姫)一行だが、ここから信長と帰蝶の初夜までのアクションは悪くない展開だ。とりわけカメラの芦澤明子のカメラワークはこの映画唯一の救いと言ってもいいだろう。このカメラあってこそ、綾瀬はるかの卓越したアクションも生かされていると言える。また、東映京都のセットづくりや美術はさすがだと思わされた。
だが、この映画の良いのはここまでで、この後本能寺の変まで続く、信長と帰蝶の30年のラブストーリーは、なぜこの二人が惹かれ合うのか明確な場面もない。足利将軍の案内役で京へ上った時、平民の格好で市中へ出かける二人が唯一夫婦らしい振る舞いで、この時信長が帰蝶に送った置き物がその後の二人を結び付けている証として示されるが、シンボルとしての求心力に欠ける。
摺の非人の少年を追いかけてその部落へ迷い込んだ末に、その老若男女を切りまくる二人とその後のまぐわいにどんな意味があったのか。信長を普通のヤンチャな男として描きたかったのだろう。聡明な帰蝶に対し、信長はただのうつけで、決断力もない暴君。それには木村拓哉の素がうってつけだったとしても、信長をそこまで引きづり下ろす意味が果たしてあったのだろうか。挙句にうつけが魔王へと変わり、その資格を失って光秀に討たれるという、よく分からぬ展開。
脚本は、大河ドラマ「どうする家康」と同じライターだが、歴史的に偉人と言われている人物を現代的な味付けでの悩める人として描き、それが聡明な女性の登場によって成長の階段を登っていくというのはどちらも同じだ。映画は帰蝶、大河はお市である。だが、どちらの作品もこの二人が一緒に登場することはない。この映画でもお市など全く存在しないかのように影も形もないのである。
もちろんフックションなのでどんなストーリーで描こうと勝手だが、一本の作品としての説得力は必要だろう。歴史の出来事をすっ飛ばしすぎたため、信長がなぜ魔王というまでになったのかわかるような場面がない。比叡山攻略の殺戮は結果であって、魔王が前提のふるまいだ。結局、信長と帰蝶のラブストーリーに絞ったため、だがその展開に極めて重要であろう歴史的出来事が端折られてしまった。だからなぜこの二人が惹かれ合うのかが一向に分からない。
そもそも東映は、何がしたかったのか。当代きってのスター二人の組み合わせならヒット間違いなしと踏んだのだろう。監督も脚本も旬の二人。だが、どう考えても映画ではないのだ。テレビの連続ドラマの作りなのだよ。それでもう少し作り込めばテレビとしては面白い作品になったかも知れぬ。
映画、せめて長くて2時間にでもまとめるつもりでスタートしていれば、こんな無様な作品にはならなかったのでは。さらに言えば、レジェンドというなら、時代劇に長けたあの中島貞夫監督がいるではないか。なぜ、このレジェンドに撮らせないのか。それこそ東映三角マークへの敬意というものだろう。
製作費20億と言うには、主役以外の配役はしょぼいし、戦国もので合戦シーンがないとは、一体どこに金を使ったのだろうと、突っ込みどころ満載の映画なのだった。それにしても木村拓哉は、撮影所育ちもしくは国際的に評価された監督の映画にメインで出ているのは「武士の一文」くらいしかない。そこがスターとは言え、この人に決定的に欠けている経験なのだ。まだまだ映画スターなどとは言えない存在なのだ。だからこそ中島貞夫監督に撮らせたかったのだが。
今年70歳になる身としては、東映映画とともに生きてきたと言ってもいいのだが、70年を祝う映画がこれでは、ちと寂しい。
こんなポチ袋がモギリのお姉さんから貰えた。
デヴィッド・ロウリー監督「グリーン・ナイト」はミゾグチの「雨月物語」や「雪夫人絵図」の一場面を彷彿とさせる。とりわけ旅の途中で出会う、泉のなかの自分の首をひろってきてくれという女の幽霊と小屋から泉へ下っていく横移動のシーンなどはミゾグチそのものではないか。
それにしても途中から旅の水先案内人になるキツネの動きが素晴らしくて、これは本物なのかCGなのかと考えるのも面白い。丘の向こうの霧のようななかをゆっくりと動く女人の巨人も素晴らしい。冒頭、娼館で目覚めてからアーサー王の宴席に列席し、グリーンナイトが登場するまでのテンポの良いカメラワークが一気にファンタジーの世界へ観るものを引きずり込んでいく。あまり評判にならないが、シネコンで観られる最良の作品と思う。
色見本
清濁の等しくなりぬ春の雪
風光る熊野の森の百重なす
東スポにくるむバナナの熟れ具合
切り傷に唾塗る女花石榴
あめんぼに国のゆくへを尋ねけり
校了の朱筆入れ終へ夏夕焼
ピアニスト死す夕凪の半音階
ジャズ祭のシャバドゥビダヴァダ晩夏光
ががんぼの薄き影より飛び立てり
蜜月は三月かそこら百日紅
番犬のふぐり伸びたる秋暑かな
セロ弾きのカタロニアの歌小鳥来る
告白はとぎれとぎれに鰯雲
吾子を抱くやうに白露のマンドリン
秋うらゝ十万色の色見本
(「俳句大学」創刊号掲載/2015年)
映画監督・小津安二郎と俳句
~『全日記 小津安二郎』より~
文人俳句に親しむ
昨年(2018年)は映画監督・小津安二郎(1903三~1963)の生誕115年ということで、戦後の主な作品が4K修復で上映され、ご覧になった方も少なくないだろう。
小津監督は、そのスタイリッシュな作風で世界的に評価されているが、生涯独身だったことや、家族という同じテーマを描き続けたこと、ローポジションのカメラアングルへのこだわりなど、ストイックでどこか謎めいた伝説をもつ監督でもある。
私生活を知る手掛かりとして、私たちは小津監督が残した日記を『全日記 小津安二郎』(田中眞澄編纂/フィルムアート社刊)として読むことができる。昭和8(1933)年から同38年まで、途中欠落はあるものの30年あまりの日常が記録されている。内容はほぼ交遊と食べ物のメモ程度の記録で、日々の心境は余り綴られていない。実に素っ気なく、いわゆる文学者の読ませるための日記ではない。しかし、その中にあって、謎めいた監督の日々の心情がうかがえる貴重な記録が、百数十句残された俳句なのである。
日記の俳句は、小津監督が応召する昭和12年までに、ほぼ集中している。20代から俳句を詠み始めたようだだが、久保田万太郎(1889~1963)の俳句を好んでいたことは、日記からうかがえる。
また、昭和10年3月の日記に――
十九日(火)
山中貞雄より京のすぐきをもらいければ
春の夜に(を)さらさら茶漬たうべけり
「に」を「を」に改めるは久米三汀の教なり
との記述がある。
久米三汀は夏目漱石門下の小説家、劇作家の久米正雄(1891~1952)の俳号で、若くして「俳句日本」の巻頭作家になるなど、大正俳壇、新傾向俳句の旗手といわれた(久米の生涯は破天荒で面白過ぎるが)。小説に専念し、一時俳句から遠ざかるが、昭和9年頃から久保田万太郎らを宗匠格とした文人俳句のグループ「いとう句会」に参加。戦後は万太郎と『互選句集』を刊行するほどであった。文人との交流が活発だった小津監督も、こうした作家たちとの交流の中で俳句に親しみ、三汀の手ほどきを受けるに至ったのだろう。
梅咲くや銭湯がへりの月あかり
この句などは、万太郎の句を模したとあり、遠くおよばないとも記している。
俳句に綴られた恋
心情をあまり綴らない日記の中にあって、小津監督の心の内が最も鮮やかに浮かび上がるのが、実は恋の句である。小津監督は昭和10年頃、小田原の芸妓千丸こと森栄と逢瀬を重ねていた。日記には昭和十年から「小田原に行く」「夕方から小田原の清風楼に酒を呑む」(2月12日)などの記述が目につくようになり、そのあとには、決まって一句が添えられている。
小田原は灯りそめをり夕ごゝろ(十五日)
三月五日(火)
~十時十分東京駅から小田原清風へ行く
明そめし鐘かぞへつゝ二人かな
これも久保万の明けやすき灯をに遠くおよばず
小津の万太郎好みはこんなところにも。それはそれとして、この句は後朝の一句であろう。そしてさらに、
ひとり居は君が忘れし舞扇
ひらきてはみつ閉ざしてはみつ(十三日)
雪の日のあした淋しき舞扇(二十二日)
21日の夜小田原へ行き、23日午後帰京しての一句。女が帰った後、忘れ残した扇を開いたり閉じたり、その反復行為が切ない。雪の日ならなおさらだ。
さらに3月23日(土)には、「またしても小田原清風に一同行く」とあり、その後に次の2句である。
口づけをうつつに知るや春の雨
口づけも夢のなかなり春の雨
春の雪は雨へと降り変っていた。女は明け方先に帰ったのだろう。帰り際にそっと口づけしたのか、それとも夢の出来事なのか。これまた後朝の句だが、どこか覚めた目で自分を見ている。この時、小津安二郎32歳。
「夢のなかなり」の句は、小津俳句としてしばしば取り上げられるが、ストイックな小津監督の映画からは想像しがたい艶めかしさだ。戦後の小津映画では『早春』(1956年)など男女の情欲を描くものは数少ない。それだけに、これらの恋句には驚かされてしまう。しかし、俳句という言葉の無駄を省く定型詩によって自らをクールに見つめているところが、スタイリストの小津監督らしいといえるかもしれない。
「篠」187号掲載(2019年1月)
【追記】
小津安二郎の俳句については、2020年に松岡ひでたか著『小津安二郎と俳句』が出版されて、巻末に小津監督の全223句が掲載されている。同著は2012年の小津監督の50回忌を記念して私家版で出版され、私も長く探していたものだが、20年に復刻され日の目を見ることになった。この「篠」掲載のエッセイは、復刻前に『全日記』より句を拾って書いたものであることをお断りしておく。
写真はネットより