ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

自分で祝うマンフラ2周年

2007年10月25日 | アフター・アワーズ
マンフラ・ブログも2周年を迎えた。カルチャーといわれるようなものをひたすら消費するだけの日々、飯を食っては出すように一時的な満腹感はあっても血や肉にはならずひたすら忘却に至ることに危機感を覚え、少しは記録しておかねばと始めたブログだが、思いつきで始めた回文俳句、ジャズ短歌いずれも長続きせずゆきづまり、とはいえ気が向けばまた一句ひねり出そうとは思いつつも、今度はもう少しドキュメンタリーなもの、たとえばウンコの長さを毎日計るとか、日常ドキュメンタリーに取り組もうと野心を燃やす今日この頃なのであった。
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漱石の羊羹、となりの官能小説で万馬券するハンガリアン

2007年10月22日 | アフター・アワーズ
 最近、読書があまり進まなくなった。そんな折、江戸東京博物館で開催されている「文豪・夏目漱石」展に行った。作品の直筆原稿、蔵書、手紙、文具、さらに漱石自身による書画など、膨大な本物の展示は圧巻だが、絵画鑑賞と違い、ほとんどが原稿なので、字をよむだけというのが、どうも欲求不満になってしまう。まあ、これだけの遺品を保管管理していた東北大学に漱石ファンは感謝しなくてはならないが、面白かったのは、作品の出版にあたって、漱石は本の装丁にことのほか熱心だったことで、アールヌーヴォー調の挿絵や装飾がすばらしく、当時としては画期的で、豪華であったことがうかがえたのだった。

 できれば、美術に対する卓越した批評眼をもっていた漱石が愛した絵画、たとえば『草枕』に出てくるミレーのオフィーリアなど、こうした絵画が展示されなかったのが残念だ。そういえば、『草枕』は原稿がなかった。朝日新聞社入社以前の作品だから仕方ないか。

 それにしても、展覧会の記念グッズコーナーでは、定番の絵葉書、Tシャツなどに加え、漱石が好んだ羊羹(東北大学の地元仙台の老舗「白松がモナカ本舗」が製作)、ピーナッツ、さらには漱石の髭を模したプロピア製の「付け髭」までが売っていた。こういう洒落も楽しい『漱石』展でありました。

 そんなわけで、少し読書欲が回復してきてベストセラーも目を通しておこうかと関根眞一著『となりのクレーマー・苦情を言う人との交渉術』(中公新書)、永田守弘著『官能小説の奥義』(集英社新書)を買い、タイトルに魅かれて岳真也著『文久元年の万馬券』(祥伝社)も読んだ。

 タイトルで読ませる新書が書店をにぎわせているが、『となりの~』は、象徴的な体験談を通じて、クレーマー対応術を指南しようというハウツーもの。こればっかりは、業種によってケースがさまざまなので、体験してみないと分からないし、経験こそが教科書になるんじゃないかと。クレーマーは男に多いとか、高齢になるほど悪質になるとか、そんなこの本の指摘に誰もがクレーマーになり得る社会になっていることの要因があるように思われるのだが、サービス過剰社会は確実にクレーマーを育てる。サービスという付加価値は厄介なのだ。僕も、電器量販店のあまりの対応の悪さに、お客様相談室にメールしたことがあるくらいだし、飲食店で苦情をいうのは、たいがい妻ではなく男の僕なのだが、受ける側は誰もがサービスを受けて当然という態度、する側は精一杯サービスしていますという態度、いずれもゆがんでいることは確かだ。そして、よいサービスに金がかかるのも困ったものだ。

『官能小説~』は、官能小説を万冊も読んだという著者が、事例をふんだんに盛り込みながら本邦の官能小説の構成、ストーリー展開、表現などをこと細かに分類し、分析した労作といいたいところだが、まあ、官能小説のさわりをダイジェストで、腹いっぱい楽しめるお得な1冊というところ。

 岳真也著『文久元年の万馬券』は、『万延元年のフットボール』をもじったと思しきタイトルだが、幕末に横浜の外国人居留地で始まったわが国における競馬の始まりを題材にして、馬のあしらいに長けた福島三春出身の若い武士が、維新の動乱に巻き込まれながらも、馬を通して外国人との交流の中で成長しいく姿を描いたBildungsromanといってもよい小説だ。靖国神社が招魂社といわれていた頃、境内で競馬が催されたという話は、靖国神社の歴史を紐解くと出てくるのだが、この話はさらに遡って維新の10年くらい前、文久の話で始まる。競馬好きは、競馬が横浜の根岸で始まったということくらいは知っているのだが、この小説に書かれてある幕府の閣僚が、競馬場建設に熱心であったことなどは、意外や意外だった。そんなわけで、競馬ファンにはおすすめの1冊ではある。

 さて、秋の夜長に似合うミュージックは、と。澤野工房が送り出すハンガリーのピアニスト、ロバート・ラカトシュ・トリオ「Never Let Me Go」がなかなかいい。クリアでカッチリした録音、もう少しバラードではタッチが柔らかくもいいかなと思いつつも、1曲目「All or Nothing at All」、そして「My Favorite Things」、さらに「Estate」と佳曲ぞろいで楽しめる。でも、ヨーロッパ系のピアニストは、どこかやっぱりエヴァンスが顔を出すんだよなー。
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沖縄の海と太陽に感謝

2007年09月20日 | アフター・アワーズ
 今年は回りに沖縄に行く人が多い。僕も8月の終わりに西表島へ行った。川口探検隊よろしくマングローブの林を探検したり、さんご礁の海をのぞいたり、仕事だったけれど実に楽しかった。このブログで紹介した石垣島の闘牛もその一環。のりへいHGも家族で7月に行って、先日沖縄土産交換会を沖縄食堂で執り行ったばかりだし、同席した島とうがらしカンチョー女も9月末に那覇に行くらしい。元土建屋編集者Hも明日から西表島に行く。娘夫婦が招待してくれるのだそうだ。

 西表島、大分開発されたとはいえ、まだ手付かずの自然がいっぱいだ。何もないことのありがたさがしみじみ伝わる島。もう開発はしなくていいと思う。島の人たちも望んではいない。珊瑚の白化が進んでいたのが心配だ。

 今回沖縄へ行って再認識したのは泡盛の種類の豊富さだった。石垣島では高嶺酒造所「於茂登」と「於茂登炎」を飲んだ。キリッとして旨かった。カットしたシークワーサーを入れると実に夏向きな飲み物になる。

 那覇の国際通りにある「古酒屋」は、泡盛マイスターがいて、どんな相談にも乗ってくれる、なかなかよい店だった。店の地下には限定品から5万円の高級品まで店内ところ狭しと展示してあり、頼めばどれでも試飲できる。この店限定の請福酒造5年古酒「石垣島白ラベル」(30度)は、2500本限定シリアルナンバー入りで、スッキリしてそれでいて深みのある味。昼前だったが、散々飲み比べてこれを自宅用と土産に買った。家で飲んでも旨かった。そんなわけで、土産用のうちの一本も飲んでしまった。

 西表島から石垣島に戻ると、石垣島がなんて大都会に思えることか。石垣の足はタクシー。初乗りはなんと390円だ。ちょっと観光しても3000円あると結構回れる。石垣島の飲み屋さんでは、客は日が変わる12時過ぎから本格的に飲むし、みんな歌がうまい。カラオケで歌う歌も島唱やビギンなどの曲なのだが、とにかくみんなうまいのにはまいった。石垣の市場で買った朝獲れたての「もずく」、ジュースがほとばしるみずみずしいシークワーサー、有名なペンギン食堂の石垣島ラー油(2個限定だった)、沖縄版ジャスミン茶の「さんぴん茶」など、素朴な食材が極上の土産になった。太陽と海に感謝なのだった。

 でも、具志堅のチョッチュネー手ぬぐいが品切れだったのが残念だった。
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石垣島の闘牛お盆特別興行

2007年08月28日 | アフター・アワーズ
石垣島で闘牛お盆特別興行を観た。プロレス興行よろしく、市内をけたたましい音声で宣伝カーが走っていて、血が騒いだのだ。

闘牛場は郊外の畑の中にあって、円形の闘牛場をコンクリートのだんだんの観客席がぐるりと囲む粗末なものだ。試合開始まで、親子三人の民謡バンドのライブ演奏が会場を盛り上げる。試合は簡単で、2頭の牛が角を突き合わせて闘い、背中を見せて逃げたほうが負け。牛の名前が秀逸で、戦闘パンダは人気大関、タリバンなんてーのもいる。牛の引き手の手綱さばきも試合を左右するようだが、口から白い唾液をたらし、猛々しく目をむいた牛はなかなかの迫力。勝った牛は化粧まわしを着けて場内一周。このときとばかり親子三人民謡バンドが囃し立て、応援団の子供たちが抜群の乗りで島の踊りを踊り、紙吹雪きを散らす。観光客は沖縄らしいこのエネルギーに圧倒され拍手喝采だが、観客席の上段に椅子を並べて陣取った、いかにも地元の濃い顔立ちの男たちは、試合ごと携帯で連絡を取っているようで、観光客とは違った佇まい。なんでも試合ごとに大金が動くのだそうだ。

スケジュールの都合で前半戦だけしか見られなかったが、場外では試合で負けた牛の引き手の青年と胴元らしい男が言い争っていて、いまにも取っ組みあいが始まらんばかりで騒然としていたが、二人が喋っている言葉は島の言葉なので全く分からなかった。

いやはや、場内も場外も熱く燃えた石垣の夜なのだった。
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馬ホルモンな熊本の夜

2007年08月25日 | アフター・アワーズ
昨夜は熊本で馬刺し、たてがみなどの馬ホルモン刺し、さらに馬ホルモンのニンニク炒めを、島美人などやりながら喰いまくり、やはり締めはラーメンというわけで、今朝はいささか胃が疲れ気味。それでも朝飯をしっかりつめこんだせいか体の動きが鈍い。

昼は軽く温かいうどん一杯で済ませ、熊本から福岡空港行きの高速バスに乗る前に、熊本市現代美術館でアティテュード2007・人間の家という美術展を観た。極限における人間の生への態度がテーマらしい。アラーキーの写真、阿部薫の音楽、埴谷雄高の死霊草稿、ハンセン病療養所入所者の作品に海外アーティストの作品などさまざま。舞踏家土方巽のデスフット、ポーランドの作家のレゴで作った強制収容所、辻綾子の大量のほたて貝の殻で作ったオブジェは圧巻。埴谷雄高の本名が般若豊であること、風貌が三遊亭円生そっくりであること、が面白かった。

そんなわけで、いまは熊本から福岡空港行きのバスの中なのであります。今夜は那覇、明日に備えて内臓を休ませよう。
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なんかおかしい、でも、そんなの

2007年08月23日 | アフター・アワーズ
夏の甲子園、ノーアウト三塁だと、なんでみんなスクイズ? なんかへん。24時間テレビでゴールしたキンチャンに、ボケられなかったタカ&トシ、なんかへん。新宿でくそ暑いさなかトレンチコートでたたずんでいた男。なんかへん。白のブラウスに黒の下着まる透けで歩く女、なんかへん。でも、でも、でも、そんなのかんけーねー。
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西班牙市場で満腹

2007年08月20日 | アフター・アワーズ
 ときどき行く店に川越の「西班牙市場」というスペイン料理屋がある。お盆の仕舞いの日に食事に行ったらいつになく空いていて、つい身動きできなくなるほど、がつがつ食いまくってしまった。

 店は、関越自動車道の川越インターを降りて川越市街方面へ向かい、脇田新町の信号を左折、今成交差点を過ぎてすぐ右側(徒歩ならJR川越線の西川越の駅から歩いて7、8分らしい)。表に大きなパエリヤのフライパンがディスプレイされているが、実際に営業しているかどうかは外観からではよく分からない。

 でっかい倉庫のような佇まいだが中に入るとびっくりで、2階吹き抜けの店内は、ステンドグラスやスペインタイルで飾られた壁面、スペインの民芸調の椅子やテーブル、陶器で装飾された柱、帆立貝の殻で一面飾られた壁など、ほとんどが手づくりらしいが、それがいかにもスペインらしい雰囲気を作り出している。中央にガウディのサグラダファミリアの模型が鎮座していて、2階は回廊になったカフェ&バー、食後のデザートはこちらへ案内される趣向だが、2階からの眺めもなかなかよい。

 料理は、本場バレンシアのパエリヤ大会で優勝経験のあるオーナーが作るパエリヤが有名だが、モツのピリ辛煮込み、イカの墨煮、オムレツ、生ハム、タコやイワシなどの魚介、肉となんでもおいしくて、オーブンで蒸かしたパンが料理にとても合ってうまい。酒は、サングリヤもいいがシェリー酒がいける。

 インテリアは手づくり感いっぱいだが、店の隣に作業場があり、帰り際に見ると男二人がなにやら丸い大きなテーブルのようなものを作っている。その内の一人が「ありがとうございました」と声をかけるので振り返ると、先ほどまで店内で料理を運んでいたウエイターのお兄さんだった。
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古いiPodが使えるFMトランスミッターは

2007年08月10日 | アフター・アワーズ
 お盆になると海も山もどことなく夏の終わりの気配が漂ってくる。山なら日が陰るのが早くなり、朝晩の空気や川の水が冷たくなる。海ならクラゲが多くなるとか、気配が変わってくるものだ。唇を紫色にして川から上がり天を仰ぐと、蜩が鳴いていて、太陽は山に隠れ始めている。熱くなった川原の岩に冷たくなった体を横たえる。太陽をいっぱいに吸った岩の熱が気持ちいい。だが、夏の終わりの気配は、いつもさみしいものだ。さて、これから逝く夏に遊ぼうか。

 そんなわけで、iPodに入れた音楽を車で聴きたいといろいろ検討した結果、ロジテック社のFMトランスミッター「LAT-FM110U」を購入した。ヨドバシで4,980円。1年ほど前、オーディオテクニカの「AT-FMT5」を買ったが、車ではまったく使い物にならなかった。そのためFMトランスミッターについてはその性能に懐疑的だった。雑誌のレポートなどを読んでも出力が小さいとか、ノイズが多いとか満足したとの声は少なかった。

 我が家の車のカーステレオはMD専用、カーナビはHDDタイプだが、SDカード経由でHDDにコピーするタイプ。いずれも手続きが面倒くさい。だから車内の音楽環境を変えるには、豊富な楽曲を収納してあるiPodを使用するのがベストなのだ。だが、使用中のiPodは4つボタンの第3世代タイプ。ドックコネクタが旧タイプなので、ドックコネクタから送信・充電する現在のトランスミッターの主流タイプで使えるものはかなり限られてくる。なにせ、ネットで見ても、ことこのFMトランスミッターに関しては評価が定まらないから、再びだめだったことを考えると、出費は5,000、6,000円程度でとどめたい。

 そんなわけで、いろいろ検討し、結局、iPodとトランスミッターはステレオミニプラグでつなぎ、電源はシガーソケットからとれるもの、さらに使用しながら充電が可能なもので、トランスミッター用LSIとして性能が評価されているローム社製LSI「BH1417F」を搭載しているものということで、ロジテックのものになった。送信周波数は88.3MHzから4段階限定だが、iPod本体の充電はトランスミッターのUSBコネクタが使えるというのが決めてだった。ミニプラグで接続するタイプは、ドックコネクタを使うタイプと違い、本体の充電ができないものがほとんどなのだ。

 で、実際に使ってみると、「AT-FMT5」とは格段の違いで音質・音量がよくなっていた。しかも、ミニプラグ接続だとiPodサイドで音量調節ができるのもよい。ただ、アルバムによって出力する音量にかなり差があり、その理由はよく分からない。とりあえず、FMラジオ程度の音質は得られるので、一応満足のいく結果が得られたのだった。
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ミヤケンとハマコーにも効くアカギのバンソーコー?

2007年07月30日 | アフター・アワーズ
 アカギの絆創膏で自民は相当な痛手を被った。しかもずっとつけていればいいものを、はがしてみれば、あれだけ大げさな絆創膏の割に何も炎症の後がない。陳腐なサスペンス劇場でもやらないごまかしに、おじさんおばはんもあまりに分かりやすいので怒った。そんなわけで、参院選は自民大敗で終わった。早速民主がテロ対策特措法の延長阻止を表明しているが、アベちゃんが「テロとの戦い」といってアメリカの侵略戦争への加担を表明して、憲法まで改正しようとしているのに対し、これから民主はどうするんだか。

 こういう中で、小田実が亡くなり、カール・ゴッチも亡くなった。ゴッチは日本のプロレスに多大な貢献をした。小田はフルブライト留学生としてアメリカに留学、その後反米になった活動家だが、戦後の日本文化を照らすアメリカの光と影みたいなものをこの二人には感じてしまうのだった。

 そういえば、選挙前にミヤケンも亡くなった。新聞やテレビは、こぞって軍部の弾圧に屈せず、獄中12年転向せず戦った闘士とその生涯を讃えていた。死者にもはや鞭は打つまいということなのか、ナカソネも「敵ながらあっぱれ」とその死を惜しんだ。

 だが、ちょっとまってよ。ミヤケンが墓場までもっていってしまったものがいっぱいあるんじゃないか。なんといっても1988年のハマコーの爆弾発言を思い出す。

 衆院予算委員会委員長であったハマコーが、予算委員会での共産党とのやりとりのなかで、ミヤケンを殺人者と呼び、殺人者を幹部に置く日本共産党に懸念を抱くと突然発言、さらに戦前(昭和8年)の共産党で起きた小畑中央委員リンチ殺人事件をミヤケンらによる殺人事件と爆弾発言したのだった。当然共産党はこの発言を議事録から抹消するよう要求、当時の自民党のドン金丸が議事録削除で手打ちをしようとしたのだが、ハマコー先生これを断固として拒否、自ら委員長を辞任、その後議員も引退するなど、男ハマコーの真骨頂を見せた騒動であった。

 こんな騒動(この背景は奥深い。なぜ12年も獄中生活が可能だったのかとか、疑問はいっぱいあるからだ)に一言触れてもよさそうなものを、アカギの絆創膏を追及したマスコミも、こちらの件ではしっかり過去に絆創膏を貼っていたようなのだった。
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エドワード・ヤン監督は今夜も一人なのだろうか

2007年07月12日 | アフター・アワーズ
 「クーリンチェ少年殺人事件」「ヤンヤン 夏の思い出」などで知られる映画監督エドワード・ヤンが6月の終わりに亡くなった。

 「ヤンヤン」でカンヌの監督賞をとって以来、その作品を観ることができなかったが、なんでも長いこと闘病生活を送っていたらしい。もう14、15年くらい前になるのだろうか「クーリンチェ」で初めてこの監督を知ったとき、比肩しうる監督はテオ・アンゲロプロスくらいしかいないのではないかと思い、いつもエドワード・ヤンの作品を待ちわびていたが、超寡作にしてなかなか作品に出会うことはできなかった。「クーリンチェ」の冒頭、撮影所の天井から俯瞰でスタジオ内をのぞく長回しのシーンのすばらしさ、プレスリーの「アー・ユー・ロンサム・トゥナイト」は、この映画以来、僕のフェヴァリット・ソングになってしまった。

 今日の凡百の日本映画が束になってもかなわないエドワード・ヤンの映画は、昼も夜も、風も雨も、すべてが輝いている。映画の美しさとは、この監督のためにあるといってもいい。ただただ合掌。そして、「アー・ユー・ロンサム・トゥナイト」を聴いている。
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