ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK番外編その7

2016-02-17 23:09:00 | 日記
甲斐さんの「若いこだま」第10回は「狂った夜」を皮切りに
「夏よ来い!ロックンロール大特集」として
サディスティック・ミカバンドの「ダンスハスンダ」や
内田裕也さんの曲を流されてますが

「(加藤和彦さんは)今はアダルト・ミュージックになってしまって」
「キャロルの時はスゴイなって思ってた永ちゃんも
近頃、言葉で補ってる気がして」
甲斐さん的には「ツマンナイ」状況だったみたいです(苦笑)

でも、甲斐さんが歌詞を書かれるようになったのは
安井かずみさんや松山猛さんに影響された部分もおありなんだとか…

奥さんメモによると、この日の放送で特筆すべきは
「甲斐さんの声を聴くとタバコが吸いたくなる
甲斐さんは専売公社のホームラン王(笑)」とか

「私の周りの男はみんな、タバコに火を点けてくれる」という
女性リスナーの方々からの投稿を読まれた甲斐さんが

「良いコトだねぇ、シビレるね!(笑)
高校生の頃はタバコを吸う女が嫌いだったけど
俺は高校ノンポリ、歌い始めて少し不良、今は不良だから(笑)
つき合う女や好きな女は、やっぱりタバコ吸ってる女
タバコ吸ってるのが本当にイイ女だと思う」とおっしゃったことです(笑)

リスナーにタバコを推奨してると受け取られては…という配慮からか?
続けて発せられた「好き嫌いは偏見だからね」との甲斐さんの言葉は

「甲斐さん中心の生活」をしていた奥さんには逆効果で(笑)
好奇心で遊び半分にタバコを吸ってはいたものの習慣化してなかったのが
一気にヘビースモーカーへと変身(笑)

でも、学校の持ち物検査でタバコが見つかっても
一見、見た目マジメだったのが幸いしたのか?(笑)
正直に自分のタバコだと申告したにも関わらず
友達から預かったんだろう?と言われたそうだ(笑)

ともあれ、後になって甲斐友さん達と話してみると
この甲斐さんの言葉が引き金になったのは
奥さんだけではなかったらしく(笑)
もしかしたら、当時の女性ファン全員が
1度は試してみられたんじゃないかと?…(笑)

かつてのサンストでも、女性は化粧、男性は酒とタバコを小道具として
イイ女、イイ男になれと話されてたのに
今や立派な嫌煙家になられた甲斐さんを
恨めしく思ってる方もいらっしゃるのかな?(笑)

ただ、この放送でも「タバコを吸ってても吸われてる女
本人よりタバコの方がカッコイイのは
酒を飲んで飲まれてる奴と一緒で美しくない」とおっしゃってたらしい(笑)

余談ですが…「火を点けてくれる」って投稿をなさった女性は
「止めてくれる男性がいない」と嘆いておられたそうで(笑)
甲斐さんが「ああ、想い出まくらね」と
流されたことをどう思われたんでしょう?(笑)

ちなみに…奥さんは、25歳になった途端
周りの男性陣から「止めろよ」と言われなくなり
火を点けて貰えるようになってフクザツな気分を味わったみたいです(笑)

そうそう!「甲斐さんと同じ25歳、四捨五入すると30歳」とのハガキに
甲斐さんいわく…お前、恐ろしいこと言うな(笑)

かつては「30歳以上を信用するな」という風潮があって(笑)
「30歳」は、いわゆる「大人」
…長いモノに巻かれちゃった人達ってニュアンス…で
今よりもっと20代との違いが大きいというか
一緒にするなよって感じだったのかなあと…(笑)

話を戻しまして…「仕事を辞めて、何処かへ行きたい」という投稿に
「滅入ってる時は、何もバネにならないけど
何処かへ行っても大して変わらないと思うよ
バネになることって、日常に1000個くらい転がってるから」

「何十ヵ所ものツアーを、1回決めたセットで回ってると
やっぱり何曲か飽きることがある
そういう曲は切って、新鮮な気持ちで歌える曲に変えたい
まあ、1人ならすぐに出来るけど、バンドだからね」

「でも7月の野音は、ソロの曲をやらないつもりだったんだけど
ガンガンやろうと思ってます
ソロアルバムの曲を甲斐バンドでやることで
メンバーがもっと高い所に行けるかも知れないと思うから」

四人囃子の「空と雲」パンタ「屋根の上の猫」が流され
「R&R特集」の最後の曲は、甲斐バンドではなく
サザンの「勝手にシンドバット」

野音のオープニング・アクトに招かれたくらい
気に入っておられたようですが
この日の放送で、あの有名なお言葉
「これは絶対、売れる!この曲が流行んなきゃ
甲斐バンドも流行んないかも知れない」を口になさったんだとか…(笑)
甲斐さんの耳は…イヤ、時代を見る目は確かでしたね♪

翌週の放送では「わかれうた」をバックに中島みゆきさんが登場♪
みゆきさんは、お仕事で東京に来られたり、ツアーで全国を回られたりして
1年の半分以上、留守になっても北海道を拠点になさってるって話から…

「東京はどこまで行っても家がある(笑)」とみゆきさん
甲斐さんは「隣がないとイヤ(笑)」で
「地平線を見るとドキドキする」そうだ(笑)

甲斐バンドのツアーで「サッポロのビール園」に行かれた際に
「コップ1杯でダメな大森が、大ジョッキで4杯飲んだ
俺と松藤が9杯で、東芝の宣伝マンが11杯飲んだ」と甲斐さん(笑)
この時に松藤さんは甲斐さんから
「正しいビールの飲み方」を伝授されたんでしょうか?(笑)

みゆきさんは、その話が噂となって
「キャニオン」にまで聞こえて来たと話されたらしいんだけど
この番組…国営放送なんですよね?(笑)

ともあれ…この日の1曲目は
甲斐さんが、加川良さんの「下宿屋」ぽくて好きだという「おまえの家」
「自分でも好きよ」とおっしゃったみゆきさんに
甲斐さんは「言うなよ、自分で…おまえ(笑)」と突っ込まれたみたいですが

みゆきさんが、加藤登紀子さんや研ナオコさんに提供なさった曲について
甲斐さんに「自分で歌った方がいいと思った?」と訊かれて
「ずうっと良かったなー、私が歌うんだった(笑)」と答えられた時にも
「言うなよなあ(笑)」とおっしゃってたそうだ(笑)

「趣味は?って質問をしなきゃいけない」という甲斐さんの言葉は
「対談」の難しさを実感されていた時期だからだったんでしょうが
少なくとも奥さんに関しては
甲斐さんが聴きたいこと、話したいことを聴くのが楽しかったので

みゆきさんが就寝時に「布団の中で寝心地の良いスポットを探すこと」や
「動物を追っかけ回すこと」と答えられたことより
甲斐さんが「長岡が猫を見たら、水鉄砲で3時間遊ぶ(笑)」と話され

「私がその人イジメようかしら(笑)」というみゆきさんに
「そんな人じゃないんですよ」と説明なさったことの方が
興味深かったんだとか…(笑)

この日は2曲目に「らせん階段」
3曲目は「ホームにて」が流されてるんだけど
話題は、少し前に番組でオンエアされた「世情」へ…(笑)

甲斐さんによると、吉見佑子さんは「北大のグリークラブの発想」
「並木道が見える」と話されてたそうです(笑)

甲斐さんは「リフレインの歌詞が好き」で
「変わらない時をただ単に眺めて過ごす人が多過ぎてイヤ」だけど
「自分でもやってるんじゃないか?と思う」とおっしゃって

「好きな女と別れたことを、何で曲にしなきゃいけないのか?」と悩まれ
「結局、歌を作らないと越えられないと振り切った」こと話されると

みゆきさんは「私は惚れっぽい割りにシブトイから(笑)
歌にしても言い切れなくて、気持ちが片づかない」と…
吉見さんから「たった1回の失恋で、よく稼ぐわねぇ(笑)」
って言われた所以ですね(笑)

そうやって作られた曲を「コンサートで歌う時がツライ」とみゆきさん
甲斐さんも「LPを作った後にちょっと歌うけどすぐやめる」と
「東京の一夜」を封印された話をなさっていたらしい

奥さんの中で「ガラスの動物園」が、未だに特別なアルバムなのは
当時の甲斐さんをリアルタイムで見たことが
忘れられないからかも知れません

それはさておき、最後の曲は「アザミ嬢のララバイ」
甲斐さんが「飲みに行くとよく聴いてた曲」
でも「時代を歌う人と同じ人間が歌ってると判らなかった(笑)」らしい

「こんなに屈託なく話せたのは珍しい」という甲斐さんに
「自分のことはあまり喋らないのに、ついつられて」しまったみゆきさん(笑)
その後、長いおつきあいが続いて行くんですよね(笑)

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機関紙BEATNIK番外編その6

2016-02-16 09:19:23 | 日記
1978年6月9日の「若いこだま」は
甲斐さんの弾き語りで「昨日のように」から始まったようですが
NHKの楽器班から「カンダ商会」のギターを借りてますって、いきなり…(笑)

機関紙では、音源紛失のためオンエア曲は不明となってるんだけど
「2分以内で終わるような短い歌」特集だったらしく
いつもの倍くらい?それ以上?の曲数です(笑)

それでも時間が余ったのか?(笑)奥さんは、それぞれの曲についての
甲斐さんのトークが長かったような気がするんだとか…(笑)

大瀧詠一さんの「いつも夢中」は
「夏!」って感じがして大好きな曲だと甲斐さん
夏休みに、お家の庭の朝顔を眺めてからラジオ体操に行かれてたのが
甲斐さんの夏のイメージだそうですが

サンストでは、飽きることなく朝顔をご覧になる甲斐さんを
お母様が「この子、大丈夫かしら?」と(笑)
心配なさっていたとおっしゃってました(笑)

「ワン・カオリ・モモイ」という桃井かおりさんのアルバムは
甲斐さんがナッシュビルに持って行かれたアルバムの内
唯一の日本人のLPだったみたいで、その中から「カオリ・ワン」
…って、LP盤のままで何枚も
海外に持ち出された訳じゃないですよね?(笑)

3曲目は、チューリップの「テイク・オフ」
甲斐さんは高校時代、地元のテレビ局主催のフォーク・コンサートに行かれ
当時4人編成だったチューリップをご覧になって

「レターメンよりスゴいハーモニー・バンドだ!」と思われたらしく
財津和夫さんにサインを戴いたそうだけど
1ヶ月くらいで失くしてしまわれたという(苦笑)

でも「アイドルのポスターを貼ったことがない(笑)」って方が
当時アマチュア・バンドだった方にサインを戴いたって
結構、イヤ、かなりスゴイことなんじゃないかと…?(笑)

ただ、奥さんによると…
甲斐さんは「日本語のロック」にこだわっていらしたので
チューリップにも「日本語でやって欲しい」と思っておられたようで
財津さんにお会いになると、遠回しに
「ほのめかしてる」と話されてたんだとか…(笑)

吉田拓郎さんの「高円寺」を流された後に
デビュー当時、甲斐バンドのメンバー4人で住んでいらしたから
「丸の内線だけは乗れる」…っていうか
丸の内線しか乗れないんじゃ?(失礼!)
…と甲斐さん

ソロではなくバンドでデビューすることになって
エレキに不慣れな大森さんや長岡さん
それにドラム経験のない松藤さんと甲斐バンドを結成されたのは
音楽的な技術よりも人間性を重視なさったからだと話され

もし、イヤイヤやってる部分があったら長続きはしない
4年続いて来たのは、メンバー全員が「俺は一生これで食って行くんだ」と
腹をくくっていたためだろうとおっしゃっていたそうだ

ともあれ、ペニーレインで拓郎さんとお会いになった時に、議論が白熱して
「俺はフォークを振り回し、拓郎は割り箸を振り回した」と…(汗)
「お手元のナイフとフォーク(笑)」を地で行かれた訳でしょうか?(笑)

同席なさっていたガロの大野真澄さんと山田パンダさんが
お二人を引き止められたことがあったんだとか…(苦笑)
甲斐さんは、かなり酔っておられたみたいで
お店を出られた途端に意識を失われ
どなたかに連れて帰って頂いたらしい(笑)

それはさておき、曲は矢野顕子さんの「風太」加川良さんの「こおろぎ」
泉谷しげるさんの「出船」と続き…

当時の甲斐さんは、音楽の世界で中堅…というか
「30歳くらいの人が主導権を握り、下には若い人が出て来て
俺はどこへ行こうか?」…といったことを考えていらしたようで

特に、泉谷さんとジョイントなさってから
拓郎さんや陽水さん、南こうせつさんなど
先達の皆さんを「もう越えなくちゃいけないと思った」と話されてたそうだ

「明日はどこへ行こう」という「翼あるもの」の歌詞には
そんな思いが表現されていたんですね

前回、前々回と2週続けてゲストを迎えられたことについて
リスナーから、様々な反応があったみたいで「人と会うのは難しいな」と…

対談なさる時のご自身の体調だったり
本音と建前を使い分けられるような器用さがなくて
言いたいことをズバッとおっしゃってしまったり

かつてセイヤングで、加藤和彦さんや泉谷さんとお会いになった際には
甲斐さんは、甲斐よしひろ個人として対談したいと
ご自身の聴きたい話をなさってたのを
ディレクターの方から、リスナーをないがしろにしていると
言われたことがあったらしいんだけど

ご自身はプロのインタビュアーではないし
ありのままで対談なさる様子を聴いて貰った方がいいんじゃないか?
それとも、もっとリスナーが聴きたがってる話をした方がいいのか?と…

甲斐さんが、そんな風に悩んでいらしたのは
風吹ジュンさんに対する態度が「スケベで頭に来る」と言われた(笑)
…からではなく、長谷川法世さんとお会いになって
長谷川さんが素敵で素晴らしい方だったことが、甲斐さんにとっては
ある意味「ムチ」で打たれたみたいに感じられたためだったようです

ちなみに…甲斐さんは、湊剛さんが長谷川さんにオファーなさったのは
甲斐さんが会いたがっておられたことはもちろん
「俺のためになると思って、会わせてくれた」と話されていたらしい

そうそう!風吹さんがゲスト出演なさった時は、ご本人のご意向もあってか?
風吹さんの曲は流されなかったのに(失礼!)
この日は甲斐さんが代わりに(笑)弾き語りで歌われてたそうだ(笑)

拓郎さんの「かくれましょう」と憂歌団の曲の後
友川かずきさんの「冷蔵庫」を絶賛なさって
色んな友達を作りたいと思ったのは
この曲を聴いたからだと話されていたんだとか…

甲斐さんによると、短い歌というのは
偶発的に出来たものが多く
言いたいことだけをポン!と言ってる
その凝縮された物の言い切り方が素晴らしいそうで

甲斐さんご自身も「1曲の中で言いたいのはホンの1~2行」だとか
湯川れいこさんのラジオでも
「本編が2分半というのは正しいのかも知れない」とおっしゃってましたね

1~2行で伝わるのに、他の言葉をつけて3番まで膨らませると
余計に中身が薄まってしまうと甲斐さん

ただ、作り手の方はそんなに深く考えておられる訳じゃなく
「思いつき(笑)」で作られていて
もしかしたら「言ってしまった!」と 思ってるかも知れないと話されてたらしい(笑)

この日、最後の曲は甲斐バンドの曲の中で一番短い「ゆきずりの風」でした
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機関紙BEATNIK番外編その5

2016-02-14 10:42:00 | 日記
甲斐さんの「若いこだま」も番組開始から2ヶ月が過ぎ
毎月第1・4週目は、投稿ハガキの紹介を中心に
第2週はゲストを迎えて対談、第3週は特集を組んで曲をかける
…といった構成にしようかという話になったようで
6月2日の第8回では、かなりのハガキを読まれたらしい

以前、セイヤングを聴いてたけど
甲斐さんのあまりの暴言に腹を立てて聴かなくなった(苦笑)という方には
「あの頃は若かったから(笑)」と甲斐さん

一方で、NHKの権力に圧され(笑)
言いたいことを言ってないんじゃないか?とのご意見や
甲斐さんを攻撃する内容のハガキもあったり
「恋人と別れた」とか「男に騙された」という
人生相談みたいな内容のものだったり…

甲斐さんはその1枚1枚に対して…
「ペンネームや匿名で書かれてるハガキは
一方通行で対決してる感じがしてツライ」と話されたり

「書くことでスッキリするなら、いくらでも読むよ
でも、人のことまで言いきらん
てめえが生きるので精一杯だから」とおっしゃいながらも

「後で思うとスゴイことだよ
別れた、騙されたっていうのは生きてるから出来る
死んだように生きてる人には出来ないんだから」とか

「いい男やいい女は、目の前で優しいことを言ったり
優しい素振りを見せたりしません
本当に優しい男や女は、知らない所であなたのために涙を流してる」と
深い言葉をかけておられたという

ご自身も長いツアーで体調が悪くなられて
「ステージはもちろん、曲も書かないといけないし
性格破綻者みたいになることがある
でも、観客の拍手…熱を貰った時に
歌ってて良かった、生きてて良かったと思う
だから、歌うことより歌い続けることが大事」と話されてたそうだけど

ここでアノ「ぬかるみの世界」に出演された時のことを思い出されたらしく
「ケンカして、帰る!って言いそうになった」と…(汗)

関西の方にはお馴染みですが、鶴瓶師匠のラジオ番組で
師匠がタバコを吸いに席を外された間に
放送作家の新野新先生と甲斐さんが一触即発(汗)

鶴瓶師匠によると、甲斐さんは後になって
「灰皿を掴もうかと思った」とおっしゃったくらい
怒っておられたという(汗)
まあそこは、間に入られた鶴瓶師匠の顔を立てられ
ぐっと我慢なさったみたいですが…

奥さんも最初は不穏な空気にハラハラしながら聴いてたらしいんだけど
途中から、新野さんに本気で腹を立て
ラジオを壊しそうになったんだとか…(汗)

歌謡曲の歌手の方々が、プロの作家に曲を書いて貰って歌ってるのと
甲斐バンドが、自分たちで曲を作って歌ってるのとは違うという甲斐さんと
歌手はみんな同じ歌手でいいじゃないかという新野さん

甲斐さんが、たとえ短い間でも一世風靡出来るのは、歌謡曲の人たちであり
それが良い所だと思うけど
自分たちは、あだ花的な生き方じゃなく
チャンと自分たちの考えや生き方を歌にして行くのが
俺たちのやり方だと話されると

新野さんは、演歌の大御所の名前を挙げられ
人が作った曲でも、自分の人生と照らし合わせて
何十年も歌い続けてる歌手もいる
あだ花なんかじゃないと返され

だから、根本的にシンガーな訳じゃない?
俺はシンガーじゃない部分も沢山ある
比較はしてるけど、どっちが良い悪いとは1回も言ってないと甲斐さん

すると、新野さんが
「だから、じわ~と言うのが、あなたの生き方か?って言ってる
そういう一つの甲斐バンドの生き方やな」と…(怒)

恐らく、甲斐さんは顔色が変わっておられたんじゃないかと…(汗)
どちらも一言も発することなく、放送事故スレスレの沈黙…(汗)

奥さんによると…甲斐さんは最初からずっと
ご自身の作った曲が「歌謡曲だ」と言われても、それは構わない
歌謡曲だろうとロックだろうと聴く人にとっては関係ない

でも、20歳でデビューした時には20歳の歌、25歳なら25歳の歌を歌って
30歳になったら30歳の歌を作ればいい
ただ、偽りなく作る気持ちさえ持っていれば
50歳になっても、ずっと歌っていけると思う…と、話されてたようですが

新野さんは「歌謡曲の歌手も人生賭けて歌ってる」とか
「歌謡曲の歌手も作ろうと思えば、曲くらい作れる」と
言葉尻をとらえてばかりで、話は平行線を辿るだけだったらしい(汗)

まあ、鶴瓶師匠が、ご自身も「同じステージに立つ身」ということもあって
甲斐さんの話に頷かれてるのが、余計に新野さんを頑なにさせたのかも…?

ともあれ、リスナーからのハガキに丁寧に答えられたり
譲れない所はとことん話されたり
甲斐さんが「人間」をお好きなのがよく判りますね♪

奥さんが多感な時期に、甲斐さんのラジオを聴いて
「親や先生よりも影響を受けた」と言ってることに納得です(笑)

あっ!この日のオンエア曲は
吉田拓郎さん「舞姫」山崎ハコさん「流れ酔いの唄」
吉田美奈子さん「雨上がりの舗道」庄野真代さん「飛んでイスタンブール」
中島みゆきさん「世情」でした♪












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機関紙BEATNIK番外編その4

2016-02-13 11:25:00 | 日記
甲斐さんの「若いこだま」第5回に流されたのは…

桃井かおりさんの「蜃気楼のように」
リンダ・ロンシュタット「It's so easy」
ロッド・スチュワート「YOU GOT A NEAVE」
ポール・サイモン「SLIP SLIDEN' ON AWAY」
甲斐バンド「最後の夜汽車」

当時の甲斐さんのお気に入りの曲なんでしょうね?

4月の放送が、自己紹介的な内容だったので
この日は、それに対するリスナーの反応を確かめるというか
かなりハガキを読まれたようですが

奥さんによると…当時の甲斐さんはハガキを出すのに
「匿名希望」はちょっとねぇ…
と、チャンと名前を名乗るようにとおっしゃってたらしく
時には「匿名希望」と書かれていても
名前を読み上げられることもあったんだとか…(笑)

この日のカセットテープのインデックスには
桃井かおりさんの曲名に続けて「ラブレター」と記されていて

これは、甲斐さんが、桃井さんのラジオ番組の企画か何かで?
桃井さんに対する気持ちを綴られ
そのラブレターを読んで吹き込まれたテープがオンエアされたとのことで
(奥さんは聴いてませんけど)
その放送を聴かれた女性ファンの方々から
「ショックを受けた」というハガキが来ていたそうだ(笑)

ちょうどその頃に「甲斐バンドのリーダー・甲斐よしひろが
女性編集長と同棲中!」なる記事が出たこともあり

甲斐さんは「自分の口から言っておいた方が良いと思うんで…」と
記事には間違いもあるけど、概ねホントのことだと認めておられたという

奥さんは、この当時から自分にとっての甲斐さんは
「男性であって男性じゃない(笑)」ってスタンスで
「綺麗な女の人だな」と思っただけだったようですが
「いつか甲斐さんの奥さんに…」と夢みていらした?女性ファンの方には
波紋が広がったんじゃないかと…(汗)

でも、後に東京の甲斐友さんに聴いた話では
出待ちの時などに、その女性を見かけることがあったらしく
記事を読んで納得なさった方が多かったみたいです

そういえば、ライブ中に「ま○み~!」と声がかかることがあった(笑)って
記事があったような気が…(笑)

翌週、5月19日の放送には風吹ジュンさんがゲストで登場♪
奥さんの記憶には、放送内容はおろか
ゲスト出演なさったのも残ってないんだけど(苦笑)

それまでの風吹さんのイメージ…
歌が下手なのに、お色気でカバーしてる(失礼!)
…が、コロッと変わったことは覚えてるんだとか…(笑)

風吹さんは、中島みゆきさんや桃井かおりさんと同い年で
甲斐さんが「よく飲み屋で会って説教された(笑)」とおっしゃってましたが

デビュー間もない頃に「東京の女の人は綺麗な人ばっかり」と話され(笑)
テレビ局やイベントでお会いになった女性タレントの方で
「俺が好きなのは…」と岩崎宏美さん、五十嵐淳子さん、太田裕美さん
小林麻美さん♪(ボクも!笑)と共に
風吹さんのお名前を挙げられてたらしい(笑)

ともあれ、機関紙の曲目リストもそうだけど
奥さんのインデックスにも曲名が「?」になっている曲があり
甲斐さんが話に夢中で(笑)曲名を紹介するのを忘れられたんじゃないかと…?

ちなみに…奥さんのインデックスには、特に書き込みはなく
「アイ シャル ビー リリースト」ザ・バンド
ヨーコ・オノ
「愚か者の涙」ローリング・ストーンズ
ビージーズ
最後の夜汽車…と、いたってシンプルです(笑)
…って、風吹さんの曲が流されてないのはイイんでしょうか?(苦笑)

さらに翌週は「博多っ子純情」の長谷川法世さんが登場とあって
チューリップの「博多っ子純情」や
海援隊の「思い出が手を振る」がオンエアされてます

(他には、ランディ・ニューマン「小さな犯罪者」
トム・ウエイツの曲と最後の夜汽車)

奥さんによると…甲斐さんは
「博多っ子純情」が売れたらいいなと思われた反面
博多弁のニュアンスが伝わるのかどうか心配なさっていたみたいだけど

長谷川さんによると…「博多っ子純情」が
当初は読み切りの予定だったこともあり
東京のご友人達と子供の頃の遊びの話で盛り上がられた際に
言葉こそ違え、遊び自体は同じものだったので
マンガに書いても判るんじゃないかと思われたという

長谷川さんは「博多出身」とおっしゃっても
甲斐さんが文句のつけようもないくらい(笑)
博多のド真ん中で生まれ育たれた方だそうで
甲斐さんは「もう、今日は博多弁で喋る!」と宣言されたらしい(笑)

お二人で話される内に「博多の人が標準語で話していても
ニュアンスは博多弁のままだ」とか(笑)
「センテンスや区切り方、リズムが変だと感じる」という話になり…

甲斐さんが、財津和夫さんに
「自分で標準語を喋ってると思ってる?」とお訊ねになったら
財津さんは「俺は標準語だ!」と答えられたらしく
「全然違うのに…」と大笑いされてたんだとか…(笑)

長谷川さんも「チューリップや甲斐バンドがウケるのは
異国情緒を感じるからじゃないか?」と話され(笑)
「博多弁で喋ったら、ただの方言の歌だって判る(笑)」と…(笑)

それはさておき…長谷川さんは、美大志望でいらしたそうですが
上京後、絵の具を買うお金がなく、アルバイトでマンガを描き始められ
そのまま東京に住み続けておられていて
ふと「もう博多には帰れないんだ」と気づかれてビックリしたと話され

甲斐さんは、照和時代に武田鉄矢さんが
「福岡に文化を作る!」とおっしゃったのを聴かれても
「東京に出なきゃダメだ」と思っておられたそうだけど

やはり長谷川さんと同じく「このままずっと東京に住むんだ」と考えると
「帰りたいけど帰れない」ゆえに尚更、博多が恋しくなると…

博多弁や博多の文化に関しては、好奇心旺盛(笑)で、向上心豊かな奥さんが
いつもより丁寧にメモ(インデックスじゃなく別紙)に取ってるんですが(笑)

ビックリしたのは、当時の海援隊がジャックスのコピーをなさってたのを
甲斐さんは「演奏は上手かったけど…」と
あまり好印象を持たれてないご様子だったのに?

この放送では、武田さんを見て育った部分がある…とか
武田さんが「ポロポロこぼしたものを一生懸命集めていた」と話されてますが
自分が書いたメモを見て、奥さんいわく…そんなこと言ってたっけ?(笑)

余談ですが、長谷川さんの描かれるマンガの登場人物は
現実に存在してるような気がすると甲斐さん
長谷川さんも「キャラが勝手に動き出すので困る」と…(笑)

甲斐さんは「博多っ子純情」の「小柳類子」のことがお嫌いらしく(笑)
「イヤな顔」「生きてるみたい」と褒められると(笑)
長谷川さんは「自分で描いててもイヤになる時がある」と話されてるんだけど

「初恋の人はどんな人?」と訊ねられて「小柳類子に似てる」(笑)
博多の女性が「いわっしゃー」と言うのが好きだとの発言に
甲斐さんも「言ってた!言ってた!」と大喜び(笑)

「よく言うわ」という意味で遣われるそうですが
「いわっしゃー」は、敬語的な表現らしく
標準語では「よくおっしゃいますね」みたいな感じじゃないかと…?

そうそう、以前にご紹介した「つや」の話も出てたんだけど
「キザ」って言うとカッコ良すぎで(笑)
もっと「イヤラシイ」ニュアンスがあるようです(笑)

ちなみに、タモリさんは「つやつけとう」とおっしゃってましたが
甲斐さんは「つやしとう」と話されてたんだとか…(笑)

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機関紙BEATNIK番外編その3

2016-02-12 10:47:00 | 日記
1978年4月28日の放送も甲斐さん初のソロアルバム「翼あるもの」の特集で
B面の曲を順番に流しつつ、エピソードを語られたみたいですが

前回「サルビアの花」やジャックス、早川義夫さんについて
ずっと抱えておられた思いを話されて、スッキリなさったのか?
それとも(同日に2本録りで?)あえて意識されたのか?
「軽い感じでやりましょう」とおっしゃってたそうだ

「ユエの流れ」は、甲斐さんが高校生?の頃
「通りすがりに聞いた曲」らしいんだけど
何百曲もの候補の中で、最後まで残ったくらい
インパクトがあったというか、印象深かったんでしょうね?

この曲は「フォーク・クルセイダーズ」が
コンサートでよく歌われていたようですが
オリジナルは、マリオ清藤さんで
ベトナム歌謡をモチーフになさった曲なんだとか…
ちなみに…奥さんは、この曲もビルボード・ツアーの候補に挙げてます(笑)

「あばずれセブンティーン」は
浜田省吾さんとご一緒に飲んでいらした時に
浜田さんが歌われたのを「一発で気に入って」
「レコーディングしないなら俺にくれと言って貰った曲(笑)」

「愛した男はいたよ 憎んだ男の数だけいたよ」という
歌詞にシビレたと話されていたらしいんだけど
我が家にあるカセットテープには、
この曲名の横に「浅川マキ」という書き込みが…?

奥さんによると、浅川さんの曲の歌詞にも
甲斐さんのお好きなフレーズがあったみたいで
今にして思えば、あれはブギ繋がりで
「あたしのブギウギ」だったんじゃないか?と…(笑)

確かに、甲斐さんが上京後、
初めてご覧になったコンサートが浅川さんのコンサートだったとか

デビュー前に、レコード会社を東芝EMIに決められた理由として
「ジャンルを問わず幅広いアーティストを擁しているから」とお答えになる際に
必ずと言っていいほど、浅川さんのお名前を挙げられてたとか
甲斐さんが浅川さんのファンでいらしたのは間違いないと思われますが…(笑)

ともあれ、ご存知ザ・ピーナッツの名曲「恋のバカンス」を
「どうしてもマイナーなレゲエでやってみたかった」と甲斐さん

小学生の頃、お兄様方と新聞配達をなさった後
団地の出口にあった八百屋さんから
美味しそうな味噌汁の匂いとラジオの音が漂って来たそうで

そんな時にピーナッツの「ふりむかないで」や
槙みちるさんの「若いってすばらしい」を聴かれると
「一時、スーッと空腹を忘れるのだ
歌って素晴らしいなあと思ったものだ」とおっしゃってるんだけど

幼い子供が空腹を忘れるって、音楽の力がスゴイのか?
甲斐少年の感受性が豊かだったのか?
少なくともボクにはそんな経験はアリマセン(苦笑)

「マドモアゼル・ブルース」は「日本最高のポップスで
ハードボイルドタッチの歌詞がたまらなく好きだった
アレンジしたらどれほど変わるのか
この曲で示したつもり」と
ご自身でも手応えを感じておられたご様子♪

GS時代、超ヒットメーカーでいらした
橋本淳さん、筒美京平さんにも是非聴いて頂きたいですねぇ

ただ、奥さんによると…
甲斐さんはご自身で話されてる通り、本当にGSがお好きで
今も当時買えなかったレコードがリマスタリングされると
つい買い込んでしまわれるそうですが

デビュー当時、ある音楽評論に
「甲斐バンドはGSに劣る」と書かれた際
確かにGSは、歌謡曲とは違う場所を切り開いたけど
基本的に自分達でオリジナルを作ってない
ブームが去ったら、生き残ることが出来なかった…と話され

俺は自分の言葉で、自分の曲で
生身の自分をさらけ出した歌を歌いたい
それを100人が聴いたら、100通りの受けとめ方があっていいと思ってる

今の甲斐バンドは、女の子のファンが多いんだけど
女の子だけのために曲を作るようになったら、そのバンドはおしまいだよね
そういう難しい状況にいる訳です…とおっしゃってたみたいで

「女子供だけのバンド」じゃないことを証明したいという佐藤剛さんと
「誘惑」に向け、動き始めておられたのかも知れません

それはさておき…「薔薇色の人生」は
このアルバム唯一のオリジナル曲ですが
「裏切りの街角」のB面や「絵日記」のエンディングに収録されている
甲斐バンドとしての曲とはバージョンが違ってます

アルバムには収録されてませんが
シングル「グッドナイト・ベイビー」のB面になった「卒業」は
作詞・能吉利人さん、作曲・長谷川きよしさんという名コンビの作品で

甲斐さんは「この曲の歌詞がいい」と選曲なさったみたいだけど
「ボインの女の子」のインパクトが強過ぎて(笑)
ナカナカじっくり味わえません(苦笑)

ちなみに…能吉さんは「黒の舟唄」の作詞も手掛けておられ
前回のセイヤングで、野坂昭如さんの曲を流される際にも
「バージン・ブルース」は違うけど、能吉さんの詞がお好きだと話されてましたよね

それはさておき…ナッシュビルで
ミュージシャンやスタッフを手配され
かなりのハードスケジュールでアルバムを作らなければならず
「遊ぶヒマがなかった」と甲斐さん(笑)

観光会社にお勤めだった頃、添乗員として
「旗を持って、おばあちゃんの団体を日光まで案内した(笑)」
でも、やっぱり「旅行」は仕事じゃなく
遊びで行く方がいいとおっしゃってたそうだ(笑)

ちなみに、この渡米の際には
取材で?富澤一誠さんと吉見祐子さんが同行なさっていたらしく

富澤さんは「ネコも杓子も海外録音」という記事を書かれているんだけど
海外のレコーディング技術のノウハウを学びに行っていたはずが
「海外録音」を宣伝文句にするためにというのは本末転倒だと富澤さん

あっ、でも安心してください(笑)
甲斐さんの場合は、日本のスタジオ・ミュージシャンの数が少なく
どのミュージシャンの曲も同じ音になってしまうことを避けるため
必要に迫られてのことだとおっしゃってます(笑)

でも、甲斐さんによると…
富澤さんと現地のお寿司屋さんで食事をなさっていた時
富澤さんが「タコ」や「マグロ」など注文された寿司ネタを見るたびに

「女性の秘部を連想する」といった話ばかりされるので(汗)
「恐怖だった」とおっしゃったんだとか…(苦笑)

当時、自称「純情可憐な乙女(笑)」だった奥さんは
今の言葉で言えば正に「ドン引き」したようです(笑)


















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