「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

高齢化社会

2025-03-29 08:55:07 | 日記
 先日、近所のスーパーでの光景です。食品コーナーで青果類の入れ替えをしていた店員さん。見たところ70歳過ぎの高齢者の方でした。突然咳き込みこのままでは倒れるのではないかと思うほどでした。何とか持ち直しましたが気管支の発作だったのでしょうか。

 また妻から聞いた話です。車を運転中、左から突然軽貨物車が出てきて前の車にぶつかったそうです。幸いクリープ状態だったので事故自体は大したことはなかったそうですが、目撃者として警察から事情を聞かれました。その過程で運転手のおじいちゃんが運転中に気を失ったという事故であることがわかりました。

 心無い人は「食品売り場で咳をするなよジジィ」「年寄りはトットと免許を返納しろ」と言うかも知れません。しかし、どちらも仕事中の出来事です。高齢者でも働かなけれは食べて行けないのです。これがこの国の実情です。埼玉県での陥没事故の運転手さんも74歳でトラックのハンドルを握らなければならなかったのです。私も70歳まではそれなりの仕事をしなければならないと思っています。温かい目で見て欲しいとは言いません。ただご理解を…。
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「乙訓」歩紀~「松」「竹」「梅」を訪ねる~

2025-03-26 01:46:43 | 日記
訪問日:令和7年3月25日(火)
出 発:阪急「大山崎駅」
到 着:阪急「東向日駅」

 摂津国から山城国へ。つまり大阪と京都の府境を越えたところ。京の都に至るまでの間に「乙訓(おとくに)」という地名があります。大阪から近いのでその存在は知っていましたが、京都への通過点であるため、あまり意識したことはありませんでした。現在の行政区でいうと「大山崎町」「長岡京市」「向日市」の2市1町。記紀にも「堕国」「弟国」として登場する古い地名です。「松」「竹」「梅」を訪ねながら「乙訓」の地を歩こうと思います。古の地も現在は大阪・京都にまたがるベッドタウン。給水・トイレにはまったく困りません。今日は平日ですが私は「春休み」。ただ夏のような陽気です。春はどこへ行ってしまったのでしょう。


 今日のスタートは阪急京都本線「大山崎駅」。大阪梅田駅から高槻市駅で乗り換えて約35分(330円)。すぐ近くに阪急電車と並行して走るJR「山崎駅」があり、大阪駅から同じくらいの時間で来られるのですが運賃は150円の差があります。阪急電車は本当に安いんですよ。そしてここへ来るまで4回乗り換えました。いずれも同一ホームでしたが乗り換え時間は1分~2分。電車って本当に1分の遅れもなく来るということを実感しました。大山崎駅のトイレはとてもきれいでしたよ。そして今日の「野里町歩紀」の姿です。


 駅の改札口は一番前つまり京都寄りにあります。午前9時45分。今日も元気に出発です。ここは京都府乙訓郡大山崎町。


 セブンイレブンがある改札口前の府道を左へ進めば数分で右に「離宮八幡宮」。とても立派な神社です。東門を過ぎて惣門から境内に入ります。


 平成22(2010)年に創建1150年を迎えたという古社です。さっそく今日一日の安全を祈願しましょう。


 拝殿前には「本邦製油発祥之地」碑。八幡社なので応神天皇をお祀りしますが、当地は荏胡麻油発祥の地ということで「油」の神様だそうです。日本にはいろんな神様がいらっしゃいますね。


 参拝を終え惣門を出ると三叉路の角に鉄枠でガードされるように「右西國道」と刻まれた小さな石標。右に進みましょう。


 少し歩けば左に「従是東山城國」の国境碑。以前、高槻まで西国街道を歩いた時はここから西に進みましたが今日は反対側(東)に進みます。


 神社北側の路地を抜ければJR「山崎駅」。JRらしいちょっとレトロな木造駅舎です。以前、西国街道を歩いた時の出発駅ですが、大阪方面行ホームに大阪と京都の府境標識が立ちます。そして「山崎駅」と「ディリーヤマザキ」。絵になりますね。


 小さな駅前広場のすぐ横には「妙喜庵」という臨済宗寺院。「待庵」と呼ばれる茶室は国宝ですが見学は予約制だそうです。


 線路に沿って進み次の踏切で東海道本線を渡ります。踏切を渡った正面は「天王山」への登り口になっています。右に曲がります。


 途中「山埼院跡」の石碑。奈良時代の高僧行基が教えを広めるため天平3(731)年建立したそうです。


 そのまま進んで行けば右に「大山崎瓦窯跡公園」。「平安京」造成に際して瓦を焼いていたそうです。この手の遺跡は北摂地方に多いですね。(午前10時7分)


 公園からの眺め。ここで「桂川」「宇治川」「木津川」が合流し「淀川」になります。正面の山は石清水八幡宮がある「男山」。この狭い川沿いを「東海道新幹線」「JR東海道本線」「阪急京都本線」「国道1号線」が走ります。今日は黄砂が酷いみたいですね。ただ花粉はスギからヒノキに変わったのでしょうか。私は辛くありませんでした。


 公園前も天王山への登山口になっていました。天王山は標高270mほどの山でハイキングコースが整備されています。


 公園を過ぎれば左に「観音寺二の鳥居」。ちょっと入ってみましょう。


 階段を上ればすぐに「仁王門」が建ちます。


 その奥には本堂。観音寺は昌泰2(899)年、宇多天皇の勅願により創建されたと伝わります。本尊は十一面観世音菩薩ですが「歓喜天」が祀られていることから「山崎聖天」として親しまれています。これまでたくさんの聖天さんにお参りしました。


 二の鳥居まで戻り左へ。10分ほどで「名神高速道路」をくぐります。さらに進んで行けば民家の石垣に埋もれるように「右やなぎ谷」と刻まれた石標が。この四つ辻を右に曲がります。


 ゆるい坂を下り阪急電車のガードをくぐって住宅街を抜ければ東海道線に突き当たります。そこにはこれまで何回か見たことがあるような風景が。入ってみましょう。(午前10時35分)


 いわゆる「まんぽ(まんぶ)」です。「円明寺架道橋」といい東海道線の開通により分断された水路や人道を通すため明治8年に作られました。レンガが螺旋状に組まれていることから「ねじりまんぽ」と呼ばれています。高さは150cmないので私でもしゃがまなければ通れません。
 

 反対側に出ました。こちら側はアーチ状にレンガが組まれていました。


 まんぽをくぐり300mほど歩けば「小泉川」を渡りますが正面には名神高速道路と大山崎ジャンクションで交わる「京都縦貫自動車道」の高架橋が。その高架下は小泉川に沿って「天王山夢ほたる公園」という小さな広場になっています。橋で川を渡り左へ。公園に入ってみましょう。


 公園の奥。高架下に「山崎合戦古戦場」碑がポツンと立ちます。(午前10時41分)


 その奥には案内板。「本能寺の変」で織田信長を討った明智光秀と信長の家臣であった羽柴(豊臣)秀吉が天正10(1582)年7月、この付近で衝突。その戦いが「山崎合戦」。「天王山の戦い」とも呼ばれています。


 陸橋で「大山崎中学校前交差点」を越え、地図を頼りに北東に進めば住宅街のはずれに「明智光秀本陣跡」碑。


 横の案内板を見れば、ここは「境野1号墳」という被葬者等は不明ですが4世紀後半に造営された前方後円墳だそうです。そして山崎合戦の際、ここに明智光秀が本陣を構えました。大坂・天王寺の「茶臼山古墳」も徳川家康や真田信繁が陣を構えましたが、古墳は高さがあり周辺を堀や垣で囲まれていることが多いので本陣としては最適な場なのでしょうね。ただ本来はお墓ですよ。


 本陣跡を東に進み突き当りを左へ。「恵解山口交差点」を渡り真っ直ぐ進めば右に大きな前方後円墳が現れます。「恵解山(いげのやま)古墳」です。全長128m、乙訓地域最大の前方後円墳で、5世紀前半この付近を支配した有力者の古墳と推定されています。(午前11時2分)


 円墳部の頂上は分譲墓地になっており、それ以外が史跡公園として整備され付近の古墳とともに「乙訓古墳群」として国の史跡に指定されています。埴輪などが復元されています。


 古墳を反時計方向にぐるりと回ります。


 円墳部の先から長岡京市立第八小学校と長岡第三中学校の間を進みます。長岡京市に入っているようです。橋を渡って左に曲がり住宅街を抜けて行けば「真言宗勝龍寺」。


 唐から帰朝した弘法大師空海により大同元(806)年に創建されたと伝わる古刹です。「ぼけ封じ」のお寺ということなのでお参りしておきましょう。


 勝龍寺左側の路地を抜けて行くと突然「お城」が。「勝龍寺城」です。三方を堀で囲まれており「勝龍寺城跡公園」として整備されています。(午前11時18分)


 勝龍寺城は暦応2(1339)年、足利尊氏の命により細川頼春が築城しました。


 そして天正6(1578)年、城主細川藤孝の嫡男、細川忠興のもとに明智光秀の娘、玉(後の細川ガラシャ)が嫁入り、ここで新婚生活を送ったそうです。公園内にはふたりの像が立ちます。


 公園の北東角には「隅櫓」。

 
 公園はサクラの名所でもあります。見ごろにはちょっと早いようですね。


 公園の北西角には「北門跡」。当時の石垣が残ります。


 北門跡から龍勝寺城跡公園を後にし、堀に沿って東へ進みましょう。堀の角には先ほど内側から眺めた隅櫓。いい感じですね。


 その先の三叉路を左折し、角にコンビニがある「東神足交差点」を左折。300mほどでJR東海道線のガードをくぐれば「神足商店街」のアーチ。「こうたり」と読むようです。藤原鎌足もそうですが「足」と書いて「たり」と読みます。訓読みの「足りる」という字ですが、韓国語では足のことを「タリ」と言うんですよね。(午前11時34分)


 そしてこの道は「西国街道」。


 これは「長岡京市立神足ふれあい町家」。江戸時代末期建築の旧家だそうです。


結構宅地化が進んでいますが、ところどころ旧家が残ります。


 まだまだ街道は続きますが、右にフレンドマートという大きなスーパーが見えれば府道を左に曲がりましょう。


 結構広い道ですが「万代」というスーパーを過ぎればキュッと道が狭くなります。その先で阪急の踏切を渡ります。突き当りには大きな鳥居。「長岡天満宮」です。(午前11時51分)


 鳥居をくぐり「八条が池」という池の真ん中を進めば途中「旧太鼓橋」がありました。


 キリシマツツジが有名ですが見ごろは4月下旬ころのようです。


 境内のポスター。こんな感じなんですね。


 八条が池を渡り左に曲がれば「二の鳥居」。


 鳥居をくぐりながら石段を上って行けば社殿が現われました。長岡天満宮は菅原道真が大宰府に左遷された折、この地に立ち寄られたことが縁で創建されたそうです。由緒は不詳ですが「応仁の乱」で焼失、明応7(1498)年に再建されたとの記録が残ります。


 参拝を終え社務所脇を抜けて行きます。そこには「梅林」。天満宮と言えば「梅」ですよね。


 見ごろは3月中旬から下旬。


 時期的にはちょっと遅かったようですが、木によっては満開でした。まず「梅」をゲットです。


 来た道を戻ります。時間は。昼食にしましょう。


 今日の昼食は境内にある「開田茶屋龍八」。神社によくある喫茶・軽食のお店です。


 「Aセット(天ぷらうどんといなり寿司)」(税込1200円)を注文しました。


 食事を終え午後0時25分、再スタート。境内を旧太鼓橋まで戻り八条が池に掛けられた「ふれあい回遊のみち」に進みます。


 八条が池は寛永15(1638)年、八条宮智忠親王によって築造された灌漑用ため池で周囲約1km。サクラの名所で夜はライトアップされます。


 長岡天満宮を後にし、市立図書館を右に見ながら北へ歩きます。


 途中、左の路地に入れば「今里大塚古墳公園」。直径45mの円墳ですが前方後円墳の可能性もあるそうです。(午後0時41分)


 古墳時代後期である7世紀前半の築造で、この地域を治めていた首長クラスの古墳と考えられています。


 元の道に戻り北へ。「文化センター通り」という大通りを渡ります。


 その後、京都銀行が角に立つ交差点を渡ってから右へ。ひとつ目の辻を左に入ります。突き当りには「真言宗乙訓寺」の山門。右に「弘法大師ゆかりの寺」碑が。山門をくぐりましょう。(午後0時54分)


 乙訓寺は西暦600年ごろ推古天皇の勅願を受けた弘法大師により開かれたと伝わります。


 ボタン寺としても有名で4月中旬から下旬にかけて2000株のボタンが見ごろを迎えます。


 山門まで戻りお寺西側の道を北へ。府道209号線に出て西へ進みます。途中から府道10号線に変わりますが、この道は「光明寺道」と呼ばれます。


 そして突き当りに「西山浄土宗総本山光明寺」の総門が立ちます。総門の前には「浄土門根元地」碑。光明寺は建久9(1198)年、法然上人の弟子熊谷蓮生によって建立されたと伝わります。(午後1時18分)


 総門をくぐれば左には「もみじ参道」。ここは「紅葉寺」としても有名です。今は見ごろではないので右の表参道から境内に進みましょう。


 この道は「表参道女人坂」。


 境内には「法然上人像」と「鐘楼」。 


 その向かいには「法然上人袈裟掛之松」。法然上人がこの地の村役・高橋茂右衛門夫妻に念仏を説いた後、しばらくこの地に留まろうと思い立ち、袈裟を掛けた松の木だそうです。その松は寺の裏山に生えているそうですが、昭和57年ここに株分けされました。


 その先には「皇太子殿下御手植之松」。昭和天皇が皇太子時代にお手植えされたそうです。2本の「松」をゲットです。


 そして正面には本堂である「御影堂」。宝暦4(1754)年の再建です。本尊は「法然上人像」。奥には火葬された法然上人の分骨が葬られる「御本廟」があります。


 御影堂の右には「円光大師御石棺」。法然上人の石棺で光明を発したという伝説があります。


 その奥には御影堂と回廊でつながった「阿弥陀堂」。


 御影堂前を通り過ぎ石段を下って行きます。


 石段の下には「円光大師火葬跡」。法然上人の17回忌に当たる安貞2(1228)年、法然上人の亡骸はここで荼毘に付されたそうです。後ろ に見えるのは「勅使門」。


 さらに進めば法然上人が念仏を説いた高橋茂右衛門の屋敷跡碑。


 その先の「もみじ参道」に進みましょう。


 「薬医門」の向こうにも「もみじ参道」が続きます。


 参道を抜ければ総門に戻りました。約25分の見学でした。


 午後1時50分、総門前の「光明寺前交差点」を左へ、この道は「丹波街道」です(写真は道路を渡って撮影しているので右へ進みます)。


 バッティングセンターを過ぎればもう「竹」が見えてきましたね。


 すぐ先を右に曲がり「竹林」を進みます。


 竹林を抜ければ府道10号線と合流するので左へ。大きな交差点を渡れば急に道が狭くなりますが、そのまま畑の中の小道を進みます。「新大垣橋」で「善峰川」を渡れば右に曲がり川沿いに歩きましょう。善峰川の上流には以前訪れた「善峯寺」があり、そこには日本一と言われる「遊龍の松」があるのですが、今日はコースが違うので訪ねることはできません。


 「小畑川」と合流すればその先の「東山交差点」を直進。向日市に入りました。動物病院がある角を左折します。


 「大牧公園」を通り抜けたところで完全に道に迷いました。グーグルマップでやっと「伝高畠陵古墳」に到着しました。桓武天皇皇后陵に治定されている直径約65mの円墳です。(午後2時28分)


 そしてこの前の道は「西ノ岡竹林通」。


 さらに進めば「竹の径」に入ります。


 途中左に「寺戸大塚古墳」。全長100m近い大きな前方後円墳で、この辺りを任された有力者の墓と考えられています。


 ずっと続く「垣」は編み方によって名前が違うそうです。


 京都の洛西から長岡京市にかけては竹で有名です。おそらくここの竹は日本一でしょうね。


 真っ直ぐ進めば「京都市洛西竹林公園」。付近が市境なので公園自体は京都市のようです。きれいなトイレがあったので休憩しましょう。(午後2時43分)


 公園前の三叉路を「阪急洛西口駅」方向に入ります。


 竹の径は続きます。


 黙々と歩く野里町歩紀の影です。なんだか「某共和国」の武装ゲリラのような影ですね。


 この奥には広大な竹林が広がります。「竹」ゲット。「松」「竹」「梅」揃いました。


 「松竹梅」は古代中国において寒い中でも育つそれぞれの植物の特徴から「歳寒三友」として画の題材などとして好まれたそうです。その後、日本に伝わってからは「縁起物」とされ、そこから宴席や料理などのランクとして利用されるようになりました。


 配水所のタンクが見えれば右に入り、浄水場を過ぎて向日市立第二向陽小学校に突き当たれば左へ。


 小学校の向かいの寺院墓地の中には「南条古墳」。古墳時代中期に造営された7基あった円墳のうちのひとつだそうです。間もなくゴールです。(午後2時57分)


 そのまま墓地前を北に進み、突き当りをUターンする形で右に曲がれば「淳和天皇御火葬塚」。承和7(840)年、桓武天皇の子「淳和天皇」がここで火葬されました。


 その先の四つ辻を左に入れば「南条公園」。小さな児童公園ですが、奥にある「妙玄池」という池も古墳の遺構のようですよ。


 そのまま進み、次の四つ辻を左に入れば「物集女車塚古墳」。「もずめ」と読みます。付近には縄文時代から集落があったといわれ、全長46mの前方後円墳は継体天皇とゆかりの深い人物の墓と考えられています。


 ぐるっと回れば前方後円墳の全容がよくわかります。


 古墳前の府道を6~70m北に進めば「物集女交番」。別に変わった建物だったので撮ったわけではありません。実は物集女車塚古墳前で「ナナコカード」を落としたことに気づいたのです。スマホケースに入れていたので写真を撮る時に落としてしまったのでしょう。クレジット機能はないしチャージ残額も300円ほどだったので被害は少なかったのですが、ここで遺失届を出しました。それよりも遺失届を取ってくれた交番相談員さん。私が大山崎から歩いてきたと聞いて驚いていました。そうでしょうね。


 20分ほど時間ロスをしてしまいましたが交番前の府道を南へ進み「寺戸事務所前交差点」を左に曲がれば本日のゴール阪急電車「東向日駅(西口)」。午後3時55分到着です。ここから「大阪梅田駅」まで約45分(390円)。付近にはいくつかJR駅がありますが、190円ほど安い阪急電車をゴールにしました。琵琶湖一周歩紀では随分とJRに貢献しましたからね。


 本日の歩紀「29015歩」(19.73km)。今回「松」「竹」「梅」を訪ねましたが、それ以外にもたくさんの「花の名所」「もみじの名所」がありました。それぞれ見ごろは違いますが「花めぐり」も楽しいでしょうね。


 今日のひとり打ち上げは阪急宝塚線「石橋阪大前駅」西口の「ショッピングストリートいしばし」にある「大阪王将阪急石橋店」です。京都王将と呼ばれる黄色い看板の「餃子の王将」にはよく行きますが、大阪王将は初めてですね。


 まずは冷たい生中(税込550円)で乾杯です。


 その後「王将定食(ギョーザ)」(税込1170円)で夕食です。昼に続いて炭水化物+炭水化物ですね。かなりエネルギーを消費したので体が欲するのです。
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80年代の韓国歩紀~簡単な記念品

2025-03-21 23:41:50 | 日記
 旅行中、毎日酒を飲みました。当時韓国での飲酒スタイルは透明なビンの「眞露(チルロ)」という焼酎を飲むのですが、今の日本で売られている緑色の「眞露(ジンロ)」とは違い甘味料としてサッカリンが使われているといわれ、水割りやロックではなく「ソジュジャン」という小さな盃でストレートで飲みました。ビールやウィスキーは一般的でなかったようですが庶民向けのビールとして「クラウンビール」がありました。韓国語でビールは日本同様「麦酒」と書いて「メックチュ」というのですが、「メックチュ チュセヨ(ビールちょうだい)」といえばクラウンビールが出てきました。もう一つ「OBビール」というのがありましたが、これは戦前のキリンビールだそうです。ちょっと高級で「ウォカーヒル」で出されていました。


 「チルロ」と「ジンロ」は韓国語と日本語の単なる漢字の発音方法の違いです。読み方は違うのですが韓国語にはたくさんの漢字が含まれています。日本語のようにいくつかの読み方(例:行=行(ぎょう)列、行(こう)進、行(あん)灯)があるのではなく、例外を除いて読み方は一つだけです。基本的には「呉音」と呼ばれる音読みです。「麦酒(メックチュ)」「焼酎(ソジュ)」、日本酒は「正宗」と書いてチョンジョン。ウィスキーは「ウィスキー」でも「洋酒(ヤンジュ)」でも通じると思います。ワインは「葡萄酒(ポドジュ)」です。酒の話ばかりですみません。毎週「宿酔(スクチュィ)=二日酔い)ですから。
 以前、職場で韓国からの来賓を迎え通訳をしたときのことです。こちら側の責任者が日本人形を「簡単な記念品ですが」と言いながら手渡そうとしたところ、相手側の韓国人は通訳をする前に韓国語で「簡単な記念品でしょ」と言いました。韓国語で「簡単な記念品」は「カンダナン キニョンプン」と発音するのです。
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新聞斜め読み〜新幹線〜

2025-03-17 12:52:38 | 日記
 今朝の朝刊です。東海道新幹線で事故があったようです。記事を読むとトンネル内を走行中の「のぞみ」に線路沿いの鉄製蓋が直撃し窓ガラスにひびが入ったそうです。


 幸い乗客にケガやダイヤに大きな乱れはありませんでした。良かったですね。ただ写真を見ると薄っぺらい板状のものらしいですが、重さ4kgもある大きな鉄蓋です。私はこの記事を見て驚きました。それは「危ないな」と言う驚きではありません。トンネル内ということは、かなりの高速で走行していたと思われます。そこにあんな大きな鉄の塊が当たったにもかかわらず、ガラスにひびが入っただけで済んだんですね。改めて新幹線は安全な乗り物なんだなと思いました。

 最近、新幹線の事故が続いていることから大きなニュースになったようです。もちろん当局には再発防止に努めていただきたいですが、新聞って書き方次第で大きく印象が変わりますからね。
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80年代の韓国歩紀~国連軍墓地

2025-03-14 16:50:01 | 日記
 釜山近郊には「国連軍墓地」があります。朝鮮戦争で戦死した国連軍将兵の墓地で韓国語では「UN軍墓地(ユエングンミョジ)」と言います。


 墓地は公園として一般開放されており子どもたちが遊んでいました。話しかけると「タラカジャ、タラカジャ(ついて行こう、ついて行こう)」と言いながら私の後をついてきます。子どもはどこでもかわいいですね。この子たちも今では50歳前後の大人になっているでしょう(スミマセン。もう当時の面影はないと思います。それと外国ということで無修正です。そして子どもはやっぱり素顔がかわいいですよね)。


 あっ。公園で「カチ」を見つけました。韓国では「吉鳥」とされておりさっそく写真に収めました。日本では「鵲(カササギ)」と呼ばれ対馬や九州北部に生息しているらしく長崎や佐賀では「カチガラス」というそうです。

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親子丼

2025-03-10 14:47:37 | 日記
 またしても上の娘から「ヘルプ」です。2年生の孫が発熱のため、幼稚園児の孫を迎えや病院に連れて行ってる間の留守番です。

 昨年植えた「スーパーアリッサムスノープリンセス」は、花は咲いていませんが枯れることなく冬眠中のようです。


 今日の昼ご飯は「かしわ」に「卵」のどんぶり。「肉」に「卵」でなくって良かった。
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80年代の韓国歩紀~李舜臣

2025-03-07 06:46:20 | 日記
 「釜山タワー」の前には「李舜臣(イ・スンシン)」の像があります。李舜臣とは豊臣秀吉による朝鮮侵攻の際の水軍司令官で「亀甲船(コブクソン)」という軍船を駆使して日本軍を撃退したという韓国の国民的英雄です。「コブクソン」は韓国人であれば誰でも知っておりタバコの銘柄にもなっています。


 以前、職場で韓国からの来賓を迎える際に通訳をしたことがあるのですが、その時韓国の来賓が持ってきた手土産が「亀甲船」の置物でした。友好親善の場にふさわしい手土産でしょうか?
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確定申告をしました

2025-03-03 16:40:11 | 日記
 確定申告をしてきました。と言うかしました。今年もスマホを使ってe-Taxでしました。スマホとマイナカード、職場でもらった「給与所得の源泉徴収票」と日本年金機構から送ってきた「公的年金等の源泉徴収票」。妻のマイナカードナンバーがあれば2回目ということもあり、ほぼ「次へ」「次へ」であっという間に終わりました。こういう時はマイナカードって便利ですね。

 しかし年金満額プレーヤーになったからでしょうか納税額が倍ほどになっていました。ただ納税は国民の義務なので特に言うことはありません。後は公平な徴収と分配、適正な使用をお願いします。政治屋さんと自営業さんも納めるものは納めてくださいね。納税はサラリーマンと公務員、年金受給者だけの義務ではありませんから。

 そして「老後はきょうようが大事」と言われます。「きょうよう?」。「教養」ではありません。「今日する用事」です。趣味や通院以外に何かすることがなければ、あっという間に社会から置いていかれます。納税なんてできればしたくありませんが、それでも確定申告をしたことで社会との繋がりを感じられるのは私だけでしょうか?
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新聞斜め読み~夕刊~

2025-03-02 11:50:00 | 日記
 昨日の夕刊と今日の朝刊です。あれあれ?斜めから読んでも同じだな。最近の夕刊って朝刊の予告編みたいですよね。それとも朝刊が夕刊の続編なのかな。朝刊はさらに関連記事があるのですが夕刊はほぼ1面だけ。ブツブツ言いながら読んでます。
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労働

2025-02-27 06:49:05 | 日記
 一番下の孫は車が大好きです。特に「働く車」。お気に入りはゴミ収集車。次女は働いているので、今春保育園に入るまでうちで預かっています。そのため週2回のゴミ収集日は大変です。ゴミ収集車のオルゴールが聞こえれば玄関先で待ち受け。作業員の方もパッシングしてくれたり手を振ってくれたり大サービスで孫も大喜び。


 建設用重機も大好きです。YouTubeで配信されている「はたらく くるま」と言う動画。「♪ のりもの あつまれ いろんなくるま どんどん でてこい はたらく くるま… ♪」の歌に合わせてはしゃいでいます。


 孫はいろいろな車を見て喜んでいますが、私はちょっと違った視点で見ています。たくさんの車が出てきますが、当然それらの車を運転している人や乗っている人たちが映っています。それを見て「人が働く姿は美しいな」「労働って尊い営みだな」と思うのです。退職してからは特に。
 私も前職を定年退職しましたがまだ働いています。70位までは何らかの仕事をしなければならないなと思っています。その後も体が動く限り国民健康保険料くらいは稼ごうと考えています。

 「働」と言う漢字は「国字」と言って、中国から伝わったのではなく日本で生まれた漢字だそうです。「人が動く=働く」。日本人らしい素晴らしい字だと思いませんか。中国が四千年かかっても作られなかった「働」と言う字。日本人なら特殊詐欺や闇バイトばかりしてないで働きましょうよ。
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誕生会

2025-02-23 17:04:23 | 日記
 今日は私たち夫婦と二人の娘、三人の孫とともに数日遅れで妻の誕生会。年齢は非公開です。それぞれの旦那さんは仕事と一杯のみ。いつものメンバーです。


 愛車の「蘭丸」は7人乗りなのでチャイルドシートを3つ取り付けても全員乗れます。


 毎年二人の娘がこのイタリアンレストランで私たち夫婦の誕生会をしてくれるのです。


 一番上の孫はもう2年生の女の子なので自分の好きなものを食べています。弟君は幼稚園の年中さんになり、だいぶ落ち着いてきました。一番下の孫はちょうど何でも自分でしたい年頃。「〇〇ちゃん自分で。〇〇ちゃん自分で」と言って手を焼かせます。半個室なので小さな子どもがいても大丈夫です。


 フリードリンク(アルコールを除く)です。私はハンドルキーパーなのでお酒は飲みませんが、妻と上の娘はワインやサワーを飲んでいました。


 女子っていうのはパスタやピザが好きですね。




 お誕生日おめでとうございます。6月は私の誕生会です。次は私が飲む番。元気でいなければ。






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よっ、大統領

2025-02-21 23:41:58 | 日記
 昔「国際政治学」という授業で「大統領制は大統領という独裁者をも民衆の力で抑え込むことができるほど高度に民主主義が成長したアメリカでしか存在し得ない制度。その他の国の大統領は所詮独裁者の延長」という話を聞いたことがあります。お隣の韓国では大統領が変われば政権中枢はおろか官邸の門番まで変わると言われます。それほどまでに権力、権限、権益が一極集中するのが大統領制です。その向こうの広い国の大統領なんて〇〇党一党独裁体制の独裁者にしか過ぎません。なぜ〇〇党のように「書記長」「総書記」って名乗らないのでしょうか。独裁者のくせに。

 ところがそのアメリカ。本当に高度に成長した民主主義国家なのでしょうか?そんな危機感を感じるのは私だけでしょうか?強権者がいなければ国をまとめることができないのでしょう。それに比べればコロコロ指導者が変わっても何も変わらない日本は平和な国なんでしょうね。「ボケ」が付きますが。これは「島国」という地理的なものと「皇室制度」のおかげでしょうか。私はそんな日本を誇りに思います。
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琵琶湖一周歩紀10~ゴールをめざし「南湖」を歩く~

2025-02-17 00:13:02 | 日記
訪問日:令和7年2月15日(土)
出 発:JR「堅田駅」
到 着:JR「大津駅」

 さあ琵琶湖一周歩紀も最終回となりました。今回は「湖西」のJR堅田駅から再度「琵琶湖大橋」を渡り「湖東」へ。「南湖」の残り東半分を歩いてゴールの「大津」を目指します。「近江八景」もまだ5つ残っていますので、それを意識して歩きました。トイレ・自動販売機はたくさんあるので給水・トイレにはまったく困りませんが、市街地を出るとコンビニ・飲食店はありません。昼食場所についてはネット情報で。


 JR「堅田駅」は4回目の訪問です。大阪駅から約1時間(1170円)。大津地方の今朝の最低気温は0.5℃。私が自宅を出た時間の豊能町は-2.6℃でした。


 今日の野里町歩紀です。歩数計をリセットして午前7時30分、ニコニコ元気に出発です。


 第2回目同様「今堅田交差点」を右折、郵便局・堅田内湖前を通り過ぎ、前回コースの一つ手前である堅田内湖角の交差点を左に曲がります。まだ陽が昇りきってないのでちょっと逆光です。


 結構広い道路を2~3分歩けば左に「野神神社」。鳥居の横には「勾當内侍御廟道」と刻まれた石標が立ちます。(午前7時48分)


 「殿」と付くほどでもない小さな拝殿と神殿があります。私はこういう雰囲気の神社が大好きです。今日一日の安全を祈願しましょう。


 神殿後ろには「勾當内侍墓」。案内文によれば「勾當内侍(こうとうないじ)」とは新田義貞の妻で、激しい恋の末に結ばれたものの義貞が足利尊氏に討たれたことを知り、今堅田の「琴が浜」で身を投じたそうです。合掌


 お参りを終え神社の前の交差点を渡りすぐ先の路地を左折。第2回で道の駅に行くため通った「この先通れません」の路地に入ります。琵琶湖大橋のアンダーパス手前に階段があるので上りましょう。琵琶湖大橋の南側歩道に出ます。湖西から渡ればまず緩やかな上り坂になります。


 最高部を過ぎたところに展望台ではありませんが、歩道が広くなっている部分がありました。これから歩く「南湖」を望みます。南湖もなかなか広いですよ。


 この後は平坦な道が続きます。料金所に着きました。普通車の通行料金は120円(ETC利用)のようですが、歩行者・自転車は端の出入口をスルー。


 「琵琶湖大橋東詰交差点」の角には「セブン・イレブン琵琶湖大橋東口店」。この後しばらくコンビニはないので必要なものがあればここで揃えましょう。前回は交差点を挟んで斜め向かいのローソンから琵琶湖大橋を渡ったので、実質的にはここが今日のスタートです。ここは滋賀県守山市。(午前8時15分)


 やがて湖畔には「湖岸緑地木浜2公園」。これまでもいくつもの「湖岸緑地」を歩いてきましたが、これは琵琶湖畔に整備された「県営」都市公園です。


 公園のすぐ横は「さざなみ街道」と「ビワイチサイクリングロード」です。今日は基本的にさざなみ街道に沿って歩くのでマップを見なくても道を間違うことはないでしょう。


 振り返ればさっき渡った琵琶湖大橋と雪を抱いた比良連山。


 緑地の左(東)側は「木浜内湖」という内湖を埋めたてた広大な人工島で「SGホールディングスグループ」の立派な体育館や野球場、競技場などが並びます。その隣には「佐川博物館」という施設があるので「佐川急便」グループの社有地なんでしょうね。


 住宅街を過ぎれば埋立地の南側は「琵琶湖レークサイドゴルフコース」。私はゴルフをしませんが、日本のゴルフ場はほとんどが山を切り拓いて作られているので、平坦なコースは珍しいそうですよ。


 公園をどんどん進みます。


 ゴルフコースを過ぎれば木浜内湖の一部が残っていました。(午前8時47分)


この辺りから湖岸緑地は「木浜1公園」になります。


 芝生公園や東屋がありキャンプやBBQができるそうです。


 しばらく琵琶湖と田園の間を進みます。朝霞の向こうには「近江富士(三上山)」が。


 小さな船溜まりを過ぎれば「赤野井3・2・1公園」になります。


 ここも東屋や芝生公園があります。今は冬なので閑散としていますね。


 右に小さな半島が見えてきました。「烏丸半島」です。


 「県立琵琶湖博物館」や芝生広場などがある大きな公園があります。


 半島入口の向かいには「道の駅草津グリーンプラザからすま」。草津市に入ったようですね。(午前9時30分)


 「近江牛カレー」。レトルトですが有名ですね。カフェもありますよ。


 さざなみ街道に戻りましょう。


 ここからは「津田江公園2・1」と続きます。


 デイキャンプやたき火を楽しんでいる人がたくさんいました。ちょっと前のアウトドアは「火を起こす→肉を焼く→食べる」でしたが、最近は色々なアイテムを揃えること自体を趣味にされている方が多いので直火などもなく皆さんマナーを守っておられます。


 左には「津田江内湖」。広い内湖で水上スキー大会なども行われるそうです。


 水路を越えれば「志那2公園」になります。


 その手前で中学生の集団とすれ違いました。みんな元気に「こんにちは」と挨拶をしてくれます。日本の子どもたちは躾けられていますね。学校教育のおかげでしょうか。ただ個人になると「日本人」って奴は…。何か構造的な原因でもあるのでしょうね。私は薄々「○○」のせいだと思っています。


 さざなみ街道は「志那漁港」を跨ぎます。


 漁港を越えれば「志那1公園」になります。


 水田の向こうに「平湖」という内湖が。奥には「柳平湖」という内湖が続くようです。


 しばらくさざなみ街道を歩きます。


 あまり風景は変わらないのでどんどん歩きましょう。


 歩道はビワイチサイクリングロードと兼用になっています。後ろから自転車が音もなく疾走してくるので歩行者は進路を変える際、必ず後ろを確認しましょう。サイクリストの皆さんも歩行者を追い抜くときは徐行願います。(記事と写真は関係ありません)


 水路を二つ越えれば「北山田公園」。


 公園は「北山田漁港」を挟んで1と2に分かれます。


 この立派な建物は何でしょう。


 通り過ぎて門のプレートを見ると「岡田茂吉研究所美術館」というそうです。ググってみると宗教団体のようですね。


 やがて「帰帆(きはん)北橋」という大きな橋が現われました。(午前11時15分)


 橋を渡れば「矢橋帰帆島」。ここは人工島なので「島」には数えません。近江八景「矢橋帰帆」は矢橋港に帰港する帆掛け舟を描いたものですが、人工島の造成により今はありません。そのため当時を偲び人工島の名称を「矢橋帰帆島」としたそうです。


 今日初めての近江八景です。「矢橋帰帆」は、こんな風景だったのでしょうか。


 人工島の湖岸側は南北に細長い「帰帆緑地3.2.1」になっています。


 ここは草津市から大津市を眺める撮影ポイントだそうです。


 足元のハートマークに立って撮影しました。大津の市街地と比叡山です。


 「帰帆南橋」で矢橋帰帆島を後にします。


 そして橋を渡れば左に「イオンモール草津」。あちこちにある大きなショッピングモールです。入ってみましょう。


 どこもそうですがレストラン街やフードコートがあります。良い時間ですね。今日も腹時計は正確です。昼食にしましょう。


 今日の昼食は「豚屋とん一」。フードコートなので完全セルフサービスです。気兼ねしなくて良いですね。孤独な歩紀ニストは人との接点を求めません。


 「とんテキ定食(並)」(税込1199円)でエネルギー補給!


 食事を終えて午後0時15分出発。近江大橋をアンダーパスでくぐります。近江大橋は南湖周辺の市街地化に伴い湖西と湖東を結ぶバイパス道路として昭和49年に開通しました。


 すぐ「大津市」に入ります。


 湖畔に出ればさざなみ街道は「夕照の道」とも呼ばれます。


 そしてこの辺りはもう大津市の市街地です。左には色んな店が並びます。


 マクドナルドを過ぎて橋を渡れば湖岸に出てみましょう。そしてここが「琵琶湖」と「瀬田川」つまり湖と川の境界になります。


 瀬田川に沿って進みます。


 水道橋でしょうかアーチ橋をくぐれば「JR東海道本線」。川沿いには大学や高校漕艇部の艇庫が並び川岸にはボートが並んでいました。漕艇って結構エリートのスポーツですよね。


 続いて「国道1号線」が走る「瀬田川大橋」をくぐります。


 もう完全に川ですね。瀬田川は京都府に入れば「宇治川」と呼ばれ、京都、大阪府境で木津川、桂川と合流すれば「淀川」と名を変え大阪湾に注ぎます。各府県で呼び名は変わりますが琵琶湖の水が海に流れる唯一の川です。


 川沿いは「唐橋公園」です。


 川ですが漁港がありました。「瀬田漁港」です。


 そのまま進んで行けば「ビワイチ出発の地」碑が立ちます。一応、ビワイチはここを起点としているのですね。そしてすぐ後ろに見えるのが「瀬田の唐橋」。


 今は鉄筋コンクリート製ですが日本書紀にも登場する古い橋です。信号を渡ってから橋を渡りましょう。(午後0時57分)


 川の右岸に長細い島があり橋は「大橋」と「小橋」に分かれます。大橋を渡った左側は小高い丘になっており瀬田の唐橋の様子が良くわかります。広重の近江八景「唐橋夕照」は大橋と小橋を見下ろしたものですがドローンでもない限り見られません。この写真が一番近いでしょうか。


 そしてその丘には「俵藤太秀郷」像。大昔、瀬田の唐橋で大ムカデを退治したという伝説があるそうですよ。


 中州のような島から「小橋」を渡り、その先の「唐橋西詰交差点」を左折します。


 車道から川沿いの「瀬田川ぐるりさんぽ道」に出て瀬田川右岸を歩きます。


 最初にくぐるのは「東海道新幹線」。


 その隣は「名神高速道路」。「東海道線」「国道1号線」とともに日本の大動脈がここで瀬田川を渡ります。それほど重要な場所なのです。ここが東日本と西日本の境目かも知れません。


 その先で国道422号線と合流しますが角に蛍谷公園。「紫式部の泉」があります。


 その前の信号で国道を渡りましょう。京阪電車「石山寺駅」の前を通り過ぎます。


 参道を進んで行きます。


 「石山寺」に到着しました。ここは「西国13番札所」ですが「源氏物語ゆかりの寺」としても有名です。この門は「東大門」。鎌倉時代の建立で国の重要文化財です。(午後1時26分)


 志納所で入山料600円を納め右の石段を上ります。名刹ですが安いですね。


 石段を上った正面には「硅灰石(けいかいせき)」。噴出した花崗岩が石灰岩に変成したものだそうです。国の天然記念物で寺名の由来でもあります。


 左に進めば永長元(1096)年再建の「本堂」。国宝です。御本尊の如意輪観音(重要文化財)は33年に一度と天皇陛下御即位の翌年のみに御開扉される秘仏です。前回の御開扉は平成28(2016)年だったそうです。


 本堂の隣には「紫式部源氏の間」。寛弘元(1004)年、紫式部は石山寺に7日間参籠し「源氏物語」を着想したそうです。1000年以上も昔のことなんですね。現在まで語り継がれNHKの大河ドラマにもなる。日本は「文化大国」と言っても良いでしょうね。


 順路の表示に従って進めば突き当たりには「鐘楼」。源頼朝の寄進と伝わる国の重要文化財です。


 その手前の石段を上れば先ほど硅灰石の上に顔をのぞかせていた「多宝塔」。


 これも源頼朝寄進と伝わり国宝です。


 多宝塔の奥には「月見亭」。保元年間、後白河上皇の行幸に際して建てられたもので近江八景「石山秋月」として描かれています。隣接するのは「芭蕉庵」です。


 その前からは瀬田川の向こうに琵琶湖と比良山系が望めます。


 広重の近江八景「石山秋月」は、夕月を背景に瀬田の唐橋と月見亭が描かれているのでここから眺めたものではありませんが、ちょっと月見亭裏の坂道を下り月見亭越しに空を見上げてみました。ドローンやヘリコプターがなかった時代、鳥になった目線で絵を描く歌川広重は凄い人ですね。


 月見亭前に戻り順路に従って進みます。展覧施設の豊浄殿の下を進んで行けば「光堂」。これは平成20年、石山発祥の企業「東レ」から寄進された建物で鎌倉時代に存在したと言われる光堂を復興したものだそうです。やはり文化大国ですね。境内は順路の案内板とパンフレットの境内図を見ながら進めば一巡できます。


 光堂前の階段を下れば「紫式部像」。


 さらに進み「甘露の滝」。


 その前には「無憂園」という庭園がありましたが、獣除けでしょうか無粋な金網で囲まれていました。


 そのまま真っ直ぐ進めば志納所に出ます。約40分の見学でした。ゆっくり歩いても1時間ほどで回れるでしょうか。石山寺を後にします。東大門前にはお土産物屋さんや茶店が並ぶ小さな通りがありました。(午後2時9分)


石山寺前の横断歩道で瀬田川沿いに渡り左へ。大津市街をめざします。


 先ほどの「紫式部の泉」前で瀬田川ぐるりさんぽ道には入らず真っ直ぐ国道を進みましょう。名神高速道路、新幹線をくぐり、さらに唐橋西詰交差も過ぎて国道を進みます。国道1号線、東海道線もくぐります。


 そして小さな川を橋で渡れば右に「瀬田川」と「琵琶湖」の管轄境界の看板があり公園の入り口があるので「湖」に戻りましょう。(午後2時39分)


 ここからは「大津湖岸なぎさ公園」。大津市内に入れば湖岸緑地ではなく「大津湖岸〇〇公園」と呼ばれるようです。大津市は政令指定都市ではありませんが、やはり県庁所在地なので県とは一線を画しているのでしょうね。「役所の縄張り」ではなく税の公平分配の観点からも行政機関としては当然のことだと思います。


 琵琶湖に戻りました。近江八景「粟津晴嵐」は瀬田から膳所まで続く500本を超える松並木が晴れた風の強い日に嵐のように枝葉がざわめく様を表しているそうです。今では伐採されてしまい当時の面影はほとんど残っていないそうですが、復活を祈念して松が植栽され石碑が建てられていました。


 近江大橋の左に見える森を目指して湖畔の公園を歩きます。


 橋で小さな川を渡れば公衆トイレがあるので、そこで一旦車道に出ましょう。国道422号線は県道に変わっています。


 その県道を進んで行けば「本丸町」という交差点に出ます。そして右を見れば何やら門が。ここは「膳所城跡公園」。(午後3時)


 門の手前にある溝は「堀跡」です。


 門をくぐって公園に入ります。膳所城は関ケ原の合戦後、徳川家康が藤堂高虎に築城させた白亜の天守を備える「湖城」でした。正面には「膳所城跡」碑が立ちます。明治維新により廃城となり城門等は膳所神社などに移築されたそうです。


 今ではサクラの公園として整備されています。途中にもあったのですが「四高桜」。昭和16年4月、石川県金沢市にあった旧制第四高等学校の漕艇部員が春季合宿中、高島町「萩の浜」で突然の「比良颪(おろし)」に見舞われ11名の尊い命が奪われたそうです。今では顕彰会が琵琶湖の各地に桜を植え霊を弔っています。琵琶湖には「漕艇」にまつわる話が多いですね。


 ちょっと逆光で見えにくいですが城跡公園の奥、湖畔に「天守閣跡」の石碑が立っていました。


 その横に旧城郭図がありました。天守閣は城の真ん中ではなく湖に面してあったのですね。琵琶湖は天然の要害なので「陸地」から一番遠い場所に天守閣があったようです。


 湖畔には石垣が残ります。




 公園北側から続く橋を渡ります。目の前には近江大橋。


 「膳所港」をぐるりと周り、その先で近江大橋をくぐりましょう。


 石が敷かれていますが「和田の浜」という浜に出ます。


 「大津湖岸なぎさ公園由実浜」を過ぎます。


 途中で左に見える高層ビルをめざし松林を抜けましょう。


 このビルは「びわ湖大津プリンスホテル」でした。(午後3時32分)


 この辺りは「におの浜」というようです。


 ここはなぎさ通りに沿った細長い湖岸公園です。小さな川に突き当たるたびに一旦なぎさ通りに出て、また公園に戻るを繰り返します。


 そうこうするうち左に常夜燈が。「石場津の常夜燈」です。弘化2(1845)年、300mほど離れたところにあった船着場に立てられたそうです。(午後3時51分)


 高さが8mほどある大きなものなので灯台の役目をしていたのでしょうか。間もなくゴールです。


 今日も比良の山々は雪に覆われています。「比良暮雪」これですべての近江八景を楽しみました。広重の浮世絵はどこからの風景か知りませんが「暮雪」ということなので、一番寒い時期のこの時間を選びました。寒いと言っても地球温暖化。積雪は中腹部までです。ちょっと夕暮れには早い時間ですが帰りの電車がありますので…。


 その先に目をやれば見覚えのある建物が。


 昨年3月16日に琵琶湖一周歩紀の第一歩を踏み出した「滋賀県立琵琶湖文化館」前に到着しました。ビワイチの完歩です。「バンザ~イ。バンザ~イ。バンザ~イ」(午後3時56分)


 さあゴールに向けて進みましょう。すぐ目の前には「滋賀県警察本部」があるんですね。


 レトロな「滋賀県庁庁舎」前を過ぎます。


 琵琶湖一周歩紀初日に完歩祈願をした「天孫神社」。お参りしましょう。


 「無事、琵琶湖一周歩紀を終え、帰って参りました。ありがとうございました」


 そして最終ゴール地点JR「大津駅」に到着です。時間は午後4時23分。ここから大阪駅まで約40分(990円)。ちょっと買い物をして午後5時2分発の電車に乗ります。


 本日の歩紀「50690歩」(34.46km)。今日も歩いたな。左足裏には水ぶくれができているようです。ドライブ歩紀や竹生島クルーズもありましたが総歩紀「376397歩」(255.90km)の旅でした。「さざなみの 志賀の都よ いざさらば」


 最後のひとり打ち上げは能勢の地酒「秋鹿千秋」(税込650円)と「鉄火巻ししうどんセット」(税込1800円)。日本酒で「かんぱ~い」。かめたにさんお世話になりました。


 そして本日のゴールであるJR大津駅の1階には「大津駅観光案内所」。通称「オーツリー」かありました。


 何とここには滋賀の地酒コーナー。


 ということで琵琶湖一周歩紀最後の地酒です。大津市の蔵元「平井酒造」さんのワンカップ純米吟醸酒「浅茅生(アサヂヲ)」(税込490円)。ここの蔵元は第2回目の歩紀でもお世話になりましたね。ラベルの絵は「藤娘」というそうです。
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映画「小学校~それは小さな社会~」

2025-02-11 19:48:55 | 日記
 今日(2月11日)、映画を観るため久しぶりに「梅田」に出ました。梅田と言っても「旧大淀区」にある「梅田スカイビル」。私は阪急電車「大阪梅田駅」の一つ手前「中津駅」で下車しました。


 このビルは「空中展望台」が有名です。外国人観光客がたくさんいました。


 映画館はその3・4階にある「テアトル梅田」。4階の「シネマ3」に入ります。満席でしたがチケットはネットで購入しています。便利な時代になりましたね。


 映画のタイトルは「小学校~それは小さな社会~」。昨年(2024年)12月に公開されました。監督はイギリス人の父と日本人の母を親に持つ山崎エマさん。大阪の公立小学校を卒業後、インターナショナルスクールを経て渡米。日米を拠点に数々のドキュメンタリー映画・番組を制作されているそうです。

 
 「私たちは、いつどうやって日本人になったのか?」 
 「THE MAKING OF A JAPANESE(日本人の作り方)」


 舞台は東京の「ある公立小学校」。1年間にわたって1年生と6年生を中心に「掃除」「給食」「運動会」「学芸会」「日直」「下駄箱」など日本人としては当たり前の光景に焦点を当てて作られたドキュメンタリー映画です。「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている」。私はこのキャッチコピーを聞くだけで、また並んで廊下を歩いている姿を見るだけで涙が出そうになりました。あの子たちの日々の行動と重なるので。

 映画は日本の公立小学校による教育制度を「肯定的」に捉えていますが、全国画一授業や集団行動により「個性が育たない」「同調圧力による教育」など「両刃の剣」をたとえに欠点やリスク、マイナーな側面についても触れられています。そのためこの映画に対して「賛否」あるそうですが、賛否のないドキュメンタリー映画など意味がないので、それはそれでいいことだと思います。私たち日本人としてはあまりにも当たり前の光景なのですが、海外では日本の学校教育は「特異」らしく、海外で高い評価を得ているそうです。

 現役の教員。小学生の子どもを持つ親。教育を研究している人。教育や学校とは何の関係もない人。何でも批判したい人。人それぞれ意見は違うと思います。そして私はといえば、学校とは何の関係もない前職を定年退職し、縁あって今は毎日「小学校」という空間で過ごしています。しかし教員でもなく日々の活動は別にして最終的には責任を取る立場にはない第三者。内側から結構「中立的」かつ「深く」見つめることができました。みんな歩んできた世界なのですが。

 子どもたちは大変ですが、それ以上に先生方や保護者も大変です。しかしこの映画の主人公は子どもたちでも先生方でも保護者でもありません。主人公は「小学校」です。日本全国すべての公立小学校で同じようなドラマが繰り広げられているのです。

 ドキュメンタリー映画故、限られた劇場での上映ですが興味があれば一度観てください。
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がん検診(+要精密検査)結果です

2025-02-10 18:36:30 | 日記
 昨年末、加入している共済組合の厚生事業の一環である「がん検診」を受診しました。その結果、腹部エコー検査で「肝腫瘤・肝嚢胞」の疑いで要精密検査の判定を受けました。以前、別の記事でもお話ししましたが定期健康診断でも「LDLコレステロール値」で、かかりつけ医で精密検査を受けていましたので、その際先生に申し出て腹部のCT検査も受けていたのです。その検査結果を聞きに今日(2月10日)病院に行ってきました。

 まあ済んだことだからこんな大きなことを言えるのかも知れませんが、私自身それほど深刻には考えていませんでした。というのは私の以前の職場の定期健康診断では検査項目として腹部エコー検査があり、毎年あるいは隔年で肝臓にできる水ぶくれのような「肝嚢胞」や肝腫瘤の良性腫瘍である「肝血管腫」の判定を受けていたのです。これらの症状は放置していても「悪さ」はしないということで毎回「経過観察」でした。そして定年退職後に再就職した新しい職場の定期健康診断では腹部エコー検査がなかったので5年ほど腹部エコー検査を受けていなかったのです。今回「がん検診」で久しぶりに腹部エコー検査を受けたわけですが、私としては「ああ、またか」という感じです。ただ判定が要精密検査だったので、とりあえずCT検査を受けたのです。

 CT検査の結果は「肝血管腫は見当たらず小さな肝嚢胞がある」ということでしたが、特に治療の必要はなく毎年検査を受けておけば良いということです。今回のがん検診で「肺(胸部X線)」「前立腺(PSA)」「大腸(検便)」そして今回のCT検査で「肝臓」。また別に受けていた胃内視鏡検査で「胃」。それぞれ何とかクリアーしました。「膵臓」は見つかりにくそうですね。

 結果は良かったのですが、前回の定期健康診断のLDLコレステロールや中性脂肪など年を取ると抵抗力や免疫力が下がっているのでしょうか、無理はできないなと感じました。これからも「食事と運動」に配慮しながら定期的に検査を受けようと思います。そして「酒」を控えます。
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