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仏語、英語学習者。アイザック・アシモフのファン。ノース・ホワイトヘッド思想信奉。縄文志向、仏陀志向。

日本人の神観

2022-10-03 00:03:19 | 古代史と神社
「ジョン・ナック 『禹』の深層」その二 日本人の神観を中心にして

 『禹』について語った私ジョン・ナックは、 Yin Yi の『宇宙の組成と日本人の組成』という短い文章に触発されて、さらに日本史の真なる基層を掘り出したいと思います。
 
 今回は「記紀」に見られる神観の特異性に触れてみたいと思います。
 まず、概観的な文化の基盤としては、「言語」があげられますが、研究成果がまだまだ明らかにはなっておりませんが、概ね「文法」、「敬語」の仕組みとしては、韓国・朝鮮語と重なり合うことが認められます。儒教導入以前において、チベットにも日本語にある敬語表現があることがわかっています。語彙においては朝鮮語とは極めて少数の類似なものもありそうですが、隔絶している感が相当あります。
 発音は、日本語の特徴的にはポリネシアにあるように必ず「アイウエオ」の母音と、子音と母音の結合が明確にある「音」(例えばカキクケコ)と確実になります。「ン」は漢字由来が起源となります。
 要するに父系文化圏と母系文化圏の混合文化と想定できるかも知れません。

 古事記の「神観系譜」は面白いことに、例えば、イザナギ・イザナミの物語は、「聖書」のアダムとエバという男女の起源が類似であったり、他方では「ギリシャ神話」に出てくる「オルフェウスと妻エウリディケ」の物語にあるようにエウリディケはある日、蛇にかまれ死んでしまい、オルフェウスは妻を取り戻しに冥界に行ったので、そういう点ギリシャ神話に似ている面もあります。ただ聖書で言うアダムとエバは被造物で古事記ではイザナギ・イザナミは二神であった訳です。
 さて、古事記の神々生成の順序を時間系列に言うと、初めに造化三神、「アメノミナカヌシ」、「タカミムスビ」、「カムムスビ」というようにキリスト教でいう三位一体のシステムです。それから十二神が出現。これは聖書で言うと十二部族や、十二弟子に比例できます。その後に、イザナギ・イザナミの男女二神が出現。この二神から様々な神々(俗にいう八百万の神)と日本列島を生む(長くなりますので極めてまとめる)。その神々の中からさらに主要な三神(「アマテラスオオミカミ」・「スサノヲ」・「ツクヨミ」)が生成されるのです。
 そこでざっとまとめると、いわば、三神信仰、二神信仰(男女・陰陽)、主神信仰(天照大神、唯一神とはちょっと違うかな?)、多神教(アミニズム、精霊信仰)と言うように多重しているシステムなのです。列島に入って来たそのままの状態が今でも継続していて、それぞれ息ずいて、消されないで同等の価値として認められているという平等思想が特徴的と言えます。要するに悪く言うと相当面倒くさい文化ですが、よく言えば、どんな引き出しからもその時必要なもの(物)、こと(事)を引き出せる便利で自由自在な多様性、多角的見方が出来る柔軟性も持ち合わせる文化、思想と言えます。
 相当に尊重されてしかるべきで、将来、どんな過酷な変化、或いはカタストロフが起きようとも乗り越えられる力の思想と成り得るのです。
 いわば、四種類のハプロタイプの混合のおかげで日本人の可能性としては、どんな状況にも適応出来、機能しうると思うのです。先祖に感謝。ネアンデルタール人にも。

https://youtu.be/YtgMoq7VQtc

ジョン・ナック 「歴史思想書」より

ジョアン・ミロ


御岩神社の起源についての1考察  Yi Yin

2022-08-27 11:56:27 | 古代史と神社
御岩神社(茨城県日立市入四間)の起源についての一考察

Yi Yin

 茨城県日立市にあります通称「御岩さん」で親しまれています「御岩神社」は最近パワースポットとしてにわかに観光地として脚光を浴びています。

 茨城県ではよく「日立」と「常陸」の区別や発祥の起源について取り沙汰しておりますが、私見では、『常陸風土記』に記されてある「直道(ひたみち)」の由来説明より、「日立」の銘名はずっと古代においては、「日の立つ処」のいう意味で、後に「常陸」という漢語を無理矢理に造語したのではないかと勘繰っております。
 もう少し付け加えれば、九州の「日向」を意識していたのかもしれません。

 別名「賀毘礼」の高峰(カビレ)と言います。この由来は、「神が天降る」で「かむふる」、あるいは落雷を意味するという説もあります。その付近では、石鏃・石斧や土器が出土し、甕型土器が数個一直線に並べられて発見され、古代からの祭祀の古さを残してきております。

 さて、この御岩さんは、山の上ということで、参拝しにくく、麓の常陸太田市の星野宮に移転して、其れが「薩都神社」と呼ばれております。
 「薩都神社」という響きから、日本列島の他の神社との関連を考察してみますと、日本海側の「佐太神社」が挙げられます。島根県松江市鹿島町佐陀宮です。出雲の二ノ宮としても知られ、伝承では「カンナビ山の麓に座す」と言われ、その山は「比波山」を言ったものでしょう。

 今度は、そこに奉られております神さまについてですが、これは「常陸風土記」にしか記述されていない神であります。記紀には出てきません。
 しかし、それでももう少し探りを入れてみますと、「火の神・軻遇突智(カグツチ)から生まれたとされる甕速日神(ミカハヤヒ)・樋速日神(ヒハヤヒ)・健甕槌神に関連があるとみて間違いないでしょう。
 この「立速日男の命」は、同様に火の神、あるいは稲妻の神と推定できます。

 祭神は立速日男(たちはやひ)です。なぜか、別名は速経和気命(はやふわけ)です。この速経和気は社伝の『佐都大明神成実因縁記』によると、太政大臣・藤原義嗣のことです。それが死後の天長8年(831年)に従五位下の官位を授かってから立速日男命と呼ばれるようになったと言われております。どういう経緯なのかは想像するしかありませんね。

 さて、察するに、ずっと後、この御岩さんの神さまの名前の由来から、「立速日」という名前からヒントを得て、「日立」という名前が付けられたかどうかも想像の域を出ませんが。
 もう一つの注目すべき事柄は、ここの近くの「大甕」の「甕」という言葉の関連です。

 甕速日神とは、日本神話の神産みにおいてイザナギがカグツチの首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(あめのおはばり)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱です。

 ここから浮かび上がって来ます想定は、古来、「因幡の白兎」伝承に関連するものです。
 ご存知のように、鰐とウサギの話です。そこで、大国主の命は白兎の傷をいやしたことになっております。
 この鰐については、概ね「鮫」と同義で言われておりますが、私見では、「和邇氏」と新羅からの流民となんらかの確執の事件のあらわれではないかと思われます。
 
 「和邇族」とは、大和国添上郡和邇や滋賀県大津市にも残っている地名とも関係しておりますが、もともとは、もっと以前から「綿津見」一族と並び称される「和邇氏」のことで、海上を生業(なりわい)とした一連の海洋民族ではないかと思われます。
 茨城県の鹿嶋にも「鰐川」や福島県南部にも「鮫川」があり、なんらか繋がりを感じざるを得ません。

 この「まつろわぬ」香香背男は、日立の伝承では、「甲羅鮫」と呼ばれていたらしいのです。これが、「鰐」と「鮫」との関連、及びそれが「香香背男 カガセオ」となった経緯の理由でありましょう。
 この「和邇氏」とは、大和の土地に、朝廷にかしずく以前は、この「カグツチ」伝承から推測するに、「列島各地で暗躍した鉄生産活動あるいは鉱山発掘業の担い手」と考えられます。

 そして極めつけは、長崎県壱岐島の佐肆布都神社です。この神社御祭神には、武甕槌命を筆頭に高貴神、 天照大神、猿田彦命 、天鈿女命、
甕速日命 、樋速日命 、経津主命、稜威雄走神 、天児屋根命、大己貴神 、事代主命が奉られていて、中臣、藤原氏との深い連携が忍ばれます。

 ここにおいて、韓半島との繋がりも見過ごしにはできないでしょう。

 要するに、御岩さんと、南方向にずっと下って行った「鹿島神宮」との関係は、「甕(みか)」繋がりであるこの重要性は否定できないのではないかというのが私の考えです。
 
 鹿島神宮の近くに「東西社」というところがありまして、古来、「甕」が沈んでいたと言います。

 さらに付随して二三のことを言わざるを得ません。

 一つは「御岩さん」の北側の峰です。ここには、「星の宮神社」が座していますが、言い伝えではご神体は、「雲母」だとされております。
 ここは現在日立市管理のレジャーランドの「キララの里」があります。
 この施設の命名した方の明察には驚かされます。
 そして大甕から南に向かいますと、久慈川が流れておりますが、そこを挟んで南側に海岸に沿って東海原子力発電所があります。そのまた南側に有名な、虚空蔵山があります。正式な名称は、「村松山虚空蔵堂日高寺」と申します。
 私どもも子供の頃、十三参りと申しまして、いわゆる元服のようなしきたりで遠くから汽車を乗り継いで参拝しました。いわゆる「知恵の宝珠を頂く」という意味です。
 この「虚空蔵山」はもともとは「妙見菩薩」から移行したと言われております。この「妙見信仰」の宝珠が「雲母」なのです。
 古来中国では、長生の薬として重宝されていたという記録もあります。

 高鈴山の名前のように、高鈴山系は鉱物資源が豊富です。因みに、日立製作所の起こりは、「日立銅山」ですが、逸話に「銅山の煙突の内側を清掃するのにそこを梳ると大量の金が出て、それを社員にボーナスとして下賜した」そうです。

 『常陸風土記』には、常陸国の成り立ちについて、「建借間命」の活躍がおおらかに陳述されております。
 これも私見ですが、『日本書紀』の歴史起源に纏わる事件としてカガセオ退治に失敗した関東の二大神とそれとの対比で征伐を成功させた健葉槌神の物語が出てまいりますが、おそらく、この物語は、ある史実の裏付けがあったのであり、その史実といえば、この建借間命の活躍なのではないかと考えております。

 最後に、これはあくまでも推測の域を越えない邪測とも言えることですが、不思議に今述べました「妙見信仰」の宝珠「雲母」と「健甕槌神」の聖名の「甕」との関連ですが、キリスト教やユダヤ教に出てくる、「天使ミカエル」の語源が、「mika」が、英語の「mica」が、はからずも「雲母」なのです。

まとめ 
 古来の氏族「ワニ」は、海洋民であり、鉱物資源発掘にも才があり、日本列島各地の鉱山を採掘していました。後に稲作が全土に普及するにつれて、他の氏族(オオ氏など)も鉄生産をするようになり、和邇族はその競争から姿を消していきました。
 日立地方の繁栄は、朝廷の蝦夷征伐の時期に呼応して南の地区の鹿嶋に移っていきました。












六韜三略から未来をみる

2022-07-16 04:49:10 | 古代史と神社
『六韜三略』から未来を見る

 イギリスの歴史学者エドワード・ハレット・カーの 『歴史とは何か』で述べられた、「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」というフレーズは、僕の大事な座右の銘の一つでもあります。
 もうひとつの僕の歴史的思考法は『~とは「私」にとってどう意味があるのか』という問いかたです。この「私」の部分を、「社会」、「日本」、「世界」、「人類史」、「人類の未来」と連環させて行くのも可能です。要するに「意味論」です。諸価値の中でも「意味」がその核心となります。
 数ある兵法書の中で、太公望呂尚がしたためたとされる、『六韜三略』というものがあります。中国古代史の明媚な歴史の転換の物語に、マンガの『封神演義』、『殷周伝説』に活躍する革命家呂尚の言辞とされております。長らく偽書と疑われてきましたが、1972年の発掘により、前漢の紀元前2世紀にはすでに流布していたことがわかりました。このことから、中国戦国時代には成立していた可能性があります。それゆえ、あの秦を倒し、宿敵項羽に圧勝した軍師張良が用いた戦法もそうであったと頷きます。
 
 中国古代史の小説家、宮城谷昌光のリアルな描写の背後に見え隠れする系譜には、只今fbの絶賛投稿中の佐藤達矢氏の開明的持論、「中国春秋戦国は日本古代史に直結している」という大慧眼を思い起こさせます。宮城谷昌光の『太公望』の中に、「夏を倒した人物」として伊尹摯を暗示させる文脈があります。彼をして伊尹に倣おうとした瞬間だったのです。

 特色の一つとして、『孫子』では小勢で大勢と戦うことを良しとはしないのに反して、『六韜』では少数を説く部分が見られ、戦闘姿勢の考えが違うということです。いわば、その系譜から、乙巳の変の立役者中臣鎌足が暗唱するほど読み込んでいたといいます。源義経が陰陽術師の鬼一法眼から譲り受けたといいます。三略については、北条早雲は、「夫れ主将の法は、務めて英雄の心を攬(と)り、有功を賞禄し、志を衆に通ず」という冒頭の一句を聞いて、兵法の極意を悟ったと言われております。

 そういう風に読んでいきますと、
 ひとつ、新たな時代、夏から殷、殷から周、秦から漢、古代から律令、平安から鎌倉、室町から戦国。という時代の転換軸に『六韜三略』が大いに関わっていると思うのは僕一人なのでしょうか?
 もうひとつ、未来を見据えて、下降文明らしき日本のこれからの展望にもこれを用いたら結構効力があるのではと、一人ごとを言っております。






Air Supply

2022-06-21 17:55:10 | 古代史と神社
恋にさ迷うチッポケな男
すべてに見捨てられた子犬

東洋に神秘主義者の仙人のようには
ゼロから1を生み出すことができない惨めな僕

でも遮れない容赦のない6月の日差し

シンギュラリティのAI の感情
プロミネンスの先のコロナの輝き

このプロセスの先のまた先のビッグバンの反響

そう
アナログゲームの世界に帰りたい一心に
空の上の補給は Lunch の後の Siesta がない

今日もただAir Supply の調べは
ウォルシング・マチルダ

今夜も80年代の歓声のこだまが耳の奥で騒ぐ
聴き惚れていれば少しは状況がよくなるように

https://youtu.be/8Nf-MO9ynsY

yatcha john s. 「Air Supply 」


ひまわり

2022-05-21 01:53:22 | 古代史と神社
めぐり逢いは一瞬

でも振り向けば夕暮れ
サヨナラは永遠

でもその頃はいつでも見かけた
君は上り車線
僕はローカル線
目線が合うのに無視した素振り

あとで教えてくれた

偶然の再会は同じ部活
「あの!」

僕らが出会った駅の花壇に夏の花を二人で植えた

思い出はあなたのストーリー
見果てぬ夢は僕のため息混じりの映画のタイトル

「ひまわり」

二人で見に行った映画館
喧嘩別れのデートのあと

ウクライナの車窓から見える姿は
もう一人の君の黄色い幻

優しさの香りが残る
振り向けば夕暮れ

https://youtu.be/vdRvi6joFcA

yatcha john s. 「ひまわり」