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仏語、英語学習者。アイザック・アシモフのファン。ノース・ホワイトヘッド思想信奉。縄文志向、仏陀志向。

足摺の王、禹

2022-09-25 17:13:37 | 中国古代史
「ジョン・ナック 『禹』の足摺りの深層」その一日本人の女性観を中心にして

 『禹』について語った私ジョン・ナックは、 Yin Yi の『宇宙の組成と日本人の組成』という短い文章のに触発されて、さらに日本史の真なる基層を掘り出したいと思います。
 
 まず日本の天皇家から話しをはじめてみましょう。
 「日本書紀」を天皇に講義した記録に書かれている話しですが、天皇が博士への質疑で、「わが国が姫氏(きし)国と呼ばれるのはなにゆえか」とあります。この姫姓は周王朝の王族の姓ですが、その前の殷王朝のその前の夏王朝の姓は本来、禹は彼の姓を「姒(じ)」と称していたのです。周王朝が、同じ漢字の左側の「女へん」を用いていている点に注目してもらいたいのです。
 なぜ周王朝は「女へん」に拘るのでしょうか? それは復興夏王朝の旗を鮮明にして殷王朝(子氏)を倒す正統性を名乗る必要があったからでしょう。殷王朝討伐に加担した姜族の太公望ならそこら辺の画策はお手のものでしたでしょう。なにしろこの姜族も禹の流れであると自負していたからです。姜族の伝統行事では、あの「禹の足摺り」を真似する、という儀式があるそうです。

 もし天皇家が「姫氏」であるなら、日本の精神構造及び政治構造も「禹」の実像を反映したものとなったことは十分頷けることでありましょう。
 
 この「女へん」の事実は当然、女性と男性とが切っては切れない不可分の精神を反映しています。それはおそらく当時としては高貴な人間性高揚の革命的な新時代のおおらかな到来の宣言であったでしょう。
 この女性性重視の考えはさらに我が国においてさらに発展したと見るべきです。世界には太陽を主神とする宗教、民族があまたあるなかで日本だけが女性の太陽神を主神としているからです。
 これは邪馬台国の卑弥呼の話をなぜ現代の日本人が執心するかの答えでもあります。アマテラス神や斉明天皇に連動している不思議をそこに見るからです。
 しばしば日本史においてはその時代時代の混沌期に活躍する傑出した女性の指導者が現れ、壁にぶつかった男社会の弊害から脱却させました。まるで救世主のように。卑弥呼の印象は我々に、繰り返し勃発する国難を克服する女性のトップの出現を予兆させます。
 以下ざっと挙げますと、アマテラスを筆頭に、神功皇后、推古天皇、光明皇后、北条正子などなど。
 彼女らは「天照」の言葉そのもののような見事な明るさで我が国の民をリードして来ました。最近の研究によれば、あの藤原不比等は、彼が仕えた持統天皇を、アマテラスオオミカミに比して日本の歴史を構築したのではないかと言われているほどです。

 伝来の仏教にも女性的に浮き彫りされる観音菩薩、弥勒菩薩、薬師如来が出現するのも頷けます。インドにおける原始仏教ではあり得ない様相が日本仏教には現出するのです。要するに日本の精神土壌は本来的に、「五障三従」という女性蔑視とも言うべき古仏教とやや趣を異にしているようです。
 ちなみに本地垂迹説の垂迹神と本地仏の主要な女性神仏を列挙しますと以下のようになります。
*天照大御神=大日如来、十一面観世音菩薩
* 大山咋神「日吉」=天照大神=大日如来
* 市杵島比売命=弁財天
* 豊宇気毘売神=稲荷神=金剛界大日如来
* 菊理姫=十一面観音
* 伊弉美尊=千手観音
* 木花之佐久夜毘売=浅間大菩薩、阿弥陀如来
* 御姥尊=大日如来
* 七面天女=吉祥天、弁財天
* 稲荷神=十一面観音、聖観音、荼枳尼天千手観

 さらにおそらく中国由来の陰陽思想も男女同一の価値を表す思想でしょう。

 さて夏王朝に話しを戻してこの論考を閉じたいと思います。夏王朝の中興の王、少康の母「緡(みん)」の話しです。
 「史記」とともに古代中国史を語る上で重要となる情報を与えてくれる『竹書紀年』によると、夏王朝中期の「王中康」の子である「相」が跡を継ぎます。在位年数は二十八年。 その在位八年に夏王朝を実質的に支配していた「羿」がその妻「玄妻」(純狐氏)と臣下の「寒浞」に殺されました。 そして「王相」自身も「寒浞」とその子供の「澆」によって弑されます。相の妻「緡」は都でのクーデターから逃がれ、彼女の出身地である有仍国で次の王となる「少康」を生む。少康はやがて成長すると、その息子の「杼」や夏王朝の遺臣である「伯靡」、「有仍氏」、「有鬲氏」などと共に「寒浞」や「澆」、「豷」を討ち滅ぼしました。これを「少康中興」といいます。
 ここに、中興の王の母の存在の偉大さが「禹」の精神的子孫の日本人の心に投影し続け、今なお息づいていると思う理由です。
 
 そして次回は「記紀」に見られる神観の特異性に触れてみたいと思います。

ジョン・ナック 「歴史思想書」より


もう一人の英雄 楽毅 雑考

2022-06-07 04:15:42 | 中国古代史
中国もう一人の英雄 楽毅 雑考

 中国史には、数えきれない英雄が出てきて、読者の心を捕らえて放さないのですが、十二世紀の岳飛も面白いのですが、あの諸葛孔明に「我もなりたや燕の楽毅。」と歌わしめた人物が楽毅です。
紀元前286年、燕は他の四国連合を引き入れて斉の領土に深く侵入致します。城を抜くこと、70以上と申します。それも極めて短期間で。

私の拙い妄想から、次のように考えました。楽毅のその技能は、果たして、何処から会得したのであろうかと?

おそらくは、楽毅という人の強みは、「物事の裏」を考察する能力にたけていた、ということではないかと思うのです。というのは、彼自身も、本来は、平和、博愛主義者であって、当時、彼以前の秘密結社の技能集団「墨家」に大いに傾倒し、城壁都市を防御することを本命としたかったのでは。その技能の神髄を学ぶうちに、その逆関数にたどり着いた。
時代は、春秋時代の次の戦国七雄が競い合う弱肉強食の時代。楽毅は、墨家の守城の技というだけでは困難な時代となってしまっていると痛感していたと思われます。墨家の「逆関数」を駆使出来たのが、天才楽毅の出現になった、と読んでいます。

それと類比できる日本の歴史的大転換があります。日本では、中国大返しという事件です。戦国時代を終わらせた、三大奇人と呼んでも間違いないでしょう。秀吉、それを支えた竹中半兵衛、黒田官兵衛です。
半兵衛は、主君齋藤龍興の岐阜の稲葉山城をたったの十六人で乗っ取ったという稀有な経歴があります。
官兵衛は、かつて大河ドラマでお馴染みのように、何度も毛利の軍勢を姫路で迎え入れて、守り通しています。
秀吉の備中高松から急遽軍団を引き返すことによって、明智軍を蹴散らすことに成功しているのです。奇跡的な230キロの踏破。これもまた、「あの楽毅の如し」ではありませんか。大返しの段階では残念ながら半兵衛は一線からは脱落していましたが、官兵衛の凄さは盟友半兵衛の技能をもそれまでに吸収していたことでありましょうか。攻めの半兵衛、守りの官兵衛。両者のドラマを思い返す度に、「楽毅の如し」という台詞が浮かんで来ます。関ケ原の戦いの最中、九州では「もう一つの関ヶ原」という大いくさが官兵衛によって展開されております。彼らは、墨家や楽毅のように平和、博愛の人たちであったのです。
世はまたもやキナ臭くなってきているのは、悲しい限りです。

 さて、人生の強みとは何でしょうか?
それもそれと同じです。回りの人にない特技が一つでもあればいいのです。自分の城一つで、生きる自信と進路も見えて来ます。ではどうしたら? 答は簡単です。でも多くの人は信じていません。短期間で一個の城主になれます。逡巡しなければ。あとは楽毅の如し、です。

yatcha john s.


Open, sesame.

2022-03-31 04:10:09 | 中国古代史
求めよ 
そうすれば与えられん
そんな簡単な信仰は馬鹿げてる                
人間の浅知恵がそう口で叫ぶ 信じたいくせに
モーセの一行は迷いもせず、追っ手から逃れ、海中の一本道を渡ったではないか

叩けよ 
そうすれば開けられる
ノアの洪水の時代の人も心を閉ざしてた
人間の浅知恵が行くべき道を閉ざしてる
エリコの城を七回廻れよ
あなたの頑固な既成概念を崩せよ

開かれている
きっと 
海中の道 
大海原のなかでだよ

yatcha john s. 「 Open , sesame 」


クリスマスの夢から明恵上人の夢まで

2021-12-24 23:59:19 | 中国古代史
彼らはその星を見て大変喜び、家の中に入り、その子供が母マリアと一緒にいるのを見て、ひれ伏し、彼に敬意を表した。そして自分たちの宝物箱を開き、金、乳香、没薬とを贈り物として差し出した。また夢でヘロデの所に帰るなとの指示をうけたので、他の道を通って自分たちの国へと立ち去った。(ルカ福音書2¹º~2¹²)

 親しい fb 友のグループ名が「小さな夢」と申します。普通、「夢」とは希望、願いというふうに理解されます。ルカさんは、それを天使のお告げだと強調します。安全で確実な予測。弱い私たちにとって確固たる照明は絶対的な保険となります。
 話は突然、日本の仏教へと飛ぶのですが、この「夢」をホントに大事にしたお坊様がいらしました。明恵上人です。明恵上人は夢を第一義としました。現実の不可能なことはすべて夢に聞け、といった態度です。この生き方に全身全霊、共鳴した武家がいました。北条泰時です。承久の変の鎌倉政権を磐石にした立役者であり、日本初の武士による法律、「御成敗式目」を編み出した人物です。彼の現実の向こうに確固たる神仏と人間社会の実像を見てとる確実な眼差し。
 次の時代を切り抜く絶妙な考察力は「夢」というキーワードなしにはなり立たないのです。

yatcha john s. 「クリスマスの夢から明恵上人の夢まで」